中村 巍(なかむら たかし、1873年(明治6年)7月3日[1] - 1949年(昭和24年)12月17日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、外交官。
経歴
和歌山県有田郡湯浅村(現在の湯浅町)に〆野弥七の三男として生まれ、中村清子の相続人となった[3]。東京高等商業学校(現在の一橋大学)を中退し、外務省留学生となった[4]。1895年(明治28年)、外務省書記生(専門職)となり、1897年(明治30年)に外交官及び領事官試験(いわゆるキャリア採用試験)に合格[3]。ワシントン・福州・オタワ・ロンドン・ニューヨークなどで領事を務めた[5]。外務省通商局長を経て、1918年(大正7年)には駐アルゼンチン公使に就任した[6]。
1923年(大正12年)に退官して、翌年の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。さらに第16回衆議院議員総選挙にも再選された。その間、加藤高明内閣で外務政務次官を務めた。
栄典
脚注
- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、28頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』456頁。
- ^ a b 『新興日本名士録』なねの部 p.30
- ^ 『代議士詳覧』p.376-377
- ^ 『新代議士名鑑』p.329
- ^ 『官報』第1773号、大正7年7月1日
- ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
- ^ 『官報』第1799号「叙任及辞令」1918年8月1日。
参考文献
- 『新興日本名士録』帝国時事通信社、1927年。
- 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。
- 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。