平川 松太郎(ひらかわ まつたろう、1877年(明治10年)5月15日[1] - 1943年(昭和18年)5月19日[2])は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、弁護士。
経歴
広島県双三郡和田村(現在の三次市)出身。1901年、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。弁護士試験に合格し、弁護士を開業。また小田原商業学校校長も務めた。
1924年の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は7回を数えた。その間、濱口内閣で小泉又次郎逓信大臣の秘書官を、第2次若槻内閣で逓信参与官を、平沼内閣で逓信政務次官をそれぞれ務めた。
脚注
- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、6頁。
- ^ 『官報』第4918号、昭和18年6月7日。
参考文献
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
衆議院請願委員長 |
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