松本 忠雄(まつもと ただお、1887年(明治20年)7月2日[1] - 1947年(昭和22年)7月4日[2])は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、ジャーナリスト。
経歴
長野県上水内郡瀬戸川村(現在の小川村)に、松本八重作の長男として生まれる。1909年(明治42年)、東亜同文書院を卒業[1]。卒業後はやまと新聞の記者となるが、加藤高明憲政会総裁に見出され、その秘書となった[1]。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回連続当選を果たした。加藤高明内閣では内閣総理大臣秘書官を務め、第1次若槻内閣では東京市助役を務めた[1]。さらに齋藤内閣・岡田内閣で外務参与官を務め、第1次近衛内閣では外務政務次官を務めた。太平洋戦争中の1944年にニッポンタイムズ会長に就任し、戦後の1946年まで在職した[3]。1947年、公職追放[3]。
外務参与官・外務政務次官在任中に重要文書を筆写しており、現在、外務省外交史料館に「松本記録[4]」として所蔵されている。
親族
著書
- 『日支新交渉に依る帝国の利権』(清水書店、1915年)
- 『近世日本外交史研究』(博報堂出版部、1942年)
脚注
参考文献
- 『新興日本名士録』帝国時事通信社、1927年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。