海野 数馬(うんの かずま、1889年(明治22年)6月22日 - 1971年(昭和46年)1月4日[3])は、明治時代後期から昭和時代の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。
経歴
静岡市に生まれる。大井善吉の三男として生まれ、のち先代平作の養子となり1916年(大正5年)家督を相続し前名勇吉を改める。静岡県立静岡中学校退学[6]。1911年(明治44年)日本大学法律科を卒業する。請負業を営む傍ら、静岡県農会議員、静岡県会議員を務めた。ほか財界では、昭和工業、昭和木材各社長を歴任した。
1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では静岡県第1区から立憲民政党所属で出馬し当選。つづく第17回、第18回総選挙でも当選し衆議院議員を3期務めた。
脚注
参考文献