中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、日本の弁護士・弁理士・詩人・評論家。中村合同特許法律事務所パートナー、日本商標協会顧問、公益財団法人日本近代文学館名誉館長、第二東京弁護士会所属、日本芸術院会員、文化功労者。
中松特許法律事務所弁護士、中村・山本・武田合同特許法律事務所代表パートナー、中村合同特許法律事務所代表パートナー、日本商標協会会長(初代)、財団法人日本近代文学館理事長(第6代)、社団法人日本商事仲裁協会常任理事、日本芸術院第二部部長などを歴任した。
千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事[1]。東京府立第五中学校から第一高等学校を経て、1950年、東京大学法学部法律学科卒業[2]。この間、太宰治を囲む中で、矢代静一の他、三島由紀夫や野原一夫らとも関わりを持つ。大学在学中に旧司法試験に合格し、1952年弁護士・弁理士登録。
1946年『世代』に参加、1950年第一詩集『無言歌』を刊行。1967年詩集『鵜原抄』で高村光太郎賞、1977年詩集『羽虫の飛ぶ風景』で読売文学賞(詩歌俳句部門)、1988年『中村稔詩集 1944-1986』で芸術選奨文部大臣賞、1992年『束の間の幻影』で読売文学賞(評論・伝記)、1996年『浮泛漂蕩』で藤村記念歴程賞、98年日本芸術院会員、『私の昭和史』に至る業績で2004年度朝日賞[3]、2005年『私の昭和史』で毎日芸術賞、井上靖記念文化賞受賞。2006年から10年まで芸術院第二部長。2010年、文化功労者[4]。2017年、『言葉について』で現代詩人賞受賞。宮沢賢治、中原中也の評論・伝記は複数著した。日本近代文学館理事長を経て名誉館長。
弁護士および弁理士としては、知的財産法一般を専門とする。1952年に中松澗之助が代表者であった中松特許法律事務所(現中村合同特許法律事務所)に入所。中松の急逝後の1974年から1993年まで、中村合同特許法律事務所代表パートナーを務め、現在は同事務所パートナー。日本弁護士連合会無体財産権制度委員会委員長(1979年 - 1981年)、国際知的財産保護協会本部執行委員(1966年 - 1991年)、日本商標協会会長(1988年 - 1995年)などを歴任し、「知財の中村」と称されている。
この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。