菊畑 茂久馬(きくはた もくま、1935年3月5日 - 2020年5月21日)は、長崎出身の画家。前衛美術集団「九州派」の代表的存在であり、戦後日本の前衛美術画家の一人。
徳島県出身の父と、長崎県五島出身の母との間に長崎市に生まれる(本籍地は徳島県)。1944年より福岡市に移る。福岡県立福岡中央高等学校卒業。絵画は独学。
1957年、前衛美術グループ「九州派」に参加して画家として頭角を現す。1958年より「九州アンデパンダン展」を主宰する一方で、1957年より東京の読売アンデパンダン展にも出展。
1961年には「現代美術の実験」展(国立近代美術館)の15人の出展作家の一人として選出され、1962年には南画廊(東京)で個展を開催。以後、前衛美術のホープとして注目された。
1962年、九州派を脱退。1960年代後半より発表から遠ざかる。
1964年、上野英信の紹介で筑豊の炭鉱画家・山本作兵衛の作品を知り衝撃を受け、当時ほとんど評価されていなかった作兵衛の作品を「美術」として評価する論文を書く。作兵衛の『筑豊炭坑絵巻』(1975年)の編纂に関わったり、1970年には作兵衛を東京に招いて自身が教鞭をとる美学校の生徒に作品を模写させたりするなど(その時の生徒の一人が南伸坊である)、作兵衛の絵の作品としての評価、ひいては世界記憶遺産への認定に大きな役割を果たす。
1970年に米国から日本に返還された戦争記録画についても論述。また福岡を中心に、数多くの公共空間に陶板壁画を制作。
1983年、絵画作品《天動説》シリーズを東京画廊で発表し、19年ぶりに画壇に復帰。
以降、《月光》、《舟歌》など大型の組作品を立て続けに発表。戦後美術思想の中心として「オブジェ」を捕らえ、その克服をめざした絵画を制作。
2020年5月21日、死去[1]。85歳没。
(『九州派大全』作家略歴より引用)
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