「栄冠は君に輝く」(えいかんはきみにかがやく)は、加賀大介が作詞、古関裕而が作曲した歌・行進曲で[1]、「全国高等学校野球大会の歌」という題名[2]で1948年に発表された。
兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場で開催される夏の全国高等学校野球選手権大会の大会歌として大会の開会式、閉会式で演奏され奉唱される。さらに、現在では大会の主催新聞社である朝日新聞社の告知CMや、大会中の5回裏終了時から6回表攻撃開始前のグラウンド整備時の球場内BGMとして、下記の大会イメージアーティストが歌う同曲が使用されている。また、NHKのテレビ中継番組では出場校のふるさと紹介にてNHK学校紹介用BGMがバックに流れたり[注 1]、かつては朝日放送テレビ・BS朝日・朝日放送ラジオの各中継のテーマ曲としてインストで流れたりした[注 2]。また、バラエティ番組でも野球のゲームコーナーや野球がらみのネタなどで頻繁に使用される。大会を象徴するテーマ曲として、知名度は非常に高い。原曲の調性は変ロ長調であるがハ長調の楽譜も初心者の演奏用に提供されている。
本来は、全国高等学校野球選手権大会の大会歌であるが、学校・地域によっては運動会や夏以外の地方大会・地区大会の行進曲、応援団が応援歌として使用することもある。なお、全国高等学校野球選手権大会で入場行進に用いられるのは第21回大会(1935年)から使用されている山田耕筰作曲、富田砕花作詞の「全国中等学校優勝野球大会行進歌」のインストゥルメンタルであり、本作は「大会歌」として行進とは別に歌唱される。
なお、本楽曲は日本コロムビアの管理楽曲であり、使用には許諾が必要である。
1948年に学制の改定に伴い、それまでの「全国中等学校優勝野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に改称する事になったことにあわせ、更にこの年の大会が第1回大会から数えて30回目の節目の大会であったことから主催者である朝日新聞社が記念事業として第12回大会から使用されて来た初代「全国中等学校優勝野球大会の歌」(作詞:福武周夫、作曲:信時潔)に代わる2代目の大会歌として全国を対象に歌詞の懸賞公募を実施した。
応募総数5,252篇中から、最優秀作品に選ばれたのが加賀の詞であったが、入選発表の名義は「加賀道子」[2][3][4](本名は旧姓:高橋道子、結婚後は中村道子。松江安見の大姪)とされていた。これはプロの文筆家で地元の石川を拠点に執筆活動をしていた加賀(当時の本名:中村義雄)が、周囲から懸賞金(大賞賞金は5万円で、当時の公務員の平均給与の10倍以上であった)目当てと思われるのを嫌い、婚約者の名を使って筆名「加賀道子」で応募した[4]ためであり、第50回記念大会(1968年)を機に加賀夫妻が作詞の真相を語り[4]「加賀大介作詞」と改められた[5]。これに前後して、中村は戸籍上の本名もペンネームの1つであった「加賀大介」に改名している。
加賀は野球球児であったが、試合中の怪我による骨髄炎のために右足切断を余儀無くされ、野球を断念した経緯がある。この詞には、野球に対する加賀の熱い想いが強く込められている。
創唱歌手(発表当時のオリジナル)は、当時の名流行歌手である伊藤久男である。ちなみに伊藤は当歌の作曲者である古関裕而とは戦前からの深い付き合いである同郷(福島県)の友人同士であり、戦前から古関が得意としたスポーツ音楽はもとより、歌謡曲や軍歌においても名タッグとして活躍していた関係を持つ(2人の代表作は「イヨマンテの夜」、「暁に祈る」など)。
1989年、根上野球場に歌碑が建立された[6]。加賀の出身地である石川県[注 3]根上町(現:能美市)には、歌碑が立てられている。なお、出身の能美市立浜小学校の後輩に、甲子園に出場して第74回選手権大会における5打席連続敬遠で有名な松井秀喜(当時・星稜高)がいる。
1996年まではアーティストを起用せず、関西地区の高校生による合唱を放送していた。
この他にも、第70回記念大会(1988年)の開会式では、「5万人の大合唱」と称するプレイベントを開催。開催に際しては、合唱用の歌詞カードを観客全員に配布したほか、山本直純が指揮、さだまさしが歌唱で参加していた。
ここでは2003年版について記す。
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