全国高等学校野球選手権大会における千葉県勢の成績について記す。
全国で5番目に参加校数の多い激戦区域。実力的に伯仲した学校が多い上、大都市圏の地方大会の中では、比較的公立の高校が健闘していることが特筆される(その様子は、メディアや、高校野球ファンの間で「戦国千葉」と形容されることもある)。甲子園への連続出場を果たしたのは1931年~1932年および1935年~1936年の千葉中(南関東代表)、1939年~1940年の千葉商(南関東代表)、1946年~1948年の成田(南関東代表、1946年・1947年は旧制中学)、1970年~1971年(東関東代表)および1973年~1974年の銚子商、1996年~1998年の市立船橋(1998年は西千葉代表)、2012年~2013年および2016年~2018年の木更津総合(2018年は東千葉代表)である。
第80回記念大会より、大会回数の下1桁が0の大会時(西暦の下1桁が8の年)のみ、東千葉と西千葉の2ブロックに分けて予選を行う[1]。
なお、第63回出場の銚子西は、2008年に第61回出場の市立銚子に統合されている(公式記録も合算されているため、次に優勝すれば、「〇年ぶり3回目(の甲子園出場)」と表記されることになる)。
1972年の第54回大会までは千葉大会の上位校が2次予選へ進出し、全国大会への出場校を決めていた[2]。なお1958年、1963年、1968年の予選は記念大会で1県1代表となったため、2次予選は開催されなかった。
戦前、千葉代表として南関東大会に出場し甲子園常連校となっていたのは県千葉高の前身である千葉中であった。1931年から1936年までの5年間で4回甲子園へ駒を進めたが初戦を突破できたのは2回のみで甲子園での通算成績は2勝6敗(1950年、1953年に千葉一として出場)であった。
戦後間もなく、1946年から1948年まで3年連続で南関東代表として甲子園に出場したのは成田(1947年まで旧制中学校)であった。1947年、1952年には4強に進出しその後は1990年と2010年(4強)、センバツも2006年、2007年に出場を果たし「古豪」として知られる。
1950年代、千葉一や成田とともに甲子園に出場していたのが千葉商であった。戦前に2回(1939年、1940年)、50年代に2回(1954年、1956年)、60年代に2回(1964年、1968年)、1977年の計7回甲子園に出場を果たすが以降は甲子園出場経験がなく、「古豪」として知られる。
1960年代に入り、1965年に銚子商が準優勝すると1967年に習志野が千葉県として初めての全国優勝を果たす。1970年代には銚子商と習志野が交互に出場するような形[3]になり、甲子園常連校となった。1974年に銚子商が優勝、1975年には習志野が再び優勝し、千葉県が野球の強豪である県として認知されるようになった。1958年、61年、63年、65年、70年、71年、73年、74年、76年、85年、95年、2005年に出場を果たした銚子商業、1962年、67年、72年、75年、80年、87年、2001年、11年、19年に出場を果たした習志野も共に「古豪」として知られるが、銚子商は平成後期以降(2005年以降)では甲子園出場経験がない。
1970年代後半から1980年代にかけては我孫子、市銚子、市銚子西、東海大浦安、印旛、拓大紅陵、成東などが相次いで甲子園への初出場を果たし、この頃から2010年まで前述の初出場校と古豪が毎年甲子園出場校が入れ替わる如く「戦国千葉」と呼ばれるようになる。1992年に準優勝を果たした拓大紅陵、2000年に準優勝を果たした東海大浦安は千葉県大会の上位常連の強豪校となっている。
1990年代に初出場を果たしたのは市船橋、志学館、柏陵である。市船橋は初出場で4強、その後4回出場し1997年には8強に進出するなど強豪校になった。柏陵も初出場で4強まで進出している。
2000年代に初出場を決めるのは木更津総合と千葉経大附と八千代東である。木更津総合は2012年~2013年、2016年~2018年に連続出場を決めるなど2010年代に甲子園常連校となっている。千葉経大附は2004年06年、08年に出場し2004年には4強まで進出しているが、以降は甲子園出場経験がない。
2010年代に初出場を遂げるのは東海大望洋、専大松戸、中央学院の私立である。これらの学校は県大会でも安定してシードをとるなど着実に強豪校となっている。その一方で近年は甲子園出場校が限られるようになり、銚子商、拓大紅陵、東海大浦安、千葉経大附、成田といった古豪などが10年以上甲子園出場が遠ざかるようになり、公立校も習志野と市船橋以外は出場が厳しい状況となっている。
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