槙野智章
槙野智章の俺じゃけん YouTube チャンネル
活動期間
2021年 2月1日 - ジャンル
サッカー 登録者数
6.82万人 総再生回数
6,167,488回 チャンネル登録者数・総再生回数は000000002023-06-17-0000 2023年6月17日 時点。 テンプレートを表示
槙野 智章 (まきの ともあき、1987年 5月11日 - )は、広島県 広島市 西区 出身の元プロサッカー選手 [ 1] 、サッカー指導者・解説者、タレント。現役時代のポジションはディフェンダー 、フォワード 。元日本代表 。
妻は女優 の高梨臨 。
経歴
プロ入り前
サッカーファンでサッカーをプレーした父と[ 2] 、すでにサッカーを始めていた2人の兄の影響で[ 注 1] 、小学1年生からサッカーを始めた[ 3] 。草津小学校のサッカー少年団員は4年生以上であるため、隣町井口 の井口明神小学校のサッカークラブに入団し[ 3] 、小学6年次にFWとしてフジパン カップ広島県大会で3位入賞した。
2000年にサンフレッチェ広島ジュニアユース に入団。同期には森重真人 、左山晋平などがいる。当初はFWのポジションでプレーし、森重や平繁龍一 と2トップを組んでいたが、トップ下、サイド、ボランチなど様々なポジションを経て、中学3年次にコーチの月岡利明 によりセンターバックにコンバートされた[ 3] 。
2003年にユースチームに昇格。ユース時代からの同期には、木原正和 、福本尚純 らがいる。2年次からセンターバックとしてレギュラーを獲得し、ユースレベルでの3大大会の全てで決勝に進出し2冠達成に貢献した。一学年上の藤井大輔 と組んだセンターバックは森山佳郎監督から「同世代には絶対に破れない」と賞賛された。3年次には広島ユースおよびおかやま国体 における広島県選抜の主将を務めた。各年代別代表にも招集されここでも主将を務め中心選手として活躍した[ 3] [ 4] 。
サンフレッチェ広島時代
2006年、橋内優也 、趙佑鎮 らと共にサンフレッチェ広島 トップチームに昇格。
2007年8月にダリオ・ダバツ および盛田剛平 が負傷したため先発メンバーに抜擢された。以降は、レギュラーとして定着した[ 5] 。J2 降格が決まった際、元日本代表 FW佐藤寿人 と広島残留を表明する。
流動的に動いた2008年は、元日本代表SB駒野友一 の移籍で空いた背番号5をつけて、出場停止1試合を除く全試合に出場する。その結果、悲願のJ1復帰に貢献した。
2009年は初めてJ1 で1年間レギュラーとして出場し続け、センターバックではリーグ最多の8得点を挙げた。
2010年はリーグ全34試合に出場、うち33試合ではフル出場し、初のJリーグベストイレブン に選出。全試合に出場しながら警告、退場が1つもなく、フェアプレー個人賞を受賞した。
ケルン時代
2010年12月、ドイツ へ渡った。欧州挑戦を目指し、ボルシア・ドルトムント とTSG 1899ホッフェンハイム の練習に参加した。しかし、独誌キッカー の回答としては「1対1の弱さがあり、右サイドバック 向きとして獲得は現実的ではない」と評された。欧州レベルでは、センターバックとしては評価されなかった。結局、正式契約には至らず、槙野は日本 へ帰国 する。しかし同年12月30日、当時ケルンのスポーツディレクターを務めていたフォルカー・フィンケ の誘いでドイツ・ブンデスリーガ の1.FCケルン へ完全移籍[ 6] [ 7] 。契約期間は2013年6月30日まで。元代理人は長谷部誠 、香川真司 らと同じトーマス・クロート 。
2011年1月29日、FCザンクトパウリ 戦でブンデスリーガデビュー。チームは敗れたが、センターバックとしてフル出場。その後は出場機会に恵まれず、移籍1年目の出場は5試合にとどまった。翌2011-12シーズンも3試合の出場のみとなり、レギオナルリーガ のケルンIIの試合にも出場した。
浦和レッズ時代
2012年1月11日、復活を目指して、ミハイロ・ペトロヴィッチ が監督に就任した浦和レッズ への1年間の期限付き移籍が決定した[ 8] [ 注 2] 。浦和加入後、ペトロヴィッチ監督の愛弟子としてチームを牽引。6得点を記録し、チームの2008年以来のACL 出場に貢献。自らが音頭を取り、浦和サポーターが勝利の凱歌として歌う『We are Diamonds 』をホーム開催試合に限り、メンバー入り選手全員もサポーターと共に歌うなど、持ち前の明るいキャラクターでチームとサポーターの距離を縮める施策を実行した。12月4日、2013年シーズンより浦和への完全移籍加入が発表された[ 11] 。背番号を5番に変更し、この年はリーグ戦34試合全試合に出場した。
2015年9月8日、サウジアラビア1部 の強豪・アル・ナスルFC から約5億円の年俸での獲得オファーを受けたが、断り浦和に残留した[ 12] 。
2016年は29試合3ゴールでチームの年間勝ち点1位に貢献した。12月3日の鹿島アントラーズ とのチャンピオンシップ 第2戦の後半34分、自陣ペナルティーエリア 内で鈴木優磨 に対してファウル を犯し、その後ペナルティーキック を決められた[ 13] 。12月4日、中国サッカー・スーパーリーグ の強豪・広州恒大 から年俸は言い値という破格のオファーを受けたが、浦和の一員としてリーグやACLで悲願のタイトルを目指すため断った[ 14] 。
2017年3月19日、J1第4節のガンバ大阪 戦でJ1通算250試合出場を果たした。
2018年8月19日、J1第23節の清水エスパルス 戦で史上100人目となるJ1通算300試合出場を果たした[ 15] 。この年、2010年以来2度目の警告・退場0を記録した。
2019年11月16日、AFC 年間最優秀選手賞の候補に選ばれた[ 16] 。
2020年10月10日、J1第21節のサガン鳥栖 戦でJリーグ通算400試合出場(J1通算359試合、J2通算41試合)を果たした。シーズン終了後、国内外の複数クラブが槙野の獲得に動いたが、浦和の延長オファーに合意した[ 17] 。
2021年11月16日、シーズン終了後に浦和レッズを退団することをクラブが発表した[ 18] [ 19] 。12月19日に国立競技場 で開催された大分トリニータ との天皇杯決勝では後半ATに劇的な決勝ゴールを決め浦和を8度目の優勝に導き、来季のACL出場獲得へ貢献した[ 20] 。
ヴィッセル神戸時代
2021年12月24日、ヴィッセル神戸 に完全移籍することが決定[ 21] 。
2022年2月19日、開幕戦でスタメン出場し、J1通算400試合出場を果たした[ 22] 。2月22日、古巣との対決となったJ1第9節・浦和レッズ戦で、後半42分にMFアンドレス・イニエスタ のクロスをヘディングであわせて移籍後初得点を挙げた[ 23] 。5月14日のJ1第13節・サガン鳥栖戦にフル出場し勝利に貢献したが、その試合で負傷し長期離脱を余儀なくされた[ 24] 。復帰後は試合終盤のクローザー的役割を担った。
日本代表
2006年11月に開催されたAFCユース選手権2006 および翌2007年7月に開催された2007 FIFA U-20ワールドカップ では福元洋平 とセンターバックでコンビを組み、守備の要やムードメーカーとしても活躍した。カナダで開催されたU-20ワールドカップ本大会では髪を赤に染めていたが、これは当時広島でチームメイトだった戸田和幸 のFIFAワールドカップ・日韓大会 でのヘアースタイルを真似たものである。現地では「ジャパニーズ・ベッカム 」と評され注目を集めた。2009年にA代表に初招集されたときにも同様の髪型にしている[ 25] [ 26] 。
2009年5月にはキリンカップ および2010 FIFAワールドカップ・アジア予選 に臨む日本代表 合宿に初招集されたものの出場はなかった。
2010年1月、既に予選突破を決め、若手が起用されたアジアカップ最終予選 のイエメン 戦で代表初出場を果たし、ゲームキャプテンも務めた[ 27] 。5月に発表されたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会 本大会の日本代表メンバーからは落選したが、予備登録選手に選出された。同年末にはAFCアジアカップ2011 に臨む日本代表に選出されたものの、怪我により大会直前に途中離脱した。
2012年2月24日のキリンチャレンジカップ ・アイスランド 戦で代表初得点を挙げた。
2017年11月10日、国際親善試合ブラジル 戦で得点を決めた。なお、日本代表がブラジル代表相手に得点したのは、2006年ドイツW杯で決めた玉田圭司 から11年ぶりであり、DFで得点した初めての選手となった[ 28] 。
2018年 におけるサッカー日本代表 (後列、右から3人目が槙野)
2018年6月、ロシアワールドカップ メンバーに選出された。2017年後半以降、欧州遠征で全試合にレギュラーとして出場するなどW杯でもスタメンとして出場すると思われたが、第1戦のコロンビア戦では事前合宿のテストマッチ最後の試合で活躍した昌子源 にレギュラーの座を奪われ、ロシアW杯本番でスタメン落ちとなる[ 29] 。しかしながら、ベテラン として本田圭佑 と共に控え選手として裏側で日本代表チームを支え[ 30] 、第3戦のポーランド戦でW杯初出場を果たした[ 31] 。前評判の低かった日本代表チームはGL突破し、ベスト16進出を2大会振りに果たした。
現役引退
2022年 12月24日に放送されたスポーツ情報番組『Going!Sports&News 』(日本テレビ )の冒頭で現役引退を発表した。番組内では日本代表で同僚だった本田圭佑 からメッセージが送られた。同時刻、ヴィッセル神戸公式サイトからも現役引退が発表された。
「現役引退および槙野劇場第二章 開幕宣言会見」が12月26日12時10分から行われ、未来へのビジョンをプレゼンした[ 32] 。
2023年5月7日、ヴィッセル神戸のエバンジェリストに就任することが発表された。ホームゲームのゲスト出演やYouTubeチャンネルでの企画などへの出演を通して、ヴィッセル神戸の魅力を発信していく役割を担う[ 33] 。
プレースタイル
森山佳郎 曰く「一言で言うとファイター」[ 34] 、ミハイロ・ペトロヴィッチ 曰く「DFらしいDF」。コーチングに優れ、高い身体能力と闘争心を持ち、1対1の局面での強さに定評がある[ 4] [ 5] 。
得点への意欲が非常に高いことも特長[ 注 3] 。広島では3バックの一角を務めていたが、試合中もセットプレーのみならず、流れの中で自由に前線へ上がり、強引なドリブル突破からシュートを放つシーンもしばしば見られ、自らのポジションを「DFW(DFながらFWの役割も果たす)」と称する[ 5] 。フリーキック、ペナルティキックなどのプレースキッカーも務め、特にFKは高い精度を持つ。PKは後方を向いた状態から反転してキックする。
人物
サンフレッチェ広島ユース時代豚汁ばかり食べていた為チームメイトや寮母からトンジと呼ばれるようになった。
好きな言葉は木村孝洋 元サンフレッチェ監督が語った、アーセナルFC の下部組織に所属する選手が教わるという『Big heart』と、広島ユースの監督森山佳郎 の『気持ちには引力がある』であるとインタビューで語っている[ 35] 。
2011年3月24日に大手芸能プロダクションのホリプロ とマネージメント契約[ 36] 。スカパー! 「URAWAチャンネル」内のコーナー「槙野の部屋 〜俺たちの休日〜」MC担当。
2016年9月発売のサッカーゲーム「FIFA 17 」日本版のパッケージになった。
2016年6月に共通の知人を交えた食事会にて知り合った女優 の高梨臨 と、約1年6か月の交際期間を経て翌2017年12月17日にプロポーズし、翌2018年1月20日、高梨との結婚を正式発表[ 37] 。同年2月9日に婚姻届を提出した[ 38] 。
2013年頃から2018年頃にかけてスパイクを左右非対称で履く「槙野スタイル」が注目された。本人曰く「サッカーを好きになる人を増やすため、悪いプレーをしたら注目されるためそうならないためにプレッシャーをかけている」とのこと。なお、スパイクはプレデター、ナイトロチャージ、アディゼロ、エース、X、ネメシスを使った。
2021年のJリーグ最終節、名古屋グランパスエイト 戦での勇退を表明していた審判員村上伸次 への感謝のメッセージを自身のアンダーシャツに書き込み、両チーム選手によって作られた花道を村上が通る際に見せ、村上からイエローカードを貰うという場面もあった。なお、このイエローカードは村上の要望もあり公式記録には記載されていない。
5月11日生まれであり、2022年時点ではチームメイトに同じ誕生日にアンドレス・イニエスタ、日高光揮がいる。槙野が35才となった2022年の誕生日では三人一緒に顔中にクリームを塗られて祝福された[ 39] 。
好きなサッカー選手は森保一 で、今でもアンケートに書く時は“森保一 選手”と書く時が有る[ 注 4] 。
パフォーマンス
「プレー以外の面でも観客にサッカーを楽しんで欲しい」という考えから、ピッチ内外において様々なパフォーマンスを行なっている。
トリックPKが後に反則行為と判断されたり[ 40] 、遅延行為として主審にゴールパフォーマンスを制止されたり[ 41] と、その派手なパフォーマンスは時に物議を醸している。槙野はパフォーマンスを巡る意見について、「サッカーファン以外の人、これからサッカーを好きになっていく子供たちにも、もっとサッカーを好きになってほしいという一心でやっている」とコメントしている[ 42] 。
所属クラブ
1994年 - 1999年 井口明神FC(広島市立草津小学校)
2000年 - 2002年 サンフレッチェ広島ジュニアユース(広島市立庚午中学校)
2003年 - 2005年 サンフレッチェ広島ユース(広島県立吉田高等学校 )
2006年 - 2010年 サンフレッチェ広島
2010年 - 2012年 1.FCケルン
2013年 - 2021年 浦和レッズ
2022年 ヴィッセル神戸
個人成績
国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ
リーグ戦
リーグ杯 オープン杯
期間通算
出場 得点
出場 得点 出場 得点
出場 得点
日本
リーグ戦
リーグ杯 天皇杯
期間通算
2006
広島
28
J1
1
0
1
0
0
0
2
0
2007
18
1
4
0
5
0
27
1
2008
5
J2
41
7
-
4
1
45
8
2009
J1
33
8
2
0
2
0
37
8
2010
34
4
4
1
1
1
39
6
ドイツ
リーグ戦
リーグ杯 DFBポカール
期間通算
2010-11
ケルン
43
ブンデス1部
5
0
-
-
5
0
2011-12
18
3
0
-
0
0
3
0
日本
リーグ戦
リーグ杯 天皇杯
期間通算
2012
浦和
20
J1
33
6
4
0
3
0
40
6
2013
5
34
6
4
0
1
0
39
6
2014
31
4
7
2
1
0
39
6
2015
33
3
0
0
3
0
36
3
2016
29
3
1
0
0
0
30
3
2017
32
2
0
0
1
0
33
2
2018
32
4
4
0
4
1
40
5
2019
32
0
2
1
0
0
34
1
2020
26
2
0
0
-
26
2
2021
31
2
11
1
5
1
47
4
2022
神戸
14
16
1
2
0
2
0
20
1
通算
日本
J1
415
46
46
5
28
3
489
54
日本
J2
41
7
-
4
1
45
8
ドイツ
ブンデス1部
8
0
-
0
0
8
0
総通算
464
53
46
5
32
4
542
62
その他の公式戦
2007年
2008年
2012年
2015年
2016年
2019年
その他の国際公式戦
出場歴
タイトル
クラブ
サンフレッチェ広島ユース
サンフレッチェ広島
浦和レッズ
代表
日本代表
個人
J1リーグベストイレブン :3回(2010年、2015年、2016年)
J1リーグ優秀選手賞 :4回(2015年、2016年、2017年、2018年)
Jリーグフェアプレー個人賞:1回(2010年)
Jリーグ功労選手賞:(2023年)
彩の国功労賞 :1回(2019年)
さいたま市スポーツ特別功労賞:1回(2018年)
NEWS AWARDS アスリート部門:1回(2018年)
代表歴
出場大会
U-18日本代表
U-19日本代表
カタール国際ユース親善大会(2006年)
アジアユース選手権日本代表(2006年)
U-20日本代表
日本代表
試合数
国際Aマッチ 38試合 4得点(2009年 - 2019年)
2018 FIFAワールドカップ でのロベルト・レヴァンドフスキ , カミル・グロシツキ , 槙野智章
出場
ゴール
指導者歴
2023年 - 品川CC
2023年 トップチーム テクニカルアドバイザー
2023年 セカンドチーム 監督
2024年 - トップチーム 監督
出演
テレビアニメ
2014年
テレビ
ラジオ
ウェブテレビ
CM
AS進学セミナー(2010、広島限定)
「守ろうよ広島」広島県消費生活相談窓口周知キャンペーン(2010-2011、広島限定)
SIXPAD (2016年 - )
クオリティファースト(QUALITY 1st) オールインワンシートマスク(2017年)
DAZN (2018年)
明治安田生命 「Jリーグ2018シーズン」篇(2018年2月24日 - 3月11日)
アルペン スポーツデポ 試着フェス『休日コーデに』篇(2018年4月)
日本マクドナルド ×魔女の宅急便 「ヨーロッパバーガーズ」(2024年)[ 47]
ソニー損害保険 (2024年)[ 48]
著書
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
槙野智章 に関連するカテゴリがあります。
タイトル・受賞歴 J1
1990年代
93: 大野俊三 , 柱谷哲二 , ペレイラ , 井原正巳 , 堀池巧
94: ペレイラ , 井原正巳 , 名塚善寛
95: 相馬直樹 , 井原正巳 , ブッフバルト
96: 相馬直樹 , 井原正巳 , ブッフバルト
97: 相馬直樹 , 井原正巳 , 秋田豊
98: 相馬直樹 , 田中誠 , 秋田豊
99: 中澤佑二 , 斉藤俊秀 , 森岡隆三
2000年代
00: 秋田豊 , 洪明甫 , 松田直樹
01: 大岩剛 , 秋田豊 , 名良橋晃
02: 鈴木秀人 , 田中誠 , 松田直樹
03: 坪井慶介 , ドゥトラ , 中澤佑二
04: 田中マルクス闘莉王 , ドゥトラ , 中澤佑二
05: ストヤノフ , 田中マルクス闘莉王 , 中澤佑二
06: 田中マルクス闘莉王 , 山口智 , 加地亮
07: 岩政大樹 , 田中マルクス闘莉王 , 山口智
08: 岩政大樹 , 内田篤人 , 中澤佑二 , 田中マルクス闘莉王 , 山口智
09: 岩政大樹 , 内田篤人 , 田中マルクス闘莉王 , 長友佑都
2010年代
10: 田中マルクス闘莉王 , 増川隆洋 , 槙野智章
11: 近藤直也 , 酒井宏樹 , 田中マルクス闘莉王
12: 駒野友一 , 田中マルクス闘莉王 , 水本裕貴
13: 那須大亮 , 森重真人 , 中澤佑二
14: 太田宏介 , 森重真人 , 塩谷司
15: 槙野智章 , 森重真人 , 太田宏介 , 塩谷司
16: 昌子源 , 槙野智章 , 森重真人 , 塩谷司
17: 昌子源 , 西大伍 , エウシーニョ , 車屋紳太郎
18: 西大伍 , エウシーニョ , 車屋紳太郎 , 谷口彰悟
19: 室屋成 , 森重真人 , チアゴ・マルチンス
2020年代
20: 山根視来 , ジェジエウ , 谷口彰悟 , 登里享平
21: ジェジエウ , 谷口彰悟 , 山根視来
22: 谷口彰悟 , 岩田智輝 , 山根視来 , 小池龍太
23: アレクサンダー・ショルツ , マリウス・ホイブラーテン , 毎熊晟矢 , 酒井高徳
J2
J3
ベストイレブン (GK - DF - MF - FW ) - JCB
J1
1990年代 2000年代 2010年代
10: 槙野智章
11: 梁勇基 , 太田宏介
12: 佐藤寿人
13: 柿谷曜一朗 , 佐藤寿人
14: 西川周作 , 工藤壮人 , 平岡康裕 , 森岡亮太 , 水本裕貴 , 豊田陽平
15: 谷口彰悟 , 中澤佑二
16: 秋元陽太 , 田中佑昌
17: 中澤佑二 , 柿谷曜一朗 , 水本裕貴
18: 西川周作 , 秋元陽太 , 澤田崇
19: 受賞者なし
2020年代
J2
J3
Jリーグアウォーズ (最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - 最優秀副審賞 - JBP賞 )
※記述のない年は該当者なし 1990年代 2000年代
00: 松永成立
01: ストイコビッチ
02: サントス
03: 井原正巳 , 福田正博 , 北澤豪
05: ビスマルク
06: 相馬直樹 , 小島伸幸 , 澤登正朗
07: 本田泰人 , アマラオ , 城彰二
08: 秋田豊 , 名良橋晃 , 黒崎久志 , 山口素弘
09: 小村徳男 , 加藤望 , 名波浩 , 福西崇史 , 森岡隆三 , 森島寛晃
2010年代
11: 三浦淳宏 , 松田直樹
12: 藤田俊哉 , 田中誠
13: 中山雅史 , 土肥洋一 , 服部公太
14: 伊藤宏樹 , 岡野雅行 , ジュニーニョ , 服部年宏 , 波戸康広 , 山田暢久 , 吉田孝行 , ルーカス
15: 宮本恒靖 , 柳沢敦 , 中田浩二 , 新井場徹 , 藤本主税
16: 山口智 , 鈴木啓太
17: 市川大祐 , 大島秀夫
18: 石原克哉 , 加地亮 , 坂田大輔 , 土屋征夫 , 羽生直剛
19: 小笠原満男 , 川口能活 , 中澤佑二 , 楢﨑正剛 , 播戸竜二 , 巻誠一郎 , 森﨑和幸 , アレックス
2020年代
20: 佐藤勇人 , 那須大亮 , 明神智和
21: 大黒将志 , 佐藤寿人 , 清水健太 , 曽ヶ端準 , 徳永悠平 , 中村憲剛 , 前田遼一
22: 青木剛 , 阿部勇樹 , 石原直樹 , 大久保嘉人 , 角田誠 , 小林祐三 , 高橋義希 , 田中達也 , 田中マルクス闘莉王 , 田中佑昌 , 玉田圭司 , 谷澤達也
23: 上里一将 , 大谷秀和 , 駒野友一 , 田中隼磨 , 鄭大世 , 富田晋伍 , 中村俊輔 , 橋本英郎 , 藤本淳吾 , 槙野智章 , 水本裕貴 , 本山雅志 , 赤嶺真吾
Jリーグアウォーズ (最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - 最優秀副審賞 - JBP賞 )
グループ会長:堀義貴 、代表取締役社長:菅井敦 HORIPRO
男性タレント 女性タレント 男性お笑いタレント 文化人・芸術家 キャスター・DJ ホリプロ アナウンス室 スポーツ 音楽アーティスト その他 旧所属タレント
プロダクション パオ
ホリプロ・ ブッキング・ エージェンシー
ホリプロコム
役員 男性所属タレント 女性所属タレント (ホリプロ本体から移管) 業務提携 旧所属タレント
Depeche (男性モデル)
明日光栗栖
睦
石岡剛
出井はるき
瓜生昇
EIKICHI
勝岡信幸
惠介
関口圭二
瀬山修
唯文
DANIEL
チャーリィ湯谷
津端清司
TOCO
中臣竜也
西村裕
原靖
HIROHITO
藤本幹夫
前田寛之
萬浪大輔
宮脇雅朗
柳秀雄
LUPIN
RAY WEST
Booze (女性モデル)ホリプロ インターナショナル ホリプロ デジタル エンターテインメント 関連項目 関連人物
公式サイト :ホリプロ 、ホリプロコム カテゴリ