ヴィッセル神戸 (ヴィッセルこうべ、英 : Vissel Kobe )は、日本 の兵庫県 神戸市 をホームタウンとする[ 1] 、日本プロサッカーリーグ (Jリーグ)に加盟するプロサッカー クラブ。
親会社である楽天 の巨額の出資 を背景に、2010年代後半から国内外のスター選手を相次いで獲得し、2022年度時点でチーム人件費はJリーグ1位、J1クラブの平均値を大きく上回っている[ 6] 。
2014年まで三木谷浩史 の個人資産管理会社が全額出資しており、現在の運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社。2013年度まで当期純利益で10年連続単年度赤字を計上したが、三木谷の個人資産や楽天グループの資金調達で債務超過を解消させている[ 7] 。
概要
1966年創部の川崎製鉄水島サッカー部 (1987年 に川崎製鉄サッカー部に改称)が前身[ 1] 。1997年 にJリーグへ加盟した[ 1] 。ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸 [ 1] 、練習場はいぶきの森球技場[ 1] (詳細は#スタジアム・練習場 を参照)。
チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語[ 1] 。これは「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市・神戸をイメージ[ 1] 。神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームであることの誓いもこめている[ 1] 。
マスコット は神戸・兵庫に馴染みの深い、牛 をモチーフとした「モーヴィ(MOVI)」[ 1] 。牛の鳴き声「モー」と勝利「ヴィクトリー」を合わせた造語。
運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社(旧・株式会社クリムゾンフットボールクラブ)[ 3] 。2004年に同社が設立された当初は合同会社 クリムゾングループ (楽天 代表取締役 の三木谷浩史 の個人資産管理会社)からの全額出資であり、楽天 からの出資は無かったが[ 8] 、2014年 12月 に楽天 が運営会社の全株式を取得した[ 9] 。
歴史
創設
1993年 12月に「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会(オーレKOBE)」が地元市民の有志により発足[ 10] 。同時期に岡山県 倉敷市 を本拠地とする川崎製鉄サッカー部 の誘致活動を行い、川崎製鉄本社の意向もあり1994年 3月に1995年 からの神戸市へ移転が決まった。1994年6月、当時神戸市に本社を置いていた総合スーパー のダイエー がメインスポンサーとなり株式会社神戸オレンジサッカークラブ を設立[ 1] [ 10] 。1994年9月、クラブ名称が「ヴィッセル神戸」に決定した[ 10] 。
1995年 - 2003年
1月1日 、ヴィッセル神戸としてスタートしたが[ 1] 、練習初日の1月17日 に阪神・淡路大震災 が発生し[ 11] 、選手らは岡山県倉敷市のグラウンドで初練習を行った[ 10] (2月6日)。なお、神戸市内の練習場「いぶきの森球技場(旧)」は1995年7月に完成した。また6月に後にクラブの象徴的存在となり「ミスター神戸 」と称されたFW永島昭浩 が加入した。
運営会社の筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社の商号を株式会社ヴィッセル神戸に変更。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。
リーグ後半戦となる16節を前に当時現役デンマーク代表 のミカエル・ラウドルップ が加入[ 12] 。最終節でNTT関東に3-1で勝利したことで、ジャパンフットボールリーグ (JFL)準優勝[ 13] 、1997年シーズンからJリーグへ加盟した[ 1] 。
リーグ第2節の名古屋グランパスエイト 戦では永島昭浩が2ゴールを挙げ、チームはJリーグ初勝利を挙げた[ 14] [ 15] 。同年、Jリーグ史上初のフェアプレー賞(高円宮杯) を受賞した。
韓国代表FW金度勲 を獲得し、永島との強力2トップを要したものの、シーズン途中には16連敗を喫するなど低迷。J1参入決定戦で札幌を下して何とかJ1残留を決めた。
シーズン終了後には伊藤ハム がユニフォーム胸スポンサーから撤退。
監督に川勝良一 が就任。2ndステージ終盤に4連勝を記録するなど、年間7位となり、2016年に更新されるまで長年クラブの最高順位記録だった。
DF海本慶治 がクラブ初の代表選手に選ばれた。2ndステージは連敗が続くなど苦しい戦いながらJ1に残留を果たした。この年限りで永島が現役を引退した。
京都を退団したFW三浦知良 、MF望月重良 、DFシジクレイ 、清水からMFサントス らが加入。神戸ウイングスタジアム のこけら落としとなった試合ではクラブ史上最多の3万813人を動員した。
横浜から城彰二 、G大阪から播戸竜二 らを獲得するも、1stステージでは5連敗を喫するなど低迷し、川勝が辞任し後任にコーチを務めていた松田浩 が昇格する形で就任した。2ndステージ開幕前にFWオゼアス 、MFアリソン を獲得。最終節で清水を下しギリギリで残留を果たした。
新たに副島博志 を新監督に迎え、公式戦3連勝スタートを切ったが、1stステージ第14節大分戦ではワースト記録となる8失点で敗れるなど、年間通して多くの失点を喫する(リーグワースト63失点)。それでも終盤にカズ、播戸らの活躍で最終節を待たずして残留を決めた。
2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は東京地方裁判所 に民事再生法 の適用を申請した[ 16] [ 17] 。
2004年 - 2005年
1月14日、兵庫県出身で楽天 の代表取締役である三木谷浩史 が代表を務める株式会社クリムゾンフットボールクラブ(2004年 1月5日 設立)が2月1日 付でチームの営業権を譲り受けた[ 16] [ 17] 。神戸市はチーム運営から撤退し、スタジアム使用などの側面支援を行うことになった。
イワン・ハシェック が監督に就任。2002 FIFAワールドカップ のトルコ代表 FW のイルハン・マンスズ が加入し話題を集めたが、イルハンは出場は3試合にとどまり、シーズン途中に自らの希望で退団。2ndステージ開幕直前には、元東京Vを退団したばかりだったFWパトリック・エムボマ 、鹿島アントラーズ からFW平瀬智行 、チェコの名門FKテプリツェ からMFホルヴィ らを獲得するなどテコ入れをおこなった。クラブは下位にとどまったが、播戸がリーグ戦17得点をあげ、得点ランキング3位タイとなった。
東京V から現役日本代表DF三浦淳宏 を獲得。開幕戦で勝利して以降、公式戦12試合勝ちなしとなり、6節広島戦終了後に松永英機が辞任し、エメルソン・レオンが就任したが成績は上向かず、2か月余りで解任された。その後パベル・ジェハークが正式に監督に就任した。パベル就任後、戦力構想から外れた三浦知良が7月に横浜FC へ移籍。また同時期にDFホージェル と6月に加入したばかりのディエゴ・デ・ソウザ がそれぞれクラブを去り、FWエムボマ が怪我の影響もあり現役を引退した。
8月にブンデスリーガでのプレー経験もあるFWイヴォ とDFマルティン を獲得。2004年 加入のMFホルヴィを加えて、チェコ人3人体制となった。前年17得点を挙げた播戸が怪我で10月下旬まで離脱したことが響き、年間通して得点力不足を露呈。第7節に最下位に転落して以降、一度も最下位を脱出できず、11月20日 の大宮 戦に敗れ、J2に降格した。
また、監督は2004年 から1年半の間にハシェック、加藤寛 、松永英機 、エメルソン・レオン 、パベル・ジェハーク とかわるがわる5人の指揮官が務めるなどクラブの迷走模様が浮き彫りとなった。
チームスローガン:Kobe Forever Forward
初代監督のスチュワート・バクスター が9年ぶりに監督に就任。GK掛川誠 、DF菅原智 、FW和多田充寿 ら長年クラブに在籍した選手が契約満了で退団したほか、FW播戸竜二 も古巣G大阪 へ移籍したものの、現役日本代表だったMF三浦淳を始め多くの主力が残留した。DFラインには長年イングランド・プレミアリーグ で長年プレー経験のあるDFエメルソン・トーメ を獲得。攻撃陣にはJ1で出番の少なかったFC東京 FW近藤祐介 、広島 FW茂木弘人 を獲得。
トップチームにおいてサテライトチーム を「ヴィッセル神戸U-21」として若手選手の育成強化のためのチームに特化させると共に、出場経験が少ない選手に対する実践機会提供を図る観点からSC鳥取 (現:ガイナーレ鳥取 )と提携。また、横浜FMユース、ナショトレ関西地区担当の安達亮 がU-21監督に就任。
4月10日 、クリムゾンFC社長の三木谷が代表取締役 会長 に就任。安達がGM兼任で代表取締役社長 に就任。5月、読売サッカークラブ や浦和 、日本サッカー協会 などで重要職を担ってきた佐藤英男がGMアシスタントとして就任。また、人工芝グラウンドがいぶきの森に完成した。
8月24日、バクスターが家庭の事情で帰国することになり、4日前にコーチとして神戸に復帰していた松田浩 が監督に昇格。リーグ戦は、横浜FC ・柏 と自動昇格を争い、最終節で柏に逆転され3位の成績。最終戦で退場処分になった三浦を欠いたホームでの初戦は引き分け、12月9日 、福岡 との入れ替え戦第2戦は後半、FW近藤のゴールで先制。その後同点とされ福岡の猛攻を受けたが耐え凌ぎアウェーゴールで上回りJ1昇格を決めた。
2007年 - 2012年(J1)
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
2008年基本布陣
2007年基本布陣
松田体制2年目。育成部長に滝川第二高等学校 サッカー部監督・黒田和生 が就任。
横浜FM からGK榎本達也 、C大阪 からFW大久保嘉人 を完全移籍で、山形 からFWレアンドロ 、元全北現代 のMFボッティ を期限付き移籍で獲得した。浦和 からMF酒井友之 、新潟 からMFディビッドソン純マーカス 、福岡からレンタルでMF古賀誠史 らを獲得。シーズン途中に主将MF三浦淳宏が起用法をめぐり、クラブと衝突し横浜FC へ移籍する形で退団した。
第21節から第26節まで5連敗したが、第31節の甲府戦に勝利してJ1残留が決まった。なお、最終順位は10位。目標とした一桁順位は届かなかったが、当時のクラブ最高勝ち点47を記録。また得点数58はリーグ4位を記録した。このシーズンをもってDFエメルソン・トーメが現役引退した。
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
松田体制3年目。
韓国代表主将のMF金南一 、大分 から元日本代表FW松橋章太 、横浜FM からMF吉田孝行 、FC東京 からMF鈴木規郎 、甲府 からFW須藤大輔 などを獲得。一方で近藤祐介 が期限付き移籍期限満了の為退団した。
大久保嘉人がキャプテン、北本久仁衛 、榎本達也が副キャプテンとなった。開幕から好調を維持し、一時は2位につけていた。その後、レアンドロ、古賀誠史 、北本久仁衛らが次々と怪我をし、一時は降格圏内まで順位が落ちたが、その後J1クラブ記録となる5連勝を達成するなどし、11月23日のFC東京戦で残留を決めた。天皇杯 は4回戦で松本山雅FC にJリーグ加盟後の公式戦最多得点(8 - 0)で勝利したが、5回戦で鳥栖 に敗退した。
共同通信によると11月時点で松田浩 に監督続投を要請していたが、12月に松田が監督から解任された[ 18] 。また、栗原圭介 、酒井友之 らベテランに加え、ユース出身の4人もが契約満了により退団した。
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
2009年開幕予想布陣
監督にCRフラメンゴ からカイオ・ジュニオール が就任。
FW大久保嘉人がVfLヴォルフスブルク へ、FWレアンドロがG大阪 へ移籍した一方、ブラジル人のFWマルセウ 、MFアラン・バイーア 、川崎からFW我那覇和樹 、オーストリアのレッドブル・ザルツブルク から元日本代表DF宮本恒靖 を獲得した。
リーグ戦は第5節(4月11日)の横浜FM戦で2006年以来の5失点で大敗。その後も下位に沈んだ。6月にFW大久保嘉人が復帰したが、6月30日にカイオ・ジュニオールがカタールクラブ監督を理由に監督を辞任。後任には和田昌裕 がチーム統括本部長と兼任で就任した。さらに8月大宮や札幌の元監督の三浦俊也 が監督に就任(和田はヘッドコーチに就任)。三浦の就任後は首位鹿島を下すなど8月は無敗で乗り切ったが、9月以降はなかなか勝ち点を伸ばせず、第33節に柏の降格が決定したため、残留が確定。シーズン成績は14位。
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
三浦俊也体制2年目。社長職が安達から叶屋宏一へ交代。
主力MF金南一がロシアリーグに移籍した一方、草津 からJ2で23得点あげたFW都倉賢 、大分からMFエジミウソン を獲得。更に古賀誠史と内山俊彦が抜けた左サイドに大宮からDF冨田大介 、柏からMFポポ を獲得した。また、新卒として、北越高校からFW有田光希 、久御山高校からMF森岡亮太 が入団した。FW小川慶治朗 がクラブ初の2種登録選手となった。またW杯での中断明けに練習に参加していたFWイ・ジェミン と7月に契約した。
開幕戦こそ勝利したが、代表戦で負傷した大久保嘉人のコンディションが上がらなかった事や、都倉や冨田といった新加入選手が出遅れた事もあり連勝できない状態が続いた。リーグ戦は17節から23節までの7試合で6人の退場者を出し、そのうちの2度がGK榎本達也の退場で、フィールドプレーヤーがGKを務める事態も2度生じた。9月11日の京都戦に敗北した翌9月12日に三浦俊也が解任され、和田が監督に就任。28節から7試合で勝ち点15を積み上げ、第33節終了時点で16位であったが、最終節で浦和戦に勝利し、第33節時点で15位のFC東京が敗れたため、最終順位15位でJ1残留が決まった。なお、2010年シーズンの反則ポイント が149となり150万円の反則金を課された(反則ポイント17位は大宮で100ポイント)。
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和田体制2年目。
小林久晃 、冨田大介 が甲府 へ、エジミウソン が熊本 へ、榎本達也 が徳島 へ、高橋祐太郎 がC大阪 へ、我那覇和樹 がJFL ・FC琉球 へ完全移籍、坪内秀介 (大宮 )、荻晃太 (甲府)がレンタル移籍先へ完全移籍した。
補強として、C大阪からDF羽田憲司 、UAEリーグ アル・ワスル からMFホジェリーニョ が完全移籍で加入、DF柳川雅樹 、MF馬場賢治 がレンタル移籍から復帰した。
序盤は好調だったものの、ホーム広島戦でのMF三原雅俊 の負傷離脱以降は9戦で3分6敗と低迷する。その後は補強選手が機能せず怪我人が多く、9試合勝ちなしなど苦しい戦いを強いられた[ 19] が、「よりボールを保持し相手を圧倒するサッカー」[ 19] が浸透し、新主将吉田、大久保、朴康造、ドイツ2部 のコットブス を退団しシーズン途中に加入したDF相馬崇人 らベテラン勢の活躍もあり最終的には過去最高順位となる9位でリーグ戦を終え、シーズン目標に掲げていた「一桁順位達成」をクリアした[ 19] 。また、年間合計入場者数が昨年から引き続きJ1に在籍したクラブの中で唯一昨年より増加した(前年比103.1%)。
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和田体制3年目。
ボッティがフィゲイレンセFC へ、ホジェリーニョがセアラーSC へ、ポポが浦和 へ、石櫃が名古屋 へ、松岡が磐田 へと移籍した。また、草津 にレンタル移籍した柳川が栃木SC に、三島が水戸 に、馬場が湘南 に、楠瀬が松本 に完全移籍。有田が愛媛 に、紀氏が鳥取 に、昨シーズン2種登録だった廣田がプロ契約後、岐阜 にレンタル移籍。また、宮本が引退した。
補強は、G大阪 から橋本英郎 、高木和道 、鹿島 から田代有三 、野沢拓也 の計4人の元日本代表選手を獲得。また、山形 からGK植草裕樹 、ハイドゥク・スプリト を退団していた日本代表DF伊野波雅彦 を獲得、またイ・グァンソン 、奥井諒 の2人の大卒選手が入団した。選手以外では3月に元FCバルセロナ 副会長のマルク・イングラ が取締役に就任。また、5月にはタイ・プレミアリーグ のチョンブリーFC と業務提携を結んだ。
リーグ戦は開幕2連勝後に4連敗(ナビスコ杯 を入れると6連敗)。第8節終了時で3勝5敗(ナビスコ杯を入れると3勝7敗)となり4月30日 に和田を監督から解任。ヘッドコーチの安達亮 が暫定監督に就き[ 20] 。5月19日にG大阪元監督の西野朗 が就任した。2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 によるリーグ戦中断が開けた第14節から3連勝したが、9月以降にリーグ戦および天皇杯のSAGAWA SHIGA FC 戦で公式戦9試合連続勝ちなし、うち3試合連続で逆転負けを喫した。11月7日の横浜FM戦に敗戦した翌8日に西野を監督から解任、ヘッドコーチの安達亮が後任監督に就任した[ 21] [ 22] が、第34節 でサンフレッチェ広島 戦に敗北し16位となり、J2降格が決定した。
チームスローガン:トモニイコウ。 We walk together forever
安達体制2年目。トップチームコーチに千葉前監督の木山隆之 が就任し、武田治郎 GKコーチの後任にはシジマール が就任した。
大久保が川崎 へ、野沢が鹿島 へ、伊野波が磐田 へ、近藤が水戸 へ、高木が大分 へそれぞれ移籍。フェルナンド、アンデルソン、ペ・チョンソクが退団し、朴と羽田が現役を引退した。また嘉味田と廣田が鳥取 へ期限付き移籍した。
補強は、浦和 から2011年まで在籍していたFWポポ を、清水 からGK山本海人 を、蔚山現代FC からMFエステバン をそれぞれ完全移籍で獲得し、川崎 から杉浦恭平 を期限付きで獲得。期限付き移籍していた有田光希 、河本裕之 、大屋翼 、紀氏隆秀 がチームに復帰し、ユースから松村亮 、前田凌佑 、和田倫季 が昇格した。2月にブラジル・パルメイラス からFWマジーニョ が期限付きで加入した。
開幕から3連勝。第4節京都 戦に敗れたが、第5節から9試合負けなし(6勝3分)の成績。しかし、第16節・鳥取 戦に敗れ、同節終了時点で第2節以来キープしてきた首位をG大阪 に明け渡した。その後は第34節まで2位を維持し、第35節から第38節までは再び首位に立った。また、第37節・松本戦ではリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録した。第39節、勝てば2位以内確定となる3位京都との直接対決に引き分け、自力でのJ1復帰決定を逃す[ 23] と同時に、再びG大阪に首位を明け渡したものの、第40節、先に試合を行った京都がG大阪に敗れた時点で神戸のシーズン2位以上が確定、1年でのJ1復帰を決めた[ 24] 。なお、J2リーグ戦は2位の成績。天皇杯は3回戦でC大阪に敗れた。
2014年 - (J1)
チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
安達体制3年目。2012年途中から就任したブローロ フィジカルコーチが名古屋 へ移籍し、2007年まで新潟 でフィジカルコーチを務めたフラビオ がフィジカルコーチに就任した。
ポポが磐田 へ、イ・グァンソンが福岡 へ、C大阪 から期限付きの金、パルメイラス から期限付きのマジーニョが復帰、有田、三原がそれぞれ京都 、長崎 へ期限付き移籍、鳥取 に期限付きしていた廣田、戦力外通告を受けた紀氏、都倉、林がチームを離れた。エステバンは選手登録を抹消され、済州ユナイテッドFC を経て2014年7月徳島ヴォルティス へ期限付き移籍となった。
戦力補強として、前年J1で16得点をあげたFWマルキーニョス を横浜FM から、Kリーグ で17得点をあげたFWペドロ・ジュニオール を済州ユナイテッドFC から獲得。その他DF増川隆洋 、高橋峻希 、MFシンプリシオ 、チョン・ウヨン が加入。川崎 から期限付きで加入していたMF杉浦恭平 は完全移籍で獲得。ユースからGK吉丸絢梓 が昇格し、FW金容輔が興國高校 より入団した。
リーグ戦第8節鹿島とのアウェーゲームに15年ぶりに勝利し、クラブ史上初のリーグ戦首位に立つなど、ワールドカップ中断期間までは3位。ナビスコカップ ではクラブ史上初の決勝トーナメント進出を果たした一方、天皇杯は2回戦(初戦)で関西学院大学 に敗れた。11月2日に第31節サガン鳥栖 戦の敗戦でAFCチャンピオンズリーグ の出場が消滅し、その直後に約2年間指揮をとった安達亮監督のシーズン終了後の契約満了が発表された[ 25] 。最終的にシーズン終盤はリーグ戦4連敗を喫するなど11位。12月9日には橋本英郎、茂木弘人との契約満了を発表した。12月12日にはシジマールGKコーチ・フラビオフィジカルコーチの退任が発表された。それに伴いアレックストップチームGKコーチ・ピメンテウフィジカルコーチの就任とネルシーニョ の監督就任が発表された。
チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
ネルシーニョ体制1年目。
植草が長崎 、茂木が福島 、橋本がC大阪 、杉浦が仙台 へ、河本が大宮 へ完全移籍し、京都 へ期限付き移籍していた有田はそのまま完全移籍となった。そのほか、シンプリシオと田代が退団し、森岡が海外移籍でクラブを退団した。松村は栃木 へ1年間の期限付き移籍となった。
補強は、FC東京 からFW渡邉千真 、大宮 からDF高橋祥平 、鳥栖 からDF安田理大 、ブラジルからMFフェフージン と清水 からブエノ が期限付きで加入した。前年福岡 から期限付きで加入したFW石津大介 は期限を延長した。京都 へ期限付き移籍していたMF田中英雄 と長崎 へ期限付き移籍していたMF三原雅俊 が復帰。東福岡高校 からMF増山朝陽 、早稲田大学 からGK松澤香輝 が新人として入団した。
年間を通して故障で主力を欠くことが多く、4月以降はホームゲームで勝ち星を稼げず、1stステージは13位と低迷。2ndステージ開幕前にフェフージンとの契約を解除し、入れ替わる形で柏FWレアンドロ が2008年以来7年ぶりにチームに復帰。2ndステージ開幕戦では、そのレアンドロも得点をあげるなど5-0と圧勝するスタートしたが、4節から6節まで3連敗。この時期はホームとして使用するノエビアスタジアム のピッチコンディションが悪く、試合後の記者会見で、ネルシーニョが「リズムを作れなかったのはピッチコンディションが影響した」と苦言を呈するほどだった[ 26] [ 27] 。そのため、2ndステージ9節サガン鳥栖戦とナビスコカップ準々決勝柏レイソル戦は神戸ユニバー記念競技場 に試合会場が変更された。9月から5連敗、2ndステージ14節時点で年間勝ち点15位と降格の可能性を残したが15・16節の残留を争うモンテディオ山形 と松本山雅FC との2連戦に連勝して残留を確定させた。ナビスコカップ はベスト4、天皇杯はベスト8に入った。
チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
ネルシーニョ体制2年目。
奥井が大宮に、安田が名古屋、増川が札幌、ブエノが鹿島、森岡がポーランド・ヴロツワフ 、チョン・ウヨンが中国・重慶力帆FC へそれぞれ完全移籍。マルキーニョスと和田が退団。
補強は、水戸 からDF田中雄大 を、鳥栖からMF藤田直之 を、韓国・蔚山現代 から韓国代表GKキム・スンギュ を完全移籍で獲得。清水からDF村松大輔 を期限付き移籍で獲得。栃木に期限付き移籍していたMF松村亮が復帰。ユースからDF藤谷壮 、DF東隼也 、MF中坂勇哉 がトップチームへ昇格。関西学院大学 から元ユース所属のMF小林成豪 、阪南大学 からMF松下佳貴 が新卒入団した。また2月9日に磐田を退団したDF伊野波雅彦 が4年ぶりに復帰することが発表された。2ndステージからSCインテルナシオナル からMFニウトン と浦和からDF橋本和 が加入。
開幕戦は甲府に敗れたものの、2節の新潟戦で6-3の逆転勝利で初勝利。前年は怪我に泣かされたFWペドロ・ジュニオールが復調し、レアンドロとの2トップが固定されて以降は攻撃面は安定感を発揮したが、ボランチのコンビがなかなか定まらず、毎試合構成を変更を余儀なくされた。1stステージは12位と苦しんだが、2ndステージは前述したMFニウトンとDF橋本和を獲得。2ndステージ8節FC東京戦以降はリーグ戦8勝1分1敗と好成績を収めた。2ndステージ15節仙台戦で敗れたため、ステージ優勝の夢は途切れたものの、2ndステージを2位で終えた。年間成績は過去最高の7位。またFWレアンドロが19得点を挙げ、クラブ初のJリーグ得点王に輝いた。
チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
ネルシーニョ体制3年目。
相馬が引退、山本が千葉 、高橋祥平が磐田 、ペドロ・ジュニオールが鹿島 、松澤が徳島 、田中雄大が札幌 へ完全移籍、松村が徳島、増山が横浜FC へ期限付き移籍、石津は期限付き移籍期間満了で福岡 へ復帰、群馬 へ期限付き移籍していた田代が退団した。
補強は、仙台 からDF渡部博文 、G大阪 からMF大森晃太郎 、FC東京 からMF高橋秀人 、湘南 からFW大槻周平 、ポルトガル1部リーグ のスポルティングCP から昨年柏 でプレーしたFW田中順也 が完全移籍で加入。期限付き移籍だったDF橋本和 が完全移籍で加入、吉丸、山口が期限付き移籍先から復帰した。また、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキ が加入して7月にチームへ合流。同じ7月にオランダ1部のADOデン・ハーグ から、元日本代表FWハーフナー・マイク が加入した。
クラブ史上初の開幕4連勝を達成する好スタートを切ったものの、開幕戦で前年得点王のレアンドロが全治6か月の重傷を負うと(9月の復帰目前で再び同じ箇所を負傷しシーズン絶望となった)、4月中旬から下旬にかけて3連敗を喫するなど順位は低迷。ルーカス・ポドルスキが加入したものの、夏場に再び3連敗を喫し、8月16日にネルシーニョ監督との契約を解除し、吉田孝行 ヘッドコーチが監督に就任した[ 28] 。守備を安定させ、攻撃では孤立気味だったポドルスキを自由にプレーさせるなどしたものの、シーズンラスト3ゲームはいずれも黒星でシーズン3度目の3連敗となった。リーグでの順位は9位となり、2年連続での1桁順位となった。天皇杯 は準決勝でC大阪に敗れた。
チームスローガン:一致団結~To Become the No.1 CLUB in Asia~
吉田体制2年目。
岩波が浦和 へ完全移籍したほか、ニウトンがブラジル・バイーア へ、高橋秀人が鳥栖 へ、大森がFC東京 へ、徳重が長崎 へ、徳島へ期限付き移籍していた松村が長野 へ、田中英雄が宮崎 へ完全移籍。東が福島 へ、山口が大分 へ、小林がモンテディオ山形 へ、ウエスクレイがブラジル・セアラー へ、向井がFC今治 から復帰後MIOびわこ滋賀 へそれぞれ期限付き移籍。
福岡でJ2リーグ19得点を挙げたFWウェリントン をはじめ、浦和で優勝経験もあるDF那須大亮 、仙台で主力としてプレーしていたMF三田啓貴 、11年ぶりの復帰となるGK荻晃太 、2015年までプレーしていた韓国代表MFチョン・ウヨン を完全移籍で、タイ代表DFティーラトン を期限付き移籍で加入した。昨年2種登録されたユース出身FW佐々木大樹 、びわこ成蹊スポーツ大学 出身のDF宮大樹 、青森山田高校 出身のMF郷家友太 から入団した。また、クラブのスポーツダイレクターに2007年まで在籍した三浦淳寛 を迎えた。チームキャプテンにはルーカス・ポドルスキが就任。5月にはFCバルセロナ から、スペイン代表MFアンドレス・イニエスタ の完全移籍が発表された[ 29] 。シーズン途中に徳島 からDF大崎玲央 とFC岐阜 よりFW古橋亨梧 を完全移籍で獲得。レアンドロが東京V へ、チョン・ウヨンがアル・サッド へ完全移籍で退団。ハーフナー、小川がそれぞれ仙台、湘南へ期限付き移籍した。
新加入の三田、ウェリントンが早々にフィットしたことや、ルーキー佐々木・郷家といった若手選手の活躍、そしてワールドカップ後に加入したイニエスタの活躍もあり、一時は4位に浮上し、目標としたACL出場の可能性も現実味を帯びていたが、8月下旬から5連敗を喫し一気に順位を落とす。9月17日に吉田の監督契約を解除。アシスタントコーチの林健太郎 を監督代行に据えて2試合を戦った後、後任としてフアン・マヌエル・リージョ が就任した。残留の大一番となった31節名古屋戦を勝利するなど、シーズン終盤6試合で1敗で乗り切り、33節にJ1残留が確定した。
チームスローガン:the No.1 Club in Asia ~ 一致団結 ~
リージョ体制2年目。
ニューヨーク・シティFC より元スペイン代表のFWダビド・ビジャ が加入。他にもC大阪よりMF山口蛍 、鹿島よりDF西大伍 、G大阪よりDF初瀬亮 が加入し、小川が期限付き移籍から復帰した。シーズン開幕後にはヴィトーリア・セトゥーバル よりDFダンクレー 、FCバルセロナよりMFセルジ・サンペール が加入した[ 30] 。長沢、ティーラトン、ヤセルの期限付き移籍期間が満了したほか、藤田がC大阪へ、高橋が柏へ、大槻が山形へ、松下が仙台に移籍。神戸から期限付き移籍していた選手ではハーフナーは新たにバンコク・ユナイテッドFC へ、小林が山形への移籍期間満了を経て大分へ完全移籍した。
7月には、鳥栖 でプレー経験のあるDFジョアン・オマリ とバルセロナを退団したDFトーマス・フェルマーレン が完全移籍で加入した他、3年半在籍したGKキム・スンギュ が退団した穴埋めとして横浜FM からGK飯倉大樹 が完全移籍で加入。8月には佐々木大樹 が期限付き移籍より復帰した他、大分から藤本憲明 、ハンブルガーSV から酒井高徳 が完全移籍で加入した。
開幕前の2月にはJリーグクラブでは初となるアメリカ合衆国 を拠点にプレシーズンツアーを実施し、MLS のチームと試合を行った[ 31] 。また7月27日、FCバルセロナ と「Rakuten Cup」にて、親善試合を行った[ 32] [ 33] 。
4月17日、本人の意向により同日付でリージョの監督契約を解除。ヘッドコーチのイニーゴ・ドミンゲス 、アシスタントコーチのホルヘ・ムニョス も同時に契約解除となった[ 34] 。後任には前年9月まで監督を務めた吉田が再び就任した[ 35] 。同時にポドルスキが主将を辞任し、新主将にイニエスタ、新副主将に山口と西を据えた。
その後4月から5月末にかけてリーグ戦クラブワーストとなる7連敗を喫するなど公式戦9連敗で順位を大きく落とし、中断期間中に吉田が退任。ドイツ人トルステン・フィンク が新指揮官に就任した。フィンク就任後に加入した酒井高徳、フェルマーレンが早々にフィットし、フォーメーションを3バックに固定して以降は不安定だった成績も安定。シーズン成績は8位に終わった。クラブ歴代最多の61得点をあげた一方で無失点試合がわずか5試合。59失点はリーグワースト2位となり、守備に課題を残すシーズンとなった。
その一方で、天皇杯は順調に勝ち上がり、新国立競技場 のこけら落としとなった決勝で鹿島 を下し、クラブ史上初タイトルを獲得。同時にAFCチャンピオンズリーグ の出場権を獲得した。
チームスローガン:the No.1 Club in Asia ~ 一致団結 ~
フィンク体制2年目。
ビジャ、那須、荻が現役を引退。橋本が岐阜へ、オマリがFC東京へ、宮が鳥栖へ、三原が柏へそれぞれ完全移籍。小林が横浜FCへ、増山が福岡へ期限付き移籍。その他、野田、ウェリントン、向井、ポドルスキ、ハーフナーが契約満了で退団した。
清水からドウグラス 、筑波大学からDF山川哲史 、山口からDF菊池流帆 が加入。昨年期限付き移籍していたDF初瀬亮 、MF中坂勇哉 が復帰。
リーグ開幕に先駆けて開催されたFUJI XEROX SUPER CUP2020 ではPK戦の末初優勝を飾った。コロナウイルスの中断期間やそれに伴うACLの日程変更などの影響で異例といえる過密な試合日程の中で勝ちきれない試合や試合終盤に競り負ける試合が多く、8月から9月にかけて7試合リーグ戦勝利なしとなった9月22日、家庭の事情でフィンクが退任。後任にはスポーツダイレクターの三浦淳寛 が就任した[ 36] 。三浦新体制ではビベスアシスタントコーチが指揮した試合も含めて4連勝スタートを切ったものの、その後が続かず、リーグ戦は29節から34節にかけて6連敗を喫してシーズンを終えた。年間14位勝ち点36は2014年昇格以来最低となった。
初挑戦となったACLでは、2月のジョホール・ダルル・タクジムFC 戦(後に大会を辞退したため無効試合)、水原三星ブルーウィングス に1-0と勝利。その後11月に再開され、広州恒大 にも勝利しグループリーグを突破。決勝トーナメントでは上海上港 と水原三星を下したが、準決勝で蔚山現代FC に延長戦の末敗れ、ベスト4で敗退した。
三浦淳寛体制2年目。
西が浦和へ、小川が横浜FCへ、吉丸と藤谷が北九州へ完全移籍、渡部とダンクレーが契約満了で退団した。
東京Vから井上潮音 、広島から廣永遼太郎 、磐田から櫻内渚 、前橋育英高校から櫻井辰徳 、CRフラメンゴ からリンコン 、ケニア代表アユブ・マシカ が加入。期限付き移籍していた小林友希 と増山朝陽 が復帰した。
シーズン途中に、古橋がスコットランドのセルティック へ、安井が町田へ、増山が大分へそれぞれ完全移籍し、藤本が清水へ期限付き移籍し、マシカが契約解除で退団した。8月に入り、ニューカッスル・ユナイテッド を退団した元日本代表FW武藤嘉紀 、ヴェルダー・ブレーメン から日本代表FW大迫勇也 、CFモントリオール を退団していた元バルセロナFWボージャン・クルキッチ を獲得した。
前年の失点の多さや試合終盤での競り負けを改善し、逆に試合終盤で勝ち点を拾う・勝ち点3を奪い取る粘り強さを発揮。初瀬や中坂など出番の少なかった若手が出場機会を大きく伸ばした。ACL出場権を争う名古屋戦も、前半2点を先行されたがFW武藤・MFイニエスタの得点もあり勝ち点差を維持。下位チームとの試合での取りこぼしもなく、第37節横浜FM戦で試合には敗れたものの他会場の結果もあり、2度目のACL出場権を獲得した。21勝10分7敗勝ち点73でリーグ戦3位はクラブ史上最高成績を大幅に更新した。リーグ戦での連敗なしもクラブ史上初となった。
三浦淳寛体制3年目。
DFトーマス・フェルマーレンが退団(後に現役引退)、FWドウグラスが柏へ、FW田中順也が岐阜へ完全移籍し、GK伊藤が群馬へ、MF櫻井が徳島へそれぞれ期限付き移籍。
清水へ期限付き移籍していたFW藤本が復帰し、そのほか浦和からDF槙野智章 、MF汰木康也 、横浜FMからMF扇原貴宏 を完全移籍で獲得。また新卒として中央大学からGK坪井湧也 とユースからDF尾崎優成 が加入した。開幕後の3月27日にFIFAの暫定措置でロシア・FCロストフ との契約が一時停止となっていたMF橋本拳人 が6月30日までの期限付き移籍で、4月1日には相生学院高校からMF日髙光揮 が加入した。
シーズン途中の7月に、鳥栖からMF飯野七聖 、韓国・仁川からFWステファン・ムゴシャ 、韓国・江原から元日本代表MF小林祐希 、CRフラメンゴ からDFマテウス・トゥーレル を期限付き移籍で獲得した。一方で、7月に契約を延長したMF橋本がスペイン・SDウエスカ へ移籍し、FWリンコンがブラジル・クルゼイロEC へ2023年末までの期限付き移籍でチームを離れた。
3月15日に行われたACLプレーオフ・メルボルン・ビクトリー 戦を延長の末4-3で下し、4月からの本選出場を決めた。一方リーグでは開幕から勝ち星に恵まれず、FW武藤、MFサンペールらがそれぞれ故障で長期離脱する苦しい流れに逆らえずクラブワースト更新となる7試合未勝利となり、3月20日付で三浦が契約解除となった。4月2日、6日の2試合はリュイス・プラナグマ が暫定監督として指揮を執り、4月8日にミゲル・アンヘル・ロティーナ が新監督として就任した。4月中旬より行われたACLグループリーグ4試合は2勝2分の戦績でグループステージを突破した。5月14日に行われた第14節のサガン鳥栖戦で開幕から12試合目にしてようやく初勝利を挙げた。しかしながらその後も流れに乗れず、前半戦17試合でわずか2勝と浮上のきっかけを見いだせないまま、第18節浦和レッズ戦後の6月29日、9試合で2勝1分6敗の責任を取らせる形でロティーナとの契約解除を発表。シーズン4人目の新指揮官として同クラブOBで2度指揮を執った経験のある吉田孝行が就任すると発表した。吉田就任後はリーグ戦3連勝を飾るなど順調な滑り出しを見せた。8月に集中開催されたACL決勝トーナメントはラウンド16の横浜FM戦に3-2で勝利し、ベスト8に進出。ラウンド8の全北現代モータース 戦は延長の末1-3で敗れた。9月7日天皇杯準々決勝鹿島アントラーズ戦で敗北しシーズンの無冠が確定したものの、直後のリーグ戦以降は怪我から完全復活した大迫や途中加入の小林祐希の活躍もあり、残留争いをしていたG大阪、福岡との直接対決に勝利するなど2008年以来となる5連勝を達成した。10月22日に行われた静岡ダービーが引き分けに終わり、残り2試合を残して16位との勝ち点差が7に広がった為、来季J1残留が確定した。リーグ戦15試合消化時点での勝ち点一桁代からのJ1残留は2008年の千葉、2018年名古屋に次ぐ3例目となった。残留が決まって臨んだ上位川崎・横浜FM戦は2連敗で終え、勝ち点40の13位とシーズン前に期待された結果とは遠く及ばない結果でシーズンを終えた。
DF槙野が現役引退を表明したほか、FWボージャンが契約満了に伴い退団。GK伊藤とDF櫻内がFC今治、GK飯倉が横浜FM、DF小林友がセルティック(スコットランド)、MF小林祐が札幌、MF郷家が仙台、MF井上が横浜FC、FW藤本が鹿児島、FW小田がハート・オブ・ミドロシアンFC へ完全移籍。前年徳島へ期限付き移籍していたMF櫻井は引き続き徳島へ期限付き期限を延長した。
戦力補強として、京都からDF本多勇喜 、東京VからMF井出遥也 、C大阪からFWジェアン・パトリッキ が完全移籍で加入し、湘南から齊藤未月 、ポルティモネンセSC (ポルトガル)からFW川﨑修平 が期限付き移籍で加入した。東福岡高校からMF浦十蔵 、びわこ成蹊スポーツ大学 からMF泉柊椰 が入団。ユースからDF寺阪尚悟 、MF安達秀都 、FW冨永虹七 が昇格。シーズン開幕後、町田から高橋祥平 が期限付き移籍で加入。9月3日、ガラタサライSK (トルコ)を退団した元スペイン代表のMFフアン・マタ 、フェレンツヴァーロシュTC からハンガリー代表のMFバーリント・ヴェーチェイ を完全移籍で獲得[ 37] [ 38] 。
前年終盤にフィットした大迫をターゲットとするサッカーに移行。現代サッカーらしい走れて強い選手を集めた。攻撃では大迫や武藤が個人レベルの高さを発揮し、怪我なく戦い続けたことで、チームは首位を走ったが、消化試合数が1試合少ない中、迎えたシーズン前半戦折り返しのセレッソ大阪戦で敗戦。首位から陥落したものの2位で折り返した。シーズン途中の7月に入団以来クラブの顔としてプレーしてきた主将MFイニエスタとサンペールが双方合意の元で退団し、ムゴシャが古巣仁川へ移籍した。
大迫、山口、武藤、酒井ら元日本代表の実力者がハードワークを厭わなかったことでチームは一丸となった。前線からの守備を志向する同じスタイルの相手との対戦では、元日本代表のメンタル、経験、技術の差で競り勝つことができた。MF齊藤未月 が不運な大怪我を負った以外は怪我人が少なく、シーズン後半戦もチームは安定し、28節からの上位対決を全て制した[ 39] [ 40] [ 41] 。
大迫は11月12日に埼玉スタジアム2002 で行われた第32節の浦和戦で、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの西川周作 がセットプレーで上がっていた隙を突き、前川からのロングボールを受けてそのまま流し込み、1997年に永島昭浩 が記録して以来26年ぶりとなるシーズン22ゴール目を決め、チームのJ1最多得点記録に並んだ[ 42] 。その後、第33節の名古屋戦では井出遥也 と武藤嘉紀 がゴールを決め、2-1で勝利。創設29年目、Jリーグ参入27年目で悲願のJ1リーグ初優勝を果たし、2019年度の天皇杯に続く2つ目のタイトルを獲得した[ 43] [ 注釈 1] 。参入20年目だった2012年の広島を上回る最も遅い初優勝となった。また前年13位からの優勝は、昇格1年目で優勝した柏とG大阪の例を除いては、2019年の横浜FM(前年12位)を上回る最大の躍進となった[ 44] 。シーズンオフに開催されたJリーグアウォーズ では、クラブ史上最多の4人(酒井、山口、武藤、大迫)がベストイレブンに選ばれ、大迫は神戸所属選手として初めての最優秀選手賞(MVP)受賞となり、個人3冠(得点王・ベストイレブン・MVP)を達成した。
吉田体制3年目。
前年シーズン途中加入したMFフアン・マタ をはじめ、FW川﨑修平 、MFバーリント・ヴェーチェイ 、MF新井瑞希 、DF高橋祥平 、GK廣永遼太郎 、GKフェリペ・メギオラーロ が契約満了に伴い退団。6シーズン在籍したDF大﨑玲央 がエミレーツ・クラブ へ完全移籍し、GK坪井湧也(磐田)、DF尾崎優成(愛媛)、MF泉柊椰(大宮)、MF安達秀都(盛岡)、FW冨永虹七(讃岐)がそれぞれ他クラブへ期限付き移籍でクラブを離れた。
「1つのポジションに2人以上の選手が欲しい」と吉田が要望していた通りの大型補強が行われ、川崎 からFW宮代大聖 、セルティック からMF井手口陽介 、長崎 からMF鍬先祐弥 、鹿島 からDF広瀬陸斗 、浦和 からDF岩波拓也 、千葉 からGK新井章太 、横浜FM からGKオビ・パウエル・オビンナ と、他クラブの主力クラスを獲得。前年期限付き移籍で湘南から加入していたMF齊藤未月も完全移籍で獲得。そのほか新卒でGK髙山汐生 、DF本間ジャスティン 、MF山内翔 が入団した。7月9日には讃岐 に期限付き移籍していたFW冨永虹七 が復帰。8月13日にはシャルルロワSC (ベルギー)からMF森岡亮太 が2015年以来8年半ぶりに復帰した。
前年に続いて戦術は明確で大きな変更はなく、より手数をかけずにゴールに迫る事を志向した。勝てない時期もあったがシーズン中盤以降に順位を上げ、クラブ新記録となる6連勝も達成した。リーグ戦2試合を残して2位に勝ち点3差をつけ2連覇を射程圏内に捕らえた。
JリーグYBCルヴァンカップ は5月22日の3回戦でカターレ富山 に敗退したが、天皇杯は11月23日の決勝戦でガンバ大阪 を1-0で下し、2019年度大会以来5大会ぶり2度目の優勝[ 45] 。
勝利すれば自力でのリーグ優勝が決まる最終節の湘南戦では宮代と武藤、扇原のゴールで3-0で勝利し、J1リーグと天皇杯優勝の2冠 を達成し4つ目のタイトルを獲得。Jリーグ史上初のリーグ連覇と国内2冠の同時達成 となった。
Jリーグアウォーズでは、3人(トゥーレル、武藤、大迫)がベストイレブンに選ばれ、武藤が最優秀選手賞(MVP)受賞した。
成績
タイトル・表彰
国内タイトル
表彰
個人別
J1リーグ
得点王
ベストイレブン
フェアプレー個人賞
年間優秀監督賞
最優秀ゴール賞
月間MVP
2016年9月度 - レアンドロ
2021年6月度 - 古橋亨梧
2021年10月度 - アンドレス・イニエスタ
2023年11・12月度 - 大迫勇也
2024年11・12月度 - 武藤嘉紀
月間ベストゴール
月間優秀監督賞
2021年7月度 - 三浦淳寛
2021年10月度 - 三浦淳寛
2023年11・12月度 - 吉田孝行
J2リーグ
スタジアム・練習場
ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸 であり[ 1] 、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 でも不定期にホームゲームを開催している。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムはヴィッセル神戸の年度別成績一覧#年度別入場者数 を参照のこと。
練習場は神戸市西区 井吹台東町七丁目(西神南ニュータウン)にある「いぶきの森球技場」が使われていたが、2003年10月にビオフェルミン製薬 が練習場用地を新工場建設のために取得(2004年3月に引渡し)[ 46] したため、2005年 2月 より神戸ハイテクパークに隣接する神戸市西区櫨谷町に約5億円かけて建設した「いぶきの森球技場」(名称は同一)に移転した。
チケットの価格設定
ヴィッセル神戸は2009年シーズンから2016年シーズンまでの間、リーグ戦において対戦相手によってチケット価格が異なる制度を導入していた(カップ戦は設定なし)。A価格はB価格に比べて大人で1,000円、小中生で500円高い。なお、各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通りだった。2017年は設定がなくなり、その後はダイナミックプライシングが導入されている。
年度
所属
A価格
B価格
2009
J1
浦和、FC東京、横浜FM、G大阪
山形、鹿島、大宮、千葉、柏、川崎、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、広島、大分
2010
鹿島、浦和、G大阪、広島
仙台、山形、大宮、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、C大阪
2011
浦和、G大阪、C大阪
仙台、山形、鹿島、大宮、柏、川崎、横浜FM、甲府、新潟、清水、磐田、名古屋、広島、福岡
2012
浦和、名古屋、G大阪、広島
札幌、仙台、鹿島、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、新潟、清水、磐田、C大阪、鳥栖
2013
J2
設定無し
2014
J1
浦和、G大阪、C大阪、広島
仙台、鹿島、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、甲府、新潟、清水、名古屋、徳島、鳥栖
2015
鹿島、浦和、柏、松本、名古屋、G大阪
仙台、山形、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、甲府、新潟、清水、広島、鳥栖
2016
鹿島、浦和、G大阪、広島
仙台、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、甲府、新潟、磐田、名古屋、福岡、鳥栖
2017
設定無し
ユニフォーム
ユニフォームの色
カラー
シャツ
パンツ
ストッキング
FP(1st)
臙脂
臙脂
臙脂
FP(2nd)
白
黒
白
GK(1st)
緑
緑
緑
GK(2nd)
水色
水色
水色
チームカラー
チームカラーの変遷
創立 - 1995年5月:白( )、黒( )、オレンジ( )
1995年6月 - 2004年12月:白( )、黒( )、ヴィッセルブルー( )
白:フェアプレー、黒:力強さと闘争心、ヴィッセルブルー:神戸の海と希望
白と黒の縦縞(ヴィッセルストライプ)は協調を表し、黒が全ての光(市民の声、支援)を吸収し、白がそれを発していくことを意味。
2002年から2004年までアウェー用ユニフォームに採用されたシルバーは「パールのごときチームの珠玉の輝き」を表していた。
2004年3月、ヴィッセルの経営権を2月に取得(経緯は上述)した株式会社クリムゾンフットボールクラブは、「停滞してきた経営イメージの払拭」や「力強いパッション(情熱)の表現」などを理由として、2005年 からチームカラーを「クリムゾンレッド(臙脂 )」を基調としたものに変更すると発表した[ 48] 。2004年12月、新しいロゴ、エンブレムおよび2005年シーズンのユニフォームなどが発表された[ 49] 。
ユニフォームのうつりかわり
1997年から1998年の2シーズン、袖スポンサーの下部にJリーグから特例として認められたメッセージワッペン、「明日へ!!神戸」を付けていた。同じ神戸を本拠地とするプロ野球 ・オリックス・ブルーウェーブ は「がんばろうKOBE」と付けていた。
1995年第4回JFLリーグ戦前期(5月-7月末)は袖スポンサーがなかった。さらに、1999年から2003年3月まで胸スポンサーがなく、チームロゴを付けていた。
2005年は阪神・淡路大震災 から10年の節目を迎えるにあたり、神戸市主催の「震災10年 神戸からの発信」事業に協賛し、オリジナルロゴを右袖のJリーグマークの下部に付けていた。
2005年から、背番号 の下部に選手名が入るようになった。
2008年から、右袖のJリーグマークの下部に地域名「KOBE」が入るようになった。
2010年から、GKユニフォームのみ3rdユニフォーム(シャツ:緑、パンツ:緑、ストッキング:緑)を使用。
2007年から2009年まで番号の縁取り、2008年から2009年までユニフォームのパイピングに「ゴールド」が使用。
2010年から2012年までユニフォームのパイピングに「ベージュ」が使用。
2015年のGKユニフォームの2ndのカラーリングは、従来の緑色ではなく青色を採用。それに伴い1stのカラーリングが黄色から緑色に変更された[ 50] 。なお、黄色は2015年のスペシャルユニフォームのGKのカラーリングとして採用された。[ 51]
2016年は1stユニフォームとして黒を基調としたストライプ柄を12年ぶりに採用[ 52] 。ユニフォームの袖部分にクラブ名の由来にもなっている船のシルエット、裾部分に錨マークがプリントされている。また、GKユニフォームの2ndのカラーリングが青から黄色へと戻っている。
2015年から襟の内部にロゴがつけられるようになり、2015年は「VISSEL 20 YEARS」、2016年は「一致団結」のロゴが付けられている。
2018年はクラブ初となるフィールドプレーヤーの3rdユニフォームを採用。3rdユニフォーム採用に伴い2ndユニフォームは白ではなく水色となっている。
2020年、2025年は前年の天皇杯を優勝したため天皇杯優勝ロゴが2020年はユニフォーム左下、2025年は左袖ノエビアロゴ下に付けられている。
2022年のACLユニフォームはリーグ戦ユニフォームからサイドパネルのカラーを変更したものが使用されていたが、AFCよりユニフォームデザインの一部がACLのレギュレーションに反すると指摘が入ったため、菱形に六甲山 と神戸ポートタワー のイラストが入った部分を削除し、「Rakuten」ロゴのみにしたものがノックアウトステージにて使用された[ 53] 。
2024年、2025年は前年のJ1リーグを優勝したため右袖のJリーグバッジが金色のチャンピオンバッジとなる。
2025年はユニフォーム左下に30周年記念ロゴが付けられている。
スペシャルユニフォーム
2014年
当時の運営会社であった株式会社クリムゾンフットボールクラブの10周年を記念して緑を基調としたユニフォームを採用。川崎重工業が協賛する試合[ 注釈 2] で着用[ 54] 。スペシャルユニフォームで唯一夏季以外のホームゲームで着用された(第32節横浜FM戦)。
2015年
クラブ創立から20年を記念して神戸の夜景をイメージした黒いユニフォームを採用[ 55] 。2ndステージのホーム5試合で着用[ 注釈 3] 。ちなみに、GKユニフォームは神戸の朝焼けをイメージしている。
2017年
神戸港 の開港150周年を記念し、神戸市民の花である紫陽花をモチーフとしたピンクと紫のツートンカラーのユニフォームを採用[ 56] 。夏季のホーム4試合で着用[ 注釈 4] 。GKユニフォームは2ndユニフォームと同じ黒だがスペシャルユニフォームに合わせたデザインとなっている。
2020年
クラブ創立から25年を記念して創立~2004年まで使用していた黒と白のストライプユニフォームを採用[ 57] 。夏季のホーム3試合で着用[ 注釈 5] 。黄と水色のGKユニフォームもスペシャルユニフォームに合わせたデザインとなっている。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所
スポンサー名
表記
掲出年
備考
胸
楽天モバイル
Rakuten Mobile
2023年 -
鎖骨
ビショップ
DANTON
2024年 -
左側に表記
セイバン
SEiBAN
2024年 -
右側に表記
背中上部
川崎重工業
Kawasaki
2025年 -
2003年は胸 2004年 - 2018年は背中上部 2019年 - 2024年は背中下部 2014年は「Kawasaki Powering your potential 」表記 2015年 - 2017年の2nd / GK 3rd及び 2014年 - 2015年の特別ユニフォームは「川崎重工」表記
背中下部
シュゼット
アンリ・シャルパンティエ
2025年 -
2016年 - 2018年は背中下部 2019年 - 2024年は背中上部 2019年のFP 1st・3rd / GK 1stは「HENRI CHARPENTIER」表記
袖
ノエビア
NOEVIR
2016年 -
パンツ前面
デジアラホールディングス
デジアラHOLDINGS (1st / GK 1st) ガーデンプラス (2nd / GK 2nd)
2023年 -
2022年はパンツ背面 2022年は1stは「エクスショップ」、3rdは「デジアラ HOLDINGS 」表記 2023年は2nd / GK 2ndは「ガーデンプラス」表記 2024年は2nd / GK 2ndは「エクスショップ」表記
パンツ背面
なし
-
-
ユニフォームサプライヤーの遍歴
1995年 - 1996年:アシックス
1995年のみサテライトリーグではミズノ 製を着用。
1997年 - 1998年:アディダス
1999年 - 現在:アシックス
歴代ユニフォーム
歴代ユニフォームスポンサー表記
スポンサー
アカデミー
創設時に、神戸フットボールクラブ からユース・ジュニアユースを移管して、アカデミーが発足した[ 59] 。
2005年、育成支援個人協賛会「Vitamin Club(ヴァイタミンクラブ)」が発足した[ 60] 。
2006年、伊丹ジュニアユースチームを設立[ 61] 。
2009年3月、「いぶきの森球技場」に近い神戸市西区櫨谷町福谷に選手寮(通称:三木谷ハウス)が完成した。総工費は約2億3,000万円で全額を三木谷が負担し、前札幌GMの村野晋が寮長に、また夫人である村野明子が寮母となった。また、育成部長の黒田和生 がユース監督に就任した[ 62] [ 63] 。
2011年12月、地域のスポーツ活動の普及・育成に寄与することを目的に、一般社団法人ヴィッセル神戸スポーツクラブが創設された[ 64] 。
出身選手
主なタイトル
ユース
優勝2回(1999, 2013)
優勝2回(2013, 2017)
優勝1回(2011)
優勝3回(2006, 2009, 2011)
ジュニアユース
優勝1回(2009年 )
優勝1回(2009年 )
メディア
決算
損益
年度
リーグ
収入
広告料
入場料
配分
その他
費用
事業費
人件費
管理費
利益
純利益
2005
J1
1,876
692
439
250
495
3,105
2,621
1,500
484
-1,228
-1,054
2006
J2
1,362
528
215
134
482
2,031
1,600
1,024
430
-669
-488
2007
J1
1,865
660
329
243
633
2,422
1,926
1,317
496
-557
-75
2008
J1
2,026
725
392
227
682
2,505
2,019
1,369
486
-479
-354
2009
J1
2,446
715
421
228
1,082
2,722
2,273
1,545
449
-276
-538
2010
J1
2,035
710
401
210
714
2,275
1,810
1,167
465
-240
-53
年度
リーグ
収益
広告料
入場料
配分
育成
その他
費用
人件費
試合
トップ
育成
女子
販売
利益
純利益
2011
J1
2,059
708
392
206
219
534
2,149
1,010
186
243
100
0
610
-90
-133
2012
J1
2,250
742
454
202
225
627
2,364
1,157
176
264
107
0
660
-114
-296
2013
J2
1,960
682
339
104
231
604
2,401
1,160
187
304
115
0
635
-441
-370
2014
J1
2,471
945
486
211
247
582
2,954
1,348
215
439
124
0
828
-483
1,746
2015
J1
3,663
2,198
425
188
240
612
3,561
1,767
271
496
111
0
916
102
11
年度
リーグ
収益
広告料
入場料
配分
育成
物販
その他
費用
人件費
試合
トップ
育成
女子
物販
販売
利益
純利益
2016
J1
3,865
2,221
427
190
219
130
678
3,823
2,068
337
171
70
0
143
1,034
42
29
資産
年度
総資産
総負債
純資産
資本金
2005
3,382
5,593
2,210
98
2006
2,809
2,638
170
98
2007
1,012
917
95
98
2008
829
1,089
-259
98
2009
1,441
2,247
-806
98
2010
913
1,774
-861
98
2011
909
1,865
-956
98
2012
788
2,040
-1,252
98
2013
610
2,231
-1,622
98
2014
679
556
122
98
2015
1,220
1,087
133
98
2016
1,371
1,208
163
98
脚注
注釈
^ 神戸が11クラブ目のJ1リーグ優勝を果たしたことにより、Jリーグの優勝クラブ数が1993年のJリーグ 開幕時のチーム数(オリジナル10 )を上回った。
^ 第15節鳥栖戦と第32節横浜FM戦。
^ 第4節G大阪戦、第5節広島戦、第7節川崎F戦、第9節鳥栖戦、第11節新潟戦
^ 第18節仙台戦、第19節大宮戦、第21節鹿島戦、第23節横浜FM戦
^ 第13節横浜FM戦、第16節FC東京戦、第25節C大阪戦
出典
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
ヴィッセル神戸 に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
獲得タイトル
†は中止となった大会 1920年代 1930年代 1940年代
第20回(1940) 慶應BRB
第21回(1941) †
第22回(1942) †
第23回(1943) †
第24回(1944) †
第25回(1945) †
第26回(1946) 東大LB
第27回(1947) †
第28回(1948) †
第29回(1949) 東大LB
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
大会 - 予選 - 優勝
リーグ(J1 - J2 - J3 - JFL - WE - なでしこ ) - カップ(天皇杯 - ルヴァン杯 - 皇后杯 - WEリーグ杯 )
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