京都サンガF.C. (きょうとサンガエフシー、英 : Kyoto Sanga F.C. )は、日本 の京都府 京都市 、宇治市 、城陽市 、向日市 、長岡京市 、京田辺市 、木津川市 、亀岡市 、南丹市 、福知山市 、舞鶴市 、綾部市 、八幡市 、宮津市 、京丹後市 、京丹波町 、大山崎町 、久御山町 、精華町 、井手町 、宇治田原町 、和束町 、与謝野町 をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ (Jリーグ)に加盟するプロサッカー クラブ。
概要
1922年 に創設された京都紫光クラブ が前身となり[ 1] 、1993年 に一般公募で愛称を募り、教育研究社FC京都パープルサンガ へ改称。1994年 に京都パープルサンガ へ改称。1996年にJリーグへ加盟した[ 1] 。
2007年 に現クラブ名へ改称[ 1] 。運営会社は株式会社京都パープルサンガ [ 1] 。
旧クラブの由来は、京都紫 光サッカークラブの英語の『パープル』と、サンスクリット語 で「仲間・群れ」を表す『samgha 』と[ 1] 、山紫水明の京都をイメージさせる「山河」の響きを掛け合わせた『サンガ』を合わせたもの。
ホームタウンは2010年8月まで京都府 京都市 のみであったが、2010年8月より宇治市 、城陽市 、向日市 、長岡京市 、京田辺市 の5市[ 1] 、2012年4月より木津川市 、2014年4月より亀岡市 、2017年9月より南丹市 、船井郡 京丹波町 [ 5] 、2019年9月より福知山市 、舞鶴市 、綾部市 [ 6] 、2020年3月より八幡市 [ 7] 、2022年4月より宮津市 [ 8] 、2023年2月より乙訓郡 大山崎町 、久世郡 久御山町 [ 9] 、2023年5月より京丹後市 [ 10] 、2024年2月より相楽郡 精華町 [ 11] 、2024年10月より綴喜郡 井手町 、宇治田原町 、相楽郡和束町 、与謝郡 与謝野町 がホームタウンに加わり[ 12] 、15市8町となっている。
2010年の広域化の際には、クラブ側は「よりホームタウンを活性化させるには試合の本拠地である京都市やクラブハウスのある城陽市を含め京都府南部の市町村の連携が不可欠」としていたが[ 13] 、その後は府南部にとどまらず府全域に広がっている。
ホームスタジアムは亀岡市 のサンガスタジアム by KYOCERA 。練習場は京都サンガF.C.東城陽グラウンド [ 1] (通称:サンガタウン城陽)(詳細は#スタジアム・練習場 を参照)。クラブマスコットは1995年に誕生した「パーサくん 」と2003年に誕生した女の子のお友達「コトノちゃん」で、いずれも「鳳凰 」と「不死鳥 」をモチーフとしている[ 1] [ 2] 。
歴史
前史
1922年 創設の京都紫光クラブ (設立時の名称は紫郊クラブ)が前身となり[ 1] 、Jリーグ加盟クラブの前身チームの中で最も古い。1993年 に「教育研究社FC京都パープルサンガ」が発足[ 1] 。1994年1月、運営会社となる「株式会社京セラパープルサンガ 」が設立された(6月に「株式会社京都パープルサンガ 」へ商号変更)[ 1] 。
1994年8月[ 注釈 1] 、Jリーグ準会員 に承認[ 2] 。1995年にジャパンフットボールリーグ (JFL)で2位の成績を収めて、1996年からJリーグ加盟が決定した[ 1] 。
1996年 - 1999年(Jリーグ)
1996年
大野俊三 や松橋力蔵 といったJリーグ経験者を補強。開幕戦はV川崎 に敗北。その後、シーズン開幕後17連敗を喫して、オスカー・ベルナルディ がシーズン途中で監督を解任された。5月にV川崎からラモス瑠偉 、藤吉信次 、ガンバ大阪から山口敏弘 を獲得し、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。
1997年
ペドロ・ローシャ を監督に迎えたが、カポネ とクレーベル の両外国人選手が振るわず、更にラモスがシーズン途中にV川崎に移籍した。年間成績は17チーム中14位。なお、この年に西田吉洋 が日本代表 候補に選ばれた。
1998年
元日本代表監督のハンス・オフト が監督に就任。
元日本代表の森保一 や岩本輝雄 、山田隆裕 ・黒崎久志 を獲得したが、下位に低迷。オフトは6月に監督を退任し、清水秀彦 が後任となり、2ndステージは勝ち越し。なお、横浜F と横浜Mの合併によりJ1参入決定戦 への出場は免れた。
1999年
清水体制2年目。
1stステージが14位。6月に清水が退任して、7月に元日本代表監督の加茂周 が監督に就任。また、同じ7月に元日本代表の三浦知良 を獲得。2ndステージは9位。年間成績は12位となった。
2000年(J1)
加茂体制2年目。
黒部光昭 、松井大輔 、朴智星 が入団。リーグ戦は当初より不振で6月に加茂周を解任。ゲルト・エンゲルス が後任の監督に就任したが、年間成績は15位に終わり、J2 へ降格した。
2001年(J2)
エンゲルス体制2年目。
三浦知良 が神戸、遠藤保仁 がG大阪へ移籍した。J2リーグ戦は28勝5分11敗の成績で優勝し、J1 復帰を決めた。黒部は30得点を挙げ、J2得点ランク2位となった。
2002年 - 2003年(J1)
2002年
エンゲルス体制3年目。
開幕直後こそ4連敗するものの、黒部光昭 、松井大輔 、朴智星 に加えて平井直人 や角田誠 といった下部組織出身の選手も活躍。年間順位で5位に躍進。第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会 は決勝で鹿島 を破り、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得した。
2003年
エンゲルス体制4年目。
朴がオランダ1部 ・PSVアイントホーフェン へ移籍した一方、韓国1部 ・水原三星ブルーウィングス より高宗秀 を獲得した。1stステージは最下位。6月にエンゲルスを解任、後任のピム も11月に解任し、木村文治 が監督に就任。2ndステージも14位に終り、年間で最下位となり、2度目のJ2降格が決定した。
2004年 - 2005年(J2)
2004年
西村昭宏 が監督に就任。
市原 から崔龍洙 を獲得。一方、9月に松井大輔 がフランス2部 ・ル・マンFC へ期限付き移籍した(2005年7月に完全移籍へ移行)。リーグ戦は序盤戦から勝利に恵まれず、6月に西村を解任し、柱谷幸一 を監督に迎えたが5位に終わった。
2005年
クラブスローガン :「ONE for TEAM -すべては勝利のために- 」
柱谷体制2年目。
黒部光昭 がC大阪へ移籍した一方、山形から星大輔 、福岡から米田兼一郎 、湘南から加藤大志 を完全移籍で獲得した。シーズンは7試合を残して2位以内が確定、第39節で2度目のJ2優勝を決めた。最終節は甲府 に敗れて、2004年の川崎 に次ぐシーズン勝点100以上はならなかった。なお、パウリーニョ が22得点でJ2得点王を獲得し、15得点のアレモン と2人でチーム総得点(89)の4割強を占めた。
2006年(J1)
クラブスローガン :「ONE FOR TEAM -情熱旋風- 」
柱谷体制3年目。
4月にG大阪 から手島和希 、5月に名古屋から角田誠 を期限付き移籍で獲得したが、シーズン当初より低迷し10月に柱谷幸一を監督から解任。ヘッドコーチの美濃部直彦 が監督に就任したが、11月26日 のG大阪戦に敗れ、最下位が決まり、J2降格が決定した。
2007年(J2)
美濃部体制2年目。
2月からクラブ名を京都サンガF.C. へ変更[ 1] (ただし運営法人の商号は現在も株式会社京都パープルサンガのまま)。同時に新しいエンブレムも制定された。名古屋 から元日本代表DF秋田豊 、清水 から森岡隆三 、甲府から倉貫一毅 を、福岡 から平島崇 を獲得した。開幕から大きな連勝はしないものの1度の連敗もなく安定して勝点を積み重ね、第44節終了時点で暫定3位と昇格圏内につけていた。10月13日 に美濃部を解任して、総監督の加藤久 が監督へ就任。リーグ戦は3位となり、J1・J2入れ替え戦 で広島 に勝利を収めてJ1復帰を決めた。また、当初は残り試合に限定された暫定監督扱いとして就任した加藤の総監督留任も決定した。
2008年 - 2010年(J1)
2008年
2008年J1第20節川崎フロンターレ戦
クラブスローガン :「SMILE KYOTO for the better future 」
加藤体制2年目。
柏 から水谷雄一 、G大阪 から9シーズンぶりの京都復帰となるシジクレイ 、FC東京 から期限付き移籍で増嶋竜也 、千葉 から佐藤勇人 、鹿島 から柳沢敦 と、各ポジションで実力者を獲得し、2年ぶりのJ1に臨んだ。シーズン途中にも、ディフェンス安定のためにG大阪から水本裕貴 、怪我で長期離脱(登録抹消)したパウリーニョの穴を埋めるため、清水からフェルナンジーニョ を獲得した。シーズン成績は14位。天皇杯は5回戦で柏に敗北。
2009年
クラブスローガン :「前へ。PASSION REALITY OVATION 」
加藤体制3年目。
名古屋から豊田陽平 、東京V からディエゴ 、韓国代表 の李正秀 などを獲得。また、前年怪我でシーズン途中に登録抹消されたパウリーニョ も復帰した。しかし、主力に怪我人が相次ぎ、パウリーニョがシーズン途中でブラジル1部 ・スポルチ・レシフェ に移籍するなどメンバー編成に苦しんだが、第33節浦和 戦に勝利し、残り1試合を残してJ1残留を決め、同時にJ1通算100勝を達成し、12位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で甲府に敗北した。
2010年
クラブスローガン :「SHI・N・KA 」
加藤体制4年目。
手島和希 が引退、李正秀 が鹿島 へ、林丈統 と佐藤勇人 が千葉へ、松井謙弥 がC大阪 へ、シジクレイ がブラジル・パラナ州1部 ・カスカヴェウCR (ポルトガル語版 ) に完全移籍、豊田陽平 が鳥栖 へ期限付き移籍した。
一方で、大分 から7年ぶりの復帰となる鈴木慎吾 を、大宮 から片岡洋介 、ブラジル1部・ECサント・アンドレ からドゥトラ を、韓国1部・全南ドラゴンズ から郭泰輝 を完全移籍で、ブラジル1部・グレミオFBPA からチエゴ を期限付き移籍で獲得、愛知学院大学 からハウバート・ダン 、関西大学 から児玉剛 、大阪桐蔭高校 から福村貴幸 が入団した。
リーグ戦は第4節終了時の8位が最高。第10節および第13節から第21節まで最下位で推移し、第14節終了後の7月27日に加藤を監督及びチーム統括職より解任し、コーチの秋田豊 が後任の監督に就任した。第22節で17位に順位を上げたが以降も17位から順位は変わらず、第30節の浦和戦に敗れて4回目のJ2降格が決定した。天皇杯も3回戦で千葉に大敗した。
なお、秋田とは2011年までの契約で「J2に降格しても続投してもらう」方針[ 14] であったが、12月7日に監督を退任した。
2011年 - 2021年(J2)
2011年
クラブスローガン :「Change 」
監督に甲府 元監督の大木武 、ゼネラルマネージャー (GM)に千葉 元GMの祖母井秀隆 がそれぞれ就任した。
平井直人 が引退、柳沢敦 と角田誠 が仙台 に、渡邉大剛 と片岡洋介 が大宮 に、増嶋竜也 が柏 に、水本裕貴 が広島 に、西野泰正 がカマタマーレ讃岐 に、郭泰輝 が韓国1部 ・蔚山現代FC に、期限付き移籍で加入していた中谷勇介 が東京V に完全移籍、豊田陽平 が鳥栖 に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していたチエゴ が期間満了により退団した。また、8月にディエゴ が仙台に期限付き移籍した。
一方で、千葉から工藤浩平 、甲府から秋本倫孝 、愛媛 からアライール を完全移籍で獲得、U-18から駒井善成 と伊藤優汰 、山田俊毅 、下畠翔吾 が昇格、駒澤大学 から酒井隆介 、韓国 ・慶熙大学校 からチョン・ウヨン 、立命館大学 から内藤洋平 が入団した。
リーグ戦は、開幕2連敗でスタート、第5節千葉戦から4連勝したが、第9節栃木 戦から第15節鳥取 戦まで2分5敗となるなど、同節時点で僅か1勝(2分6敗)の19位に落ち込んだ。後半戦に入り、2種登録選手 ながら10得点を挙げて、チーム得点王になった久保裕也 らの活躍もあり、最終順位は7位となった。
天皇杯 は、第82回 以来の決勝進出。史上初めてJ2同士の対決となった決勝は、FC東京 に2-4で敗れて準優勝となった。
2012年
クラブスローガン :「Changing〜俺たちは変わり続ける〜 」
大木体制2年目。
アライール が愛媛に、鈴木慎吾 が東京 に、加藤弘堅 が富山 に、金成勇 が草津 に、森下俊 が川崎 に、上里琢文 がFC琉球 に、豊田陽平が期限付き移籍先の鳥栖に、仙台に期限付き移籍していたディエゴがブラジル1部 ・アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス に完全移籍、中村太亮 が新潟 に、下畠翔吾 が佐川印刷SC に、ハウバート・ダン が横浜スポーツ&カルチャークラブ に、守田達弥 が富山に期限付き移籍、山田俊毅 が立命館大学 に進学した。
一方で、名古屋 から松尾元太 を、ドイツ1部 ・1.FCケルン からブルキナファソ代表 のサヌ を、中国1部 ・陝西宝栄足球倶楽部 からバヤリッツァ 、徳島 から倉貫一毅 を完全移籍で、浦和 から原一樹 、清水 から長沢駿 を期限付き移籍で獲得、U-18から杉本大地 と高橋祐治 、國領一平 、原川力 、三根和起 、久保裕也 が昇格、慶應義塾大学 から黄大城 が入団した。
開幕前は天皇杯準優勝などの実績より昇格候補に挙げられ、第5節町田 戦からの4連勝と第12節栃木戦からの5連勝で首位に立ったが、第17節富山戦から3連敗を含む7戦連続勝ちなしに陥り、第23節時点で8位へ順位を下げた。第24節熊本 戦からの6連勝で2位まで浮上して以降、J1昇格プレーオフ 圏内となる6位以上を保ち、自動昇格圏も狙える位置で推移、第41節時点で2位をキープしたが、最終節甲府戦でスコアレスドローに終わり、最終節勝利した湘南 と入れ替わって3位となり、J1昇格プレーオフ へ回った。J1昇格プレーオフは準決勝で6位の大分にホームで敗北し、J1昇格はならなかった。天皇杯は3回戦で磐田 にPK負けした。
なお、シーズン途中には、ドゥトラ が鹿島 に完全移籍した。
2013年
クラブスローガン :「必昇 」
大木体制3年目。
松尾元太が引退、中村充孝 が鹿島に、水谷雄一 が福岡 に、内藤洋平 が北九州 に完全移籍、伊藤優汰 が愛媛に、國領一平が佐川印刷SCに、三根和起が富山に、チョン・ウヨン が磐田に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していた長沢駿が期間満了により退団した。
一方で、高橋祐治 と下畠翔吾 が期限付き移籍から復帰、川崎から山瀬功治 、湘南 から三平和司 (前年は大分に期限付き移籍)、徳島からオ・スンフン 、愛媛から田森大己 、Honda FC から中村祐哉 を完全移籍で、G大阪 から横谷繁 、清水から姜成浩 を期限付き移籍で獲得、浦和から期限付き移籍で加入していた原一樹が完全移籍に移行、U-18から山田元気 と齊藤隆成 が昇格した。
開幕から4試合を2勝2分とし第4節時点で2位につける。第5節富山戦から第9節岡山 戦まで1勝1分3敗に留まり11位まで順位を下げるが、その後は第28節愛媛戦からの3連敗を除いて連敗することなく推移し、第16節で4位に浮上して以降は昇格プレーオフ圏内をキープ。第32節熊本戦からは7連勝し、第34節終了時点で3位に浮上したが、第40節G大阪戦に敗れて自動昇格圏内の2位以内が消滅、最終順位は2年連続の3位となった。J1昇格プレーオフ 準決勝はホームで長崎 に引き分け、規定により決勝へ進出したが、徳島に敗れて2年連続でプレーオフ敗退に終わった。天皇杯は3回戦で鹿島に敗北。シーズン終了後に大木武が監督を退任した。
なお、シーズン途中には、久保裕也がスイス1部 ・BSCヤングボーイズ へ完全移籍した。
2014年
クラブスローガン :「NEVER GIVE UP 勝利へ 」
元イラン代表 監督のバドゥ が監督に就任。
サヌが引退、安藤淳 と染谷悠太 がC大阪に、倉貫一毅 が鳥取 に、秋本倫孝 が富山に、原一樹 が北九州に、中村祐哉が長崎に、児玉剛 が愛媛に完全移籍、原川力が愛媛に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していた姜成浩が期間満了により退団した。
一方で、伊藤優汰が期限付き移籍から復帰、名古屋 から石櫃洋祐 、ブラジル2部 ・アメリカFC からアレッサンドロ を完全移籍で、神戸 から有田光希 、横浜FM から比嘉祐介 、中国1部・杭州緑城足球倶楽部 から大黒将志 を期限付き移籍で獲得、G大阪から期限付き移籍で加入していた横谷繁が完全移籍に移行、U-18から田村亮介 が昇格、市立船橋高校 から磐瀬剛 と石田雅俊 が入団した。
開幕節終了直後に首位に立ったが、その後第18節時点で7勝5敗6分の11位に留まり、6月18日にバドゥを監督から解任。後任決定までコーチの森下仁志 が監督代行を務めた後、6月29日より元東京V監督の川勝良一 が監督に就任し、徳島からドウグラス を期限付き移籍で獲得したが第41節・富山戦での引き分けにより昇格プレーオフ進出が消滅し、最終順位も9位に終わった。シーズン終了後に監督の川勝、GMの祖母井秀隆 、強化部テクニカルディレクターの高間武 らが退任した。なお、新加入の大黒が26得点でJ2得点王を獲得した。天皇杯は3回戦で名古屋に敗れた。
2015年
クラブスローガン :「SANGA INNOVATION 」
元神戸監督の和田昌裕 が監督に就任。
オ・スンフン が韓国1部 ・大田シチズン に、ジャイロ がブラジル・サンパウロ州2部 ・フェロヴィアリア に、酒井隆介 が松本 に、工藤浩平 が広島 に、横谷繁 が大宮に、三平和司 が大分に、内野貴志 が長野 に完全移籍、高橋祐治 が讃岐に、田村亮介が鳥栖に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していたドウグラスと比嘉祐介 、田中英雄 が期間満了により退団した。
一方で、宮吉拓実 と原川力 が期限付き移籍から復帰、大分から清水圭介 、千葉から山口智 、磐田から菅沼駿哉 、韓国1部・全北現代モータース から金南一 、ベルギー2部 ・AFCテュビズ から黄辰成 、仙台から佐々木勇人 、群馬 からダニエル・ロビーニョ を完全移籍で獲得、U-18から奥川雅也 と永島悠史 、大西勇輝 が昇格した。
前半戦を終えて6勝4分12敗。第22節徳島戦で敗北し、7月10日に成績不振を理由として和田が監督を解任、ヘッドコーチの石丸清隆 が後任の監督に就任した。10月25日 の大宮戦の引き分けで7位以下が確定、最終順位は17位に終わった。天皇杯は3回戦で川崎に敗れた。
2016年
クラブスローガン :「一丸 よみがえる不死鳥(サンガ) 」
石丸体制2年目。
中山博貴 と山口智 、金南一 が引退、ユース出身の駒井善成 が浦和 に、伊藤優汰 が新潟 に、原川力 が川崎 に、宮吉拓実 が広島に、田森大己 が岐阜 に、佐々木勇人 が栃木 に、福村貴幸 が期限付き移籍先の清水 に、黄大城 がLB-BRB TOKYO に、バヤリッツァ がセルビア・ラシュカ地区リーグ(5部相当) (セルビア語版 ) ・OFKラドニチュキ・コヴァチ (セルビア語版 ) に完全移籍、大西勇輝が奈良クラブ に、三根和起 がシンガポール1部 ・アルビレックス新潟シンガポール に、磐瀬剛が岐阜に、杉本大地 が徳島 に、大黒将志 が山形 に、フェホ が契約満了で退団した。
一方で、齊藤隆成 と高橋祐治 、國領一平 、田村亮介 が期限付き移籍から復帰、名古屋から牟田雄祐 と本多勇喜 、柏から菅野孝憲 、松本から岩沼俊介 、甲府から堀米勇輝 、長崎からイ・ヨンジェ 、C大阪から染谷悠太 、千葉から佐藤健太郎 、横浜FMから矢島卓郎 、中国1部 ・江蘇国信舜天足球倶楽部 からエスクデロ競飛王 を完全移籍で、ブラジル3部 ・トンベンセFC からアンドレイ (前年はブラジル1部 ・SEパルメイラス に期限付き移籍)を期限付き移籍で獲得。名古屋などでスカウトを務めた小島卓 が強化担当で入団した。
開幕から4試合連続引き分けを含む5試合勝利なしで、第5節終了時には15位まで順位を下げるものの、第6節でシーズン初勝利を挙げてからの10試合で7勝2分1敗と躍進、第15節終了時にはプレーオフ圏内の5位に浮上する。その後はシーズン終了までプレーオフ圏内となる6位以上をキープしたものの、第18、26各節終了時の4位が最高で、J1自動昇格となる2位以上とは勝点で引き離されたまま5位でシーズンを終えた。3シーズンぶりに出場したJ1昇格プレーオフは、準決勝でC大阪と引き分け。規定により決勝進出はならなかった。
シーズン終了後、翌年まで契約が残っていた石丸清隆を監督から解任、コーチの平井直人 と古邊考功 、U-18監督の森岡隆三 も退任した。天皇杯は2回戦でC大阪に延長戦の末敗れた。
2017年
クラブスローガン :「Josho(上昇-常勝)魂 サンガノタメニ 」
監督に前柏ヘッドコーチの布部陽功 が就任。
矢島卓郎 が引退、山瀬功治 が福岡に、有田光希 が愛媛に、佐藤健太郎 が山口 に、國領一平 と岩沼俊介 が長野 に、三根和起 がヴァンラーレ八戸 に、和田篤紀 が韓国2部 ・ソウルイーランドFC に完全移籍、沼大希 が鳥取 に、山田元気 が山口に、齊藤隆成 が水戸 に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していたアンドレイ が期間満了で退団、永島悠史 が岐阜にした。
一方で、大黒将志 が期限付き移籍から復帰、名古屋 から望月嶺臣 (前年は山口に期限付き移籍)と小屋松知哉 、田中マルクス闘莉王 を、熊本 から永井建成 を、山形から伊東俊 、韓国1部・蔚山現代FC からハ・ソンミン を、韓国1部・仁川ユナイテッドFC からケヴィン・オリス を完全移籍で、柏から湯澤聖人 を期限付き移籍で獲得、東洋大学 から仙頭啓矢 、常葉大学 から大野耀平 、京都橘高校 から岩崎悠人 が入団した。
闘莉王等の獲得によりJ1昇格候補にも挙げられていたが、シーズンが始まると一時期はJ3降格圏内まで低迷、その後はDF登録の闘莉王がFWで15得点を挙げるなど奮起したがシーズン中1度も1桁順位に浮上することが出来ず最終順位は12位。天皇杯は初戦で沼津 に敗れた。
2018年
クラブスローガン :「団結心 」
布部体制2年目。小島卓 が強化部長に、前名古屋監督のジュロヴスキー がコーチに就任した。
高橋祐治 が鳥栖に、イ・ヨンジェ が岡山 に、齊藤隆成 が藤枝 に、内田恭兵 が長野、永井建成 がいわきFC に、伊東俊 が熊本に、高橋祐治 が鳥栖 に、ケヴィン・オリス がベルギー4部 (オランダ語版 ) ・KVVテス・スポルト・テッセンデルロー (オランダ語版 ) に、ハ・ソンミン が韓国1部 ・慶南FC に完全移籍、島村拓弥 が岐阜に、大黒将志 が栃木に、菅野孝憲 が札幌 に期限付き移籍、奈良クラブに期限付き移籍していた大西勇輝 が立命館大学 に進学、期限付き移籍で加入していた吉野恭平 と土屋征夫 、湯澤聖人 が期間満了により退団した。
一方で、荻野広大 と沼大希 、磐瀬剛 が期限付き移籍から復帰、札幌から増川隆洋 を、山口から宮城雅史 を、水戸から湯澤洋介 を、韓国1部・FCソウル からキム・チョルホ を完全移籍で、ウルグアイ1部 ・クルブ・プラサ・デ・デポルテス・コロニア からマティアス・カセラス とレンゾ・ロペス を、ブラジル・サンタカタリーナ州1部 ・CAメトロポリターノ からアレシャンドレ を期限付き移籍で獲得、U-18から若原智哉 が昇格、阪南大学 から重廣卓也 が入団した。
開幕から低迷し、10試合を終えた時点で1勝3分6敗でクラブ史上初のJ2最下位に転落[ 15] 。第13節は休養した布部に代わりコーチのボスコ・ジュロヴスキーが指揮を執った[ 16] 。5月11日、布部陽功の退任とジュロヴスキーの監督就任が発表された。第28節まで最下位で推移。第30節に残留圏内となる20位に上がり、以降は残留圏内を維持したが、最終順位はチーム史上最低の19位に終わった。シーズン終了後、11月18日に強化部長の小島、監督のジュロヴスキーがそれぞれ退任した。天皇杯は2回戦で金沢に延長戦の末敗れた。
2019年
クラブ設立25年目の節目のシーズン。中田一三 が監督に就任。
田村亮介 が福島 に、永島悠史 が岐阜 に、岩崎悠人 が札幌に、染谷悠太 が柏 に、カイオ がUAE 1部 ・エミレーツ・クラブ に、山田元気 が期限付き移籍先の山口に、大黒将志 が期限付き移籍先の栃木 に、テゲバジャーロ宮崎 に期限付き移籍していた沼大希 がオーストリア2部 ・SVホルン に、沼津 に期限付き移籍していた石田雅俊 が韓国2部 ・安山グリナースFC に完全移籍、キム・チョルホ が群馬 に、テゲバジャーロ宮崎に期限付き移籍していた荻野広大 と岐阜に期限付き移籍していた島村拓弥がブラジル2部 ・ロンドリーナEC に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していた庄司悦大 と呉少聰 、大久保剛志 、黒木恭平 、レンゾ・ロペス が期間満了により退団した。
一方で、エスクデロ競飛王 が期限付き移籍から復帰、ラジル・サンタカタリーナ州1部・フィゲイレンセFC からレナン・モッタ を、愛媛 から安藤淳 を、仙台 から庄司悦大 を札幌から宮吉拓実 を、大宮 から加藤順大 を完全移籍で、G大阪 から一美和成 を期限付き移籍で獲得、栃木から期限付き移籍で加入していたジュニーニョ と鹿児島ユナイテッドFC から期限付き移籍で加入していた黒木恭平 が完全移籍に移行、U-18から江川慶城 と上月壮一郎 、服部航平 が昇格、早稲田大学 から冨田康平 、関西学院大学 から中野克哉 、明治大学 から上夷克典 が入団した。
第22節から第24節まで首位に立ったが、8月以降に4連敗を喫した他、アウェイ戦でも2勝7敗と苦戦。最終節柏戦に勝利すれば得失点差次第でプレーオフ進出の可能性があったが、オルンガ に8得点を許すなど、従来記録(1998年のC大阪 1-9磐田 )を大幅に塗り替える13-1 と歴史的大敗を喫し、最終順位は8位に終わった[ 17] 。シーズン終了後、監督の中田一三とコーチのゲルト・エンゲルス が退任した。天皇杯は2回戦で水戸に敗れた。
2020年
新監督にコーチの實好礼忠 が就任。
田中マルクス闘莉王 と増川隆洋 が引退、下畠翔吾 と牟田雄祐 が岩手 に、望月嶺臣 がヴィアティン三重 に、小屋松知哉 と湯澤洋介 が鳥栖 に、仙頭啓矢 が横浜FM に、重廣卓也 が福岡 に、エスクデロ競飛王 が栃木 に、磐瀬剛 が期限付き移籍先の群馬に、菅野孝憲 が期限付き移籍先の札幌に、群馬に期限付き移籍していたキム・チョルホ が韓国3部 ・華城FC に完全移籍、大野耀平 が富山 に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していた一美和成と藤本淳吾 、中坂勇哉 が期間満了により退団した。
一方で、麻田将吾 と荻野広大、江川慶城、服部航平が期限付き移籍から復帰、浦和 から森脇良太 を、長崎 からヨルディ・バイス を、甲府 からピーター・ウタカ と曽根田穣 を、富山から太田岳志 を、磐田から荒木大吾 を、横浜FMから中川風希 と李忠成 を、湘南 から野田隆之介 を、清水から飯田貴敬 を、
本拠地をサンガスタジアム by KYOCERA に移した最初のシーズンとなったが、ホームでは前半戦9試合無敗(7勝2分)と圧倒的な強さを見せたものの、逆にアウェーでは12試合で僅か2勝(5分5敗)に留まったこともあり、前半戦終了時点では勝点34、首位北九州 に勝点差10の5位に留まった。後半戦に入るとホームでも5勝2分5敗と五分、アウェーでは2勝2分5敗で後半戦は勝点25と前半戦より勝点を挙げられず、年間では勝点59、最終順位は8位に終わった。新加入のピーター・ウタカ は22得点でクラブ3人目のJ2得点王を獲得した。シーズン終了後實好が退任した。
2021年
クラブスローガン :「一心 」
チームスローガン :「HUNT3 」
新監督に元湘南監督の曺貴裁 が就任。
安藤淳 と石櫃洋祐 が引退、上夷克典 が大分 に、黒木聖仁 が富山に、宮城雅史 が宮崎 に、江川慶城 がいわきFC に、金久保順 が水戸 に、ジュニーニョ が栃木に、荻野広大 がジェイリースFC に、服部航平 がFC.Bombonera に、加藤順大 がマッチャモーレ京都山城 に、レナン・モッタ がブラジル・サンパウロ州1部 ・AAポンチ・プレッタ に、C大阪 へ期限付き移籍していた島村拓弥 が今治 に、大野耀平 が期限付き移籍先の富山に完全移籍、中川風希 が過去在籍していた琉球 に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していた仙頭啓矢 が期間満了により退団した。
一方で、湘南から曺の教え子である松田天馬 と中川寛斗 、浦和から武富孝介 、岡山から武田将平 (前年は甲府に期限付き移籍)、鳥取から三沢直人 が完全移籍加入。札幌 から白井康介 、FC東京から木村誠二 、浦和から福島春樹 と荻原拓也 が期限付き移籍で加入した。U-18から中野桂太 が昇格、関西大学 から長井一真 が入団した。
曺は試合内容の良さよりも合理性を重視し、湘南監督時に使用していた「湘南スタイル」的な堅守速攻を使用した[ 18] [ 19] [ 20] [ 21] 。また2021年の京都はリヴァプールFC との類似性があり、フォーメーション 4-3-3・ゲーゲンプレス的なハイプレス・ハイライン・中央突破のショートカウンター・3ボランチのハードワークなどアグレッシブな戦術が顕著となった[ 22] 。その結果、第6節からの6連勝を含む15戦は無敗で、第15節終了時に3位から首位浮上すると同年のJ1昇格圏の2位以内に留まり続ける。第21節に磐田 に首位を明け渡したものの、後半戦も磐田と激しい首位争いを繰り広げ、5回首位が入れ替わった。しかし第31節長崎戦に敗れて首位を明け渡した後は首位に戻れず第38節の磐田との直接対決にも敗れてJ2優勝は逃した。しかし、その後も昇格圏内はキープし、11月28日の第41節千葉 戦の引き分けによって、曺貴裁就任1年目で2010年以来12シーズンぶりのJ1復帰を果たした。ウタカがリーグ2位の21得点、2019年から復帰していた宮吉が10得点を挙げたが、総得点ではリーグ8位タイの59に止まりながらリーグ最少の31失点の堅守が上位争いの原動力となった。
なお、シーズン途中には、木村誠二が期限付き移籍期間満了で退団、7月29日に谷内田哲平 が栃木 に期限付き移籍した一方、福島からイスマイラ が完全移籍で加入した。
2022年 - (J1)
2022年
クラブスローガン :「みんな輝け ~サンガに関わる全ての人々が"笑顔で生き生き"と~ 」
チームスローガン :「S Adventure 今、冒険が始まる 」
曺体制2年目。
ヨルディ・バイス が岡山 に、森脇良太 が愛媛 に、李忠成 がシンガポール1部 ・アルビレックス新潟シンガポール に、庄司悦大 が岐阜 に、中野克哉 が琉球 に、上月壮一郎 がドイツ・ミッテルライン地方リーグ(5部相当) (ドイツ語版 ) ・1.FCデューレン に、中川寛斗 が大分 に、野田隆之介 が琉球に、曽根田穣 が水戸 に、清水圭介 が大阪に、冨田康平 と琉球に期限付き移籍していた中川風希 が今治 に完全移籍、期限付き移籍で加入していた福島春樹 が期間満了により退団した。
一方で、12年ぶりJ1に向けて大型補強を敢行、群馬 から大前元紀 と松原修平 、名古屋 から山﨑凌吾 、C大阪 から豊川雄太 、岡山から井上黎生人 、甲府 からメンデス 、仙台 からアピアタウィア久 、徳島 から上福元直人 、山形 からマルティノス 、オランダ2部 ・アルメレ・シティFC からニュージーランド代表 のマイケル・ウッド を完全移籍で、浦和 から金子大毅 が期限付き移籍で獲得、札幌 から期限付き移籍で加入していた白井康介 が完全移籍に移行、法政大学 から田中和樹 が入団した。
前年のスタイルを維持し、開幕戦ではウタカのゴールで1-0と浦和 からJ1での12年ぶりの勝利を挙げる。序盤はウタカが3試合連続得点を挙げるなど4月終了時点でリーグトップの7得点の活躍を見せ、チームも第6節から第9節までの4試合を3勝1分と好調をキープ。第9節時点で5位と上位争いに絡む。しかし第10節以降は一転してなかなか勝ち星を挙げることができず、第16節では前年優勝クラブの川崎 に勝利したものの、後半戦は得点力不足が響いて徐々に順位を下げ、最終成績8勝12分14敗の16位でJ1参入プレーオフ にまわった。38失点はリーグ3位タイと前年からの持ち味の堅守をJ1でも発揮した一方、30得点はリーグワースト2位だった。プレーオフでは参入決定戦でJ2・4位の熊本 に1-1で引き分けてJ1残留を果たした。
12年ぶりに参戦したルヴァンカップ では、グループ首位でクラブ史上初のグループリーグ突破を果たしたが[ 23] [ 注釈 2] 、プレーオフステージで名古屋に連敗を喫して敗退した。
天皇杯 では高知ユナイテッドSC (高知県 代表)、清水、栃木 、東京V を破って11年ぶりに準決勝進出。サンガスタジアムでの天皇杯初開催となった準決勝では、広島 に延長戦の末に敗れて敗退となった。
なお、シーズン途中には、松原修平が札幌 に完全移籍した一方、サウジアラビア2部 ・アル・アダラーFC からアラン・カリウス を完全移籍で、鳥栖 から曺の流通経済大学 時代の教え子佐藤響 、ウクライナ1部 ・FCメタリスト・ハルキウ からパウリーニョ (2022年はブラジル1部 ・アメリカFC に期限付き移籍)を期限付き移籍で獲得した。8月18日には加藤久 が強化アカデミー本部長を退任し、クラブのブランドアンバサダーの安藤淳 が同職を退任して強化部長代理に就任した。
2023年
クラブスローガン :「超・感動 ~力を合わせ"今"を超える感動を~ 」
チームスローガン :「Rev up 高みへ 」
曺体制3年目。
ピーター・ウタカ と武富孝介 が甲府 に、大前元紀 が南葛SC に、チーム最古参本多勇喜 が神戸 に、上福元直人 が川崎 に、長井一真 が水戸に、中野桂太 が徳島 に完全移籍、田中和樹 が千葉 に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していた荻原拓也 が期間満了により退団した。また、チーフトレーナーの岩城孝次 も退団した。
一方、谷内田哲平 が期限付き移籍から復帰、G大阪 からパトリック 、町田 から平戸太貴 、大分 から三竿雄斗 、水戸から木下康介 、スウェーデン1部 ・IFKヨーテボリ からスリナム代表 のヴァルネル・ハーン 、徳島から2019年以来の復帰となる一美和成 が完全移籍で、広島からイヨハ理ヘンリー (前年は熊本に期限付き移籍)が期限付き移籍で加入、期限付き移籍にて加入していた金子大毅 と佐藤響 が完全移籍に移行、U-18から平賀大空 と植田悠太 が昇格、関西学院大学 の木村勇大 、明治大学 から福田心之助 が入団した。
リーグ戦は、無得点で開幕2連敗となるが、第3節FC東京 戦でシーズン初勝利を挙げると、第5節横浜FC 戦までJ1では21年ぶりとなる3連勝で一気に5位まで浮上する[ 24] 。しかし、その後は守備での勝負弱さが露呈し、2試合連続でオウンゴール での決勝点を献上するなど第11節川崎戦から6連敗。第17節新潟 戦で連敗を止めて前半戦を13位で折り返す[ 25] 。後半戦では名古屋 や広島など前半戦で苦戦した上位クラブからも勝利を挙げた一方[ 注釈 3] 、サマーブレイクや代表ウィーク によるリーグ戦の中断からの再開直後には得点が奪えず連敗してしまう傾向も目立ち、シーズン終盤には、第29節鳥栖 戦でアピアタウィア久 が試合終了間際の不適切な行為によって退場した直後に2失点して逆転負けを喫すると[ 26] 、3週間の代表ウィークを挟んで第31節まで3連敗。残留決定まであと1勝としながら足踏みが続き、残留争いに巻き込まれつつあったが[ 注釈 4] 、途中加入の原大智 の活躍もあって第33節の勝利で残留が確定。最終節でも前年優勝クラブの横浜FM に勝利して連勝でシーズンを終えた。前年(2連勝が1回)を大きく上回る4度の連勝(3連勝1回、2連勝3回)を記録した一方で引き分けはリーグ最少タイの4と連勝と連敗を繰り返すようなシーズンとなったが、最終成績12勝4分18敗の13位と前年からは順位、勝点ともに向上させた。
天皇杯は両チーム11人目までもつれたPK戦の末に2回戦で富山に敗退。ルヴァンカップはグループリーグ3位で敗退した。
なお、シーズン途中には、白井康介がFC東京に完全移籍、イスマイラ がモルドバ1部 ・FCシェリフ・ティラスポリ に、飯田貴敬 が大宮 に、木村勇大が金沢 に、マイケル・ウッド が甲府に期限付き移籍、契約更新のアナウンスがなかったマルティノス とメンデス が退団、その後、マルティノスはオランダ2部・TOPオス に、メンデスは千葉に加入した。一方でスペイン2部 ・デポルティーボ・アラベス から原大智(2022-23シーズン途中からはベルギー1部 ・シント=トロイデンVV に所属)が完全移籍で、札幌からク・ソンユン が期限付き移籍で加入した。
2024年
クラブスローガン :「共創 ~喜び・夢・感動をもっと~ 」
チームスローガン :「強く超える 進化、深化、真価。 」
曺体制4年目。
リーグ開幕戦では高卒ルーキーの安齋悠人 がアディショナルタイムに同点ゴールを決めて柏 と引き分け。高卒ルーキーがJ1開幕戦[ 注釈 5] でデビューしてプロ初得点を決めるのは1994年の城彰二 (市原 )、1998年の高原直泰 (磐田 )に続き史上3人目となる[ 27] 。第3節川崎F 戦でシーズン初勝利が挙げるが、その後は苦戦。4月に3連敗(第7-9節)を喫すると、第10節神戸 戦での勝利を挟んで5月にも5連敗(第11-15節)[ 28] 。第15節広島 戦では0-5で敗れるなど4試合連続で3失点以上を喫して最下位に転落した[ 28] 。前半戦はわずか3勝、特にホームでは開幕から7連敗を記録するなど低迷したが、6月に大熊清 がゼネラルマネージャー に就任し、夏の移籍期間でラファエル・エリアス や米本拓司 ら5人を獲得[ 28] [ 29] 。特にエリアスは加入当初から得点を量産し、原大智の復調やマルコ・トゥーリオ もチームにフィットしたことで、後半戦ではJ1屈指とも評される強力3トップを形成[ 30] 。後半戦最初の10試合を7勝2分1敗と大きく巻き返してJ1残留圏内に浮上した。エリアスは第28節C大阪戦のハットトリックを皮切りに第31節G大阪戦までクラブ新記録の4試合連続得点を記録[ 注釈 6] [ 31] [ 32] 。さらに、加入後10試合目となった第33節の神戸戦には10得点目を記録し、Jリーグでのデビューから2桁得点に要した試合数としては1994年のベンチーニョ (V川崎 )に並んで最速記録となった[ 33] 。その後はややペースダウンしたものの着実に勝ち点を積み重ね、第35節では前半戦で大敗した広島を破って首位から引きずり下ろすと[ 34] 、第36節川崎F戦に引き分けたことで3試合を残してクラブ史上初の3年連続のJ1残留が確定した[ 注釈 7] [ 35] 。最終成績は12勝11分15敗の14位。なお後半戦での勝ち点(33)はリーグ3位だった。
天皇杯も後半戦の勢いとともに大宮、清水、大分、千葉を破り2年ぶりにベスト4まで進出したが、優勝した神戸に準決勝で敗れて決勝進出を逃した。また、この年からJリーグ全カテゴリが参加する方式に変更されたルヴァンカップは長野に敗れて2回戦敗退となった。
2025年
クラブスローガン :「共有 Kyo & You 」
チームスローガン :「Brave and Breakthrough ~勇敢に、突き進む。~ 」
曺体制5年目。
成績
個人記録
リーグ戦通算出場上位
選手名
試合数
在籍期間
1
手島和希
242
1999 - 2005、2006 - 2009
2
宮吉拓実
241
2008 - 2014、2015、2019 - 2024
3
安藤淳
234
2006 - 2013、2019 - 2020
4
石櫃洋祐
230
2014 - 2020
5
中山博貴
221
2004 - 2015
6
平井直人
213
1997 - 2010
本多勇喜
2016 - 2022
8
斉藤大介
202
1999 - 2008
9
福岡慎平
195
2018 -
10
角田誠
191
2000 - 2003、2006、2007 - 2010
※2024年終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの出場試合数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)[ 36] 。
リーグ戦通算得点上位
選手名
得点数
在籍期間
1
パウリーニョ
66
2005 - 2009
2
黒部光昭
62
2000 - 2004
3
ピーター・ウタカ
52
2020 - 2022
4
大黒将志
48
2014 - 2015、2017
5
宮吉拓実
46
2008 - 2014、2015、2019 - 2024
6
田原豊
32
2002 - 2008
7
小屋松知哉
22
2017 - 2019
仙頭啓矢
2017 - 2019、2020
9
柳沢敦
21
2008 - 2010
三浦知良
1999 - 2000
中山博貴
2004 - 2015
※2024年終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの得点数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)[ 36] 。
カップ戦も含めた公式戦通算では、黒部光昭の70得点が最多となる。
ハットトリック
得点数
選手名
開催日
対戦クラブ
スタジアム
得点時間
J1[ 37]
3得点
黒崎比差支
1998年8月8日(1st第17節)
コンサドーレ札幌
西京極
49分 , 55分 , 89分
三浦知良
2000年11月23日(2nd第14節)
ヴェルディ川崎
37分 , 52分 , 89分
黒部光昭
2002年4月6日(1st第5節)
東京ヴェルディ1969
08分 , 46分 , 65分
2003年9月13日(2nd第5節)
セレッソ大阪
長居
39分 , 43分 , 57分
ラファエル・エリアス
2024年8月17日(第27節)
セレッソ大阪
ヨドコウ
12分 , 56分 , 64分
J2
4得点
ピーター・ウタカ
2020年8月8日(第10節)
モンテディオ山形
NDスタ
31分 , 37分 , 53分 , 87分
3得点
崔龍洙
2004年8月21日(第29節)
コンサドーレ札幌
西京極
68分 , 81分 , 89分
パウリーニョ
2005年10月1日(第34節)
モンテディオ山形
NDスタ
08分 , 78分 , 87分
アンドレ
2007年5月13日(第15節)
アビスパ福岡
博多球
35分 , 54分 , 66分
パウリーニョ
2007年6月6日(第22節)
ベガルタ仙台
福井
21分 , 55分 , 76分
久保裕也
2013年6月9日(第18節)
ロアッソ熊本
うまスタ
49分 , 64分 , 72分
大黒将志
2014年4月5日(第6節)
大分トリニータ
大銀ド
03分 , 30分 , 81分
2014年6月21日(第19節)
ロアッソ熊本
うまスタ
45分 , 55分 , 65分
田中マルクス闘莉王
2017年4月15日(第8節)
愛媛FC
西京極
52分 , 72分 , 90+2分
ピーター・ウタカ
2021年4月17日(第8節)
ギラヴァンツ北九州
サンガS
17分 , 23分 , 52分
天皇杯
3得点
宮吉拓実
2011年11月16日(3回戦)
モンテディオ山形
NDスタ
15分 , 44分 , 48分
タイトル
クラブ
個人別
スタジアム・練習場
ホームスタジアム
ホームスタジアムは、京都府が亀岡市 に建設した球技専用のサンガスタジアム by KYOCERA (京都府立京都スタジアム)。京都府が主導する球技専用スタジアム建設計画は建設規模や建設候補地の調整に時間がかかり、さらに亀岡への建設が決まっても天然記念物 かつ国内希少野生動植物種 であるアユモドキ の生息地であったことから設計が二転三転したが、2018年から工事着手した。2020年1月に竣工式が行われ、同年からホームスタジアムとして使用している。
2019年まではたけびしスタジアム京都 (京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)を使用していた。西京極はJリーグが定めるクラブライセンス でスタンドの屋根の占有率や、トイレ数などが充足していないが、西京極のライセンス充足化工事 の実施及び新スタジアムの建設が計画されていることを理由に、クラブに対するライセンス交付上の制裁は2015年度以後については行われなかった[ 38] [ 39] 。なお、ホームゲームではないものの、サンガスタジアム移転後も天皇杯では初戦にあたる2回戦は西京極で開催している[ 注釈 8] 。
その他の過去のホームゲーム開催スタジアムは「当項目 」を参照のこと。
練習場
1998年 より京都サンガF.C.東城陽グラウンド [ 1] (通称:サンガタウン城陽)を使用している。なお、クラブ創設当初は京都府立山城総合運動公園 (京都府 宇治市 )などの京都府及び滋賀県内のグラウンド、1995年から1997年まで「京セラ八日市総合グラウンド」(滋賀県 東近江市 )を使用していた[ 40] 。
ユニフォーム
ユニフォームの色
カラー
シャツ
パンツ
ストッキング
FP(1st)
紫
黒
紫
FP(2nd)
白×グレー
グレー
グレー
GK(1st)
水色
水色
水色
GK(2nd)
緑
緑
緑
チームカラー
ユニフォームスポンサー
掲出箇所
スポンサー名
表記
掲出年
備考
胸
京セラ
KyOCERa
1994年 -
1995年 - 2021年は「京セラ」表記
鎖骨
ワコール
WACOAL
2019年 -
右側に掲出 1996年 - 2006年は袖 2007年 - 2018年はユニフォームサプライヤー 2019年 - 2020年は「Wacoal」表記
堀場製作所
HORIBA
2020年 -
左側に掲出
背中上部
任天堂
任天堂
1994年 -
背中下部
KDDI
RESPECT YOU, au
2017年 -
2017年 - 2020年および 2021年 - 2022年2ndは「au」表記は「au」表記 2021年 - 2022年1stは「au 5G 」、
袖
京都銀行
京都銀行
2007年 -
パンツ前面
大和証券
大和証券
2002年4月 -
2002年 - 2005年2ndは「大和証券SMBC 」表記
パンツ背面
文化庁
Agency for Cultural Affairs ▶ moving to Kyoto 文化庁 京都へ
2023年 -
トレーニングウェア
KDDI(ロゴマークは2013年からau表記)、ニデック
スーツサプライヤー
ユニフォームサプライヤーの遍歴
1994年 - 1995年:プーマ
1996年:リーグ戦はミズノ 、カップ戦はプーマ
1997年 - 2002年:アンブロ
2003年 - 2006年:ミズノ
2007年 - 2018年:ワコール (2007年 - 2012年は「CW-X」、2013年 - 2018年は「Wacoal」表記)
2019年[ 42] - 現在:プーマ
歴代ユニフォーム
歴代ユニフォームスポンサー表記
スポンサー
アカデミー・育成
概要
育成組織(アカデミー)として、U-18、U-15、U-12SPコースを有する他、サッカースクールとして幼稚園・保育園在園児を対象とした「KIDSコース」、中学生、大人、女子、GK の4コースから構成される「クリニックコース」、小学2年生から6年生を対象とするプレミアコース・プレミアクラスも設置されている[ 41] 。また、U-18年代を対象とした「スカラーアスリートプロジェクト」も併せて運営している。
主な大会の結果・成績
出身選手
スカラーアスリートプロジェクト
2005年時点で育成組織専用の練習場などが無かったため、当時サンガの監督であった柱谷幸一 がサンフレッチェ広島のユースチーム と地元高校の連携を例に挙げて育成組織の改善をクラブ幹部に提案した[ 43] 。
2006年度から、産の京セラ 、学の立命館 、民のサンガが提携し、高校年代の生徒が勉学は立命館宇治高校 、練習は京都サンガF.C.東城陽グラウンドにある育成組織専用の照明を完備した人工芝グラウンドで、生活はサンガが建設した寮で行い、学費は立命館が、寮費・食費はサンガが全面的に負担する、「SCHOLAR-ATHLETE PROJECT (スカラーアスリートプロジェクト、以下SAP)」が開始された[ 44] 。2011年度にSAP開始以降初めて、SAP対象者がトップチームへ昇格した。
SP京都FCとの提携
2014年1月22日、SP京都FC (当時は佐川印刷京都)と選手育成、強化などを目的とする業務提携を締結した。業務提携の契約期間は2014年2月から2016年1月までであった。2014年は森岡隆三 (サンガ元コーチ)がSP京都FCのヘッドコーチに就任し、國領一平 および齊藤隆成 が育成型期限付き移籍で加入した[ 45] 。
エピソード
Jリーグ初の試合中止
1996年のJリーグカップ 、柏レイソル 戦(8月14日 、大分市営陸上競技場 =サンガ主催ゲーム)が台風 のため中止となったが、Jリーグ公式戦が中止となった初めてのケースである。
なお、代替試合は西京極が芝生の張替え工事中につき使用できなかったため、G大阪 の許可を得て、G大阪のホームスタジアムである万博記念競技場 で8月24日 に開催された。
五山送り火と同日のホームゲーム
毎年8月16日 の夜に、京都の夏を代表する風物詩として知られる「五山送り火 」が行われる[ 46] 。当日はネオンや照明灯などの灯火を自粛するよう京都市 から呼びかけが行われるため、サンガのホームゲームが重複する際は以下のような対応がとられた。
1997年のJリーグ
Jリーグ2ndステージ・第5節の横浜M戦が8月15日 に開催された(他クラブは8月16日開催)。なお、試合は1-4でサンガの敗戦。
2007年のJリーグ ディビジョン2
J2第34節の札幌戦が8月16日の17時20分キックオフの薄暮開催となった。なお、試合は2-3でサンガの敗戦。
守備放棄試合
メディア
KBS京都 (テレビ)
朝日放送 (ABC)
毎日放送 (テレビ)
KBS京都(ラジオ)
NHK京都放送局
J:COM 京都みやびじょん
Foot Style 京都(ホームゲームハイライトなどを放映)
α-STATION
決算
京都サンガの決算は、つぎのとおり。
損益
年度
収入
広告料
入場料
配分
その他
費用
事業費
人件費
管理費
利益
純利益
2005
2,058
1,308
245
153
352
1,830
1,435
N.A.
395
228
158
2006
2,230
1,447
334
251
198
2,120
1,738
1,072
382
110
47
2007
2,125
1,460
301
131
233
2,085
1,683
1,051
402
40
11
2008
2,502
1,571
450
233
248
2,505
2,095
1,334
410
-3
1
2009
2,416
1,515
419
227
255
2,596
2,216
1,503
380
-180
-248
2010
2,311
1,484
348
220
259
2,416
2,030
1,308
386
-105
-251
年度
収益
広告料
入場料
配分
育成
その他
費用
人件費
試合
トップ
育成
女子
販売
利益
純利益
2011
2,140
1,395
199
100
131
315
1,896
895
174
156
126
0
545
244
253
2012
2,039
1,354
250
89
129
217
1,521
591
134
166
126
0
504
518
297
2013
1,930
1,235
260
107
134
194
1,681
692
135
156
145
0
553
249
151
2014
1,761
1,136
229
100
138
158
1,667
695
128
155
129
0
560
94
61
2015
1,897
1,133
193
89
150
332
1,792
796
133
155
129
0
579
105
12
年度
収益
広告料
入場料
配分
育成
物販
その他
費用
人件費
試合
トップ
育成
女子
物販
販売
利益
純利益
2016
1,743
1,122
200
93
136
58
134
2,008
965
143
154
127
0
34
585
-265
-284
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
2016
金額の単位: 百万円
資産
年度
総資産
総負債
純資産
資本金
2005
1,000
787
213
3,605
2006
926
666
259
3,605
2007
822
552
270
3,605
2008
1,577
1,304
272
3,605
2009
1,154
1,131
23
3,605
2010
1,269
1,497
-228
3,605
2011
1,159
1,134
25
3,605
2012
1,314
992
322
3,605
2013
1,045
572
473
3,605
2014
1,037
503
535
3,605
2015
1,055
508
547
3,605
2016
765
502
263
3,605
脚注
注釈
^ 1993年9月に準会員申請をしたが、ホームスタジアムの整備などに問題があったため、11月の実行委員会・理事会では承認されず保留扱いとなった。
^ 最初からトーナメント形式でグループリーグを行わなかったシーズンもあるため、Jリーグカップにおける過去最高成績ではない。
^ 前半戦は自身(13位)よりも下位の5チームには無敗だった一方で上位相手には1勝11敗と苦戦したが、後半戦は前半に敗れた11チーム相手に6勝3分2敗と勝ち越した。
^ 2024年からJ1のクラブ数を20クラブに増やすため、2023年の降格は1クラブのみ。
^ J2以下のカテゴリーができる以前のJリーグも含む
^ 三浦知良 も1999年から2000年にかけてシーズンを跨いで4試合連続得点を記録しているが、同一シーズンではエリアスが最長となる。
^ 日程上は残り2節だが、京都及びこの時点で降格圏最上位の磐田は悪天候により延期した試合の振替日程が1試合残っていた。
^ 主管はクラブではなく京都府サッカー協会のため中立開催扱い。サンガスタジアム移転初年度の2020年 は、新型コロナウイルスの影響 で変則的な開催となったため不出場。2021年 は4回戦(ラウンド16)も開催。
出典
関連項目
外部リンク
京都サンガF.C.関連テンプレート スタッフ 選手
GK DF MF FW -
12 サポーター
83 パーサくん
510 コトノちゃん
関連項目
京都紫郊クラブ / 京都紫光クラブ
n/a ? - 1966
今大路仟 1967 - 1971
嶋谷征四郎 1972 - 1974
米沢研二 1975 - 1976
嶋谷征四郎 1977 - 1979
板谷照夫 1980 - 1981
江見敏夫 1982
木村文治 1983 - 1990
来栖孝治 1991 - 1992
高間武 1993
京都パープルサンガ / 京都サンガF.C.
美濃部直彦 2006.10 - 2007.10
加藤久 2007.10 - 2010.7
秋田豊 2010.7 - 2010.12
大木武 2011 - 2013
バドゥ 2014 - 2014.6
森下仁志 (代行) 2014.6
川勝良一 2014.6 - 2014.12
和田昌裕 2015 - 2015.7
獲得タイトル
†は中止となった大会 1920年代 1930年代 1940年代
第20回(1940) 慶應BRB
第21回(1941) †
第22回(1942) †
第23回(1943) †
第24回(1944) †
第25回(1945) †
第26回(1946) 東大LB
第27回(1947) †
第28回(1948) †
第29回(1949) 東大LB
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
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