原口元気
原口 元気(はらぐち げんき、1991年5月9日 - )は、埼玉県熊谷市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード、ディフェンダー。元日本代表。 来歴プロ入り前江南南サッカー少年団の主力選手として2003年の第27回JFA 全日本U-12サッカー選手権大会で優勝に貢献。その同年に行われたJFA 全日本U-12フットサル選手権大会に出場、決勝では6ゴール7アシストと全ゴールに絡む活躍で兵庫FCを圧倒し優勝二冠を手にした。中学進学とともに浦和レッズジュニアユースに所属。その後、飛び級でユースに昇格した。 ユースチーム昇格1年目からJサテライトリーグの試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。トップチームへの登録がスポーツ新聞で取りざたされたり、浦和の提携先であるFCバイエルン・ミュンヘンからオファーを受けるなど動向が注目されていたが、2008年5月23日付けで2種登録選手としてトップ登録された[1]。そして、5月25日のナビスコカップ・名古屋グランパス戦で公式戦デビューを飾った。これは、バイエルンのオファーに危機感を持ったフロントの意向もあったとされる[2]。10月13日、高円宮杯第19回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会決勝の名古屋グランパスU-18戦に出場。1得点2アシストを挙げ、優勝に貢献した。また、AFC U-19選手権2008に出場するU-19日本代表に選出され、1試合に出場している。ユース時代は主に3トップの左ウィングとして起用されていた。 浦和レッズ2009年1月30日に浦和とプロ契約を締結[3]。これは日本人でクラブ史上最年少(エスクデロ・セルヒオは17歳ちょうどで契約したが、その時はまだ日本に帰化する前であった)。2009年シーズンは開幕戦の3月7日・鹿島アントラーズ戦でスタメンを飾りJリーグ初出場を果たすと、4月12日の第5節・名古屋グランパス戦において負傷した田中達也と交代で途中出場。クラブ日本人最年少ゴール(17歳11か月3日)を決めた。その後、田中や梅崎司を怪我で欠くチーム事情もあり、スタメンに定着し、チーム2位となる32試合に出場した(1位は全34試合に出場した阿部勇樹)。4月27日にはリーグ史上4番目の若さ(森本貴幸、阿部勇樹、稲本潤一に次ぐ)でA契約を結んだ。推定年俸は700万円。 2010年は開幕からしばらくは攻撃的なポジションの選手の層が厚かった影響で途中出場が多かったが、第10節・名古屋グランパス戦で負傷した田中達也との交代で途中出場し今季初ゴールとなる決勝点を記録[4]。その後は故障者が多かったこともあり、スタメン出場も増えていったが、終盤戦は故障者の負傷が癒え好調を維持していた高橋峻希にスタメンの座を譲ることが多くなり、ベンチを暖めることが多かった。 2011年は開幕からレギュラーに定着し、低迷するチームの中でコンスタントに得点を重ねる。この年、チームが残留争いに巻き込まれる中、後半戦は代表招集やほとんどの試合をフル出場する中でコンディションを落としてあまり目立った活躍はできなかったものの、リーグ戦トータルではチームトップの9得点を挙げ、ナビスコカップニューヒーロー賞を受賞した。 2012年はベンチスタートが多かったが、J1第14節・ガンバ大阪戦からスタメンに定着する。不慣れな1トップでの起用が多く、公式戦6得点に終わる。2013年は主にシャドーの位置で出場、初めてリーグ戦で2桁得点を記録。2014年からは、福田正博や永井雄一郎がつけていた背番号「9」を背負うことになった[5]。 ヘルタ・ベルリン2014年5月25日、ドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへ完全移籍することが発表された[6]。契約期間は2014年6月から4年間。公式戦デビューとなったDFBポカール1回戦のSCフォルトゥナ・ケルン戦で、左MFに先発して移籍後初ゴールを挙げた。8月24日のブンデスリーガ開幕節・ヴェルダー・ブレーメン戦でスタメン出場し、2得点に絡む活躍を見せたが[7]、終了間際に相手からのタックルにより右肩関節を負傷し、3週間離脱[8]。2015年3月14日、ブンデスリーガ第25節・シャルケ04戦に途中出場し、ブンデスリーガ初ゴールをあげた。また、リーグ戦終盤にかけて監督の信頼を勝ち取り、献身的な動きでサイドのレギュラーを獲得した[9]。 2015-16年は第4節・VfBシュトゥットガルト戦で今シーズン初得点をあげた。2016年3月19日の第27節・FCインゴルシュタット04戦では1得点1アシストの活躍を見せてMOMに選出された。 2016-17年は第2節のインゴルシュタット戦で先発出場し、2アシストの活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選出された。その後もリーグ戦第9節までフル出場していたが、第11節で初めて先発を外されて以来、ベンチスタートが増えていく。2月4日、第19節のインゴルシュタット戦では開始59秒でシーズン初得点を決め、再び先発出場する機会を増やすが、終盤は思ったような結果が残せず、再び出場機会は減っていった[10]。シーズン後半の不調をパル・ダルダイ監督は、ライバルであるミッチェル・ヴァイザーの復帰による『過剰なモチベーション』にあると分析した[11]。 2017-18年はシーズン開幕前はヘルタとの契約を延長せずに、以前からプレーすることを希望していたプレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCへ移籍する可能性が高いと報道されていたが、結局ヘルタに残留してプレーすることを決断[12]。8月19日のブンデスリーガ開幕節・シュトゥットガルト戦にて後半から途中出場し、シーズン初出場を果たす。9月14日の欧州EL・アスレティック・ビルバオ戦で途中出場してELデビューを果たした。9月20日、ブンデスリーガ第5節・バイエル・レバークーゼン戦で途中出場を果たし、ヘルタでの公式戦100試合出場を達成した[13]。10月1日のブンデスリーガ第7節・バイエルン戦で今季初スタメン出場を果たすと、ジェローム・ボアテング、ヨシュア・キミッヒ、マッツ・フンメルスらドイツ代表3人を抜き去り今季初アシストを記録し、MOMとベストイレブンに選出された[14]。しかし、次戦のシャルケ戦でボールロストした直後、シャルケのギド・ブルクシュタラーに対して危険なタックルを見舞い一発退場。2試合の試合出場停止処分を受け、その後は出場機会を急激に減らした[15]。 フォルトゥナ・デュッセルドルフ2018年1月23日、フォルトゥナ・デュッセルドルフへのレンタル移籍が発表された[16]。1月24日の第19節・FCエルツゲビルゲ・アウエ戦で途中出場からさっそくデビューを果たした[17]。1月27日、アウェーの1.FCカイザースラウテルン戦でスタメンフル出場を果たし、1ゴール1アシストの活躍でチームを勝利に導き、MOMに選出された。2月2日の第21節・SVザントハウゼン戦にて2戦連続となるアシストを記録するも、相手選手と激突し頭部を強打。リーグ戦3試合の休養を強いられた[18]。3月4日の第25節・FCザンクトパウリ戦にて復帰するとその後もレギュラーポジションを掴み、13試合1ゴール5アシストの結果を残し、チームの1部昇格に貢献した[19]。 ハノーファー962018年6月12日、ハノーファー96へ2021年6月までの3年契約で完全移籍することが発表された[20]。背番号は「10」。11月25日、アウェーのボルシア・メンヒェングラートバッハ戦で途中出場を果たし、ブンデス1部通算100試合出場を達成した[21]。 2019年3月10日、雪の中で行われた第28節のレバークーゼン戦では、相手GKをかわして無人のゴールへシュートしたが、ピッチに積もった雪の影響によりゴール目前でボールが急激に減速し、それをDFがクリア。不運な形で移籍後初ゴールを逃してしまった。このシーンは、ブンデスリーガ公式Youtubeチャンネルの特集動画『昨シーズンの「トップ10ミス」』の1位に選ばれ、コメント欄には原口に対して同情のコメントが寄せられた[22]。この不運もありこのシーズンは無得点で終え、チームも2部に降格した。11月25日の第14節・SVダルムシュタット98戦で移籍後初ゴールを決めた[23]。 2021年1月24日の第17節・1.FCニュルンベルク戦でゴールを決め、MOMと17節のベストイレブン・MVPに選ばれた[24]。ブンデスリーガ2部前半戦を終えた時点で、ロングレンジから決めたゴール数がリーグ単独最多となった[25]。リーグ戦全34試合にスタメン出場し、9ゴール7アシストを記録した。5月24日、契約満了により退団することが発表された[26]。 1.FCウニオン・ベルリン2021年5月27日、1.FCウニオン・ベルリンへ完全移籍することが発表された[27]。背番号は「24」。12月には、ドイツビルド紙で前半戦チームMVPにも選ばれた。2022年2月26日の第24節・1.FSVマインツ05戦で移籍後初となる先制ゴールを決め、勝利に貢献した[28]。シーズン通してインサイドハーフとしてレギュラーに定着し、最終的にはリーグ戦30試合で2ゴール6アシストを記録。5位フィニッシュでクラブ史上初のUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献した。 VfBシュトゥットガルト2023年1月30日、VfBシュトゥットガルトへ2024年6月30日までの契約で完全移籍することが発表された[29]。背番号は「17」。 2024年5月18日、リーグ戦最終節のボルシアMG戦後に今季限りでの退団が発表された[30]。 浦和レッズ復帰2024年9月1日、浦和レッズへ完全移籍で加入することが発表された[31]。10年ぶりの復帰となり[32]、背番号は「78」(長男の誕生日である7月8日にちなむ)となった[33]。同月14日のJ1第30節・ガンバ大阪戦に出場し、チームの勝利に貢献した。 日本代表2011年10月7日、キリンチャレンジカップ・ベトナム戦で日本代表初出場。 しかし、2012年ロンドンオリンピック大会メンバーからは落選した。 2015年6月、約2年ぶりに日本代表に招集され、6月11日に行われたイラク戦で日本代表初ゴールを決めた。 2016年3月29日、W杯2次予選のシリア戦ではボランチで起用されて1得点を決めて結果を出した。W杯最終予選ではタイ戦、イラク戦、オーストラリア戦、サウジアラビア戦で連続ゴールを決め、三浦知良や呂比須ワグナーの記録を塗り替えるW杯最終予選としては史上初となる4試合連続得点を記録した[34]。 2018年6月、ロシアワールドカップメンバーに選出。右サイドハーフのレギュラーとして攻守にわたり、豊富な運動量[35] でチームのベスト16進出に貢献。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、先制点となる自身W杯初ゴールを挙げた。この得点により日本人で初めて決勝トーナメントで得点を挙げた選手となった[36]。11月20日、キリンチャレンジカップ・キルギス戦で直接FKを決め勝利に貢献した[37]。 2019年11月14日、W杯2次予選のキルギス戦で直接FKを決め勝利に貢献した[38]。 以降コンスタントに出場機会を得ていたものの、目立った結果を中々出せず、熾烈なレギュラー争いから出場機会も限られるようになり、2022年11月、カタールワールドカップに向けた日本代表メンバー発表では、大迫勇也と共に落選となった。 人物
所属クラブ
個人成績
その他の国際公式戦
タイトルクラブ
代表
個人代表・選抜歴出場大会
試合数
出場
ゴール
脚注
関連項目外部リンク
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