2009年の日本競馬(2009ねんのにほんけいば)では、2009年(平成21年)の日本競馬界についてまとめる。
2008年の日本競馬 - 2009年の日本競馬 - 2010年の日本競馬
できごと
1月
- 11日 - 京都競馬第3競走で、15番人気の馬が3着に入線し、複勝式の配当がJRA史上最高配当となる1万2280円を記録。これまでの最高は1980年11月15日に京都競馬第2競走で記録した1万1680円で、29年ぶりの記録更新[1]。
- 17日 - 京都競馬第1競走で、熊沢重文(栗東)がJRA通算1万2000回騎乗を達成[2]。
- 18日 - 中山競馬第11競走(京成杯)で騎手の吉田隼人(美浦)が騎乗馬の故障のあおりを受け落馬。馬は安楽死、吉田は負傷[3] 。
- 23日 - JBC実行委員会において、2010年のJBC競走を船橋競馬場で開催すると発表。船橋では初開催。また同年のJBCスプリントは距離1000mで施行することも合わせて発表[4]。
2月
- 1日 - 京都競馬第1競走で、渡辺薫彦(栗東)が5位入線後に落馬。右鎖骨骨折と診断され、その後の競走は騎手変更に[5]。
- 4日 - 船橋競馬第7競走で、1着から5番人気→10番人気→7番人気の順で入線し、三連単の配当が1911万円を記録。2005年10月22日に東京競馬第12競走で記録した1846万9120円を抜き、公営競馬史上最高額配当を更新(的中はSPAT4による1票のみ)[6]。
- 12日 - 2009年度のJRAの新規騎手及び調教師免許試験の合格者を発表。5名の騎手はいずれも競馬学校卒業生で、この中には国分恭介・優作の双子の兄弟が含まれている。双子騎手の誕生は1996年の柴田大知・未崎兄弟以来13年ぶり。また調教師は6名で、いずれも調教助手からの転身。新規騎手・調教師共に3月1日付での免許発効[7]。
- 18日 - 2008年の有馬記念を牝馬として37年ぶりに制したダイワスカーレットが競走馬登録を抹消。今後は繁殖入り[8]。
3月
- 1日
- 小倉競馬第1競走で、この日デビューしたばかりの新人騎手・松山弘平(栗東)が初騎乗初勝利を達成し、自身19回目の誕生日を飾る。初騎乗初勝利は2008年の内田博幸(美浦、内田はJRA移籍後初騎乗初勝利)以来史上44人目。更に松山は第9競走でも勝利を挙げた[9]。
- 1987年の東京優駿を制したメリーナイスが、北海道浦河町内の牧場で病気のため死亡[10]。
- 9日 - JRAは新しいマークカード「ライトカード」を導入すると発表。これは既存の緑色のマークカードをベースに、文字の拡大、文字及び数字の下にマークする方式に変更するなど視認性に配慮。4月25日にウインズ米子で先行導入し、5月23日に全国に拡大した[11]。この他には中山競馬場にハイビジョンに対応した新型ターフビジョンを設置すること[12]や、今夏の開催から各競馬場のダートコースの砂の厚さを一律9cmにすること[13]などを発表。
- 14日 - 中山競馬は強風の影響により第1競走から第9競走までの発走時刻を最大60分繰り下げて施行。
4月
- 3日 - 午前6時35分頃、美浦トレーニングセンター内の厩舎で調教師の蛯名信広が調教中の馬に胸部を強く蹴られ、美浦村内の病院に搬送されたが約3時間後に死亡(56歳没)。調教中による調教師の死亡事故はJRA史上初。死因は強く蹴られたことによる心肺停止[14][15]。
- 4日 - 3月26日に行われた名古屋競馬第1競走で、2位に入線した3歳牡馬(塚田隆男厩舎)から禁止薬物の「カフェイン」が検出されたことが明らかとなり[16] 、愛知県競馬組合は4月11日、ホームページ上で謝罪すると共に同馬を4月24日まで出走停止にする処分を行った[17]。
- 12日 - 第69回桜花賞(GI)で騎手の安藤勝己(栗東)が勝利。49歳16日の安藤勝はクラシック史上最年長勝利記録を69年ぶりに更新[18]。
- 20日 - この日の大井競馬で第4競走と第6競走に出走予定だった同じ厩舎の競走馬2頭が、輸入された牧草の中に清涼飲料水の缶が一緒に圧縮されているのが見つかり、缶から牧草の中に禁止薬物が浸透した可能性があったため、公正保持のため出走取消に[19]。
- 24日 - 岩手競馬は、5月16日から始まる盛岡開催から騎手の成績に応じてハンデを決める「騎手ハンデ制」を導入すると発表。騎手によるハンデ制を導入するのは日本初[20]。
- 26日 - 京都競馬第11競走(アンタレスステークス)でウォータクティクス(JRA)が勝利し、馬主のサンデーレーシングは6週連続重賞競走勝利のJRA新記録をマーク[21]。
5月
- 4日 - アジア競馬連盟の会長にJRA統括監の佐藤浩二が就任したことを発表。日本からアジア競馬連盟会長が就任するのは史上初[22]。
- 6日 - 屈腱炎を克服して前年のジャパンカップダート、東京大賞典及び今年の川崎記念を制したカネヒキリが左第3指骨を骨折していたことが判明。全治は不明。同馬は前日の5日に船橋競馬場で行われたかしわ記念で1番人気に支持されたが2着に終わっていた[23]。
- 10日 - 第14回NHKマイルカップ(GI)で第8位入線のサンカルロが第4コーナーでアイアンルックの走行を妨害し、更に最後の直線走路でダイワプリベールの走行を妨害したため第18着に降着。鞍上の吉田豊(美浦)はこれら二つの件でJRA史上初となる合わせて開催日8日間の騎乗停止処分[24]。
- 17日 - 第4回ヴィクトリアマイル(GI)でウオッカ(JRA)が優勝し、GI・JpnI競走5勝目を達成。牝馬によるGI・JpnI競走5勝はメジロドーベルに並ぶタイ記録。また獲得賞金の総額が牝馬歴代1位となる約8億8740万円を記録。また鞍上の武豊(栗東)は22年連続GI・JpnI競走勝利を達成[25]。
- 23日 - 東京競馬第4競走(障害戦)で、エイシンボストンが3分36秒2のレコードタイムで1着に入線したが、その後発馬機の設置位置が本来の位置より15m短い位置に誤って設置していたことが判明。JRAはホームページ上で謝罪すると同時にレコードタイムを取り消すなどの措置を実施[26]。
- 25日 - JRA小倉競馬場と韓国・釜山慶南競馬場が姉妹競馬場の締結に調印[27]。
6月
- 12日 - JRAは現在函館、米子など全国10地区で行われているエンドレス式テレホンサービスを7月8日で終了すると発表。以後は全国共通の番号に統一[28]。
- 13日 - 帯広競馬は雨の影響でコースが冠水したため開催中止。代替開催は3日後の16日に実施[29]。
- 27日 - 阪神競馬第4競走で武豊が阪神競馬場通算1000勝を達成。なお武は京都競馬場でも2008年5月10日に同競馬場通算1000勝を達成[30]。
7月
- 4日 - 福島競馬場に入厩していた美浦・畠山吉宏厩舎の2頭が、厩務員のミスでカイバに飼料添加物を加えるところを誤って洗濯用の粉末洗剤を混入させ、2頭がそれを食べた可能性があったため、2頭が出走する予定だった4日と5日のレースは共に出走取消。畠山は注意義務を怠ったとして過怠金3万円の処分[31]。
- 8日 - 門別競馬は集中豪雨による馬場冠水により開催中止(代替開催は実施せず)。なお大井で行われた第11回ジャパンダートダービーほか1競走の場外発売は予定通り実施[32]。
- 11日 - 福島競馬第5競走で、江田照男(美浦)がJRA史上20人目(現役騎手12人目)となる通算1万回騎乗を達成[33]。
- 19日 - 札幌競馬第12競走の第4コーナーで、トーセンバサラが故障を発生し転倒したのをきっかけに、その後方にいたデルマビーナス、シャドウランズ、ピエナミッチーの3頭が落馬し競走中止。これによりトーセンバサラは予後不良。また古川吉洋(栗東)は右腓骨骨折、北村友一(栗東)は左上腕骨骨折の負傷、梶晃啓(美浦)も右前腕擦過傷を負った、[34]。
- 22日 - 栗東トレーニングセンターの坂路コースは、前日からの豪雨によりウッドチップが馬場の外側に流された影響により「安全な調教ができない」と判断され閉鎖。豪雨による閉鎖は1985年に坂路が開設されて以来初めて[35]。
- 24日 - 高知競馬で、日本で初めてとなる「通年ナイター競馬」がスタート[36]。
- 27日 - 帯広競馬は大雨の影響により第11競走及び第12競走を中止[37]。
8月
- 5日 - JRAは地方競馬所属騎手がJRAの騎手免許試験を受験する場合の試験要項を一部見直し。主な変更点は「学力のうち、馬学、衛生学などの基本項目を外す代わりに地方と中央のルールの違いなど、中央競馬の騎手として必要な事項について課す」「過去5年で中央で年間20勝以上した者の一次試験免除を廃止し、技術試験免除を除き同一の試験内容とし、更に過去5年を直近5年に変更」など。新要項は2010年度の試験から適用される[38]。
- 9日
- 12日
- ブラックエンブレム(JRA)がこの日の調教中に鼻出血を発症した影響により引退。今後は繁殖入り[41](その後8月14日付で競走馬登録抹消[42])。
- 8月8日に英国・アスコット競馬場で競走中にムチの不適切使用で現地の裁決委員から騎乗停止処分を受けた内田博幸[43]について、裁決委員会は8月22日から30日まで開催日4日間の騎乗停止とすることを発表。奇しくも、現地で言い渡された騎乗停止期間と同じ期間となった[44]。
- 13日 - ヴィクトリー(JRA)が競走馬登録を抹消。今後は種牡馬入り[45]。
- 19日 - ディープスカイ(JRA)が左前浅屈腱炎のため現役引退。今後は種牡馬入り[46] 。
- 20日 - ピンクカメオ(JRA)が競走馬登録を抹消。今後は繁殖入り[47]。
- 23日 - 第45回札幌記念にブエナビスタが出走したが2着に敗れ、目標としていた凱旋門賞への出走を断念。陣営はスティルインラブ以来となる国内3歳三冠を目指す方針に転換[48]。
9月
- 3日 - 白毛馬で初の交流重賞を果たしたユキチャン(JRA)が競走馬登録を抹消。南関東・川崎の山崎尋美厩舎へ移籍[49] 。
- 10日 - 9月13日に新潟競馬第4競走で施行予定だった3歳未勝利戦(芝2400m)は出走申込馬が3頭しかなく、施行条件(5頭以上、3歳未勝利戦は6頭以上)に満たなかったため不成立。これにより、第1競走の発走時刻は10時20分に繰り下がり、メーンレースの魚沼特別は第10競走に変更。不成立での競走数が減ったのは1986年8月31日の新潟競馬8日目以来[50]。
- 12日
- 英国遠征中の三浦皇成(美浦)がフォスラス競馬場で行われたトートスポートコムハンデキャップで1着となり、海外遠征初騎乗初勝利を達成[51]。
- 大井所属の御神本訓史が、大井競馬場の騎手調整ルームの入室後に無断で外出したとして、9月13日から25日まで実効10日間の騎乗停止処分[52]。
- 15日
- 18日 - 1983年の有馬記念を制したリードホーユー(JRA)が、繋養先の北海道別海町の野付ライディングファームで球節骨折を発症したことにより安楽死措置[56]。
- 20日 - 中山競馬第4競走で、蛯名正義(美浦)がJRA史上7人目(現役騎手5人目)となる通算1万4000回騎乗を達成[57]。
- 26日 - 2008年スプリンターズステークス優勝馬のスリープレスナイト(JRA)が左前淺屈腱炎を発症したことより引退。今後は繁殖入り(その後10月1日付で競走馬登録を抹消)[58]。
- 27日 - 福山競馬場で日本競馬における最後のアラブ系限定競走「開設60周年記念アラブ特別レジェンド賞」が行われ、ザラストアラビアンが優勝[59]。
- 28日 - 栗東トレーニングセンターで造成が進められていたニューポリトラックによる調教コースが完成。武豊、佐藤哲三、渡辺薫彦、福永祐一各騎手を招いての試走会を実施。その後10月2日に正式オープン。なお美浦トレセンは既に2007年11月に導入されている[60]。
10月
- 4日 - 阪神競馬第11競走(道頓堀ステークス)で5位に入線したオディール(JRA)が競走中に第一指関節の開放性脱臼を発症。予後不良と判断され安楽死の措置[61]。
- 11日
- 第60回毎日王冠(GII)でウオッカが2位に入線し賞金2600万円を獲得。牝馬で初めてとなるJRA通算獲得賞金10億円を突破[62]。
- 京都競馬第1競走で、1着から12番人気→3番人気→15番人気の順で入線し、三連単式の配当が京都競馬史上2位(JRA全体では歴代8位)となる847万8840円を記録。またワイドが京都競馬史上1位となる10万2120円、三連複が京都競馬史上2位となる152万2290円をそれぞれ記録する大波乱[63]。
- 17日 - JRAは、12月27日までのGI競走施行週限定でコンピューターが自動的に選択して発券する「JRAクイックピック投票」をGI競走が行われる競馬場の専用窓口で試験運用を開始[64]。
- 18日
- 京都競馬第6競走の若手騎手限定競走で、当初騎乗予定だった高井彰大(栗東)が前日の落馬負傷により赤木高太郎(栗東)に乗り替わり。これは他に基準(免許取得後7年未満で100勝以下)を満たす騎手がいなかったための措置[65]。
- 第14回秋華賞(GI)で、牝馬三冠を狙ったブエナビスタが第2位に入線したが、第4コーナーで第3位入線のブロードストリートの走行を妨害し第3着に降着。鞍上の安藤勝己は10月24日から11月1日まで開催日4日間の騎乗停止処分[66]。
- 29日 - 笠松競馬場で行われた第33回岐阜金賞(SPI)で、1着から10番人気→6番人気→9番人気の順に入線したが、三連単式馬券の的中者がおらず、同式馬券を購入した全員に対して特払い70円の払い戻しとなる珍事[67]。
11月
- 3日 - 第9回JBCスプリント(JpnI)に出走し3着となったリミットレスビッド(JRA)がレース終了後に引退し、韓国で種牡馬入りすることが明らかとなったが[68]、実際は翌年も現役を続行。
- 12日 - JRAは、11月1日の第140回天皇賞・秋を制したカンパニー(JRA)が、11月22日の第26回マイルチャンピオンシップ(GI)を最後に引退することを発表。今後は種牡馬入りする予定[69]。
- 18日 - JRAは、2011年度から指定する5つのレースの単勝を的中させる「5重勝単勝式」をインターネットによる限定発売で導入すると発表。具体的な導入時期や内容などについては今後検討される[70]。
- 29日 - ジャパンカップ(GI)で第1位入線のウオッカ、第18位入線のヤマニンキングリーがそれぞれ競走中に鼻出血を発症したため、日本中央競馬会番組一般事項第2章のその11の規定により、ウオッカは1か月、ヤマニンキングリーは2か月の出馬登録停止措置[71][72]。
12月
- 1日 - 美浦所属の24歳の騎手が、美浦トレーニングセンター内の同じ騎手寮に住む同僚騎手のスニーカーを盗んだ窃盗容疑により茨城県警稲敷署に逮捕。これを受け、JRAは12月1日から裁定委員会の議定があるまでこの騎手を騎乗停止処分に。なおこの騎手は容疑を否認[73]。
- 4日 - 2008年ジャパンカップ優勝馬のスクリーンヒーロー(JRA)が左前浅屈腱炎を発症。全治まで最低9か月を要する見込みと診断されたため[74]、12月9日に競走馬登録を抹消。今後は種牡馬入り[75]。
- 6日 - 阪神競馬第4競走の最後の直線走路で、第3位入線のセイルラージがサンライズモールの走行を妨害したため第11着に降着。鞍上のクリストフ・ルメールは12月13日から12月26日まで開催日4日間の騎乗停止処分を受けたが、前日にも開催日1日の騎乗停止処分を受けており、計5日間の騎乗停止となり、参加を予定していた香港・シャティン競馬場での香港国際競走は騎乗不可となった[76]。またこの競走では1着から17番人気→7番人気→10番人気(前述の降着により第4位から繰り上げ)の順で入線し、三連単の配当が772万8090円、三連複の配当も102万3740円といずれも阪神競馬史上1位となる大波乱[77]。
- 8日 - 調教師の角居勝彦(栗東)は管理馬のウオッカについて、来年3月27日にドバイで行われるドバイワールドカップを最後に引退し、繁殖馬入りすることを明らかにした[78]。
- 13日 - 香港国際競走(国際GI)がシャティン競馬場で行われたが、香港ヴァーズのジャガーメイルの4着が最高で、香港スプリントのローレルゲレイロは13着、香港カップのクィーンスプマンテは最下位の10着に終わった[79]。
- 20日
- 中京競馬第3競走で5頭が落馬するアクシデント。第3コーナーでコヅルが骨折を発症し転倒したのをきっかけに、後に続いていたサンマルハッピーがコヅルに接触して転倒。またハッピーネーションもコヅルに接触し鞍上の国分恭介が落馬。更にリヒターとナイスアカシアが先に転倒したサンマルハッピーに接触して騎手が落馬した。この事故でコヅルは予後不良、サンマルハッピーも頸椎骨折で死亡、騎手では丸田恭介(美浦)と中村将之(栗東)が豊明市内の病院へ搬送され以後の競走が乗り替わりになった他、津村明秀(美浦)も第7競走まで騎乗を続けたが、第8競走以降は乗り替わりとなった[80]。
- 中山競馬第10競走で、内田博幸がJRA年間最多騎乗回数を更新する953回を記録。これまでの記録は2006年に岩田康誠(栗東)が記録した952回。なお内田は第11競走及び第12競走にも騎乗し、年間騎乗回数を955回とした[81]。
- 金沢競馬は降雪の影響により開催中止。これにより開催日程が1日順延され12月21日から12月24日までとなった[82]。
- 21日
- JRAは、20年以上にわたって使用してきたGIを含めた重賞競走の本馬場入場曲を、2010年の開催から作曲家・岩代太郎による楽曲に変更すると発表[83]。
- 金沢競馬は前日に続き、雪の影響により開催中止。これに伴い、開催日程が更に1日順延され12月22日から25日となった[84]。
- 26日 - 阪神競馬第3競走で、1着から6番人気→9番人気→17番人気の順で入線し、三連単式の配当が阪神競馬史上1位(JRA全体では史上3位)となる1184万9250円を記録。また三連複式の配当も阪神競馬史上1位となる177万4500円を記録する大波乱[85]。
- 27日 - 中央競馬の全日程が終了。リーディングジョッキーは146勝を挙げた内田博幸が初の栄冠。内田は南関東・大井時代にも4年連続でリーディングジョッキーに輝いており、競馬史上初となる地方・中央両方のリーディングジョッキーに。7年連続リーディングジョッキーだった武豊は内田と6勝差の140勝に終わる[86]。リーディングトレーナーは56勝を挙げた藤沢和雄(美浦)が2年ぶり14度目の栄冠[87]。
- 28日 - 帯広市は指定された5つの競走の1着を順番に予想し、的中すると最大2億円の払い戻しが受けられる「5重勝単勝式馬券」を来年1月9日から発売すると発表[88]。当初は本年10月からの発売を目指していたが、システム障害発生などのため延期していた[89]。
- 31日
- 金沢競馬は雪の影響により中止となり、1月4日に代替開催[90]。
- 高知競馬第5競走で、ダイナブロス(高知)が1998年の初出走以来、地方競馬(ばんえいは除く)初となる通算300レース出走を達成(結果は3着)[91]。
競走成績
中央競馬・平地GI,JpnI
ダートグレート競走(地方競馬開催分)
中央競馬・障害(JGI)
ばんえい
騎手招待競走
表彰
JRA賞
- 競走馬部門
- 調教師・騎手部門
- 最多勝利調教師・最高勝率調教師:藤沢和雄(美浦)
- 最多賞金獲得調教師:音無秀孝(栗東)
- 優秀技術調教師:角居勝彦(栗東)
- 最多勝利騎手:内田博幸(美浦)
- 最高勝率騎手:安藤勝己(栗東)
- 最多賞金獲得騎手:武豊(栗東)
- 最多勝利障害騎手:五十嵐雄祐(美浦) ※対象は10勝以上
- 最多勝利新人騎手:松山弘平(栗東) ※対象は30勝以上
- 特別模範騎手:該当者なし
- JRA賞馬事文化賞
- 受賞作品:競馬の社会史1 文明開化に馬券は舞う-日本競馬の誕生
- 受賞者:立川健治(富山大学教授)
- JRA賞馬事文化賞・功労賞
NARグランプリ
- 表彰馬部門
- 表彰者部門
- 最優秀勝利回数調教師:角田輝也(愛知)
- 最優秀賞金拾得調教師:川島正行(船橋)
- 最優秀勝率調教師:川西毅(愛知)
- 殊勲調教師賞:角川秀樹(北海道)、柳江仁(笠松)
- 最優秀勝利回数・最優秀賞金拾得騎手:戸崎圭太(大井)
- 最優秀勝率騎手:赤岡修次(高知)
- 優秀新人騎手:長澤幸太(ばんえい)
- 優秀女性騎手:別府真衣(高知)
- ベストフェアプレイ賞:今野忠成(川崎)
- 殊勲選手賞:該当者なし
通算勝利数の記録
地方競馬(ばんえいを除く)は「地方通算」のものと「中央・地方通算」があるが、それぞれ出典に拠った。
記載は氏名(達成地、達成日)の順。
騎手
調教師
- 初勝利
- 牧光二(JRA中京、1月17日)[126]
- 須貝尚介(JRA阪神、3月14日)[127]
- 大竹正博(JRA中山、4月4日)[128]
- 矢野英一(JRA東京、5月2日)[129]
- 伊藤大士(JRA福島。7月11日)[92]
- 100勝
- 郷原洋行(JRA東京、2月7日)[130]
- 根本康広(JRA東京、2月21日)[131]
- 宮本博(JRA中京、3月28日)[132]
- 中尾秀正(JRA阪神、4月4日)[133]
- 佐藤正雄(JRA新潟、5月9日)[134]
- 小桧山悟(JRA新潟、8月8日)[135]
- 河内洋(JRA福島、10月31日)[136]
- 200勝
- 田所秀孝(JRA小倉、2月21日)[131]
- 加藤征弘(JRA阪神、3月8日)[137]
- 谷潔(JRA阪神、3月28日)[132]
- 中竹和也(JRA新潟、5月2日)[138]
- 鈴木伸尋(JRA福島、7月11日)[139]
- 川村禎彦(JRA小倉、8月8日)[140]
- 300勝
- 小西一男(JRA中京、1月18日)[141]
- 角居勝彦(JRA京都、11月20日)[142]
- 500勝
- 増本豊(JRA京都、1月10日)[143]
- 坂口正則(JRA京都、1月18日)[141]
- 和田正道(JRA新潟、5月2日)[138]
- 国枝栄(JRA中山、12月12日)[144]
- 橋田満(JRA阪神、12月27日)[145]
- 600勝
- 岡林光浩(船橋、9月23日)[146]
- 800勝
- 橋口弘次郎(JRA小倉、8月15日)[147]
- 900勝
- 松山康久(JRA中山、2月28日)[98]
- 1000勝
- 藤沢和雄(JRA中山、9月27日)[148]※JRA史上最速で達成
- 1100勝
- 堂山芳則(門別、11月11日)[149]
誕生
この年に生まれた競走馬は2012年のクラシック世代となる。
競走馬
死去
競走馬、繁殖馬
人物
引退
競走馬
人物
繁殖馬
新種牡馬
- 内国産馬
- 輸入馬
脚註
外部リンク
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