アルカセット (欧字名:Alkaased) はイギリスの競走馬。2005年のジャパンカップで日本レコードのタイム(当時)で勝ちを収めて日本で種牡馬入りした。馬名はアラビア語で「意志」の意。
現役時代
2歳・3歳
アメリカ生まれの本馬は母がヘンケルレネン(ドイツ1000ギニー)2着馬ということもあり、35万ドルの高値で取引された。その血統からヨーロッパで走ることとなり、名門で知られるニューマーケットのマイケル・スタウト厩舎に送られた。だが、2・3歳時を通じて6戦1勝という目立たない戦績で終わり、現役馬が取引されるセールに上場されることになる。このセールで本馬に目をつけたのがのちの馬主となるマイケル・チャールトンであるが、彼に購入を薦めたジョン・ハモンド(英語版)調教師の獣医師が「故障持ちで、走れる確率は五分五分」と待ったをかけたため、逆に撤退することを進言する。だが、チャールトンはたとえ五分でも走れる確率に賭けたいと購買を決意し、4万2000ギニー(約900万円)という安値で本馬を購入した。
古馬(4歳以降)
ルカ・クマーニ(英語版)調教師に預けられた本馬はふたたびニューマーケットを拠点に現役を続ける。2004年7月にステークスレース初勝利を挙げると、続くGIIIで2着、年が明けて2005年になるとさらに勢いを増し、初戦のGII戦で重賞初制覇を成し遂げる。GI初挑戦のコロネーションカップでは2着に敗れるも、続くサンクルー大賞で初GI勝ちを果たす[1]。だが、秋になってフォワ賞、チャンピオンステークスと連敗し、さらにブリーダーズカップ・ターフに出走するためにアメリカに渡るも、血球数の異常が判明して出走を回避[2]しなければならなかった。
そのような状況にもかかわらず、ジャパンカップではインターナショナルステークス2着のゼンノロブロイ(1番人気)、翌年ドバイシーマクラシックで優勝することとなるハーツクライ(2番人気)に続く3番人気(外国馬中最高人気)となる。そして前半1000メートルの通過タイムが58秒3というハイペース[3][2]のなかをランフランコ・デットーリの好騎乗で抜け出し、ハーツクライをハナ差退け[3][2]、ホーリックスが保持していた日本レコードをコンマ1秒上回る2分22秒1で駆け抜け優勝した[3][2]。
なおジャパンカップでは翌年から日本調教馬が18連勝中であり(2023年現在)、アルカセットは最も新しい外国調教馬での勝ち馬である。
その後香港ヴァーズに出走を予定していた[4]が、日本での種牡馬入りが決定したためそのまま引退した[4]。
競走成績
出走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離 |
着順 |
騎手 |
着差 |
1着(2着)馬
|
2002.09.11 |
カラ |
条件S |
|
芝7f |
4着 |
R.ヒューズ |
3 1/4馬身 |
Maghanim
|
0000.10.18 |
ニューマーケット |
未勝利S |
|
芝8f |
4着 |
R.ヒルズ |
4 1/2馬身 |
Persian Majesty
|
2003.06.03 |
ヤーマウス |
未勝利S |
|
芝11f110y |
2着 |
R.ヒルズ |
2 1/2馬身 |
Floreeda
|
0000.08.25 |
リポン |
未勝利S |
|
芝12f60y |
1着 |
W.サプル |
4馬身 |
(Lahob)
|
0000.10.04 |
ニューマーケット |
プラグスH |
|
芝14f |
2着 |
W.サプル |
1馬身 |
Ten Carat
|
0000.10.13 |
レイセスター |
レイティドS |
|
芝11f183y |
2着 |
R.ヒルズ |
短頭 |
Dovedon Hero
|
2004.06.05 |
ニューマーケット |
クラシファイドS |
|
芝12f |
2着 |
D.ホランド |
アタマ |
Wunderwood
|
0000.07.03 |
ヘイドック |
ヘリテージH |
|
芝11f200y |
1着 |
J.フォーチュン |
4馬身 |
(Crow Wood)
|
0000.07.30 |
グッドウッド |
グロリアスS |
準重 |
芝12f |
1着 |
J.フォーチュン |
クビ |
(First Charter)
|
0000.09.04 |
ケンプトン |
セプテンバーS |
G3 |
芝12f |
2着 |
J.フォーチュン |
1/2馬身 |
Mamool
|
2005.05.01 |
ニューマーケット |
ジョッキークラブS |
G2 |
芝12f |
1着 |
J.フォーチュン |
1 1/2馬身 |
(Gamut)
|
0000.06.03 |
エプソム |
コロネーションC |
G1 |
芝12f10y |
2着 |
J.フォーチュン |
1 1/2馬身 |
Yeats
|
0000.06.26 |
サンクルー |
サンクルー大賞 |
G1 |
芝2400m |
1着 |
L.デットーリ |
2馬身 |
(Policy Maker)
|
0000.09.11 |
ロンシャン |
フォワ賞 |
G2 |
芝2400m |
2着 |
K.ファロン |
2 1/2馬身 |
Pride
|
0000.10.15 |
ニューマーケット |
チャンピオンS |
G1 |
芝10f |
5着 |
G.モッセ |
4 1/4馬身 |
David Junior
|
0000.11.27 |
東京 |
ジャパンC |
GI |
芝2400m |
1着 |
L.デットーリ |
0.0秒 |
(ハーツクライ)
|
"f"はハロン (≒201.17 m), "y"はヤード (=0.9144 m)を表す。
種牡馬時代
引退後は総額9億円のシンジケートが組まれ[5][6]、2006年からダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックスで種牡馬となる[6][7]。初年度産駒は2009年にデビューし、同年8月15日の佐賀競馬場第3競走にてセイユウナイト(上川薫厩舎・新原健伸騎手)が産駒初となる勝利を挙げた。しかし、2世代143頭が走った時点で勝馬率が約37パーセント、2歳時に勝ち上がった産駒が8頭と、全体の産駒成績は不振であった。そのため、2011年の種付け料が前年までの250万円から80万円に大幅に下げられ、この年は種付け頭数が17頭[7]に激減した。種付けシーズン終了後にイギリスへ輸出された[7]。自身と同じキングマンボ産駒のエルコンドルパサー・キングカメハメハの2頭は産駒から中央競馬G1馬を輩出したものの、アルカセットは1頭も出せなかった。2012年の種付けシーズン途中よりハンプシャーにあるKelanne Studで供用されている[8]。
代表産駒
エピソード
クマーニ厩舎所属時は担当厩務員が日本人で、厩舎内でのニックネームはタロウであった。
血統表
脚注
外部リンク