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この項目では、福建省の現行行政区画について説明しています。同地域に1951年から1986年にかけて存在した県級市については「鯉城区」をご覧ください。 |
泉州市(せんしゅうし、拼音: Quánzhōushì チュエンヂョウシー、閩南語白話字:Chôan-chiu-chhī ツアンチューチー)は中華人民共和国福建省に位置する地級市である。居住人口は約865万人(2017年)で、福建省で最多の人口を持つ。かつては海上交易の中心地として繁栄し、イブン・バットゥータやマルコ・ポーロはこの都市(ザイトン、イタリア語: Zaiton[2]、閩南語: 刺桐)の繁栄を記録に残している。ザイトンは街路樹のアブラギリがある街とアラビア人が命名し、ヨーロッパに伝わった名前。五代十国時代の中期から後期、晋江王留従効(中国語版)によって建てられた清源軍(平海軍)(中国語版)政権はここに定都し、そのため「千年の古都」[3][4][5][6]と「閩南の古都」[7][8][9]と称される。2021年、泉州市は「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター(中国語版)」として、世界文化遺産の一つに登録された[10]。
地理
泉州は別名鯉城、刺桐、温陵とも言い、福建省東南部にある。市内に戴雲山脈(中国語版)があり、晋江が流れる。近隣の都市としては、約150キロメートル北東の福州、75キロメートル南西の廈門などが挙げられる。
歴史
夏・商代には揚州に属した。
周代には七閩と呼ばれた。
春秋時代(前770年-前403年)に、越(前600年-前334年)の領土となった。
戦国時代(前475年-前221年)になると、前306年に楚が越を滅ぼし、百越の土地に越人が流れ込み閩越(前306年-前110年)が成立。
秦代(前221年-前207年)の前222年に閩中郡を設置、開発が行われこの土地に本格的な行政区が設定された。
260年(永安3年)に呉により東安県(現在の南安市)が設置された。
西晋(265年-316年)末に発生した中原における戦乱(八王の乱)により中原より移民が多く流入し、中原の先進的な技術や文化をこの地に伝えている。
南朝梁の天監年間(502年-519年)には南安郡の郡治が設置された。
南朝陳(557年-589年)により閩州が設置された。
589年に隋が泉州と改称した。606年に閩州に戻され、607年に建安郡と改称されて郡制が施行された。
唐代(618年-907年)に州制が施行されると700年(久視元年)に武栄州が設置され、711年(景雲2年)に再び泉州と改称され現在までこの名称が使用されている。唐代にはベトナムやインド、アラビア半島にまで及ぶ海上交易ルートが確立し、明州や広州と並ぶ貿易港となった。760年の揚州大虐殺(英語版)や、878年の広州大虐殺の影響で、西方への国際貿易が泉州や福州に集中した。
909年に王審知が福州で閩国を建国。しかし、その後の内乱で福州の治安が悪くなると、泉州に国際貿易が集中するようになった。
945年、南唐は閩国を攻め滅ぼしましたが、泉州は自治を維持しました。947年、留従効(中国語版)が支配する泉州は南唐から事実上の独立を得ました。949年、南唐は清源軍(中国語版)を設置し、泉州と南州(漳州)を管轄し、留従効を清源軍節度使に任命し、後に留従効を晋江王に封じました。964年、北宋はそれを平海軍と改名しました。清源軍は事実上独立した割拠政権であり、4主29年(949年-978年)の歴史があり、その領域は現在の閩南と莆田を含み、泉州がその首都でした。留従効が泉州を統治する際、海外貿易を大力に拡大し、泉州城を拡張し、城内に刺桐樹を植えるよう命じました。泉州は「刺桐城」として世界的に有名になりました。978年、平海軍節度使の陳洪進(中国語版)は北宋に投降するよう強制され、史称「泉漳納土」です[11][12][13]。
1279年に崖山の戦いで南宋(1127年-1279年)が滅亡すると、元朝(1271年-1368年)に協力したアラブ人の蒲寿庚が重用され港湾都市として発展した。「陶磁の道(海のシルクロード)」の拠点として漢人のほかにもアラブ人やペルシャ人などが居住する国際都市として発展し、『アラビアンナイト』にも「船乗りシンドバッド」の住む舞台として登場する事からも中世イスラム世界にも知られた都市であったことが推察され、またマルコ・ポーロの『東方見聞録』には「ザイトン[14]」の名称で紹介されている。14世紀にはイブン・バットゥータも訪れ、『三大陸周遊記』に約100艘の大型ジャンクと数え切れないほどの小型船が停泊する「世界最大の港」と記している。
明代(1368年-1644年)には海岸線の後退に伴い港湾都市としての機能が失われ、海上交易の中心地は長楽[15]や廈門などに移行していった。一方で、永楽帝の治世の頃から、鄭和が当時南洋と呼ばれた東南アジアの呂宋国(英語版)(現フィリピン)、マジャパヒト王国(現インドネシア)、マラッカ王国(現マレーシア)との貿易を海賊から保護したため、南洋へ労働者として赴き、華僑、華人となった人も多くでた(南洋貿易)。泉州は琉球からの貿易船の指定港でもあり、商館「来遠駅(泉州琉球館)」があったが、1472年に福州に移った[16]。
現地では、南安、恵安、永春、晋江など、出身地ごとに同郷コミュニティーを作り、会館を建てて、経済的や人的サポートを行った。中には、ゴムのプランテーション、食品加工、新聞発行などで、財をなした者もいた。
中華人民共和国成立後は行政改編が相次いだが、1986年1月に地級市としての泉州市が成立し現在に至っている。
行政区画
4市轄区・3県級市・5県を管轄する。
年表
この節の出典[17][18]
泉州専区
晋江地区
- 1950年10月17日 - 永安専区徳化県を編入。(10県)
- 1950年11月1日 - 晋江県の一部が分立し、泉州市が発足。(1市10県)
- 1956年3月26日 - 閩侯専区永泰県・福清県・平潭県、永安専区大田県を編入。(1市14県)
- 1956年7月21日 - 平潭県の一部が福清県に編入。(1市14県)
- 1957年3月 - 同安県の一部が竜渓専区竜渓県に編入。(1市14県)
- 1958年8月8日 - 同安県が廈門市に編入。(1市13県)
- 1959年8月1日 - 永泰県・平潭県・福清県が閩侯専区に編入。(1市10県)
- 1963年4月27日 - 大田県が三明専区に編入。(1市9県)
- 1970年2月17日 (1市8県)
- 莆田県・仙游県が閩侯専区に編入。
- 廈門市同安県を編入。
- 1970年12月 - 金門県(中華人民共和国が統治する区域=嶝島群島のみ)が同安県に編入。(1市7県)
- 1971年6月17日 - 晋江専区が晋江地区に改称。(1市7県)
- 1973年6月5日 - 同安県が廈門市に編入。(1市6県)
- 1983年4月28日 - 莆田地区(中国語版)莆田県・仙游県を編入。(1市8県)
- 1983年9月9日 (1市6県)
- 莆田県の一部が分立し、地級市の莆田市となる。
- 莆田県・仙游県が莆田市に編入。
- 1985年5月14日
- 泉州市が地級市の泉州市に昇格。
- 晋江県・恵安県・南安県・安渓県・永春県・徳化県が泉州市に編入。
泉州市
- 1985年5月14日 - 晋江地区泉州市が地級市の泉州市に昇格。鯉城区・郊区(中国語版)を設置。(2区6県)
- 1985年12月22日 - 郊区が鯉城区に編入。(1区6県)
- 1987年12月17日 - 晋江県の一部が分立し、石獅市が発足。(1区1市6県)
- 1992年3月6日 - 晋江県が市制施行し、晋江市となる。(1区2市5県)
- 1993年5月12日 - 南安県が市制施行し、南安市となる。(1区3市4県)
- 1997年6月3日 - 鯉城区の一部が分立し、豊沢区・洛江区が発足。(3区3市4県)
- 2000年4月12日 - 恵安県の一部が分立し、泉港区が発足。(4区3市4県)
経済
泉州は福建省の経済中心地であり、GDPは23年間に渡って福建の第一位であった(1999年-2021年)。安渓県は中国屈指の烏龍茶の産地であり、ほかにも晋江市などの靴(中国の3大産地の一つ)、南安市の石材、徳化県などの磁器(中国の3大産地の一つ)、永春県の酢(中国の4大名酢の一つ)などを有する。
言語
主に閩語の閩南語が話される。
文化
閩南語を用いた伝統芸能が盛んである。無形文化財に相当する「国家級非物質文化遺産」に指定されている「南音」、「泉州北管」、「泉州拍胸舞」、「梨園戯」、「高甲戯」(柯派)、「泉州提線木偶戯」、晋江布袋木偶戯(指人形劇)、恵安の石彫り、泉州花灯、徳化磁器の焼き物技術、恵安の女服飾、打城戯、五祖拳、水密隔艙福船製造技術、烏龍茶製造技術、閩南伝統民家建築技術、霊源の時茶、南安英都抜抜灯、蟳埔の漁村女性の習俗、泉州(李尭宝)刻紙(切り紙絵)、木の人形の頭の彫刻、安海嗦囉嗹の習俗などがある。
観光
名勝
- 山
- 海
- 橋
名所・旧跡
全国重点文物保護単位
伝統的建物
公園
- 西湖公園(豊沢区)
- 東湖公園(豊沢区)
- 中山公園(鯉城区)
- 石筍公園(鯉城区)
博物館
教育
下記の高等教育機関を有す
交通
空港
鉄道
バス
道路
世界遺産
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洛陽橋 |
英名 |
Quanzhou: Emporium of the World in Song-Yuan China |
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仏名 |
Quanzhou : emporium mondial de la Chine des Song et des Yuan |
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面積 |
536.08 ha (緩衝地帯 11,126.02 ha) |
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登録区分 |
文化遺産 |
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文化区分 |
遺跡 |
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登録基準 |
(4) |
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登録年 |
2021年 |
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公式サイト |
世界遺産センター(英語) |
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使用方法・表示 |
10世紀から14世紀にかけて、泉州市が東アジアおよび東南アジアの海上貿易ネットワークの拠点として繁栄していたため、市内には11世紀のモスク、ムスリムの墓、行政庁舎、石造りの埠頭、製陶と製鉄の遺跡、古代の交通網と橋、パゴダ、石碑などの様々な考古遺跡が見られる。第44回世界遺産委員会拡大会合で2021年7月25日、中国政府が推薦した「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター(中国語版)」(遺産地点16ヶ所、ID:1561rev)を審議し、「世界遺産リスト」への登録を決定した[10]。
指定資産
UNESCO公式サイトによると、16ヶ所の資産からなる[19]。
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
脚注
関連項目
- 李贄 - 明朝萬暦期の思想家。イスラム教徒の家系で、天后宮近くに住居跡が残る。著作は『焚書』等が知られる。
- 一帯一路 - 泉州は一帯一路構想の起点都市。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
泉州市に関連する
メディアおよび
カテゴリがあります。
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第1回指定 (1982年) | |
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第2回指定 (1986年) | |
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第3回指定 (1994年) | |
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増補 | |
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指定時の地名のため、現在の行政区画の変更により一部に変化がある: 江陵→荊州区、襄樊→襄陽市、商丘(県)→睢陽区、日喀則→桑珠孜区、海康→雷州市、吐魯番市→高昌区、蓬萊市→蓬萊区、会理県→会理市、庫車県→庫車市 |