遵義市(じゅんぎ-し)は中華人民共和国貴州省に位置する地級市。
地理
貴州省の北部に位置し、銅仁市、黔東南ミャオ族トン族自治州、黔南プイ族ミャオ族自治州、貴陽市、畢節市、四川省瀘州市、重慶直轄市に接する。
歴史
春秋時代、遵義地区は牂牁、巴、蜀、鱉、鰼などの、戦国時代には夜郎国の版図となっていた。
1935年、中国共産党はこの地で遵義会議を開いた。党中央の秦邦憲やオットー・ブラウンが批判され、毛沢東が党内の軍事指導権を掌握したとされる。
1997年6月10日に遵義市(地級市)が設立。
行政区画
3市轄区・2県級市・7県・2自治県を管轄下に置く。
年表
この節の出典[1][2]
遵義地区
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国貴州省遵義専区が成立。遵義県・綏陽県・湄潭県・鳳岡県・婺川県・正安県・道真県・桐梓県・鰼水県・赤水県・仁懐県が発足。(11県)
- 1950年2月10日 - 遵義県の一部が分立し、遵義市が発足。(1市11県)
- 1951年2月28日 - 遵義市が遵義県に編入。(11県)
- 1952年7月9日 - 遵義県の一部が分立し、遵義市が発足。(1市11県)
- 1955年1月21日 - 桐梓県の一部が四川省涪陵専区南川県、江津専区綦江県の各一部と合併し、四川省重慶市南桐鉱区となる。(1市11県)
- 1955年3月5日 - 遵義市が地級市の遵義市に昇格。(11県)
- 1956年4月11日 - 四川省江津専区綦江県の一部が鰼水県に編入。(11県)
- 1956年4月18日 - 鎮遠専区余慶県を編入。(12県)
- 1958年12月29日 (1市9県)
- 遵義市、安順専区息烽県を編入。遵義市が県級市に降格。
- 遵義県が遵義市に編入。
- 道真県が正安県に編入。
- 鳳岡県・余慶県が湄潭県に編入。
- 1959年1月31日 (1市9県)
- 1961年8月16日 (1市13県)
- 遵義市の一部が分立し、遵義県が発足。
- 湄潭県の一部が分立し、鳳岡県・余慶県が発足。
- 正安県の一部が分立し、道真県が発足。
- 1963年10月23日 - 貴陽市開陽県を編入。(1市14県)
- 1965年7月15日 - 息烽県・開陽県が安順専区に編入。(1市12県)
- 1970年8月8日 - 遵義専区が遵義地区に改称。(1市12県)
- 1979年11月16日 (1市12県)
- 四川省重慶市綦江県の一部(丁山公社の一部)が習水県に編入。
- 習水県の一部(条台公社の一部)が四川省重慶市綦江県に編入。
- 1986年8月21日 - 務川県が自治県に移行し、務川コーラオ族ミャオ族自治県となる。(1市11県1自治県)
- 1986年9月9日 - 道真県が自治県に移行し、道真コーラオ族ミャオ族自治県となる。(1市10県2自治県)
- 1990年9月30日 - 赤水県が市制施行し、赤水市となる。(2市9県2自治県)
- 1995年11月30日 - 仁懐県が市制施行し、仁懐市となる。(3市8県2自治県)
- 1997年6月10日 - 遵義地区が地級市の遵義市に昇格。
遵義市(第1次)
- 1955年3月5日 - 遵義専区遵義市が地級市の遵義市に昇格。(1市)
- 1958年12月29日 - 遵義市が遵義専区に編入。
遵義市(第2次)
- 1997年6月10日 - 遵義地区が地級市の遵義市に昇格。(1区8県2自治県)
- 遵義市が区制施行し、紅花崗区となる。
- 赤水市・仁懐市が省直轄県級行政区となる。
- 1997年7月14日 - 仁懐市・赤水市を編入。(1区2市8県2自治県)
- 2003年12月26日 - 紅花崗区・遵義県の各一部が合併し、匯川区が発足。(2区2市8県2自治県)
- 2016年3月20日 (3区2市7県2自治県)
- 遵義県の一部が分立し、播州区が発足。
- 遵義県の残部が紅花崗区・匯川区に分割編入。
- 匯川区の一部が紅花崗区に編入。
交通
航空
鉄道
道路
出身人物
関連人物
脚注
外部リンク
|
---|
第1回指定 (1982年) | |
---|
第2回指定 (1986年) | |
---|
第3回指定 (1994年) | |
---|
増補 | |
---|
指定時の地名のため、現在の行政区画の変更により一部に変化がある: 江陵→荊州区、襄樊→襄陽市、商丘(県)→睢陽区、日喀則→桑珠孜区、海康→雷州市、吐魯番市→高昌区、蓬萊市→蓬萊区、会理県→会理市、庫車県→庫車市 |