サニー(SUNNY、阳光)は、日産自動車が製造・販売する自動車(大衆車)。日本では1966年から2004年まで販売された。
本項目ではサニーの基幹となるセダンタイプを中心に、以下のモデルについて記述する。
以下の車種は当該記事を参照のこと。
1960年代初頭、日産ではダットサン・110/210型系の堅調な人気を反映し、その後継となる1,000cc - 1,200cc級の小型乗用車・ブルーバード(初代・310型系)が大成功を収め、続く2代目モデルの410型系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。しかし、410型系ブルーバードが1,200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、それより若干小型で700cc - 1,000cc級のベーシックカーが空位となった。
当時最大のライバルであったトヨタ自動車は、700cc級のパブリカをエントリーモデルとして市場に送り出し、一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc - 1,000cc級の小型車で市場参入を進めていた。日産社内ではこれを危惧し、ダットサンの小型モデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車社長であった川又克二[注釈 1]は当初、ブルーバードと“同志討ち”になりかねないエントリーモデルの開発には消極的で、「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。開発陣は商用車開発などの名目で川又社長を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。
サニーは日産の最小排気量クラスを担う主力車種として、高度経済成長期からバブル経済期までのベストセラーカーとなった。日本の大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には「CS戦争」ともいわれる、販売台数の熾烈な争いを繰り広げたことで知られる。ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペ、ピックアップトラック、2ドアライトバン、3ドアクーペ、4ドアライトバン、ステーションワゴン(カリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在した。
競合車種のカローラ同様に実用性と経済性、信頼性、安心感に優れた大衆車として市場の地位を長い間保っていたが1990年代中期以降、日産車全体のシェア低迷と小型セダン離れ、そして度重なるユーザー層の高年齢化などから、市場での存在感も次第に希薄となり、2004年を以って日本国内での当ブランドの消滅を迎えた。以後そのポジションはティーダラティオ(後にラティオと改称、2016年12月を以って海外仕様のみとなり、国内モデルとしてはブランド終了)が担う事となった。
ピックアップトラック(B20)のみ:1967年 - 1971年
当初は2ドアセダンから先行発売された。大型プレス材を有効に用い、少ない部品点数で組み上げられた軽量モノコックボディのデザインは、サイズや横置きリーフスプリング使用の前輪サスペンション構造ともども、1962年(昭和37年)に開発された西ドイツ(当時)の大衆車、オペル・カデット(そのバッジエンジニアリング版にあたるイギリスのボクスホール・ヴィーヴァを含む)の影響が非常に強いものであった。アメリカ資本の欧州メーカー製小型乗用車からの影響は、後輪駆動時代のサニー、カローラ双方において非常に色濃い。
ボディタイプは順次追加され、2ドア / 4ドアセダン・2ドアクーペ・2ドアライトバン・トラックの計5種類のラインナップとなる。また、この初代サニー用に開発された直列4気筒のA型エンジンは実用上好成績をあげ、その後改良を受けつつ30年にわたって作り続けられ、傑作エンジンの評価を得た(当初、1,000ccハイカムシャフト[注釈 2]、ターンフロー、OHVのA10型)。軽量、簡潔でバランスの良い経済型エンジンであるだけでなく、低回転域の柔軟性と高回転まで軽快に回る良好な特性を備え、レーシングエンジンとしてのチューニングのポテンシャルも高かった。クランクシャフトは当初3ベアリング仕様だったが、後に5ベアリングとなって強化されている。
発売されると市場で好成績を収めたものの、続いて発売されたトヨタ・カローラのデラックスさをアピールする販売戦略の前に後塵を拝し、以後長年にわたる両車の販売競争が勃発することになった。
初代の生産台数は44万7031台[1]
ピックアップトラック(B120)のみ:1971年 - 1994年
ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、ライトバンの4種類。フロントサスペンションに本格的なマクファーソン・ストラット式独立懸架を採用するとともに、車体はスクエアな形態を保ちつつ若干大型化され、初代モデルの簡素で華奢な印象を払拭した。リアサスペンションは引き続きリーフスプリングとなっているが、二重防振機構の採用によって乗り心地を向上した[2]。1,000ccエンジンを搭載していた初代サニーに対し、1,100ccエンジンを搭載して「プラス100ccの余裕」のコピーを掲げた初代カローラを意識した発売時の広告コピーである「隣のクルマが小さく見えます」は、良くも悪くもこの時代のメーカーと大衆双方が持っていた上昇志向を象徴するものとして、後年まで広く伝えられている[3]。
エンジンは直列4気筒ターンフローOHVのA12型1,200ccエンジンで、高回転化に適した5ベアリング式へ変更され[2]、当初から5ベアリング4気筒ターンフローOHVを採用していたカローラのK型/3K型エンジンに対抗し、それを凌駕することを目指して改良された。
更には、より排気量の大きいエンジン(直列4気筒クロスフローOHVのT型エンジン等)を搭載したモデルを追加したE20系カローラに対抗するため、当初はこのシリーズの目玉としてロータリーエンジンを搭載する予定だった。これはカローラが性能面でアピールしていたことに対抗したものである。しかし開発が難航したためプランに間に合わず、ブルーバード1400用の直列4気筒ターンフローSOHCのL14型1,400ccエンジンを搭載した[4]。L14型エンジンはサニーとしては初となる、SOHCエンジンである。こうして販売は、レシプロのみでのスタートとなった。
セダンのラジエーターグリルは横線基調で、右側フロントピラー部にラジオアンテナを装着。クーペは彫りの深いラジエーターグリルと立体的なカウルトップグリルを装着し、ボディサイドにエアダクトを設けたほか、サイドストライプをプリントした。換気装置にはヒーターファンを利用したオート・ベンチレーション・システムをクラス初採用した[2]。
当初のグレードは下から、2ドア/4ドアセダンはスタンダード(4ドアは無印)、デラックス、GL、クーペはスタンダード(無印)、GL、バンはスタンダード、デラックス、スーパーデラックスA/Bが用意された。セダンのスタンダードとデラックスには、スポーツ仕様が設定されていた。フロントシートは全車スライド可能なバケット型セパレートシートとし、デラックス以上にはリクライニング機構を内蔵する。リアシート側のクリアランスも35mm拡大した。デラックス系は全車コンソールボックスを標準装備する。バン・デラックス車の荷台にはリアシートの後ろ側に荷台と繋がったマットを設定している[2]。
GLには以下の専用装備が含まれる。
このうち、タンデム・マスターシリンダーはセダン・デラックス車、クーペ全車にも採用された。
遅れて登場したGXは、GLの専用装備を一部共用しつつ、タコメーター、黒色砲弾型フェンダーミラー、革巻きのステアリングホイールとシフトノブなどを装備した。また、A12型エンジンをSU型ツインキャブレター仕様とし、出力とトルクを向上させているが、燃費は他と変わらず21km/Lを維持している[5]。セダン、クーペの4速MTのみでディスクブレーキを採用した、スポーティなグレードである[6]。GX5はこれにフェアレディZやスカイライン2000GT-Rと共通のサーボシンクロ5速MTを搭載したものである[7]。この56A型トランスミッションは通常1速にあたる左上のポジションが後退、1速が左手前に来るシフトパターンで[8]、5速もオーバードライブでは無く、1.0:1.0となるクロースレシオであり、「ローバック」、「直結5速」、「GXミッション」などと通称される[9]。
1971年には最高級車として4ドアセダン、クーペに「エクセレント・シリーズ(PB110型)」を追加。L14型エンジンを搭載し、オリジナル車に対してホイールベースが40 mm、フロントオーバーハングが170 mmそれぞれ延長された。グレードは下からデラックス、GL、GXとなっており、ボディサイドにはグレードに応じてアクセント・ストライプをプリントした。装備はオリジナル車に準じていたが、オリジナル車より充実した安全装備や豪華装備が多く取り入れられた[4]。
マイナーチェンジで1200cc車のラジエーターグリル(セダン、バン)、テールランプ(セダンのみ)、ボンネット(セダン、クーペ)が変更された。また、インストルメントパネルのデザインを一新し、全車とも丸型の無反射メーターを採用、ドア内張りのデザインなども変更された。オイルネーターの容量を一律35A(エクセレントの寒冷地仕様は50A)にアップするなど、使い勝手もよくなった[10]。
この代にもピックアップトラック型のサニートラック B120型[注釈 6]が設定されたが、このモデルは乗用車系のB110型生産終了後もマイナーチェンジを繰り返し、日本国内向けは1994年3月までの23年間、海外向けにいたっては2008年9月まで37年間の長きにわたり生産が続けられ、NP200の発売後に至っても在庫分が併売されていた。後継モデルのB210型系がピックアップトラック化を考慮していないスタイルであったことが理由であるが、B120型の設計が優れていたことも一因である。B120型系列は「サニトラ」の愛称で広く親しまれている。
北米市場では当時の市販車中、最良の省燃費車であることが燃費テストによって判明し、市場から評価され、日産車の販売実績向上に貢献した。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は56万8508台[11]。
エンジンはすべて水冷直列4気筒である。
[2][5][12][4]
グレードに搭載されたトランスミッションは以下のとおりである。
単位はミリメートル。サニーバンの値は2名乗車時の値である。
日本では、ツーリングカーレース(TSクラス)のベース車としても大きな成功を収めており、生産終了後も長期に渡ってレースフィールドで強豪モデルとしての地位を保ち続けたことでも知られる。110型系の生産終了後、後継の210型系がその重量増加と寸法の増大からレース車両のベースとすることを敬遠され、多くのユーザーからの「請願」によりホモロゲーション延長が数回行われた結果B110型は1982年シーズン終了までマイナーツーリング年間優勝を争うレベルでレース参戦を続けた[17]。これは車両の進化が速いモータースポーツの世界にあっては極めて異例の措置であった。レース用にチューニングされたA型エンジンは、燃料噴射装置の効果もあり、自然吸気のOHV1,300ccから、その末期には175馬力/約10,000rpmを搾り出しており、何の変哲もない実用向けの原設計からは想像しがたい驚異的なポテンシャルを見せた。また軽量で運動性が良く、空気抵抗の少ない車体や、旧態依然としたリーフ式サスペンション(リーフスプリングに吊られたリジッドアクスル)ながら、高いトラクションとコーナリング性能を発揮する足回りなどとの相乗効果で新鋭のDOHCマシンを下す場面もあった。前述のとおり210型系では積極的なレース活動は行われていないが、310型系のツーリングカーにこの資産は引き継がれている。
その後、B210型の登場後もB110型は1982年シーズンまでレースで活動を続けた。
ひと回り大きくなり、同社のチェリーや610型系ブルーバードU、710型系バイオレット、620型系ダットサントラックなどにも通じる、北米市場を意識した曲面要素の多い、抑揚の強いスタイルとなる。
ホイールベースは各型共通で、エクセレントシリーズのみフロントオーバーハングを若干延長している。ボディタイプは2ドア/4ドアセダンと3ドアクーペ、2ドア / 4ドアバンの5種類。この代からクーペは大型のハッチバック(テールゲート)を持つ形状になった。エクセレントのクーペはテールランプを丸型3連としたことから、ユーザーからはロケットの噴射口になぞらえて「ロケット・クーペ」、「ロケット・サニー」と呼ばれた。
当初のグレードは下から、セダンはセミ・デラックス、デラックス、GL、GX(2ドアなし)、クーペはデラックス、GL、GX、バンはスタンダード、デラックス、スーパーデラックスが用意された。エクセレント・シリーズはデラックス、GL、GXとなっていた[24]。
また、先代同様、1,200ccのA12型エンジンとエクセレント用1,400cc・L14型エンジンの2種の排気量を持ち、それぞれにシングルキャブ仕様(GXを除く全車)とツインキャブ仕様(GX)を設定。引き続きツインキャブのGXグレードには5速ミッション車も用意されていた。1200GXは先代GX-5と共通で、エクセレント1400GXはバイオレットと同じものが使用された。全車にタンデム・マスターシリンダーを採用し、サニー1200GL、GXには前輪ディスクブレーキが標準装備され、エクセレントにはマスターバック付とした[24]。サニー1200ではデラックス以下はドラムブレーキとなる。
インテリアについて、メーターは六連丸型タイプ(クーペ全車、セダンGXに装備、油圧計、電流計含む)もしくは角型タイプ(GXを除くセダン)を採用。セダンGXにはタコメーターが装備された[24]。
マイナーチェンジではやはりフェイスリフトが行われたほか、フェンダーミラーをタルボ型に変更し、エコノメーターをオプション設定した。また、ハイバックシートや照明付シガーライターなど、一部のグレードにしかなかった装備を全車共通で装備した[25]。
1976年にはセダンとクーペに1400GXツイン(GX-T)が追加された。このグレードはF10型チェリー用のOHV・A14型エンジンにツインキャブレターを装備したもので、ハードバンパー、アクセントストライプ、ブレード付の黒色艶消しワイパーを採用した。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は89万8057台[31]。
バンを除き:1977年 - 1981年
最後のFR駆動モデルであり、B110型同様にTSレースや富士フレッシュマンレースといった下位クラスのレースで活躍した。
時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。SOHCへ移行、カムシャフトもサニー初のタイミングベルト駆動となる。それまで日本国内で「ダットサン」ブランドで販売されていたサニーも、B11型へのフルモデルチェンジを機に正式車名を「ニッサン サニー」へと切り替える[注釈 10]。ボディタイプは4ドアセダン、ハッチバッククーペ (3ドアクーペ)、カリフォルニア (5ドアステーションワゴン)。先代モデルまで存在した2ドアセダンは国内向け廃止。輸出仕様のセントラには継続して設定され、バンはB11型のコンポーネンツを流用したADバン[注釈 11]として独立している。日本国外への輸出ではこれまでのダットサン210から北米のセントラとメキシコのツル以外では「ニッサンサニー」となった。販売終了前月までの新車登録台数の累計はローレルスピリットと合算して68万9734台[33]。
デザイン、構造において1984年から1990年まで日産でライセンス生産を行っていたVWサンタナの影響を受け、品質・性能とも大きく向上を果たしたモデルである。ボディタイプは4ドアセダン、3ドアハッチバック(1.3L:303, 1.5L:305)、5ドアワゴン[注釈 13](カリフォルニア)。4ドアセダンとほぼ同じノッチバックスタイルを持った2ドアクーペは国内仕様のラインナップにはない。さらに、ボディ一体型のウレタンバンパー(上級モデルはカラードバンパー)を採用し、直線・平面基調の独特なデザインとなる。B11後期で一度消滅したサニーエンブレムが、丸円にSの文字をモチーフにした形に変わって復活。B13型前期まで踏襲された。車重はやや増加したが、ボディ剛性や品質面を改善した。この代から高張力鋼板および亜鉛ニッケル合金メッキを用いた防錆鋼板[注釈 14]が用いられるようになった。この点ではデザインともどもVWサンタナの影響が強い。また、サニー初の4WDはパートタイム方式で、唯一セダンのみに設定されており、リアサスペンションもリバースAアーム式ストラットサスペンションとなっている。この代からホイールのPCDが100.0 mmになり、12インチホイール&12インチタイヤを装着した仕様が消滅した。海外でも前作B11型同様、北米は「セントラ」、メキシコでは「ツル」として販売。アジア圏でもタクシーなどで使われることも多く、香港・マレーシア・インドネシアでもタクシー車として重宝されていた。販売終了前月までの新車登録台数の累計は73万8396台[34]。
メキシコ仕様(車名:ツル)を除き:1990年 - 1994年(『90年代国産車のすべて』三栄書房 76頁参照)
B12型からのキープコンセプトであるが901運動の一環として歴代モデルで最も高品質を追求したのが特徴。ボディは4ドアセダンのみ。クーペモデルはサニーの名を冠せずNXクーペとなり、EXAの後継としての役割を担う。エンジンはガソリンエンジン全車をDOHC化。シングルチェーンを用いた上下2段のタイミングチェーンでカムシャフトを駆動している。1.6LのGA16DE型のみ同社初にしてサニー初のメカニカル式可変バルブタイミング機構が装備されている。サニー初の1.8Lガソリンエンジンも設定された。グレードは1.8GT-Sで、専用外装パーツ、DOHC16バルブ・プレミアムガソリン仕様・140psのSR18DE型を搭載。上級グレードであるスーパーサルーン系は、エンジンや駆動方式を問わず、8種類用意された外装と内装を自由に組み合わせることができるスーパーセレクション方式を採用。組み合わせにより、外観はノーマルのままで内装のみ「GT-Sインテリア」という選択や「ラグジュアリーインテリア」に「GT-Sルック」という選択も可能であった。また、ラグジュアリーインテリアとラグジュアリールックを同時選択した場合のみ、このクラスとしては極めて珍しい「電子制御式サスペンション」も装着可能であった。このモデルから多くのグレードに油圧式のABSがメーカーオプション[注釈 18]。なお、1.8GT-S以外のグレードでABSをメーカーオプションで装着するとリアブレーキがディスクブレーキとなる。一部の塗装色に限り、メーカーオプションでスーパー・ファインコート塗装(フッ素樹脂塗装)が選択することが出来た。4WDは1.5L車にはフルオート・フルタイム4WD(ビスカス式)、1.8L車にはアテーサ(ビスカスLSDによるセンターデフ式)、ディーゼル車(後に追加)はパートタイム4WDを採用。ディーゼル車はマニュアルのみ。販売終了前月までの新車登録台数の累計は57万687台[40]。
先代と同じく1.6Lモデルに競技仕様のVRがラインナップされていたが、ラリーの同クラスにマーチRが存在していたために主力マシンとはなれなかった。
1992年、キャロッセが全日本ダートトライアル選手権CIIクラスをサニー1.8GT-Sで参戦しチャンピオンを獲得。以後、ダートラCIIクラスの主力マシンへとなっていった。
ユーザーの若返りや大幅なコストダウン[注釈 20]を課題として開発された。ボディタイプは4ドアセダンのみ[注釈 21]。ただしクーペモデルのルキノは、前期型のみサニー・ルキノの名でも販売されていた。ホイールベースを延長(B12型およびB13型に対して105 mm延長)、居住性を向上させ、FF車のリアサスペンションに新開発のマルチリンクビームと呼ばれる、ラテラルロッドにスコットラッセルリンク機構を採用したアクスルビーム式トーションビームを採用し、サスペンション部分の省スペース・低コスト・組立工程の省力化に貢献した。4WDシステムはガソリン車は日産がフルオート・フルタイム4WDと呼ぶビスカス式、ディーゼル車にはセンターデフ式のアテーサを採用。また、ガソリンエンジンはすべてマルチポイントインジェクション化。直列4気筒DOHCエンジンの1.3L GA13DE型と1.5L GA15DE型を改良して搭載。「スーパーツーリング」にはプレミアムガソリン仕様の1.8L SR18DE型またはレギュラーガソリン仕様の1.6L GA16DE型を搭載。ディーゼルエンジン車は2.0LのCD20型となった。その後、B14型登場から4か月後に「1.5EXサルーン」をベースにリーンバーン仕様の1.5L GA15DE型エンジンに換装した「1.5CX」を追加。1995年1月にはセダンの一部が変更。スーパーサルーン、EXサルーン、CXのグリルをメッキ化し、リアフィニッシャーをボディカラー化。このほか、1.5スーパーサルーンのFF車のフロントディスクブレーキのベンチレーテッドディスクブレーキ化やタイヤサイズの変更(165SR13 → 175/70R13 82S)などが挙げられる。販売終了前月までの新車登録台数の累計は52万5366台[49]。
エンジンをSR20DEに換装したB14型サニーが1994年・1995年のオールシーズンと1996年のシーズン途中まで参戦[注釈 22]。1995年にMINEサーキットで行なわれた第9戦(第2ヒート目)で、ザナヴィ・サニーを駆る飯田章が、ジャックス・シビックフェリオを駆る服部尚貴との激闘を制する。ちなみに、このJTCCレースカーはその後、東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ(SEATCZC)に地元チームの手で参戦。現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。B14型サニーのJTCC参戦記念モデルとして、ニスモでは1.8Lの4ドアセダンをベースに、「NISMO 180R」というロードコンプリートカーを企画。車名は最大出力である180馬力に由来し、走行可能なプロトタイプが1台のみ製作されたが、市販化はされなかった。エンジンはSR20DE型のファインチューニング版を搭載し、ニスモ製強化サスペンションと15インチアルミホイールに加え、専用エアロパーツをフル装着。搭載されていたエンジンとトランスミッションは、同年発売のとB14型ルキノクーペとN15型のパルサーセリエ及びルキノハッチをベースとした「AUTECH VERSION」[注釈 23]にSR20DE改良型として搭載され、発売された。
ボディタイプは4ドアセダンのみでなおかつ歴代サニーで唯一派生モデルが存在せず、完全な国内専用車となった。プラットフォームはMSプラットフォーム。ただし、ディーゼル車は1999年9月まではB14型車が併売されていた。開発主管は、B14型に引続き深井吉男が担当。エンジンは新開発のQG13DE型、QG15DE型リーンバーン/LEV、可変バルブリフト&タイミング機構付き「NEO VVL」を採用したSR16VE型、QG18DD型NEO Di直噴ガソリンの4機種6仕様のエンジンが用意されていた。また、歴代サニーとして最初にして最後となる、ハイパーCVTの搭載モデルが存在した。さらに、ホイールのPCDがB11型系以前と同じ114.3 mmに戻る。後輪サスペンションはマルチリンクビーム式を8代目から踏襲し、9インチのゴルフバッグが4つ入る広大なラゲッジスペースを実現している。ヘッドランプのバルブは希少なIH01型を採用、オーディオはクラス初の専用デザインラジオチューナーあるいはカセットチューナーとなり1DINに変更されヘッドランプ(バルブ交換)やオーディオの自由度は先代サニーより低くなってしまった。スポーツグレードである「1.6 VZ-R」には、B14型系ルキノクーペやN15型系のパルサー及びルキノハッチで採用された青いヘッドカバーの1.6L「NEO VVL」エンジンSR16VE型を搭載。無鉛プレミアムガソリン仕様。トランスミッションは5速MTのみ。4輪ディスクブレーキを装備し、エアコンはマニュアルエアコンのみの設定で、「スーパーサルーン」系に匹敵する快適装備を有する。当時サニーを求める層は高齢化が進んでいたこともあり、312台の販売にとどまり、2000年9月に販売終了。
2010年12月、広州モーターショーにて、「サニー」のフルモデルチェンジを発表。新開発となるVプラットフォームを採用し、エンジンはHR15DEを搭載。インテリアではジュークとほぼ同一デザインとなるメーターパネルを採用。2011年より販売を開始した。
2019年12月、ドバイ国際モーターショーで「サニー」が発表・発売された。
車名の由来は「太陽光」や「晴れた天候」を表す英単語「Sunny」より。
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