積み上げられて解体を待つ米国パシフィック電鉄 の廃車車両
鉄道車両 における廃車 (はいしゃ)とは、鉄道車両の本来の用途における使用(人や物を運ぶこと等)をやめ、車籍(登録)を抹消して鉄道事業者 の資産 でなくすこと(=除籍)、またはそうされた車両のことである。
廃車の原因
原因
鉄道車両の廃車の理由には、大きく分けて次の4種類がある。
経年(老朽化)廃車
用途(余剰)廃車
被災廃車
事故廃車
経年廃車
鉄道車両は、整備や手入れを多額の費用や時間をかけて行えば、30年以上使用することも可能である。長期間使用された車両の例としては、1936年ベルリンオリンピック 時に製造されたベルリンSバーン 用電車が、ドイツ の分裂・東西統一 を経て21世紀初頭まで運行していた例や、西日本旅客鉄道 (JR西日本)小野田線 において、2003年 まで70年間にわたって使用されたクモハ42形電車 などが挙げられる。また、経年が100年を超える蒸気機関車 が動態保存 され、客車 を牽いて運転されている例もある。
これは以下のような理由による。
老朽化
鉄道車両は機械 であるため、使い続ければ車体や機器の消耗・老朽化が進んでいく。各種機器の老朽化による動作不良が事故を招くこともあるので、ある程度の期間、使用した時点で廃車となる。特に新幹線車両 では高速・長距離走行のため、各部の摩耗や傷みが在来線 車両より早く進行する傾向にある。
日本では、鉄道車両の税法上の減価償却 期間は、所得税法 施行令第129条及び法人税法 施行令第56条の規定に基づく省令(制定時は大蔵省 令、現在は財務省 令として効力を有する)により定められており[ 1] 、電車 は13年である。つまり、少なくとも13年間使用することを前提とされている[ 注釈 1] 。ただし、これを基準に設計された車両はJR東日本209系電車 や東京都交通局8000形電車 と例は少なく、大抵は設計上の耐用年数を20 - 30年程度とし、内装や車体、走行機器等の更新を行いながら法定耐用年数の13年を超えて使用されている。さらには「延命工事」などと言われる大規模な更新工事を行うことで設計上の耐用年数の延長を図り、40 - 50年以上使用され続けている車両も存在している。しかし、使用期間の長さもまちまちである。
この設計上の耐用年数も時代によって変遷しており、一般に1950年代 前半までに製造された車両は頑丈に造られており、モノコック 構造の採用による軽量化が一般化した1950年代後半以降に製造された車両に比べて、同一経年であっても一般に老朽化の度合いは小さい。例えば、1940年代 後半から製造された国鉄スハ43系客車 が、後継車として製造された軽量構造の国鉄10系客車 が老朽化により引退した後も大量に残存していた事例がある。アルミ合金車 やオールステンレス車 は、普通鋼 製の車両に比べて錆 の発生による劣化(肉痩せ)がなく、塗装の省略等による保守上のメリットも大きいため、車体デザインの陳腐化さえ考慮しなければ、長期にわたり使用可能である。例えば普通鋼製の大阪市交通局100系電車 は沿岸部を走行する関係で塩害による車体へのダメージを理由に2001年 までに引退したが、同時期登場のアルミ合金車の神戸新交通8000型電車 (こちらも沿岸部を走行する)は2009年 まで残存していた例がある。同様に、普通鋼製の南海7000系電車 は塩害による車体へのダメージが酷く、2015年 までに引退したが、先に登場したオールステンレス車の南海6000系電車 は当時1両も廃車はなく全車健在であった。
旧型車から下回りや機器を流用した車体新製車は、流用機器の老朽化から完全新造車に比べて短い期間のうちに新造した車体ごと廃車される例も多い。流用機器の老朽化や陳腐化が理由であるが、コストなどの保守面等でのデメリットが更新当時の想定以上に急速に表面化するなどの理由によって、早期に廃車される例もある。一方で、老朽化の進んだ機器を新造した機器あるいは余剰となっているより新しい機器と交換して、経年の浅い車体が活用される例もある。
特急形車両 (その格下げ車両 を含む)は高速・長距離運転を行う性質上、一般車両 より老朽化を進行させやすい。例えば国鉄583系電車 から改造された715系電車 は583系時代における長距離運転による走行距離の大きさとラッシュ時 の運用に不適な車体構造などから早期に全廃され、同時期に製造された急行形車両 の方が多く残存していた事例がある[ 注釈 2] 。中央本線 では国鉄時代に製造された211系電車が普通列車 として運用されている一方で、JR東日本E351系電車 が先に全車廃車・解体されている[ 注釈 3] 。阪急2800系電車 は、阪急京都本線 で特急中心で運用されたことで走行距離が大きくなったこと、その後の一般車格下げ改造による車体強度の低下による老朽化の進行で2001年までに全廃されたが、先行して登場した一般車両の2300系電車 の廃車は2800系の全廃と時期を前後する2000年ごろから始まり、それまで全車健在であった。後継車両である6300系電車 は、特急中心の運用による老朽化の進行や、スピードアップ(115km/h運転)に対応できないこと、そして停車駅の増加により変化した運行形態に見合わなくなったことから「京とれいん」と嵐山線に転用された車両を除いて2010年ごろまでに廃車となった一方で、先行して登場した一般車両である3300系電車 や5300系電車 は当時1両も廃車はなく全車健在であった。西日本鉄道 においても8000形電車 は一般車両である5000形電車 より車齢が若いながらも、老朽化を理由に2017年度までに引退している[ 2] 。
技術的要因
技術の向上により、時代に合わなくなったことを理由として廃車することである。製造された当時は最新鋭の技術を使っていたとしても、技術革新 により陳腐化することは避けられない。また、新たに開発された保安装置 を設置できなくなることもある。鉄道車両は、長期間にわたって法定の保守点検 を行うことが義務付けられているため、新造費用だけでなくランニングコストが多くかかる。このため、新しい車両に置き換えた方がトータルコストを低減できることがある[ 注釈 4] ため、寿命に達していなくても置き換えられることがある。
古い車両の場合、交換用の部品が製造中止になってしまい修理が行えないために廃車になることもある。先述のクモハ42形の場合、42001号を走らせるため、稼動中の42006号を廃車して部品取り 用にした。
逆に車体自体は比較的新しいが、足回りの老朽化もしくは環境変化に対応できなくなった、を理由に廃車になるケースもある。京阪電気鉄道 の2000系 や700形 (2代) の場合、架線電圧の昇圧(600V→1500V)に主電動機 などに対応できなかったことが原因で廃車となったが、車体は再利用され、足回りを新調し、冷房装置取り付けなどを行った上で、それぞれ2600系0番台 および1000系 (3代) として「代替新造」扱いされた。同様に、製造メーカーの撤退により修理が行えないために古い車両よりも先に廃車になるケースもある。平成に登場したJR貨物EF200形電気機関車 は製造元である日立製作所 の機関車製造からの撤退により、補修用部品の確保が困難になったことから2019年 までに引退したものの、昭和に登場した国鉄EF65形電気機関車 や国鉄EF66形電気機関車 は2024年現在でも一定数が残存している。
また、特殊な構造を持つ車両や極端に性能の異なる車両(例えば試作車 や、何らかの理由で少数しか製造されなかったグループ)は、保守に手間がかかったり、交換部品のコストが嵩んだりするため、多数の車両を運用する大手鉄道事業者では早期の整理対象となりやすい。多少古い車両であったとしても、数がまとまっていれば量産効果により維持コストは削減可能であり、性能が揃っていれば運転上の特殊な取り扱いもしなくて済む。実例には長崎電気軌道2000形電車 [ 注釈 5] 、営団06系電車 [ 注釈 6] 等がある。
用途(余剰)廃車
運用体系の変化、輸送力増強や転属などに伴う編成の組み換えに伴う余剰車両の廃車が挙げられる。本項では標準的な寿命(新幹線車両は15年、一般車両は30年程度)と比べて相当短い期間で廃車された事例を挙げる。
日本国有鉄道 50系客車
1977年の登場時点で客車列車そのものが時代にそぐわなくなった(所謂オワコン )ことに加えて、国鉄末期から動力分散方式 、短編成化を推進(=「シティ電車 」)したことにより、車齢が若いながらも気動車や電車への置き換えが進められた。
京成電鉄 AE形(初代)
1991年 3月の空港ターミナルビル直下新駅 乗入れに合わせ、6両編成7本を8両編成5本に組み替えた際に余剰となった先頭車2両が廃車となった。残る40両もAE100形の投入により置き換えが進められ、編成組み換え後2 - 3年程度で運用を離脱し、経年15 - 20年余りで全車が引退した。なお、AE形の主要機器は3400形 へ流用されている。
名古屋鉄道 1000系 ・1600系 (クハ1600)「パノラマSuper」・1700系
名鉄特急 の運営方針の変更(ミュースカイ以外のすべての特急・快速特急を一部特別車もしくは全車一般車にすること)によって運用が減少し、1000系の一部と1600系のク1600の全車が廃車となった。一部機器が1000系から新5000系 に、1600系から2300系 に流用された。1600系はその後、残存した2両が1700系 に改造されたが、2200系30番台の導入によって廃車となった。
東日本旅客鉄道 (JR東日本)211系
高崎線 ・宇都宮線 ・湘南新宿ライン でのグリーン車 の営業運転に先立ち、113系 (サロ124形、サロ125形)から編入改造した2階建てグリーン車34両を編成替えして組み込むことになり、これによって編成から外れた同数分のサハ211形が余剰廃車となった。
2009年からは千葉支社 の113系・211系の置換え用として京浜東北線から転用改造した209系2000・2100番台が投入され、これにより幕張車両センター に配置されている211系が3両編成に短縮された上で長野総合車両センター に転出、余剰となったサハ211形は廃車となった[ 注釈 7] 。
その後は上野東京ライン 開業を控え東海道線 ・宇都宮線 ・高崎線 中電の使用車両を4つドアのE231系 ・E233系 に統一するため、田町車両センター および高崎車両センター へE233系3000番台を投入して置き換えが進められた。3つドアの211系は2012年に東京口から、2014年に上野口から撤退し付随車を脱車、高崎車両センターに残留する3000番台の一部を除いて長野総合車両センターに転出し、編成から外れたグリーン車を含む付随車と2000番台の付属編成全車が余剰廃車となった。
JR東日本E231系 (サハE230形500番台・サハE231形4600番台)
山手線 の可動式ホーム柵 導入およびドア位置の統一のため編成中2両組み込まれた6扉車サハE230形500番台104両は4扉車(サハE231形600番台・4600番台各52両)を新製して差し替えることとなり、経年わずか5年程度で全廃、廃区分番台となった。4扉車への代替は使用可能な機器・部品の再利用に際して、検査周期の関係から最終編成である552編成から順に実施した[ 5] 。
山手線へのE235系 50編成の投入に際しては、E231系500番台52編成はサハE231形4600番台を抜いた10両編成で三鷹車両センターに転出し、サハE231形4600番台は改造の上10両編成で製造されたE235系48編成に組み込まれることとなったが、4両が余剰となり、車両中1箇所のドアの位置が異なることから転用が困難と判断され、経年9年で廃車となった。
帝都高速度交通営団 1500NN形
1981年 に丸ノ内線分岐線 (方南町支線)の3両編成化に際し、銀座線 で運用されていた2000形 を転用するため、その補充として8両が製造された。その後銀座線の新CS-ATC導入によって運用車両は01系 に統一されることになり、1993年 までに全廃された。
東京地下鉄 01系
銀座線のワンマン運転移行にともない全編成を1000系 に統一させることになり、 1997年製造の第38編成がよって車齢16年で廃車になった。
東京地下鉄06系
千代田線へのホームドア設置の際扉配置が6000系 、16000系 と扉配置が異なりホームドアに対応できないこと、兄弟形式の07系の保守部品捻出のため、16000系 への置き換え対象になり、2015年に廃車となった[ 3] 。
伊豆急行 2100系 「リゾート21」サロ2180形(ロイヤルボックス )
一部の100系 編成に連結していた特別車「ロイヤルボックス」の利用が好調なことと、臨時特急「リゾート踊り子 」の運用ではグリーン車に相当する車両も必要とされることから、2100系でも1990年 に落成した第4編成で「ロイヤルボックス」を連結した。1991年 に当時在籍していた第1 - 第3編成、1993年に落成した第5編成「アルファ・リゾート21」にもそれぞれ「ロイヤルボックス」が連結されたが、2003年3月31日をもって普通列車運用時の「ロイヤルボックス」連結は廃止され、3両が廃車になった。
西日本旅客鉄道 (JR西日本)500系
JR東海と共同で設計・製造された300系 や700系 との車内設備の違い・運用上の制約などの問題から、JR西日本のN700系 の投入が始まると300系よりも優先して置き換えが行われ、山陽新幹線 内の「こだま 」用に8両編成への編成短縮改造が施工、編成から外れた中間車は余剰廃車となった。
最後まで16両編成で残されたW1編成は、2010年2月28日をもって運用を離脱、2014年3月28日までに全車廃車となった。
廃車後、521-1は京都鉄道博物館 で、522-1は日立製作所笠戸事業所 で保存されている。
JR西日本キハ37形
キハ126系 の投入による山陰本線 の高速化で2003年から保留車 となり、車齢が若いながらも他線区への転用などもないまま2009年に廃車となった(JR西日本には2両だけの在籍であり、同社では採用例が皆無に近いDMF13S型エンジンが搭載されていたため、保守上の問題があった)。
大阪市交通局 1100形 ・900形
1100形は、四つ橋線 の5両化によって余剰となった1115号が、900形(旧6100形)は、中央線 の4両化に伴い余剰となった911号(旧6111号)が、それぞれ1972年 3月に廃車された。
大阪市交通局10系
1995年 (平成7年)から1996年 (平成8年)にかけて、大阪市営地下鉄 御堂筋線 の輸送力増強のため10両編成化する際、新20系(21系) を量産していたことから10系の新車増結は実施されず、21系10両編成3本を追加投入の上で3編成を分割し 、改造および電装解除の上、他の23編成に組み込んだ。その際余剰となった先頭車4両は廃車となった。
大阪市交通局30系 (最終増備車)
御堂筋線への10系増備に際し、8両編成だった30系を6両に短縮して中央線 に転用したが、その過程で余剰となった中間車も中央線の編成として活用する目的で、1984年 に先頭車のみ4両が落成した。その後、24系投入により1両が中間車化改造・冷房装置 搭載の上谷町線 に転用されたほかは1993年に廃車された。
大阪市交通局 100A系 (最終増備車)
2002年製造の第37編成が200系 導入によって車齢15年で廃車になった。
北大阪急行電鉄 2000形
大阪市営地下鉄30系と同期登場でありながら、30系のように冷房化改造するよりも新車に置き換えた方がコストが安いと判断され、1986年 から2代目8000形 に置き換えられることとなり、製造後22 - 24年程度で全車引退し形式消滅した。
JR東日本E3系 (R23 - R26編成)
秋田新幹線 へのE6系 投入に伴い、6両編成4本を7両編成2本に組み替えて山形新幹線 へ転用することとなり、余剰車10両が廃車となった。2005年 製の車両は製造後8年で廃車となっている。
西日本鉄道 1300形
先頭車は初代600形 からの流用であるが、中間車は1000形 より車齢が若いながらも先頭車の車齢の高さから3扉化も冷房化もされず、大牟田線 の全面冷房化に際して1985年 に廃車された。
近畿日本鉄道 10000系 (ビスタI世) ・10100系 (ビスタII世)
1970年 に特急券のオンライン化が行われたが、1編成しかない10000系は特急券のオンライン化が困難であるため、製造から12年で廃車となった。また10000系の量産型に当たる10100系も、のちに登場した汎用型特急車と比べて車内設備の陳腐化が著しく、30000系 に置き換えられることとなり、製造後15 - 20年程度で全車が引退した。なお、10100系の機器類は通勤車の2000系 および30000系の増備車に流用された。
京阪電気鉄道 3000系(初代)
1989年の鴨東線 開業に伴い、新型特急車8000系 7両1編成と京阪特急 の7両編成へ統一するための中間車5両の計12両が新製投入された。8000系の人気は予想を上回るもので出町柳駅 や淀屋橋駅 では本系列を見送ったり、本系列に1両だけ組み込まれた8000系中間車に乗客が集中するといった現象が見られたため、特急を全面的に8000系に置き換える方針に変更され、本系列は主電動機などの機器を8000系に転用の上、1編成7両と2両の予備車を残して廃車となった。3500型と3000型の各10両が富山地方鉄道 および大井川鉄道(現・大井川鐵道 )に譲渡された。
東京都交通局 10-300R形
新宿線 の保安装置更新に伴い、比較的車齢の若い10-000形 の後期製造車を活用する目的で先頭車のみ新製、置き換えたものである。新造された先頭車は車齢が若かったものの、中間車が10-000形からの転用であり、かつ老朽化が進んでいたため、10-300形 の増備に伴い、先頭車は中間車と同時に廃車されることが決まり、2017年までに全車が廃車された。
名古屋市交通局 3050形 (3159編成)
4両編成で新造され、後年6両編成に組み替えられた際に余剰となった3000形 を活用する目的で、1993年に4両が新製されたものである。後年になってN3000形 で3000形の老朽取り換えを実施することとなった際、中間に3000形2両を組み込む3159編成も置き換えの対象となったことで、2019年に編成ごと廃車となった。
東京急行電鉄 5000系 6扉車
田園都市線へのホームドア 導入に際し、ドア位置を統一するため、10両編成の編成中に2 - 3両連結された6扉車は新造の4扉車に代替され、製造から10年程度で全廃となった。6扉車の一部機器は新造した4扉車などに流用された。
JR東日本E751系
つがる の運行系統変更に際して編成を6両から4両に短縮し、編成から外された中間車は増結用としたが、実際は使われることなく、廃車となった。
JR東日本E257系 (0番台付属編成)
中央本線特急のE353系 投入によって置き換えられたE257系松本車 の9両基本編成は波動用(5000番台)もしくは踊り子 用(2000番台)に転用されたが、2両付属編成は転用されず全廃された。
JR東日本209系 3100番台
三鷹電車区 からの209系3500番台及びE231系3000番台の転入が完了した後も、ワンマン対応改造による予備編成確保のため引き続き八高・川越線にて運用されていた。2022年3月のダイヤ改正において同線区がワンマン化されたことで運用を離脱、最終製造車2両を含む8両全車が特に転用などもされることなく廃車となった。
阪急電鉄 5100系 ・6000系
5000系 のリニューアル・固定編成改造に際して、5100系から一部車両の供出を行うため編成替えが行われ、余剰車3両が休車となった。6000系は2200系 の編入およびワンマン運転対応のための編成替えで余剰となった1両が休車された。いずれも運用復帰することなく、長期間休止の後に廃車された。
大手の鉄道会社などでは、新型車両を投入した後にそれまで使用していた車両を他の線区へ転出させ、転出先の線区で使われていた旧形車両を置き換えて廃車させることがある(例:網干総合車両所 への225系 新製投入→同所の221系 を吹田総合車両所 奈良支所へ転出→同所の201系 を置き換え)。このとき編成は適宜組み替えられるが、組み替えた結果として余った車両が廃車となることがある[ 注釈 8] 。JR東日本の209系電車は京浜東北線 から房総地区や南武線への転用の際、編成から抜き取られた付随車 が廃車解体されている。また中央・総武線 の209系電車やE231系電車も武蔵野線 や八高線へ転用する際に6扉車が全廃となったほか、余剰となったサハ209形やサハE231形も廃車解体されている。編成組み換えによって余剰となるのは多くが付随車で、転用する場合は電動機などを取り付けて動力車 に改造することや、運転台を取り付けて制御車 に改造することなどが必要となる。転用先での車両不足の場合には、改造して転用される事例もある。伊豆急行では東急8000系電車 の制御付随車を電動車に改造した事例がある。
また、東京メトロ東西線 乗入れ専用車であった国鉄301系電車 の場合、地下鉄との協定でJR側の乗り入れ数が減少したために余剰となった1編成が廃車となった。
他にも、廃線 や列車廃止の影響による廃車事例もある。
JR東日本EF63形
信越本線 の横川 - 軽井沢 間における碓氷峠 の急勾配区間専用補助機関車 として使用された同機は、1997年の北陸新幹線 (高崎 - 長野間)先行開業と引き換えの碓氷峠区間の在来線廃止に伴い、本務機EF62形 ともども全車が車籍抹消(除籍 )となり、形式消滅した。なお、碓氷峠では先代の国鉄ED42形電気機関車 も粘着運転への切り換えに伴うアプト式 運転廃止で全車廃車となっており、この区間では路線切り換えによる車両の用途廃止による廃車が2代続いたことになる。
廃車後は主に碓氷峠鉄道文化むら や軽井沢駅に静態保存(一部は動態保存)されている。
JR東日本EF71形
主に末期は奥羽本線 の福島 - 山形 間の客車普通列車 の牽引に使用されていたが1992年 に山形新幹線 開業のためこの区間が標準軌 化されたことで同区間での用途を失った。
一部は東北本線 で臨時の運用に使用されたこともあったが、もともと平坦線区間での粘着係数を重視せず、増加分のモーターは長時間抑速回生ブレーキ 運転における主電動機熱容量に余裕を持たせるためであり、弱め界磁を装備せず高速運転を考慮しない、となどという板谷峠 での運用のみに割り切った特殊設計であるがゆえに他線区への転用・活用ができなかったことから、1993年までに全車が除籍され形式消滅した。
廃車後は1号機のみが新幹線総合車両センター に静態保存されていたが、2019年に解体された。
長野電鉄 10系
木島線 廃止の影響で余剰となり、普通列車の運用が3500系 に車種統一できることから廃車となった。車齢は3500系や、その後東急電鉄より譲渡された8500系 より若い(1編成2両だけの在籍だったため運用上や整備上の問題もあった)。
下津井電鉄 2000系
下津井電鉄線 の廃止の影響により、車齢3年で廃車となった。
郵便車 ・荷物車
鉄道による郵便・荷物輸送の廃止により、廃車となった。荷物車の中には旅客車や事業用車に転用された車両もあるが、気動車については他用途に転用されることなく、国鉄末期に廃車となった。
後者の外部的な変化としては、他事業者他路線もしくは他車両・新しい規制や法令の影響などで廃車された例がある。
東京都交通局6000形 6152号車
都電 全盛時代を伝える唯一の車両として、またライトの形状から「一球さん」という愛称で保存車として親しまれていたが、京福電気鉄道越前本線列車衝突事故 の事故車のブレーキ機構が1系統しかなく、このブレーキ故障によって制動不能となったことが原因として明らかとなり、同様のブレーキシステムであった6152号も休車、その後廃車された。
廃車後、保存を求める声が多数寄せられたため、解体は免れた。その後、譲渡先の候補からあらかわ遊園 が選ばれ静態保存された。
小田急電鉄 10000形 「HiSE」
交通バリアフリー法 が施行され、鉄道車両にもバリアフリー 対策が求められる中で、ハイデッカー 構造のために対応工事が困難であることが理由の一つとなり、より古い7000形電車「LSE」 よりも早く廃車となった。そのうち2編成(10021Fと10061F)が4両に短縮の上、長野電鉄 へ譲渡された。
小田急電鉄20000形 「RSE」
10000形電車「HiSE」と同様、交通バリアフリー法が施行され、鉄道車両にもバリアフリー対策が求められる中で、ハイデッカー構造のために対応工事が困難であることが理由の一つとなり、JR東海371系電車 ともども60000形電車「MSE」 に置き換えられ、より古い7000形電車よりも早く廃車となった。1編成 (20002F) が3両に短縮の上、富士急行線へ譲渡されフジサン特急として活躍している。
小田急電鉄50000形 「VSE」
連接構造であることから整備が煩わしく、主要機器の更新が困難と判断され、より古い30000形電車「EXE」「EXE α」 より早く引退した。
横浜市交通局 2000形
2006年 まで1号線・3号線(現・横浜市営地下鉄ブルーライン )で運用された同車は3000形 とドア幅が異なり、可動式ホーム柵の設置および翌年開始のワンマン運転に対応できないため、同年までの間に3000形に置き換えられ、廃形式となった。なお、第16編成以外の台車や空気圧縮機・ブレーキ装置等の一部機器は3000S形へ流用された[ 注釈 9] 。
神戸市交通局 3000形
神戸市営地下鉄西神・山手線 での全駅ホームドア設置にあたり、ホームドアと車両扉の開閉連動およびワンマン運転に対応した6000形 に車両を統一するため置き換えが進められ、2021年までに全車が引退。車齢は1000形 や2000形 、北神急行電鉄より移籍した7000系 より若いながらも神戸市営地下鉄の車両で初めて廃形式となった。なお、本系列は全車がGTO-VVVFで、1000形のGTO-VVVF搭載車についても同年時点ですでに全廃されている。
東海旅客鉄道 (JR東海)100系
1985年に登場した100系は0系 と基本性能は変わらず、300系 や700系 の270km/h 超の車両の投入によるスピードアップに対応できないため、山陽新幹線こだま用として短編成化されたK・P編成を除き、通常の寿命よりも3 - 4年早く廃車となった。100系の設計最高速度は275km/hだが、騒音基準を満たせなかったことにより220km/hでの運転にとどまったことも要因の一つである。
食堂車 はその外部的要因と内部的要因による影響を複合的に受けた例の一つである。
1972年の北陸トンネル火災事故 によって、国鉄10系客車 の食堂車は火災に対する安全性が問われ(外部的要因)、早期に廃車された。国鉄末期になると、新幹線網の発達や自動車の普及、航空機利用の大衆化による特急電車の短距離化・短編成化の傾向の影響を受けたり(内部的要因)、さらに海外旅行の大衆化をはじめ、近年の旅行形態の多様化の影響を受けるなどして(外部的要因)、昼行特急列車の食堂車の多くが廃止され、余剰であるとして廃車となった。
廃止となった昼行特急列車の食堂車のうち、廃車を免れた少数の例として国鉄485系電車において雷鳥 の食堂車を廃止する代わりに和風電車「だんらん」に改造した例がある。この車両はのちの「スーパー雷鳥」新設時に、ラウンジ 付グリーン車へ再改造された。また、JRに継承された一部は国鉄24系客車 (「北斗星 」や「トワイライトエクスプレス 」)の食堂車に改造された。
上記のとおり、1970年代 は多数の食堂車が余剰になったが、車齢が10年前後と若いものが多く、そのまま廃車手続きを取ると会計検査の関係上問題があったため、車籍を有したまま各地で長期留置された。例えば1970年まで製造された国鉄20系客車 のナシ20形については1978年 に運用停止になった後も品川客車区などで留置され、国鉄分割民営化 直前に廃車された。
珍しい例としては、新幹線1000形電車 の「解体設備の運転試験のために廃車」といったものや、国鉄DD54形ディーゼル機関車 や阪神3801形 第1編成のように「故障や事故が多発し過ぎて廃車」(いずれも車齢12年程度で全廃)、JR貨物EF200形電気機関車 のように「メーカーが機関車製造から撤退して部品調達が困難となり廃車」といったものなどがある。
試験終了による廃車
試験車 は大きく分けると次の3タイプになる。
A 新造車:試験のために開発された車両。今までと違う機器を搭載していたり、車体形状が突飛であったりしていることから、編成内でバラバラであることも多い。
例:新幹線500系電車900番台 (WIN350) 、JR東日本E993系電車 (ACトレイン)。
B 改造車:台車やモーターなど一部分のみの試験を行う車両。在来の車両に改造や仕様変更を行っただけなので、旅客運転をしながらデータ収集を行うことも多い。
例:国鉄103系電車 DDM 駆動改造車(JR東日本京葉電車区 所属モハ103-502)。
C 先行試作車:次期新造車両の性能を確認するための車両。新造車と違うのは、量産を念頭に置いた車両である点と、実際に客扱いを行う点で、突飛な姿をしていることはまずない。また、客の評価や運用上の問題点などを調べ、量産車に反映させる役割も担っている。
例:JR東日本901系→JR東日本209系900・910・920番台、JR西日本681系電車 (1000番台)。
Aが旅客車に改造されることはなく、試験終了後に廃車されるものがほとんどであるが、障害物に激突させ、原形を留めない姿で解体されていくものも多い。ただし、国鉄キハ391系気動車 (2015年初旬に片側の前頭部を残して解体)や新幹線955形電車 (300X) 、新幹線500系電車900番台 (WIN350) ・新幹線952形・953形電車 (STAR21) などの高速試験用新幹線のように試験終了後も現在に至るまで保存(片側または両側の先頭車もしくは前頭部のみ、中間車は952形・953形の一部を除いてすべて解体)されているものもある。ただし、都営地下鉄大江戸線 12-000形電車の試作車 のように、試験終了まで入籍しなかった車両も存在する。また、非常にまれなケースではあるが、全く別の試験車として生まれ変わる場合がある。例えば製造工法確認を目的として試作されたクモハ223-9001 がクモヤ223-9001U@tech試験車 (2019年3月末に廃車)に改造された例が挙げられる。
Bは試験終了後、未改造の車両の仕様に戻され、他の車両と同じに戻ったケースもある(例:JR西日本221系電車 160km/h走行対応改造車、JR西日本223系電車 2000番台シングルアームパンタグラフ試験車およびリチウムイオン蓄電池 駆動試験車、阪急7000系 ボルスタレス台車試験車)が、基本的にはそのままの姿で使用され続ける(東急6000系電車 (初代) 、阪急8000系 PMSM・SiC-VVVFインバータ試験車)。しかし、種車に旧型の車両を選んでいた場合は牽引車 や入換車 として再利用される場合を除いて廃車される。一部の試験車では運行を開始したが、保守などの取り扱い上の問題から早期に廃車となる例や、先頭車1両のみの場合電装解除の末付随車化されるケース(例:阪急7300系 VVVFインバータ試験車)もある。
Cは量産型に合わせた量産化改造が行われ、新形式の一員として使用され続けるものがほとんどである(例:JR西日本207系電車量産先行車 、新幹線700系電車 )。しかし量産が中止になったり、量産時に大幅な設計変更が行われたりした場合、その車両は早めに休車され、その後廃車されたり(例:国鉄415系電車クハ415-1901 、JR東日本E331系電車 )、新形式登場後も引き続き試験用として使用されたりすることもある(例:新幹線N700系電車 、新幹線N700S系電車 )。また、無事に運用を開始したとしても量産編成の中間に組み込まれたり(例:国鉄201系電車 900番台)、区間運転用や支線区での折り返し運用の専属車とされたり(例:近鉄1250系(現在の1420系 )、営団6000系電車 1次試作車)、事業用車へ転用されたり(例:東急7200系アルミ試作車 )といったケースも多い。量産に至らなかった車両はラッシュ時 限定で使用されたり(例:阪急8200系電車 )、限定運用とされたり(例:JR四国2600系気動車 )、試験用として使用されたり(例:JR北海道735系電車 )、改造の末他形式に編入されることもある(例:南海8000系電車 (初代) (現・6000系電車6521F ))。中には国鉄207系電車 や国鉄713系電車 、および近鉄3000系電車 など本線で運用されている例もある(国鉄207系は2010年 1月6日に、近鉄3000系は2012年に廃車)。国鉄207系は1986年に次世代型VVVFインバータ制御 試作車として登場したが、当時はまだ半導体技術が未熟であったため、コストが掛かり過ぎるなどの理由で、同タイプの車両の量産に至らなかった(国鉄分割民営化後にJR西日本が新設計で207系を新造・量産したが、本形式との関連はない)。国鉄713系は九州初の交流専用車の試作車として登場したが、当時の国鉄の財政事情により急行形の車体載せ替えおよび近郊形化改造(717系電車 )で必要両数を賄う方針に転換したため、結局8両の先行試作車だけが残ってしまった。近鉄3000系は近鉄初の電機子チョッパ制御 、オールステンレス車で、京都市営地下鉄烏丸線 への直通運転 用として1979年 に登場し、概ね良好な成績を残したものの、烏丸線京都 - 竹田 間の延伸開業が遅れたこと、同区間が開業した際には既にVVVFインバータ制御が実用段階に入っていたこと、また近鉄ではアルミニウム合金 製車体を標準採用するようになっていたため、電機子チョッパ制御やオールステンレス製車体を踏襲する必要性が事実上皆無になっていたことから、同タイプの車両の量産に至らなかった(その後、近鉄は地下鉄烏丸線直通用に3200系 を設計・製造した)。また国鉄DE50形ディーゼル機関車 のように、量産先行形として試作を行い、実際の営業運転でも良好な成績を残したものの、その後の環境の変化(全国的な電化の進捗)により量産しても需要が見込めないなどとして、結局1形式1両の先行試作機だけが残ってしまったというケースもある。珍しい例としてはJR北海道キハ285系気動車 のように、営業運転はおろか試験すら行わずに休車され、廃車解体された車両も存在する[ 6] [ 注釈 10] 。
観光列車・ジョイフルトレインの廃車
観光列車 やジョイフルトレイン は多くが旧型車の改造によって製造されており、改造の種車自体の車齢が高いものが多い。そういった車両に展望化やハイデッカー 化などの工事を行っているため、老朽化も進みやすい傾向にある。またイベント列車専用の改造を実施した例も多く、他線区への転属も難しい。そのため、その列車が廃止されればそのまま廃車される場合も多い。
これらの車両が残存する場合には次のようなものがある。
団体専用車になる場合
イベントトレイン・ジョイフルトレインは元々団体用の車両の場合が多く、これが最も多いパターンである。ほぼ無改造で転用される場合がほとんどであるが、一部の客車列車などには欧風→和風の改造(逆もあり)など内装の変更が行われる場合もある。
このパターンではJR西日本のキハ65形 「エーデル」・「シュプール&リゾート」改造車などがある。
別のジョイフルトレインに改造される場合
経年の浅い車両では再改造されて別のジョイフルトレインになる場合もある。JR九州キハ183系気動車 がよい例で、「オランダ村特急 」→「ゆふいんの森(II世) 」→「シーボルト 」→「ゆふDX(赤→黄)」→「あそぼーい! 」と5回も変わっている。
このパターンの場合の改造は主に内装とカラーリングの変更を中心に行われる。
全く別の車両になる場合
非常にまれなケースではあるが、実例もいくつか存在し、クロ212-1 がクヤ212-1 U@tech試験車 に改造された例などが挙げられる。
一般車に戻される場合
改造が塗装の変更など少しであった場合や、各種ビアホールトレインなど元々期間限定であった場合などに行われる。元に戻った後は他車と全く区別が付かなくなる場合もしばしばである。また戦後の混乱期には車両数を確保するために展望車 などを改造したこともあった。
例としては前者に名鉄1000系電車 「ブルーライナー 」、後者には江ノ電の納涼電車などが挙げられる。
一般車に格下げされる場合
これには2パターンあり、元々グリーン車や座席指定の車両を普通車(自由席)にする場合と運用がなくなったイベントトレインとジョイフルトレインを一般車 と共通運用にする場合がある。
前者の場合リニューアル改造などが同時に行われることも多いが、後者の場合は無改造であったり座席の固定化などの簡単な改造で済ますことも多い。
前者の例ではJR東日本のジョイフルトレイン(「Kenji 」など)、後者では近江鉄道700系電車 や国鉄色復元車 (例:JR九州キハ58・65形「TORO-Q」用車両)もこれに含まれる。
戦中・戦後の混乱期には輸送力を確保するため、一等寝台車などを三等車(普通車)に改造した例もあった。
地方私鉄に譲渡される場合
JR・大手私鉄では余剰となった車両でも、地方私鉄では重要な戦力になる場合も少なくない。
後述のようにその鉄道会社に合わせた改造が行われることがほとんどだが、内装はそのまま使われることも多い。
ジョイフルトレインではわたらせ渓谷鐵道 の「サロン・ド・わたらせ」(旧「やすらぎ 」)や富士急行の「フジサン特急」(初代、旧「パノラマエクスプレスアルプス 」)、イベントトレインとしては三陸鉄道 の36-300形 (横浜博覧会協会 より譲受)といった例が存在する。
特別廃車
日中戦争 が勃発した1937年 以降、軍の要請により日本が支配する外地 (植民地 )の鉄道整備のため、鉄道省に在籍する車両が改造のうえ彼地へ送られた。これを一般に戦時供出 といい、対象となった車両には特別廃車 の手続が取られた。
1937年から1938年 にかけては、主に中国 の華中鉄道 や華北交通 向けに9600形 やC51形 などの蒸気機関車のほか、スハ32600形客車 やキハ40000形 、キハ42000形気動車 などが、標準軌 に改造のうえ供出された。
太平洋戦争 が始まると、今度は南方のタイ やビルマ 、海南島 などの占領地で建設された軍用鉄道向けに、多数の機関車が供出された。泰緬鉄道 に供出されたC56形 が代表的であるが、C12形 、C50形 、C58形 、D51形 なども対象となっている。これらは1m軌間に改造のうえ発送されたが、途中で輸送船が撃沈されるなどして失われたものも多い。
戦後残ったものは所在する国に接収され、その国の鉄道で使用された。タイ国鉄 に引き継がれたC56形のようにその後の消息が比較的聞かれ、その後日本に帰還したものもあるが、ほとんどの消息は不明となり人知れず異郷の土となった。
被災廃車
事故・自然災害・テロ行為 等による被災で損傷し廃車となることもある。JR福知山線脱線事故 の当該編成JR西日本207系電車Z16編成 や、信楽高原鐵道列車衝突事故 の当該車であるJR西日本のキハ58 1023 ・信楽高原鉄道のSKR200形 2両、東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災 )による大津波 で被災したJR東日本E721系電車 P1・P19編成および205系電車 M9編成、2002年9月26日の名鉄名古屋本線踏切事故で被災した名鉄1000系、2010年1月29日の函館本線踏切事故で被災した789系HL1005編成、2019年9月5日に京浜急行本線神奈川新町第1踏切衝突事故 で被災した京急新1000形 1137編成に見られるような原形を留めない場合や、そうでなくても修理費用が新製とほとんど変わらなくなったり(東北地方太平洋沖地震による大津波で冠水した三陸鉄道36-100形気動車 104・203・205の例など)、あるいは当該車を修理して営業運転に復帰させるよりも、新製するほうが費用が安い場合(令和元年東日本台風 〈台風19号〉による千曲川 決壊で冠水し120両が廃車となった北陸新幹線 、海外ではスマトラ島沖地震 、大邱地下鉄放火事件 、ロンドン同時爆破事件 、マドリード列車爆破テロ事件 、2022年ロシアのウクライナ侵攻 の例など[ 10] )が典型例である。
しかしながら、鉄道車両の場合は台枠 と呼ばれる部位について、歪んだり変形したりした場合その修復は極めて難しく、新潟県中越地震 で脱線した新幹線200系電車 K25編成など修復可能のように見える車両であっても実際には修理不能として事故廃車(K25編成は修理不可というよりも脱線の状況の研究のために廃車となった)となったり、昭和57年台風第10号 による集中豪雨 で王寺駅 構内での100両もの大量冠水事故が発生した際は、同様の被害を受けたにもかかわらず車齢の差もあって101系電車 60両が廃車となったのに対し、113系電車 40両は修復を受けて復旧している。また、車体のダメージがなかったり修理可能であったとしても、事故地点の地形的な問題から車体の搬出が困難であったり、被災路線の迅速な復旧作業に支障が出ると判断された場合、または人命救助が優先される場合、現地で解体されることもある(大村線 の踏切事故で被災したキハ200-1011 や、芸備線 の土砂崩れにより横転したキハ120-358 、東日本大震災で被災したキハ100-30・38 、阪神・淡路大震災 で被災し41両が廃車となった阪神電車 の例など)。
日本一短命の鉄道車両は、わたらせ渓谷鐵道わ89-100形 わ89-102号車で、実働期間は1989年3月29日から同年5月14日までの約1ヶ月半だった。
損傷が激しい事故廃車の場合、基本的に現地で解体されることとなるが、警察 や検察 、裁判所 から証拠物件の保持命令が出された場合はそれが解かれるまで、除籍は一切できない。そのため、2005年4月に発生した鉄道事故である福知山線脱線事故の207系S18編成は、2011年に返還されるまで留置され続けた。三鷹事件 の際の先頭車であった国鉄63系電車 モハ63019の場合、裁判の資料として事件後十数年間に渡って留置され続けた(その結果、モハ63形が実際には消滅したかのように見えていたが、長年1両だけ残存していた)。
被災廃車となった分は補填をしなければならないため、当該車両が古い場合、あるいは既に製造停止になっていた場合は他形式の車両を回す(最新型の車両を追加で新造投入[ 注釈 11] )か、編成替えや運用の変更で代替車両をまかなうこととなる。まだ新しかった場合には同じ形式の車両を新造する。これを代替新造と呼ぶ。ただし、事故車が廃車対象車であったり、残った車両が編成両数の半分未満である(6両編成の場合は3両未満、7両編成の場合は4両未満)場合、また相鉄3000系電車(2代目) や阪急2200系電車 のように1形式1編成などの異端形式であった場合、前者のように残った車両も全て廃車されるか、あるいは後者のように他形式へ改造編入されるなどのケースもある。また、京王8000系電車 の場合、事故廃車となった先頭車の代わりに新造の費用が比較的安い中間車を製造し、編成替えを行って先頭車を捻出して事故車の2代目とした。阪神・淡路大震災で被災した阪急3100系電車 3109号車が廃車された際の事例では、編成中間に組み込まれていた3000系の制御電動車3022号車に3100系の電装品を取り付け改造して代替車とし、休車となっていた2021系 の中間付随車2171号車を電装化して2代目3022号車とした[ 注釈 12] 。前述の851系は1編成しかないにもかかわらず部品確保用の車両を使用して復帰することや名鉄1380系電車 のように修理改造までして残すのはかなりまれな例である。事故車が廃車対象車の場合は代替車が既に発注済みの場合もあり、その場合は追加で投入せずに発注済みの分だけでまかなわれることもある(南海7100系 7185Fがその例)。代替車両の補填が困難な場合は運転本数や編成両数の削減、系統分割などダイヤの見直しを行なう場合もある。ただし、新しく残った車両が編成両数の半分以上でも前述のE233系電車1000番台サイ177編成や京急新1000形1137編成のように全車廃車となるケースも存在する。
鉄道車両には1両毎に番号 が付いている。代替新造された車両には、事故廃車となった車両の番号と同じものを付けて新造する鉄道事業者もあるが、廃車車両と番号を区別する必要がある、事務上の処理において障害になる、あるいは縁起が悪いなどの理由から新しい番号を付番して、事故廃車となった車両の番号は欠番とする鉄道事業者もある。
車体全体あるいは車両そのものを製造し直し修理復旧扱いで再度営業運行に投入する例もある(大月駅列車衝突事故 で大破したJR東日本E351系電車S3編成 や2008年 の脱線事故(踏切障害に伴う)で大破したJR東日本E233系電車 青661編成など。これらの場合は事故車の部品を流用することが多い。通常は同じ番号で製造し直されるが、乗用車と衝突し大破したJR東海313系電車 の代替新造車は修理復旧扱いではあるものの元の番号に+100を付番している)。極端な例としては東武鉄道 があり、基本的に事故車は修理する方針のため8000系 など踏切事故で過去に大破した車両がある[ 注釈 15] にもかかわらず、生産から30年以上経った2004年 まで廃車は1両もなかった。8000系は車体と機器の大半を再度製作した上で新造に限りなく近い形で復旧させた。同社で事故廃車扱いにされた車両は踏切事故に遭遇した7800系 の7808Fおよび電気系統の火災に遭った5070系 の5174F、8134F/8523Fのみであり、かつて2000系 [ 注釈 16] が営団地下鉄日比谷線 内で電気系統のトラブルで火災が発生し、全焼した時や、営団日比谷線脱線衝突事故 で東武20000系電車 [ 注釈 17] が営団03系電車 [ 注釈 18] と衝突、大破した時も同番号での修理復旧となっていた(営団03系は廃車)。また、事故廃車となった7800系にしても、その台車や機器類は修理して保管され、のちの7800系の5000系列 への更新の際に利用されている。
連接車 やユニットモーター車など構造的に複数両数で1セットとなる車両においては、製造中止になっている場合、その中の1両でも廃車になると残った車両はそのままでは使えず、代替新造もできないということで再利用不可能となり、廃車される場合もある。ユニットモーター車の場合は電装解除して付随車(もしくは運転台を取付て制御車)となることもある(クハ111-1201など)。
車両の損傷ではなく機器類の故障だけでも廃車されたケースもある(連結器 のショートによる電源故障でオーバーランした名鉄1850系電車の1853編成や落雷による制御器故障で走行不可能となった近江鉄道800系電車 の801編成がその例)。
事故から復旧しても、加速やブレーキ作動時の挙動に特有の癖が出る、あるいは故障が多発するなど不具合が残る場合もある。そういった場合、モーターを載せ換えるなどの修理を行うが、修理工程が新製に近いものになる、もしくは縁起が悪い、取り扱いが他の車両と異なるなどの理由で乗務員や検修員から極端に嫌われると、廃車処分される場合もある。例として、JR西日本所有のEF66形電気機関車55号機が、1992年に山陽本線 で線路内に転落したトレーラーに衝突 して大破、のちに修理され運用に復帰したが、蛇行動 など不具合の頻発により、乗務員から敬遠され、他の車両より早く廃車されたケースがある。DD54形2号機も急行「おき」機関車脱線転覆事故 で脱線転覆、のちに現役復帰したが、液漏れの多発のため廃車となり、DD54形1号機が1966年 に落成したばかりであるにもかかわらず、DD54形は12年後の1978年に形式消滅した。
非常に稀な話だが、被災した車両が全く別の車両になるケースも存在する。例えば令和2年7月豪雨 で被災したキハ220-1102(元「なのはなDX」)が多機能検測車BE220-1「BIG EYE」に改造された例が挙げられる。
また、自然災害で車両自体は無傷でも、走行する路線が災害によって全面運休になり、経営基盤が貧弱な鉄道会社においては、膨大な復旧費用を捻出することができずに、廃線となった結果、車両が廃車になる場合もある(高千穂鉄道 など)。
戦災廃車
鉄道は物資輸送や生産の面で、戦争 遂行において重要な役割を果たすことからその機能を削ぐことは戦争に勝利するための戦略の一つとなる。そのため、鉄道はしばしば敵対勢力からの重要な攻撃目標となる。鉄道車両もその一要素をなすものとして攻撃対象となり、戦場となった地域では多くの車両が空襲 や艦砲射撃、機銃掃射 などによって破壊された。また、退却の際に鉄道施設を敵対陣営に使用させないため、自軍の手により破壊されることもある。
日本においては、太平洋戦争 末期の空襲により多くの車両が焼失した。これらは戦後に除籍されたが、戦後に発生した輸送状況の逼迫を打開するため、廃車体の一部は応急的に復旧されて復籍し、復興輸送の一翼を担った。一部は私鉄に譲渡されている。しかし、これらは火災の際の熱により台枠等の基本構造にダメージを受けていたり、復旧自体が物資不足の時期におこなわれた応急的なもので品質が悪く、多くは早期に非旅客用車両への転用や車体更新が行われた。
車体振り替え
旧型車の置き換えの際に置き換え対象車の廃車の手続きを取らず、新規導入車を置き換え対象車両の改造名義で振り替えてしまう事例もあり、一部の私鉄ではかつては多く行われていた(東武鉄道 の200系 や6050系 のほか、近年まで運行されていた5000系列 および3000系列 はこの手法を応用した形である)。こうした振り替えを繰り返していくと、実車はどう見ても新車であるが、書類上は100年以上も前の車両の改造車ということも起こりうる[ 注釈 19] (いわゆる「テセウスの船 」)。鋼体化改造や事故車の復旧名義による代替新造も広義にはこの範疇に含まれ、車体新造や部品流用だけでなく他事業者から購入した中古車体(台車や機器まで含めた一切合財)によることもある。こうした場合、名目上車籍は存続しているものの、旧車体が振り替えられて解体された時点で実質的に廃車になったと見るべきである。
こうしたケースは、改造として当局に届け出られるべき事項であるが、まれに無届のまま現車の振り替えが行われてしまうことがある。振り替え事例は私鉄ばかりでなく国鉄においても見られた(60系客車 や413系・717系電車 、キハ38形気動車 など)。ほか、名目上の最古の現役機関車である九州旅客鉄道 の8620形58654号機 も新造時の部品がほとんど残っていないため、事実上の振り替えになる。
廃車の解体
解体業者まで陸送される廃車車両。前照灯・ナンバープレートなどが取り外されている
解体前
解体される場合、該当車両は解体場まで回送 され、解体を待つことになる。これを廃車回送 といい、解体場に到着した時点で除籍され、正式に廃車となる。また、廃車回送に乗客を乗せて臨時団体列車 に仕立てる企画が実施される事例もある。
動力がない場合や検査 切れなどで自走できない場合は、機関車など他の動力車に牽引されて回送される。JR東日本では電車を牽引するための連結器 を装備した電気機関車を、車両輸送用の専従車として使用している。
廃車のため秋田総合車両センターへ回送されるED75 757号機
解体場は車両基地 や工場の片隅を使用することが多いものの、環境面の問題(主に沿線自治体の条例)から、大手私鉄 では自社での解体作業を行わず、廃車体をトラックやトレーラーに積載し、解体業者まで陸送する場合も多い。
例えば、群馬県 館林市 にある東武鉄道の北館林荷扱所 (資材管理センター北館林解体所)には専門の解体業者が駐在し、東武自社のみならず、関東地方の私鉄他社の廃車解体も引き受けている。
廃車解体作業中の電車。窓ガラス・冷房装置・ドア・内装材などが取り外されている
解体手順
解体の順番が来ると編成を解かれ、入れ換え機械(アント)により解体線に移されて解体作業が始まる。おおまかな手順は以下の通り。
機器や内装を取り外した後、バーナー で真横に焼き切り、重機(油圧ショベル のアタッチメントを替えたり、クレーンなどを使って裁断する。フォークリフト を使う場合もあり)を使って上部を外す。さらに下部も台車から外す。最終的にさらに裁断する。
機器や内装装置を外した後、重機(油圧ショベルのアタッチメントを解体用のものに替えて使用する)を使って裁断していく。
重機は使用せず、バーナーのみ使い手作業で解体していく。補助的にフォークリフトや小型クレーンを使うこともある。
JR には解体場が複数あるため、3つの方法すべてで解体されている(JR東日本の場合、解体業者との契約は各工場毎のため、旧大船工場 では1、旧大宮工場 大成地区(現在の鉄道博物館 がある場所)では2など、各工場で異なっていた)。
解体業者に委託している鉄道会社の場合、既に台車や機器が取り外された車体のみで送られて来るので、2の方法が多い。
東京地下鉄 や東葉高速鉄道 などでは、特に機器や内装装置は外さず、そのまま重機で解体した後に分別していた。しかし現在は、内装等を取り外し、ほぼ鋼体のみにして解体している。
東海道新幹線 浜松工場 では、1の形を応用した廃車解体専用の特殊な設備を使用する(まず屋根を電動カッターで外す→妻面を電動カッターで外す→車体下部を電動カッターで切断→切断した車体と床をまとめて細かく切断、となる)。
半鋼車が多く環境規制が緩やかだった時代には、車体に放火して木造の内装や座席等を焼却し、焼け残った構体等のみを解体する方法も用いられた。大気汚染の原因となるなどの問題から、日本の現行法規では禁止されている。
解体中には火災が発生する可能性があるため、ホースで水を撒きながら重機を使って解体をする。
解体後
新幹線700系の車体を再利用した東京駅のインテリア
解体された後は基本的に産業廃棄物 として処分されるが、再生可能な場合はリサイクル され、新車製造の際に再利用される場合もある(営団05系電車 (第24編成)や新幹線N700S系 など)。取り外した機器などは他の車両の予備として残されたり、他の鉄道事業者向けに中古部品として販売されることもある。
ナンバープレートや銘板は、車両基地の一般公開やイベント時に即売会や鉄道会社の通販などで販売されたり、競売 にかけられることもある。しかし、近年では悪戯防止や金儲けの転売を阻止する目的や、廃車車両に含まれていたアスベスト の問題が表面化したことから、販売されず鉄道会社の倉庫に死蔵されたり、廃車と同時に廃棄処分されることも多くなっている。
JR東日本では東日本大震災の寄付金を集める目的で、東京駅 に保管されていた鉄道部品を競売にかけたことがあった[ 12] 。
特殊な例として、廃車解体の様子を配信しながら、取り外された部品をその場で販売するという企画が、動画共有サイト 「ニコニコ動画 」のイベント『ニコニコ超会議 』で行われた[ 13] 。
廃車の再活用
鉄道車両における3R
リデュース
製造時からアルミ合金など鉄道車両の構体の素材の種類を統一するなど車両規格を統一したり部品を共通化することで解体時に再利用できる割合が増加してきている[ 14] 。
リユース
他社への譲渡、博物館や車両基地、公園、研修機関での保存、民間への売却などがある[ 14] 。
リサイクル
解体時の分別、部材の他の車両への再利用など[ 14] 。
他の鉄道事業者への譲渡
廃車後、他の鉄道事業者へ譲渡される車両もある。
大都市では性能的に古くなった車両ではあるが車体や機器は極端に劣化しているわけではなく、高速走行が少なく保守に手間がかけられる地方の私鉄から見れば高い品質性能を保っていることが多く、線路がつながっていたり系列会社であったりすればなおさら交渉もスムーズに行われやすい。
例えば能勢電鉄 の車両はすべて阪急電鉄 から譲渡されたものである。また、旧性能電車を使用していた頃の新京成電鉄 は京成電鉄 から譲渡を受けていた。さらに直通運転 を行なっている事業者同士であれば車両規格や保安装置が共通であることから譲渡としては好都合となる。この形で譲渡された車両には営団5000系電車 →東葉高速鉄道1000系電車 や京急1000形電車 (初代)→北総開発鉄道7150形電車 などがある。特異な例では、子会社から本社に譲渡された大阪府都市開発3000系電車→南海3000系電車 の例がある。
車両丸ごとだけではなく、台車や車体・あるいは部品1個単位といったいわゆる「バラ売り」で譲渡されることがある(元営団の3000系電車が銀座線の2000形電車や京王電鉄 の5000系電車の譲渡用に台車を提供した例や、営団5000系の冷房用電源装置を長野電鉄 が通勤車冷房化用に譲り受けた例など)。
譲渡に際しては無償 での譲渡となる場合も多いが、比較的新しい車両やグレードが高い車両の場合には有償で譲渡(売却)されることもある。また、譲渡先の設備に合わせた車両改造を譲渡元の鉄道会社に委託する場合、その費用を合算することもある。
災害で全線運休となった鉄道会社から、他の鉄道会社へ譲渡される場合もある。2005年9月6日 の台風14号 による暴風雨で鉄道設備に甚大な被害を受け、全線運転休止(のちに会社解散)となった第三セクター鉄道 の高千穂鉄道 より、JR九州 へTR-400形 2両[ 注釈 20] と、第三セクター鉄道の阿佐海岸鉄道 にTR-200形 1両がある。
特殊な例では東急3700系電車→名鉄3880系電車 という大手私鉄同士での車両譲渡がある。これは、1973年 (昭和48年)の第一次オイルショック の影響から急増した利用客対策として導入が決まったもので、自社の3800系 と同じく運輸省規格型A'形で、なおかつ搭載するTDK-528系主電動機が当時名鉄に在籍した自動加速制御 の吊り掛け車(AL車)各形式と共通機種であったことから譲渡に至った。
2024年には小田急8000形電車→西武8000系電車 といった事例(他にも東急から9000系 を譲受する予定あり)もあり、西武鉄道ではこれらの譲受車をサステナ車両 と呼んでいる。
太平洋戦争 中は鉄道車両も統制物資の一つとなり、中古車両の譲渡も政府機関の鉄道軌道統制会を通じて行われた。戦後の復興期には輸送状況の逼迫を打開するため、大型の新製車両を大手私鉄に割当てる代わりにその会社の保有する小型車や中型車の地方私鉄への譲渡義務付けが政策的に行われたことがある。こちら も参照。戦前・前後は仲介業者を通じての売買や、私鉄経営者協会(日本民営鉄道協会 の前身)発行の会報『経協旬報』といった業界誌への譲渡・譲受希望広告といった方法などが使われた。近年では一般向けの鉄道雑誌である『鉄道ピクトリアル 』に広告が掲載されたことがある[ 15] 。
2000年代 に入ると大手私鉄→地方私鉄のみならず、第三セクターや地方私鉄相互間での譲受も見られるようになった。大手私鉄の多くが20m級の大型車両を製造し、地方私鉄で需要の多い16 - 18m級の小、中型車両の製造が少なくなっていること、また現状で残っている大手私鉄16 - 18m級車の多くが第三軌条方式や標準軌用のもので譲渡先の地方私鉄と仕様が大きく異なり、改造費用が多くかかることなども一因とみられる。
その一方首都圏を中心とした各社では引き続き、車両交代時期に入った車両の廃車が続出しているが、そのまま解体されることも少なくない。改造に高い加工技術が要求されるステンレス車やアルミ車ばかりになったこと、機器の耐久性に劣るインバータ車が多くなり改造時に制御器の載せ買えが必要になるなど改造費の高騰化が顕著になったことに加えて、一般形電車 と呼ばれる安価かつ他社車両と同規格で造れる電車が出現したのも一因となっている。
これについては鉄道会社によっても考え方があり、積極的に譲渡先を探す鉄道会社もある。例えば、東急電鉄では昔から地方私鉄への譲渡実績が多い。西武鉄道や京王電鉄なども同様で、東急テクノシステム や京王重機整備 といった傘下の車両整備会社の活動が活発なこともある。逆に東武鉄道 や近畿日本鉄道 は廃車車両の機器を自社で再利用することが多かったことから、かつては譲渡実績がほとんどなかった。特に関西私鉄の車両は更新して自社で長期間使用する事業者が多いことから、先の阪急電鉄の例を除いて他社への譲渡は少数に留まっている。
旧国鉄では気動車の譲渡は盛んに行われていたが[ 注釈 21] 電車が譲渡される事例は秩父鉄道 に譲渡された101系 など少数に留まっていた[ 注釈 22] 。JRになってからもしばらく電車の譲渡事例は少なかったが2000年代以降民営化前後に製造された車両が置き換え時期になるとJR東日本 やJR東海 で廃車になった電車の譲渡が盛んに行われるようになり中にはこれまで使われていた大手私鉄の譲渡車をJRからの譲渡車に置き換える事例も増えている[ 注釈 23] 。また、整備新幹線 の開業により並行在来線 が第三セクター に経営移管された場合にJR時代に使われてた車両がそのまま第三セクターに引き継がれるケースも多い[ 注釈 24] 。
譲渡に伴う改造
譲渡される場合は、相手の鉄道会社の設備に合わせた車両改造が必要になる。主なものは次のとおり(すべてが実施されるとは限らない。無論、これ以外の改造が行われることもある)。
転用先がワンマン運転をしている場合、当該路線のニーズに応じて自動放送装置やデッドマン装置 ・緊急列車停止装置 、運賃回収機 ・乗車駅証明書発行機、バックミラー の設置が行われたり、ドア回路についても特定ドアのみの開閉が可能なように改造が行われる。また、わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車「トロッコわたらせ渓谷号」の客車の中間車用として京王から譲渡された5000系は、譲渡に際して冷房装置の取り外し、電装の解除、内装の変更、窓周りの改造などといった種車の原形を留めない大幅な改造が行なわれている。
転用を期に各部のリニューアルが行われたり、非冷房車ならば冷房装置が取り付けられることも多い。
なお、譲渡の際は車両形式も変更することが一般的だが、一部の事業者では譲渡前と同じ形式(稀に同一の車両番号)を名乗るケースもある。
地方私鉄・第三セクター鉄道に譲渡された国鉄 (JR) ・大手私鉄・公営地下鉄の車両
※下記には譲渡先で全廃となったものも含まれている。
譲渡元で現在も稼動している車両
JR東日本
JR東海
JR西日本
東急電鉄
西武鉄道
近畿日本鉄道
南海電気鉄道
譲渡元で既に全廃となった車両
JR東日本
JR東海
営団地下鉄・東京メトロ
小田急電鉄
相模鉄道
2000系
銚子電気鉄道(車両としての譲渡ではない)
日立電鉄
伊豆箱根鉄道
京王電鉄
東急電鉄
西武鉄道
都営地下鉄
名古屋市営地下鉄
名古屋鉄道
愛知環状鉄道
南海電気鉄道
京阪電気鉄道
伊予鉄道
国外の鉄道事業者への譲渡
日本国外に譲渡された事例
日本国内のみならず、国外の鉄道事業者への譲渡が行われることもある。
インドネシアの中古車両輸入禁止方針
インドネシア政府は2020年 以降の新たな中古車両の輸入を禁止する方針を打ち出している[ 16] 。ただし、国営の鉄道車両製造メーカーであるインダストリ・クレタ・アピ(INKA) の製造した車両の信頼性は未だ低いとされているため、インドネシア運輸省の定める「車齢30年規制」に対して、インドネシア通勤鉄道(KCI) は「更新後30年」という解釈をとっている[ 16] 。一方、INKAでは輸出車両やインドネシア国内向けのLRT等の製造も予定されており、製造ラインに余裕がないため中古車輸入特例の延期があるか注目されている[ 16] 。
保存展示や個人などへの譲渡
阪急電鉄 (正雀工場 )にて動態保存されているP-6(デイ100)形電車
廃車車両のうち、産業考古学的、鉄道史的などの観点から保存する価値があると認められた車両は保存されることがある。保存には2種類あり、線路上を自走できる状態で保存するものを動態保存 といい、自走はできずに主に展示目的で保存するものを静態保存 という。
なお、静態保存されていた車両が整備され、再び本線を自走できるように車籍を入れることもある。これを車籍復活 (または復籍 。詳細は後述 )と言い、蒸気機関車 などで多く見られる。ただ、本線の保安装置や定格速度などが大幅に変化していた場合、旧型の車両を走らせるのは不可能なので、あえて車籍を戻さない場合もある。画像の阪急100形電車や江ノ島電気鉄道100形電車 などが当てはまる。一方で、国鉄C61形蒸気機関車20号機 のように、のちに採用されたATS-P 保安装置を導入してまで車籍復活した例もある。
また、冒頭で述べた理由により廃車が延期されることもある。JR西日本が北陸地区で特急「サンダーバード 」を増発する際、代替廃車となる予定だった489系電車 のクハ489-501・1の2両が歴史的観点から廃車が延期となり、別編成に組まれていた504・4を代わりに廃車し、両編成の先頭車を入れ替えて当分の間延命することとなった例がある[ 注釈 25] 。
事例は少ないが、個人が保存目的や倉庫代わりに買い取る場合や、「思い出の車両」として地元自治体が引き取り、管理する場合もある。また、車両の製造会社が自社内で保存したり、「機械扱い」として車籍のない状態で工場内の牽引用に使用する場合もある。個人が買い取るケースは過去にはよく見られたものの、近年では輸送費の高騰や土地の減少といった理由であまり行われておらず、また、鉄屑価格の高騰によりスクラップ価格の方が「車両そのまま」で売却する価格よりも高いことや、技術の流出防止のため、鉄道事業者の方針として認めない場合も多い。個人が車両を丸ごと1両払い下げて再利用しようとすると、輸送費・土地代・改装費など込みで1,000万円以上にも膨れ上がる上に、トレーラーなどでの輸送には警察その他多くの関係機関の許可が必要になり、その後の固定資産税 や経年劣化による修繕費用(特に屋根などの保護が無く雨ざらしの状態で保存された場合)でも莫大なものになるとされる。
車籍復活
一旦除籍された後、鉄道会社や各自治体、団体などで保存されていた車両が、車籍を戻し現役として復活する例もまれながら存在する。その多くはイベント列車として走行する蒸気機関車である。これらは保存時も整備され状態が良かった車両が選ばれ、走行に問題がないと判断され車両工場で全般検査を通した上で本線の営業走行に復帰する。
また、民営化直後には国鉄清算事業団 が所有していた廃車車両を、列車の増発等を目的にJR各社や私鉄各社が購入して整備の上で車籍復活した例もあった。
廃車後に車籍復活した車両の一例
現在は再び除籍された車両も含む。
試験・訓練・研修などの教材として使用
鉄道の安全を維持するために、多くの会社で毎年事故復旧訓練や防災訓練が行われるが、電車が脱線した時の乗客救助は最重要課題である。しかし、実際に電車を脱線させるだけでも大掛かりになる上、救助訓練を行うと車両を破損することがある。こうなると、実際に営業中の車両を使用する訳にはいかないので、廃車車両を解体する前に使うことになる(JR東日本201系など)。その他、車両火災や衝突事故の防止、被害軽減のための実車試験に使用されることも多い(例:脱線試験に用いられた京急1000形電車 (初代) 、車両火災試験に用いられた営団地下鉄400形電車 )。
これとは別に、会社によっては訓練所で専用の車両を使用している会社もあるが、本線に出ない場合、廃車した車両を使用している(例に車籍復活前のEF55形1号機など)。
民間に譲渡された車両が、結果として何らかの教材として利用される例もある。千葉県 いすみ市 にある知的障害者訓練施設「いすみ学園」に譲渡された東急デハ3450形電車 は、入所者の自立支援として社会に出たときに鉄道に乗る訓練の教材となっている。かつて東京都自由が丘に存在したトモエ学園 では、廃車体を教室として利用していた(のちに卒業生の黒柳徹子 が著書『窓ぎわのトットちゃん 』で述べたことで知られるようになった)。また、博物館や研修施設ではシミュレーター用に実物の先頭車のカットモデルが転用されることがあり、最前部から1枚目の乗降扉までが使われることが多い。
脚注
注釈
^ 電気 または蒸気機関車 で18年、気動車 ・ディーゼル機関車 で11年 、貨車 で10〜20年など、車種により異なる。
^ ただし、同じ583系改造の419系は保有会社の違いや走行線区が整備新幹線の並行在来線であるために第三セクターへの転換が予定されていたことなどから2000年代後半まで多くが残存していた
^ こちらは前述の車体構造も関係しており、211系はオールステンレス車であるのに対し、E351系は普通鋼製である。また後述の技術的要因として、E351系が振り子式車両であったことであったことにも留意すべきである
^ JR東日本が、国鉄時代の車両を209系以降の車両で急速に置き換えたのも、この思想に基づく。
^ 同車は5両導入される予定であったが、開発遅延とコスト高騰により2両で製造が打ち切られたため、メンテナンスが難しいなどの欠点を生み、2009年度末で1両が営業運転を終了。残る1両も2014年3月で営業運転を終了した。
^ 1992年に千代田線 の輸送力増強のため10両編成1本が新製されたが、当時千代田線の主力車両であった6000系 は代替時期に達していなかったことから1編成のみの導入とされた。6000系の代替は新系列である16000系 の新製によって実施され、本系列も2015年に廃車となり、6000系に先んじて全廃となった[ 3] 。
^ 当初は中央東線 で運用されている115系 の置換え用として豊田車両センター に転出する予定になっていた。この時に抜き取られる付随車28両は余剰廃車となる予定であった[ 4] 。
^ 先述した221系の場合、8両編成と4両編成1本ずつを用意し、8両編成の中間車であるモハ220形・サハ220形の2両ユニットを4両編成の2・3両目に組み込むことで余剰廃車を回避している。
^ この辺りの事情は営団07系電車 が東西線へ転配された理由と同様。詳しくは当該項目を参照。
^ JR北海道の事故や不祥事、北海道新幹線の開業準備の計画、安全性の問題に伴い開発を中止し、運用実績のある既存のキハ261系 の増備を継続してJR北海道管内の気動車特急をキハ261系に統一することで、車種統一によるランニングコストの低減を図る(本項目の技術的要因 にあたる)方針に転換されたため[ 7] [ 8] [ 9] 。
^ 事故車の補充で追加新造された車両は相鉄10000系電車 (10両編成1本追加)、JR西日本321系電車 (7両編成3本追加)などが該当。
^ 2171号車の改造・形式変更は震災翌年の1996年に行われ、それまでは廃車予定の2800系を暫定的に改造して使用した。
^ 詳細は不明だが、台車など機器類を被災車から流用した可能性もあるとの記述がある[ 11] 。その場合は下記の修理復旧扱いとなる。
^ 事故車はSM3編成であり、クモハ・モハ・サハ885-3の3両が廃車されたが、代替車両は3+400=403より、クモハ・モハ・サハ885-403となっている。
^ クハ8139。
^ 2112Fのモハ2312。
^ 21852Fのモハ23852・モハ24852。
^ 03-102Fの03-802。
^ 一例として近江鉄道 では車籍上開業時に導入した客車(18・1898年 製)が、車体振替により電車の制御車(クハ1219)となって1999年 に廃車となった。現在では同社の220形 の224(大正3年鉄道院新橋工場製)がこれにあてはまる。
^ 水戸岡鋭治 のプロデュースにより改造され、形式をJR九州の一般型気動車であるキハ125形 に編入して特急仕様の400番台とし、2009年10月10日から日南線 で観光特急 「海幸山幸 」として運行されている。
^ キハ10系列 、キハ20系列 、キハ30系列 など。キハ20・30系列は民営化の前後に廃車が進んだのでJRになってからの譲渡車も存在する。
^ 新性能電車では101系が国鉄時代に譲渡された唯一の事例(一部JR東日本になってからの譲渡車もある)。旧性能車でも所謂「買収国電 」など戦前製の車両が譲渡された程度。
^ 特に関東の大手私鉄では車両の大型化や長編成化が進んだ一方、JRでは地方路線向けに短編成の電車が多かったのも譲渡が進んだ理由と思われる(107系 や119系 など)。実際に中間車を先頭車化改造してまで譲渡されたのは富士急行 に譲渡された205系 程度。
^ 新車を入れる際にもJRの車両と同じタイプの車両を入れるケースがほとんどでJR以外の私鉄から譲渡車を受け入れたケースはない(例外は肥薩おれんじ鉄道 がJR時代に電車を使っていたのを転換時に他の第三セクター鉄道で使われている車両と同じタイプの気動車に置き換えた程度)。
^ その後、クハ489-501は2012年6月1日付で廃車となり解体される予定だったが、小松市や愛好家団体の要請で小松駅近くの公園で静態保存されることになり、整備の上で2013年4月より一般公開されている。
出典
関連項目