小山 茉美(こやま まみ、1955年〈昭和30年〉1月17日[4][11][注 2] - )は、日本の声優、女優、ナレーター[6]。愛知県西尾市出身[4]。青二プロダクション所属[7]。1980年以前の芸名は小山 まみ[1][2]。元夫は声優の古谷徹。
代表作は『Dr.スランプ アラレちゃん』(則巻アラレ)[13]、『名探偵コナン』(ベルモット)[13]、『あんみつ姫』(あんみつ姫)[13]など[7]。
1歳のときに父親を亡くし、その後母親は、保育士の資格を取りながら2人の兄妹を育てた[14]。2つ違いの兄がいる[15]。
小学校時代は、内気で無口で、内向的で「どうしようもない子」だったという[15]。友人と遊ぶこともしておらず、通信簿には必ず「消極的すぎる」、「もっと積極的に人と話すように」と書かれており、暗い子供だったという[16]。しかし我は強い子供だったという[16]。
小学4年生の時、叔父に初めて芝居に連れて行ってもらったという[12][15]。偶々曾祖父が役者であり、一座を持っていたという[16]。そういった関係で小さい頃に家の屋根裏に三味線、衣装、かつらといった小道具が多数あり、兄弟で遊んでたりしていたという[16]。劇団民藝の舞台を見て、「これだけの人前で、注目されながらあんな風に喋り、なんてすばらしい世界なんだろう……」と憧れたのが、役者志望の動機だったという[15]。小学校4年生の夏休みに近所の西尾市立図書館岩瀬文庫に通い詰め、『少年少女世界文学全集』全50巻(講談社)を読破し、「それで目覚めたというか、将来は表現する世界を目指そうと意識し始めたんです」とインタビューに答えている[14]。西尾市立鶴城中学校、愛知県立西尾高等学校卒業[4][14]。
中学、高校時代は演劇部に所属[12][16]。昔から学生演劇をしており、東京都の私立大学の文学部演劇科を目指していたが、当時は学生運動が大変な時代であり、娘を1人上京させるわけにはいかないような社会情勢であり、卒業後は劇団シアター・ウィークエンドの第1期の研究生を経て同劇団に所属し、舞台女優として活動していた[4][10][16]。代表の松本喜臣は「彼女は実はウチを『劇団青俳』と間違えて入ってきたのね。ウチもアラバールとかやってたから」と小山との出会いを述懐している[17]。初舞台は劇団に入団してすぐ、第一回目の公演から舞台に出されてしまった[16]。2ヶ月に1本の割で公演をうってしまったこと、その劇団にいたのは3年弱ぐらいであったことから、12本位の舞台に立たされていたという[16]。1975年にドラマ『キヨコは泣くもんか』でドラマデビュー[4]。気がついたら上京しており、映像の仕事をしたかったが、偶々声の仕事をやったらどうかという話があり、『一休さん』の桔梗屋弥生(やよいさん)役で声優デビューした[注 1]。初主役は『あしたへアタック!』の聖美々役となる[16]。私生活では、NHK名古屋のラジオで共演した声優の古谷徹[15]と1976年に結婚し1983年に離婚している。
愛知江南短期大学初等教育学部中退[4]。ニューヨーク市立大学ハンター校に短期留学していた時期もある[4]。当時は番組を降板して、アメリカ合衆国に行ったが、結果的には1年かけて地球一周してきたという[3]。
声種はクセのない新鮮でのびのあるメゾソプラノ[2][18]。少年少女から動物役までを演じ分けている[19]。
方言は三河弁[7]。
多数のアニメ、洋画、テレビ、ラジオなどに出演している[6]。
吹き替えでは、キム・ベイシンガーやシャロン・ストーンなどが持ち役。
趣味は旅、特技は日本舞踊、スキューバダイビング[7]。
『Dr.スランプ アラレちゃん』はオーディションを受ける前から原作『Dr.スランプ』のファンであり、最初は木緑あかね役を受けたが則巻アラレ役の声優がまだ決まっていなかったため受けたところ関係者から評価され、最終的にアラレ役として選ばれた[20]。
原作者の鳥山明とも面識があり、『週刊少年ジャンプ』1982年39号でアラレ帽子を被って鳥山と一緒に撮った写真が掲載され[21]、鳥山やアニメスタッフとともに箱根にピクニックに行ったりしている[22]。インタビューでは「まさか自分がアラレの声をやれるなんてまさか思ってなかった。だから、楽しくってしょうがない」「ぶりっ子のお芝居にならないように気を付けているため、動作までアラレに似ていてアラレは私の分身」[23]「アラレちゃんのオーディションでとんでもない声を出したら採用され、その声を持続するのに苦労した」[24]、『Dr.スランプ』の単行本18巻掲載のコメントでは「おかげさまで、私の代表作になりました」と言っている[25]。小山が歌っている「アラレちゃん音頭」は全国の盆踊り大会などで使われ大ヒットし、盆踊りの定番となった。小山はライブハウス、大ホールのコンサートツアーなどでも歌った[26]。
『Dr.スランプ アラレちゃん』放送終了後の1990年代劇場版で他のキャラクターの声優が交代しても[注 3]アラレ役は変わっておらず[注 4]、その後のゲームやメディア作品でも演じている。また同作で則巻千兵衛を演じていた内海賢二が死去した時は、アラレの口調で「博士 また会おうね」「行ってらっしゃい バイチャ」と追悼メッセージを寄せている[27]。
『ドラゴンボール』第55話 - 第57話並びに『ドラゴンボール超』第43話、69話でもアラレを担当し、野沢雅子との対談で「準備が大変で、ボイストレーニングをした」と語っている。また、「自分でも声が高くって、『キーン!』の声で自分の頭が痛くなるんです(笑)」と語っている[28]。
1990年頃、長期休業のため全レギュラー番組を降板していた。当時の後任・代役は以下の通り。
『シティーハンター』の美樹役は『シティーハンター'91』から復帰。『キテレツ大百科』のコロ助役は途中降板のまま番組は終了。その後、2002年に放送されたテレビドラマ版『キテレツ』にて15年ぶりに担当した。
太字はメインキャラクター。
則巻アラレの声で出演
その他
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