赤鼻のトナカイ(あかはなのとなかい、原題: Rudolph the Red-Nosed Reindeer)は、ジョニー・マークス作詞・作曲のクリスマスソングである。
英文原詞の内容は、サンタクロースの橇を曳くトナカイの9頭目[注釈 1]で、赤い鼻を持つ「ルドルフ」が、サンタクロースに「君の明るい鼻で橇を案内してくれないか?」と頼まれるというもの。英文によるとルドルフという新入りトナカイの赤い鼻は他の8頭のトナカイたちからの笑いものになっていることがわかる。さらに困ったことに8頭はルドルフを遊びに加えてあげなかった。しかしクリスマスイブにルドルフが光を照らすと8頭は喜び、ルドルフを好きになり彼を賞賛する。
歴史
原案『ルドルフ 赤鼻のトナカイ』
1938年に実際にあった出来事として、1939年にシカゴの通信販売会社モンゴメリー・ウォード (Montgomery Ward) 社に勤めるロバート・L・メイ (Robert L. May)によって同社の宣伝用の児童書が書かれ、250万部のベストセラーとなった[1]。同書は1946年に再発行され、さらに350万部を発行した[1]。
ロバート・L・メイは『みにくいアヒルの子』を参考にしてトナカイを物語の中心に書くことにした。彼自身、少年時代は内気な性格であった。この物語はアメリカの価値観が投影されたアメリカン・ドリームである[2]。執筆中に彼は癌で闘病していた妻エブリンを亡くし、会社からは他の人と執筆の交代を提案されたが、彼は最後まで書いた。
国民の大多数がキリスト教徒のアメリカ合衆国においてロバート・L・メイはユダヤ系の家庭で育った。彼は同書を書いてから30年以上後に、キリスト教のカトリック教徒であった2人目の亡き妻バージニアの願いを叶えるために、ユダヤ教からカトリックに改宗した。翌年彼はバージニアの姉クレアと再婚した。
楽曲の誕生
1948年、ロバート・L・メイの妹マーガレットの夫ジョニー・マークスによって『ルドルフ 赤鼻のトナカイ』のストーリーを元に楽曲が制作され、1949年にジーン・オートリー (Gene Autry) の歌でレコードが発売された。オートリーのレコードは当時200万枚を売り上げ[1]、ビルボードチャートで1位を記録した。
その後も時代を越えたロングセラーとして、「サンタが街にやってくる」、「ジングルベル」と並ぶ三大クリスマスソングとなる。作詞作曲者のマークスが亡くなった1985年までに「赤鼻のトナカイ」の総売上は1億5000万枚を突破した[3]。
日本における普及・日本語訳詞
日本語訳詞は、新田宣夫(別名 草野昌一、漣健児)の訳が広く知られている。新田宣夫の訳詞は、英語の原詞をおおまかになぞったものだが、原詞に見えるトナカイの名前は訳出されていない[4]。英詞が「赤鼻トナカイのルドルフ」と名前まで読み込む部分で「真っ赤なお鼻の」とトナカイまで至っていない詞になっており、1つの音符に1語をわりあてて多くの情報を読み込む英語の唄と、音符1つごとにきちんと1音を費やすため簡略化せざるをえない日本語の唄を比較する好例となっている。
他には高田三九三[5]や服部レイモンド[6]、福島正二[7]、加藤省吾、山本ただし、水島哲、三田恭次、水野汀子[8]など複数の訳があり、そのうち服部レイモンドと加藤省吾、山本ただし、三田恭次の訳詞では「ルドルフ」というトナカイの名前が明かされている。高田三九三の訳詞は原詞にはないイエス・キリスト[注釈 2]について言及する部分がある。
1985年時点で、日本音楽著作権協会調べによると日本国内では234種のレコード及びテープが流通している[9]。同じく日本国内では1984年10月 - 12月の3か月で全バージョン計で47万9000枚(本)が販売された[9]。
カバー
以下の一覧において、歌手本人の国籍とは合致しないものがあるが、これはレコード会社や番組の制作国を国の基準にしているためである。
みんなのうた
NHKの『みんなのうた』では、開始して間もない1961年12月~1962年1月に放送。歌詞は新田版ではなく、加藤省吾が訳詞したバージョンで、小野崎孝輔が編曲した。歌はペギー葉山と東京放送児童合唱団。映像は久里洋二製作のアニメ。
再放送やDVD化はされておらず、水星社や日本放送出版協会から発売された楽譜集にも掲載されていない。ただ、1988年1月22日にNHK総合で放送された『NHKビデオギャラリー』の「『みんなのうた』特集」では一部が放送された。
注釈
- ^ 残りの8頭は『クリスマスのまえのばん』に登場する「ダッシャー」「ダンサー」「プランサー」「ヴィクセン」「コメット」「キューピッド」「ドナー」「ブリッツェン」である。
- ^ 歌詞では「イエスさま」(一部のレコードでは「エスさま」)と表現。
出典
外部リンク