堀江貴文
堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年〈昭和47年〉10月29日 - )は、日本の実業家、著作家(書籍・動画)、政治活動家、投資家[5]、タレント、参議院議員私設秘書、YouTuber。 愛称は「ホリエモン」[注釈 1]であるが、堀江本人があだ名やペンネームなどを名乗る際には「たかぽん」を自称している[6]。SNS media&consulting株式会社ファウンダー、インターステラテクノロジズ株式会社ファウンダー[7]、ゼロ高等学院主宰[8]、株式会社7gogo取締役、日本ゴルフ改革会議委員[9]、Jリーグアドバイザー、大阪府・大阪市の特別顧問(国際博覧会(万博)担当)、ライブドア(4代目)エグゼクティブ・アドバイザー[10][11][12][13]、北九州市アドバイザー[14]、北九州下関フェニックスオーナー。CROSS FM代表取締役会長[15]。 ライブドア(2代目)代表取締役社長CEO、エイシス代表取締役などを歴任した。ライブドア事件(後述)を起こしている。 概要東京大学在学時にインターネット事業会社オン・ザ・エッヂを設立。売上高2億5000万円で東証マザーズに上場[16]。後に社名をライブドアに変更し、会社を時価総額8000億円、売上高784億円企業に成長させ、「時代の寵児」と目される。メディアにも多く取り上げられ日本でも有数な著名起業家となっていく。 多種多様な事業展開をしていきプロ野球球団買収、テレビ局グループ買収に乗り出し、その後もさまざまな事業を手掛けている。インターステラテクノロジズでは宇宙事業を展開し、日本の民間ロケットとしては初めて宇宙空間に到達した。 経歴
生い立ちから大学進学まで1972年10月29日、福岡県南部の山間部に位置する八女市龍ヶ原に長男として生まれる[17]。一人っ子。 母親は八女市で生まれ育ったが、父親は同県八幡市(現:北九州市)に生まれた[注釈 2][18][19]。 小学校1979年、八女市立岡山小学校に入学。小学1年生から6年間、母の方針により柔道を習った。片道30分かけて自転車で警察の柔道道場に通い、1時間半の猛練習をすることが週3日続いた。理不尽な指導や体罰もあり、ひたすら苦痛だったと語っている[18]。 テストや教科書が簡単すぎてつまらなくなり、算数のテストを10分で解き上げクラスメイトの答案の採点をしていた[18]。ここが自分の居場所ではないと感じていたころ、小学3年生の担任が久留米の全教研という進学塾に行くことを勧めた。それまで塾はお金持ちの子供か勉強のできない子供が行くところと思っていたが、4年生から通うことになる[18]。 久留米での生活は、塾のある日は柔道を休むことができ、刺激的な友人と出会え、美味しいものも食べられ、塾の講師陣の教え方がうまく授業のレベルも高かったため、勉強が楽しくなったと語っている[18]。 中学1985年、久留米大学附設中学校・高等学校に進学。このときの中学・高校時代の同級生に古賀篤・三木雄信・孫泰蔵がいる[20]。これと同時期に映画「ウォーゲーム」を観たことをきっかけにコンピュータと出会う。この年はつくば万博が開催されたこともあり、子どもたちの科学やSFに対する関心が高まっており、貴文も科学雑誌を読み漁っていた。そこで両親を説得し、合格祝いに日立のMSXパソコン「H2」を買ってもらうと、毎日深夜までプログラミングに明け暮れた[21]。 その後、初心者用のMSXパソコンでは満足できなくなり、両親から20万円を借りて「PC-8801mkII FR」を購入。借金は新聞配達で返済した。 中学2年生のとき、当時としては珍しいCAIによる英語スクールでパソコンを使用していたところ、塾講師からすべてのパソコンを日立からNECの新しいパソコンに入れ替える際に、教材システムの移植作業をやらないかという話を受けた。これを受け入れ、約1か月かけて完成させることで10万円の報酬を受け取った[21]。 高校ますますコンピュータに熱中しだしたことで、当時の標準言語であったBASICのみならず、より高度なプログラミング言語も習得していき、複雑なプログラ厶まで組めるようになっていった[21]。一方で、勉強は疎かになってしまい、入学当時トップ10クラスだった成績は高校進学時には学年200人中199番(ワースト2)まで下がってしまった[21]。また同時期にパソコンを取り巻く環境に幻滅したことでコンピュータからも離れてしまう[21]。 高校在学時に同級生の多くは九州大学への進学を考えていたが、同様に進学した場合、実家からの通学を強制される可能性があるため、地元から遠い場所で、両親でも知っていて説得材料になる大学、東京大学を目指すことにした。この時すでに受験の半年前でありながら東京大学文科三類に現役合格する[21][22]。 会社設立大学在学中、プログラミングのアルバイトでインターネットと出会う[23]。 1996年4月、有馬あきこらと共に有限会社オン・ザ・エッヂを設立。同社設立後に東京大学を中退した。資本金には、有馬の父からの出資600万円が用いられた。1997年に株式会社に改組。同社はインターネット黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目を集め、レコード会社などの一流企業のサイト制作を請負った。 2000年4月に売上高2億5000万円で東証マザーズに上場した[16]。2002年、経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得した上で、ライブドアへ社名を変更した。ライブドアは証券取引法違反(ライブドア事件)により、2006年4月14日に上場廃止となった。 球団買収計画と失敗2004年に経営難でオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)との合併が決定されたプロ野球球団、大阪近鉄バファローズの買収を申し出た。買収の申し出を拒否されると、今度はそれまで球団のなかった東北に新球団を設立する計画を発表。球団名を「仙台ライブドアフェニックス」とし、監督としてトーマス・オマリーを迎えると発表した。本業の競合他社でもある楽天と参入を競い合うが経営体力の不足などが指摘され、審査の結果、楽天(東北楽天ゴールデンイーグルス)の参入が決定し、ライブドアの参入は実現しなかった。のちに「(プロ野球のドンである)ナベツネに挨拶しとけば買収できたし、ニッポン放送買収もなかったから捕まることはなかった(笑)」と語っている。 ニッポン放送買収計画と失敗→「ニッポン放送の経営権問題」も参照
2005年2月、自身が社長を務めるライブドアがニッポン放送の株の35%を取得、同社最大株主となった。同月中にさらに40.1%まで買い増し、最終的にニッポン放送を子会社化することに成功する。しかし、メディアなどの圧力でリースなどが出来なくなり、4月、ライブドアの所有するニッポン放送株式全てをフジテレビジョンが取得したことで買収は失敗した。 政治活動第44回衆院選への出馬と落選![]() ![]() 2005年8月16日、いわゆる「郵政解散」に伴う総選挙において、自由民主党から福岡1区での立候補を打診されたが、出馬は未定であるとした。一方、民主党(当時)の岡田克也代表(当時)とも会談を行うが、同党からの立候補は見送られた。 堀江は自民党の説得に応じず、ライブドアの社長を辞めないことを表明。堀江は無所属として、郵政民営化反対の急先鋒であり、当時自民党を離党し国民新党を結党した亀井静香の選挙区である旧広島6区(尾道市、三原市など、現在は広島5区に再編)で立候補すると発表した。前述の経緯により名目上は無所属候補であったが、立候補の記者会見を自民党本部で行っていたこと、広島6区で自民党・公明党が候補を擁立しなかったこと、武部勤自民党幹事長(当時)や竹中平蔵経済財政政策担当大臣(当時)など自民党大物幹部が堀江の応援演説に訪れていたことから、自民党による亀井への対立候補(いわゆる刺客)として世間から認知されるようになった。武部はこの際「我が弟です、息子です」と堀江を持ち上げた。対立候補の亀井は、堀江について「自民党の刺客が自民党を名乗らない。忍者かね」と批判した。9月6日には、東京都内の日本外国特派員協会講演で「憲法が天皇は日本の象徴であると言う所から始まるのは、はっきり言って物凄く違和感を覚える」「歴代の首相、内閣、議会が変えようとしないのは多分、右翼の人達が怖いから」「インターネットの普及で世の中の変化のスピードが速くなっているから、リーダーが強力な権力を持つ大統領制にした方が良い」という天皇の否定とも取れる発言が物議を醸した。選挙特別番組でも亀井が「自民党が天皇を否定するような人物を擁立すべきでない」と述べ、自民党幹事長代理の安倍晋三らに対し不満を漏らした。 選挙の結果は、亀井の地盤である広島6区では厳しい選挙戦を強いられ、公明党支持者からの票を得るために「比例は公明党に」と連呼して終盤で追い上げたが、結局は亀井静香11万票に対して次点の8万4000票で落選した。民放の開票速報番組で「比例は公明」と訴えていたことについて丸山和也(のちの参議院議員)に真意を尋ねられると、「公明党は改革を支持している政党だから」と発言した。 落選後、今後の衆院選で同じ広島6区から出馬する意向を示唆していたが、翌年の証券取引法違反事件で東京地検に逮捕されたことにより、4年後の2009年8月の総選挙には出馬しなかった。また2010年の参議院選挙ではかつての対立候補であった亀井静香より国民新党からの出馬を打診されたが辞退している。 衆院選後の活動2010年の参院選では田村耕太郎(民主党)・中田宏(日本創新党)・松田公太(みんなの党)の応援演説に立った[24][25]。2014年東京都知事選挙では、実業家の家入一真を支援[26]。2017年1月、大阪府市の特別顧問に就任した[27]。 2021年10月の第49回衆議院議員総選挙および2022年4月の参議院石川県選挙区補欠選挙では、堀江の秘書を務める齊藤健一郎がNHK党から立候補した。堀江は両選挙においてNHK党の街頭演説に参加したほか、衆院選では同党の立花孝志党首と共に政見放送にも出演した[28][29]。2022年7月の第26回参議院議員通常選挙では、無所属で東京都選挙区から立候補した乙武洋匡の応援演説を行った[30]。 芸能活動2005年大晦日の『第47回輝く!日本レコード大賞』で最優秀新人賞のプレゼンターを務めた際、「来年、自分も歌手デビューします」と発表した。翌年3月の歌手デビューが決定していたが[31]、本人逮捕により取りやめとなった。 2011年6月27日発売の『週刊プレイボーイ』で初のヌードを披露[32]。仮釈放中の2013年4月には同誌に見開きでヌードが掲載された[33]。2度目のヌードは1度目と同じポージングであるものの、体型はほっそりし、イチゴ柄のパンツを着用していた[33]。 刑期満了後の2014年1月、茂木健一郎・金杉肇とのユニット「ハッカーズ」を始動[34]。「音楽には力がある。例えば僕の講演会で寝てるような人にも歌なら伝わるんじゃないか」とコメントした[34]。3月にはロックバンド鴉のシングル『巣立ち』収録曲「巣立ち~ホリエモンボーカルver.」でCDデビューを果たした[35]。 2025年1月、日本コロムビアから演歌歌手として再デビュー[36]。 演歌でのデビューに際してはボイストレーニングを行った[37]。学生時代の十八番は中森明菜の「DESIRE -情熱-」など熱唱系で[31]、金杉肇は堀江の歌の才能を高く評価している[34]。 宇宙開発事業→詳細は「インターステラテクノロジズ」を参照
2005年10月、観光を目的とした宇宙旅行ビジネスを目指す予定で、数十億円の個人出資によるプロジェクト「JapanSpaceDream」を発表した。何度もロケット打ち上げを成功させた実績があるロシアの宇宙機関「NPOマシーナストレイヤナ」と、カプセルを保有する米国企業エクスカリバー・アルマースを運営母体とし、堀江貴文が投資する形で、民間宇宙旅行ビジネスに参入した[38]。 2013年7月、TEDxSapporoにて宇宙開発に関するプレゼンを行った[39]。2014年11月、エクスカリバー・アルマース社が購入した宇宙船が、実際には宇宙旅行に使えないものであったとして、投資金など4900万ドル(56億円)の返還を求める訴訟を起こした[40]。 2015年12月、ロケット開発の事業拠点である北海道大樹町に住民票を移したが[41]、2020年4月27日に再度の住民票異動を表明した[42]。翌28日に、翌月の5月2日から5月6日の間に予定していた観測ロケット「MOMO5号機」の打ち上げ延期を大樹町から要請されている件について、「色々提案してみたのですが役場はゼロ回答でした」とツイートした[43]。 北九州市での事業展開2021年、プロ野球独立リーグ・九州アジアリーグに所属するプロ野球チーム「福岡北九州フェニックス」を設立[44]。取締役としてチームの財務基盤強化に関わるほか、将来的なボールパーク建設構想も示している[44]。2022年にはチーム名を変更して隣接する山口県下関市も本拠地に加え、同市市長の前田晋太郎と面会しふるさと納税での協力を提案[45]。「下関のポテンシャルだと100億円集まってもおかしくない」と述べた[45]。 2023年9月6日、北九州市に本社を置くFMラジオ局のCROSS FMを買収し、代表取締役会長に就任[14]。同年9月22日に開いた記者会見において、新たな経営体制のキャッチコピー「電波をつかった、大実験をしよう」を発表[14]、人工知能の活用や著名人とコラボした大型集客イベントの開催など新事業を展開し、オール九州を世界に向けて発信する「新たなメディア企業」として挑戦する方針を示した[14][46][47]。 また同日、北九州市アドバイザーへの就任を発表[14]。製鉄業などオールドエコノミーとされるレガシーを活用しながら、同市における新しいスタートアップを作る方向性を示した[14]。堀江と同じ久留米大学附設中学校・高等学校出身でもある北九州市長の武内和久は「新しいビジネスや価値を伸ばす知見を貸してほしい」と期待を述べている[14]。 予防医療活動予防医療に関する正しい知識の普及を目的として、一般社団法人予防医療普及協会を2016年9月に設立した。ピロリ菌啓発プロジェクト「ピ」を行う[48]。 同協会のプランとして、2019年のトークショーで病気の普及啓発のために糖尿病の恐ろしさを伝えるホラー映画を発案している[49]。 日本ではHPVワクチンの接種状況に遅れがあったが、これは安倍昭恵が反ワクチン派であるためで、首相が菅義偉に代わった途端に流れが変わったと、堀江は考えている[50]。 一方で、以前付き合っていた女性が子宮頸がんの前がん状態になり手術をしたことをきっかけに、HPVワクチンを自ら接種して啓発も行っているが[51][52]、HPVワクチン被害者の会会員から、ワクチン副作用だと思っていたが精神科で治った、しかし被害者の会でそれを伝えると攻撃される旨聞いたとも語っている[53]。 2019年、参議院選挙に立候補している政治家全員に、HPVワクチンの積極的な勧奨再開に対して賛成か反対かというアンケートをとってその結果を公表する会見を厚生労働省で行ったがニュースにならず、関係者はリスクを取らないと分析している[54]。 女性の健康に関わる社会的課題の解決にも取り組んでおり、「女性の健康問題」の解決なくして女性の社会進出が進むわけがないとの立場に立つ。産婦人科医の三輪綾子との共著を出版している[55]。 2025年3月、本人がコロナワクチンを6回打ったということについて、接種していないとする動画配信者を名誉毀損を訴えると表明した。動画は19万回超再生したと報じられている[56]。 健康寿命伸延事業堀江は、人生100年時代を見据え、いつまでも若々しく健康な生活を送ることを支援する健康寿命伸延事業に積極的に取り組んでいる。この事業の一環として、健康と幸福をテーマにした商品を提供する株式会社徐福の商品開発に監修・プロデュース役として関わっている。 堀江の健康寿命伸延に対する想いは、2022年に予防医療普及協会と共著した『不老不死の研究』で詳述されている。「子どものころ、死ぬのが怖くて怖くて仕方なかった」との言葉から始まり、健康で長生きするために取り組んできた経緯が語られている。科学とイノベーションを通じて健康寿命を延ばす可能性を信じ、「すべての人に、いつまでも健康に人生を満喫してほしい。みんなのQOLを一歩ずつ向上させるために、これから私はますます奮闘していく」と述べている。 健康寿命伸延事業の第一歩として、2020年に徐福から次世代アンチエイジングと言われるNMNを高配合したサプリメントを発売した。2021年には同社から「SUIT make me excited」というメンズブランドを立ち上げる。堀江監修のもと、2021年8月には高級素材のみを厳選した「SUITボディオイル」、2021年10月には血流改善・疲労回復が期待されるL-シトルリンを高配合した「SUITサプリメント」を市場に送り出した。さらに、第5世代型美容成分と言われるエクソソームを活用した商品開発にも着手している。 2023年9月には、新製品開発資金を募るクラウドファンディングを実施し、1000万円以上の支援を集めた。2023年10月には、エクソソームを高濃度配合し先進の再生医療技術を取り入れたメンズ向けスキンケア製品「SUITオールインワンゲル」を発売した。また、月刊誌『GOETHE』での連載「金を使うならカラダに使え!」を通じて、美容や医療の最先端情報発信も行っている。 ライブドア事件証券取引法違反容疑による逮捕→詳細は「ライブドア事件」を参照
![]() (2023年9月撮影)
偽計取引、風説の流布東京地検特捜部の指摘によると、ライブドアが実質的に支配する投資事業組合が、すでにマネーライフ社を買収していたにもかかわらず、増資や架空売り上げを計上するなどし、ライブドアマーケティング社(現・メディアイノベーション)が、それら事実を偽って公表したとするもの。判決によると、粉飾により時価総額を高めて高い企業価値を偽装して他社を買収するなど、虚像により社会を欺いた点が極めて悪質とされた。その結果、単なる粉飾決算であるほかの事例(日興コーディアル証券など)よりも重い刑罰が確定した。 有価証券報告書の虚偽東京地検特捜部の指摘によると、ライブドアの2004年9月期の連結決算では経常赤字であったにもかかわらず、架空売上の計上、投資事業組合を通じたライブドア株式売却による投資利益を売上に計上し、50億3400万円の経常黒字であるとする虚偽の有価証券報告書を提出したとするもの。 事件に関連し報道されたエピソード
一審での有罪判決後
収監後
釈放後
民事裁判
人物恋愛・嗜好秋田県出身の女性社員だった女性との結婚歴があり、それが「できちゃった結婚」であったことを明かしている。のちに離婚したものの、2000年生まれの息子がいて、子供の養育費は毎月送っている。このこともあり、堀江は「もう結婚はしない」と述べている[76]。 恋愛については「オレの場合『ぽっちゃり好き』で『年上好き』で」という人しか可能性がない。『若いイケメンが好きです』って言っている女性には、コテンパンにやられて傷だらけになるのが目に見えてる。自分がツライだけだもん」「オレは全然恋愛を優先させることもあるよ」などと話した。また、小学生の時に友達と喧嘩した際にブサイクと言われたことにショックを受け、女性と話すことに30歳ごろまで苦手意識をもっていた。大学時代から徐々に苦手意識を克服しており「大学生で起業してから、必然的に女性と話す機会が増えたんだよ。そこで思い切って話してみたら『なんだ意外とイケんじゃん』ってわかったの。そうやってちょっとずつ克服していっただけ」と話した[77]。 アダルトビデオに造詣が深く、ソフト・オン・デマンド社は堀江のことを「AV評論家として名高い」と記した。また、2010年にAV女優を発掘し、全面プロデュースするプロジェクトの依頼を受け、子会社のSODクリエイト(SODster)よりAV女優Ninaをデビューさせた。前立腺を刺激するのが好みである[78]。 2014年に首から下全身脱毛を行ったことを、自身のSNS・YouTubeなどで明らかにしている。アメリカ在住のライターが、下の毛のない状態だと日本の温泉では注目を浴びてしまうと発言したのに対し「てか、俺四年前に首から下全身脱毛したけど、銭湯とかに行ってもだれも見ないよ。単なる自意識過剰でしょこの人。パイパン女子めっちゃ増えてるし」とツイートした[79]。 ネット上の発言
その他
書籍著書
共編著、監修
関連書籍
漫画
プロデュース・監修など
2014年8月設立
モデル
メディア出演配信
映画
ミュージック・ビデオ
テレビ番組
ラジオ
CM放映中のCM
放映が終了したCM
舞台
DVD
音楽活動
現在の所有馬
かつての所有馬
主な麻雀戦績
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
|