志賀町(しかまち)は、石川県の町。羽咋郡に属する。能登半島のほぼ中央に位置する。県内唯一の原発「北陸電力志賀原子力発電所」立地地域であり、姉妹都市の福井県大飯郡高浜町と共に全国原子力発電所所在市町村協議会に加盟している。
地理
総面積196.84km2[2]。耕地面積29.90km2[3]、林野[要曖昧さ回避]面積[* 1]は16,171km2[3]あるいは162.07km2[2]。
位置
- 東端 :北緯37度2分35.8秒 東経136度51分44.1秒(土田地区の徳田。赤蔵山山腹)。
- cf. 国土地理院の地図閲覧サービスによる、この位置へのリンク(以下同様)[7]
- 北端 :北緯37度13分38.5秒 東経136度48分53秒(稗造地区の切留近く)。[8]
- 西端 :北緯37度8分49.1秒 東経136度40分6.7秒(能登金剛海志埼の沖島西端、西海地区は西海久喜の沖島西端)。[9]
- 南端 :北緯36度56分17.5秒 東経136度47分46.9秒(羽咋市上中山町内飛地南端。眉丈第1・第2トンネル近く)。[10]
主要な地形
山地
- 高ツボリ山(標高141.6m)
- 遍照岳(通称:天元寺岳。標高146.6m)
- 天行寺山(標高137m)
- 赤蔵山(標高179m)
- 城山(別称:末吉城山。標高53.8m[7])
- 眉丈山(標高188m)
平地
海水域
陸水域 cf. 「石川県の二級水系一覧」
- 酒見川(さかみがわ。総延長7.800km、流域面積26.4km2)
- 富来川(とぎがわ。総延長13.140km、流域面積37.8km2)
- 米町川(こんまちがわ。総延長17.110km、流域面積113.3km2。於古川[おこがわ]は最大支川)[9]
沿岸地形
- 能登金剛
- 関野鼻(せきのはな)、義経の舟隠し、ヤセの断崖、北脇崎、玄徳岩、ミノ岩、黒崎、海士埼(あまさき。海士岬とも)、高岩岬、子が岬、増穂浦(ますほがうら。増穂浦海岸)、機具岩(はたごいわ)、吹上滝(ふきあげのたき)、鵜ノ戸、猪の鼻、千畳敷岩、厳門(がんもん)、鷹の巣岩、基盤島、兜岩、安部屋弁天島(弁天島)
- 大島海岸(おしま かいがん)
気候
典型的な日本海側気候であり、冬には雨や雪となる日が多いが、降水量は北陸地方の中では少ない方である。能登半島の他の自治体と同様に、緯度の割に比較的温暖な一方で猛烈な暑さとなることは多くないものの、フェーン現象が発生すると高温になりやすく、2019年の8月15日には県内最高気温となる40.1℃を観測している。
志賀(1991年 - 2020年)の気候
|
月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
最高気温記録 °C (°F)
|
16.5 (61.7)
|
18.6 (65.5)
|
23.1 (73.6)
|
27.1 (80.8)
|
31.7 (89.1)
|
34.4 (93.9)
|
37.3 (99.1)
|
40.1 (104.2)
|
37.0 (98.6)
|
31.6 (88.9)
|
25.6 (78.1)
|
19.9 (67.8)
|
40.1 (104.2)
|
平均最高気温 °C (°F)
|
7.1 (44.8)
|
7.5 (45.5)
|
10.7 (51.3)
|
16.1 (61)
|
21.1 (70)
|
24.9 (76.8)
|
28.5 (83.3)
|
30.8 (87.4)
|
26.9 (80.4)
|
21.5 (70.7)
|
15.7 (60.3)
|
10.2 (50.4)
|
18.4 (65.1)
|
日平均気温 °C (°F)
|
3.6 (38.5)
|
3.7 (38.7)
|
6.3 (43.3)
|
11.3 (52.3)
|
16.4 (61.5)
|
20.6 (69.1)
|
24.7 (76.5)
|
26.4 (79.5)
|
22.3 (72.1)
|
16.7 (62.1)
|
11.2 (52.2)
|
6.4 (43.5)
|
14.1 (57.4)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
0.2 (32.4)
|
−0.2 (31.6)
|
1.4 (34.5)
|
6.0 (42.8)
|
11.4 (52.5)
|
16.5 (61.7)
|
21.3 (70.3)
|
22.5 (72.5)
|
18.2 (64.8)
|
11.9 (53.4)
|
6.5 (43.7)
|
2.5 (36.5)
|
9.8 (49.6)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−11.3 (11.7)
|
−9.1 (15.6)
|
−5.6 (21.9)
|
−3.8 (25.2)
|
0.5 (32.9)
|
6.7 (44.1)
|
12.1 (53.8)
|
12.7 (54.9)
|
7.0 (44.6)
|
1.0 (33.8)
|
−1.4 (29.5)
|
−3.9 (25)
|
−11.3 (11.7)
|
降水量 mm (inch)
|
152.6 (6.008)
|
101.5 (3.996)
|
105.7 (4.161)
|
105.2 (4.142)
|
107.6 (4.236)
|
151.9 (5.98)
|
203.8 (8.024)
|
172.5 (6.791)
|
173.9 (6.846)
|
134.7 (5.303)
|
170.9 (6.728)
|
197.7 (7.783)
|
1,775 (69.882)
|
平均降水日数 (≥1.0 mm)
|
22.6
|
17.1
|
15.0
|
11.1
|
10.1
|
10.2
|
11.7
|
9.2
|
11.4
|
12.2
|
16.6
|
22.6
|
169.3
|
平均月間日照時間
|
58.7
|
92.0
|
152.8
|
194.6
|
206.8
|
165.7
|
154.4
|
207.8
|
155.9
|
155.8
|
107.2
|
62.7
|
1,713.5
|
出典1:Japan Meteorological Agency
|
出典2:気象庁[10]
|
- cf. 志賀町 毎年の気候数値:≪外部リンク≫ “志賀 年ごとの値”. (公式ウェブサイト). 気象庁. 2012年11月13日閲覧。
生物相
レッドデータブックの絶滅危惧I類に指定されているイカリモンハンミョウ(Abroscelis anchoralis、ハンミョウの一種)は、本州では志賀町から羽咋市にかけての海浜にのみ、日本列島全体でも能登半島のほかは九州の宮崎・鹿児島(種子島を含む)両県にのみ生息する希少な昆虫である[11][12]。このことから、志賀町大島から羽咋市柴垣町(菱根川から柴垣[須田地区]までの海岸約2.5kmはイカリモンハンミョウ生息地として保全管理されることとなった[12]。
広域地域区分
隣接する自治体
志賀町は能登半島の西側で日本海に大きく開けており、北は輪島市、南は羽咋市に隣接し、東は能登半島の東側にあって日本海の湾である富山湾に開けた七尾市と広く隣接する。
志賀町内の地域
- 行政上の中心地 :志賀町末吉。
- 経済的中心地 :昭和・平成時代は高浜町(旧・羽咋郡高浜町)。
- cf. ≪外部リンク≫ “防災マップ”. (公式ウェブサイト). 志賀原子力発電所. 2012年11月11日閲覧。※地図をクリックすると詳細資料が開く。
- cf. ≪外部リンク≫ “新志賀町における住所の表記” (PDF). (公式ウェブサイト). 志賀町. 2012年11月14日閲覧。※資料は過去のものであり、「現在の字名」は「以前の字名」、右列が(すでに合併した後の)現在の字名である。
- cf. ≪外部リンク≫ “羽咋郡志賀町”. (公式ウェブサイト). 日本郵便. 2012年11月14日閲覧。
歴史
※新暦導入以前(1872年以前)の日付は和暦による旧暦を主とし、丸括弧内に西暦(1581年以前はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦)を添える。「同年4月(4月)」は「旧暦4月(新暦4月)」の意、「同年4月(4月か5月)」とあれば「旧暦4月(新暦では5月の可能性もあり)」の意。
信仰史
渤海との交流
港の歴史
年表
先史時代
地質時代
縄文時代
弥生時代
有史以前全般
- 有史以前 :高爪山は神体山として信仰を集めていたと考えられる[18](高爪信仰の萌芽)。近海航路の目標物であった高爪山は漁民からは航海神として、また、農耕が始まると大福寺・酒見川流域の農民から農耕神として崇められた[18]。
古代・中世
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
鎌倉時代
室町時代
近世
安土桃山時代
江戸時代
近代以降
明治時代
明治改元後
日清戦争後
日露戦争後
- 1908年(明治41年) :慶長13年の創建以来300余年にわたって日野家が私設灯台として維持してきた福浦灯台(旧福浦灯台)が福浦村営に変わる[20]。
大正時代
第一次世界大戦後
昭和時代
太平洋戦争前
太平洋戦争中
太平洋戦争後
平成時代
志賀町(2005年ー)発足後
行政区域の変遷
人口
|
志賀町と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
志賀町の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 志賀町 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
志賀町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
31,323人
|
|
1975年(昭和50年)
|
30,921人
|
|
1980年(昭和55年)
|
30,636人
|
|
1985年(昭和60年)
|
29,828人
|
|
1990年(平成2年)
|
28,782人
|
|
1995年(平成7年)
|
26,965人
|
|
2000年(平成12年)
|
25,396人
|
|
2005年(平成17年)
|
23,790人
|
|
2010年(平成22年)
|
22,216人
|
|
2015年(平成27年)
|
20,422人
|
|
2020年(令和2年)
|
18,630人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
|
行政
町長
歴代志賀町長(1954年ー1970年)
|
代 |
人 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
|
|
|
大山玄一 |
1954年(昭和29年)10月1日 |
1954年(昭和29年)11月9日 |
町長職務執行者
|
1 |
1 |
小泉久平 |
1954年(昭和29年)11月10日 |
1958年(昭和33年)11月9日 |
|
2 |
2 |
尾崎利一 |
1958年(昭和33年)11月10日 |
1962年(昭和37年)10月9日 |
|
3 |
1962年(昭和37年)11月10日 |
1966年(昭和41年)11月9日 |
|
4 |
1966年(昭和41年)11月10日 |
1970年(昭和45年)10月31日 |
|
歴代志賀町長(1970年ー2005年)
|
代 |
人 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
|
|
|
南浩三郎 |
1970年(昭和45年)11月1日 |
1970年(昭和45年)11月14日 |
町長職務執行者、旧高浜町長
|
1 |
1 |
尾崎利一 |
1970年(昭和45年)11月15日 |
1974年(昭和49年)11月14日 |
|
2 |
2 |
野崎外雄 |
1974年(昭和49年)11月15日 |
1978年(昭和53年)11月14日 |
|
3 |
1978年(昭和53年)11月15日 |
1982年(昭和57年)11月14日 |
|
4 |
1982年(昭和57年)11月15日 |
1986年(昭和61年)11月14日 |
|
5 |
1986年(昭和61年)11月15日 |
1990年(平成2年)11月14日 |
|
6 |
3 |
細川義雄 |
1990年(平成2年)11月15日 |
1994年(平成6年)11月14日 |
|
7 |
1994年(平成6年)11月15日 |
1998年(平成10年)11月14日 |
|
8 |
1998年(平成10年)11月15日 |
2002年(平成14年)11月14日 |
|
9 |
2002年(平成14年)11月15日 |
2005年(平成17年)8月31日 |
|
歴代志賀町長(2005年ー)
|
代 |
人 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
|
|
|
松田佑興 |
2005年(平成17年)9月1日 |
2005年(平成17年)9月24日 |
町長職務執行者、旧富来町長
|
1 |
1 |
細川義雄 |
2005年(平成17年)9月25日 |
2009年(平成21年)9月24日 |
|
2 |
2 |
小泉勝 |
2009年(平成21年)9月25日 |
2013年(平成25年)9月24日 |
|
3 |
2013年(平成25年)9月25日 |
2017年(平成29年)9月24日 |
|
4 |
2017年(平成29年)9月25日 |
2021年(令和3年)9月24日 |
|
5 |
2021年(令和3年)9月25日 |
2023年(令和5年)11月26日 |
在職中、受託収賄及び官製談合防止法違反の疑いで逮捕[78][79][80]。
|
|
|
庄田義則 |
2023年(令和5年)10月31日 |
2023年(令和5年)12月24日 |
副町長、町長職務代理者
|
6 |
3 |
稲岡健太郎 |
2023年(令和5年)12月24日 |
現職 |
|
- 町長 - 稲岡健太郎(いなおか・けんたろう)
- 副町長 - 庄田義則(しょうだ・よしのり)
[81][82][83]
役所・出張所・町民会館等
町役場
役所に関して、志賀町では「本庁方式」を採用している。
- 志賀町役場 本庁舎 :所在地 石川県羽咋郡志賀町末吉千古1番地1。
- 志賀町役場 富来支所 :所在地 石川県羽咋郡志賀町富来領家町甲の10番地。
税務
広域行政サービス
一部事務組合(特別地方公共団体)である羽咋郡市広域圏事務組合(事務所所在地:羽咋市中央町ア185番地)の管轄区域である[13]。構成団体は、羽咋市、志賀町、宝達志水町[13][13]。
公共サービス施設
- 志賀町立志賀図書館
- 志賀町立富来図書館
- 志賀町文化ホール
- 能登中核工業団地 コミュニティ施設
- 志賀町総合体育館
- 志賀町総合武道館
- 志賀町陸上競技場
- 志賀町多目的スポーツセンター
- 富来勤労者体育センター
警察
消防・防災・救急救命
消防
救急救命
防災
防災システム
災害時応援協定
災害時等相互応援協定締結都市は以下のとおり。
水道事業
上水道
- 志賀地区上水道 :給水人口13,138人(2011年度)。水源は深井戸。水源15か所、浄水場7か所、配水池10か所。[89][90]
- 富来地区上水道 :給水人口7,317人(2011年度)。水源は、表流水、深井戸、一部伏流水。水源8か所、浄水場5か所、配水池12か所。
- 熊野地区簡易上水道 :給水人口538人(2011年度)。水源は深井戸。水源2か所、浄水場1か所、配水池1か所。
- 鵜野屋地保飲料水供給施設 :水源は伏流水。水源1か所、浄水場1か所、配水池1か所。
下水道
清掃事業
各分野の主な公共施設ほか。
清掃
再使用・再資源化
最終処分
- 石川処分場 :1997年(平成9年)3月19日供用開始。処理方式は陸上埋立(安定型)の埋立処分場。埋立期間は2013年(平成25年)3月まで。志賀町梨谷小山ホ58番地。[91][96]
国の行政機関
姉妹都市・提携都市
日本国内
日本国外
議会
町議会
- 定数:14人[97]
- 任期:2023年5月1日 - 2027年4月30日
- 議長 :越後敏明。2015年(平成27年5月8日就任)。[98]
衆議院
司法
裁判所
検察庁
郵便事業
経済
かつては繊維工業で栄えた。現在では電気機械の製造が盛んである。現在の志賀町は、若葉台地区に設けた能登中核工業団地(1977年第一次工事着工、1979年竣工。[11])、および、堀松工場団地で広く企業誘致を行っており[100]、多くの製造業者の工場が参集している[101][102]。
- cf. ≪外部リンク≫ “団地企業 - 進出企業一覧”. (公式ウェブサイト). 志賀町. 2012年11月17日閲覧。
- cf. ≪外部リンク≫ “周辺企業 - 進出企業一覧”. (公式ウェブサイト). 志賀町. 2012年11月17日閲覧。
製造業等
地元企業は創業の早い順、誘致企業は当地域への誘致実績が早い順に記載する。グループ企業の場合は最も早期に実績がある所属企業に連ねて他も記載する。
電力業
その他
水運業・水産業
水運業
水産業
- 漁業協同組合
- 石川県漁業協同組合 [131]
- 西海支所
- 富来湾支所
- 福浦港支所
- 志賀支所
- 高浜支所
- 漁港
- 大島漁港(おしま ぎょこう) :第1種漁港。
- 高浜漁港(たかはま ぎょこう) :第1種漁港。
- 安部屋漁港(あべや ぎょこう) :第1種漁港。安部屋地区と上野地区からなる。
- 赤住漁港(あかすみ ぎょこう) :第1種漁港。百浦地区と赤住地区からなる。
- 七海漁港(ひつみ ぎょこう[54][* 8]) :第1種漁港。
- 領家漁港(りょうけ ぎょこう) :第1種漁港。
- 富来漁港(とぎ ぎょこう) :第4種漁港。風戸地区と風無地区からなる。
- 赤崎漁港(あかさき ぎょこう) :第1種漁港。
地域
教育機関
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
保育所
- 志賀町立土田保育園
- 志賀町立中甘田保育園
- 志賀町立とぎ保育園
マスメディア
斎場
羽咋郡市広域圏事務組合管轄区域にあり、火葬業務を行う斎場(火葬場)は以下の2箇所である[133][134]。
交通
空港
航路
北前船の隆盛期には、福浦湊(福浦港)や安部屋湊(あべやみなと、安部屋港)[36]、高浜湊(高浜港)などを拠点とする繁栄を見せた。1683年(天和3年、江戸時代前期)に羽咋郡安部屋村(明治時代以降の石川県羽咋郡志加浦村安部屋、現在の志賀町安部屋)で生を受け、先に蝦夷地に渡って北前船廻船問屋「阿部屋」を興した張江家の使用人から独立した初代・村上伝兵衛は[36]、当地域と松前藩および蝦夷地を結ぶ象徴的存在である。北前船の繁栄が遠い昔となった現代では、福浦港は地方港湾に、他は地元漁港となっている(cf. #水運業・水産業)。
鉄道
1972年(昭和47年)6月25日に北陸鉄道能登線が全線廃止されたことにより、地域内の鉄道駅(甘田駅、大島駅、能登高浜駅、志賀町駅、堀松駅、大笹駅、米町駅、直海駅、三明駅)は全て廃駅となり、これ以降、当地域は鉄道空白地帯となった。
バス
路線バス
コミュニティバス
- 志賀町コミュニティバス :cf. 2002.
- まごころバス :高浜地区市街地を走る。無料。
- なないろバス :高浜地区市街地と郊外を結ぶ7路線。有料。
- 富来地域コミュニティバス :富来地区市街地と郊外を結ぶ6路線。有料。
道路
旧街道
- 外浦街道(能登外浦街道) :国道249号のうち、羽咋郡市近辺部分の前身。
- 浜街道
- 中道通
- 土田街道 :加茂地区の安津見から奥山峠を越えて田鶴浜に通じる。
- 得田街道(とくだかいどう) :堀松地区の吉田から七尾西湾の大津に通じる。
現代の道路
道の駅
名所・旧跡・観光地・行楽地・娯楽施設・祭事、ほか
名所・旧跡・観光地
自然物、自然物主体の名所
社寺
- 高爪神社 :かつての高爪山六所宮。木板彩画六所宮懸仏(国の重要文化財)、木造薬師如来坐像(県指定有形文化財)が伝わる。cf. a, 703, 1208, 1275, 1576, 1585, 1868, 1964.
- 松尾神社 :本殿は国の重要文化財。拝殿は県指定有形文化財[137]。cf. 834, 1559, 1980.
- 冨木八幡神社 :cf. 750, 1217, 1576, 1671.
- 堀松八幡神社 :cf. 1573.
- 末吉日吉神社 :cf. 1040年.
- 長龍寺 :江戸時代中期に作られたとされる庭園で知られる。cf. 1449, a.
- 来入寺 :真宗大谷派の古刹。cf. 1558.
旧跡
城や居館については「城址」「城跡」「館跡」とすべきところを略記する。
その他の施設
行楽地・娯楽施設等
祭事・恒例イベント
福浦祭り
毎年8月の第4金曜日に宵祭り、土曜に本祭りが行われているが、過去には9月10日(宵祭り)、11日(本祭り)、12日(裏祭り)の3日間にわたり行われていたこともある[141]。
宵祭りでは、太鼓や参加する町民のお祓いが行われる。本祭りでは、猿田彦神社を13時にお立ちし、50歳まで(以前は40歳まで)の25,6名でみこしを担ぐ[142]。恵比寿堂のお参りが終わってから海上渡御を行い、水の澗に入り全町内をくまなく巡行する。御招待では、希望する家にみこしをお迎えし、舟唄を歌いお祓いを行い弥栄(いやさか)を祈る。落ち着きは午後11時ごろ、昔は翌朝4時ごろまで行っていたようだ。
裏祭りでは、芸妓たちが猿田彦神社の境内で手踊りを披露した名残で仮装行列が行われていた。現在は、希望する町民が本祭りでみこしとともに仮装行列を行い祭りをにぎわしている[141]。担ぐ前には、みこし担ぎ人は1人ずつ福浦漁協前で五右衛門風呂に入り、身を清めてから法被を着てお立ちを待つ[142]。
2002年に町無形民俗文化財に指定されている。
文化財
国の重要文化財として、松尾神社本殿 (cf. 834, 1559, 1980)と、高爪神社の木板彩画六所宮懸仏 (cf. 1275, 1964) がある。
- “志賀町の文化財”. 大好き 志賀町!(個人ウェブサイト). 個人 (2008年3月). 2012年11月15日閲覧。
特産物
近世の主要な特産物には、安部屋晒布(あべやさらし)、安部屋瓦(あべやかわら)、安部屋縮/安部屋縮織(あべやちぢみ、あべやちぢみおり)などがある[20]。近現代の主要特産物としては、ころ柿(干し柿)、スイカ、能登牛などを挙げることができる。
福浦港に伝承されているふるさとの味としてひっぱり餅がある。
志賀町を舞台とした作品
文学
映画
著名人
出身著名人
志賀町とその前身地域および前身自治体で生まれた著名人を挙げる。「???生まれ」とあるのは、誕生時に所属していた前身自治体名が特定できない(特定するに足る情報が得られない[* 9])ことを意味する。
江戸時代の生まれ
明治生まれ
昭和生まれ
ゆかりある著名人
出身者ではないが、育った、活動したなど、当地域にゆかりの深い著名人を挙げる。
脚注
注釈
- ^ 林野面積 :現況森林面積に森林以外の草生地(野草地)の面積を加えた面積。
- ^ 当時、日本側の入国窓口は大宰府のみであったが、渤海国にある出航港との位置関係から到着することは技術的に難しく、決まって日本海の主要港に寄港していたため、日本側が折れて渤海使に例外を認め、能登国の福良津と若狭国の気比松原を正式な寄港地・入国指定地域に定めてそれぞれに客院(国賓宿泊施設)を設けた。
- ^ 灯明台(とうみょうだい):篝屋(かがりや)とも称。江戸時代に作られるようになった灯台の一種で、石積みの台の上に小屋を建て、その中で木を燃やす仕組みを持ったもの。
- ^ a b 池泉観賞式(ちせんかんしょうしき)とは、池泉式(池と泉から成る)日本庭園の一様式で、書院[要曖昧さ回避]など室内から見て楽しむように作庭されたもの。
- ^ a b 救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)認定被害者。日本政府、非認定。
- ^ “IP告知放送システムの活用事例と活用状況” (PDF). (公式ウェブサイト). 総務省. 2012年11月17日閲覧。
- ^ “2町のプロフィール”. (公式ウェブサイト). 志賀町・富来町合併協議会. 2012年11月14日閲覧。
- ^ 第九管区海上保安本部の資料では「七海漁港(しつみ ぎょこう)」であるが、国土地理院公式資料および志賀町公式資料の字名は「七海(ひつみ)」である。
- ^ 例えば、出典に「志賀町出身」とあるだけでは、他と同様に「現在の志賀町内」(当時は他所だが略して記さず)という意味か、「当時の志賀町」という意味か、文意を掴むことはできない。
出典
参考文献
関連項目
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外部リンク