小松飛行場(こまつひこうじょう)は、石川県小松市にある飛行場(空港)である。
防衛省が管理、航空自衛隊小松基地(英: JASDF Komatsu Airbase)と民間航空(民航)が滑走路を共用する飛行場(空港法附則第3条第1項で定める自衛隊共用空港)である[N 1]。民間の施設は通称として小松空港(こまつくうこう、英: Komatsu Airport)と呼ばれている[N 2]。航空管制[2]は航空自衛隊に所属する管制員が担当している。
概要
小松市・金沢市・福井市をはじめ、石川県南部(加賀地方)および福井県北部(嶺北地方)へのアクセス拠点となっている。2001年、国土交通省の「第7次空港整備計画」で福井空港の拡張計画が漏れ、福井県は空港の拡張計画を断念[N 3][N 4]。その後「小松空港を福井県の空の玄関口」として方針転換した[N 5]。それにより、福井県の要望で航空会社の時刻表などには「小松(金沢・福井)」と表記されるようになっている[4]。
滑走路の両側に誘導路があり、山側を航空自衛隊が、海側を民航のターミナルが利用している。また、地方空港では珍しくカーゴルクスなどがボーイング747Fで乗り入れるなど国際航空貨物を取り扱っており、空港内にはこれに対応した貨物上屋が整備されている。
沿革
小松基地に関する事項は、後述の「航空自衛隊小松基地」の歴史を参照。
施設
空港ターミナルビル・航空貨物施設とも、石川県などが出資する第三セクターの北陸エアターミナルビル株式会社が運営している[N 22]。
ターミナルビル
各テナントの詳細は、小松空港公式サイトの施設サービスを参照。
- 1階
- 2階
- 出発ロビー・搭乗口(国内線・国際線)
- スカイビュッフェ コスモス(売店、国内線保安検査場内)
- こまQショップ ゲート店(売店、国内線保安検査場内)
- サクララウンジ(空港ラウンジ、国内線保安検査場内)
- ANAラウンジ(同上、国内線保安検査場内)
- 免税売店(国際線保安検査場内)
- こまQショップ 2F売店
- 空カフェ(喫茶・軽食)
- 海とハクサン(レストラン)
- こまQスクエア(展示スペース)
- 有料待合室「小松」「兼六」
- スカイラウンジ白山
- 3階
貨物施設
- HIACT(ハイアクト:北陸国際航空貨物ターミナル)
- 国内貨物上屋
空港内の主な所在機関・企業
就航路線
航空会社名が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便である。
国内線
東京国際空港(羽田)発着を中心に、コードシェア便として海外航空会社便名が付与される便もある。
(小松空港発)2022年度就航路線別旅客数/順位
[34]
行き先 |
旅客数 |
国内線順位
|
東京国際空港
|
約81万人 |
上位28位
|
国際線
旅客便
貨物便
国際貨物定期便として1社が乗り入れている。
カーゴルックス航空の定期便として、以下の2ルートがボーイング747-400Fもしくはボーイング747-8Fを使用して運航されている。
貨物取扱量は6,530トンで、国内の空港では第13位となっている(いずれも2020年度)。
休廃止路線
小松空港に就航していた路線は以下の通り[36][N 23]。
ジェイエアおよびエアーニッポンはそれぞれJALならびにANA便で運航する以前の路線である。ANAの路線には、旧日本ヘリコプター輸送および中日本航空が運航していた時期も含む。キャセイパシフィック航空の国際線は定期チャーター便として運航されていた。
統計
利用者数
元のウィキデータクエリを参照してください.
年間利用客数は、国内線1,581,054人、国際線243,874人(2018年度)[P 6][N 24]。
旅客数
以下に年度別の乗降客数を示す[38]。国際線にはチャーター便を含む[38]。マウスポインタを棒グラフの各要素に合わせると、該当年度の数値がポップアップする。
500,000
1,000,000
1,500,000
2,000,000
2,500,000
3,000,000
航空自衛隊小松基地
小松基地(こまつきち、JASDF Komatsu Airbase)は、1961年2月に開庁した航空自衛隊の基地である。対領空侵犯措置の任務を担っており、国籍不明機に対するスクランブル発進を行っている[N 25][N 26][N 27]。基地司令は第6航空団司令が兼務。基地北方の日本海上空に広大な訓練空域(G空域)があり[N 27]、航空総隊戦技競技会の開催や各種の訓練が日本海上空で実施される[N 28]。
歴史
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1958年(昭和33年)2月19日 - 米軍による飛行場の大部分の接収が解除されると同時に、航空自衛隊小松分遣隊が配置。この年、折から活発化した左派による自衛隊基地反対運動に対し小松市長和田伝四郎が併用飛行場化の立場を表明する[注 5]。
1959年(昭和34年)6月1日 - 航空自衛隊小松分屯基地が設置。
- 12月4日 - 小松基地設置に関する33カ条約定書を締結。
1960年(昭和35年)
1961年(昭和36年)2月1日 - 航空自衛隊小松基地開庁。臨時小松派遣隊を編成し、小松に駐屯[40]。
1962年(昭和37年)5月15日 - 警戒待機(アラート)運用を開始。
1963年(昭和38年)1月24日 - 三八豪雪に災害派遣。
1964年(昭和39年)4月30日 - 小松基地拡張に伴い、小松市からの要望事項に対して協定を締結。
1965年(昭和40年)3月31日 - 第205飛行隊新編(F-104J配備、20機編成)。基地拡張用地42.3haを取得。同地の開拓団は解散。
1969年(昭和44年)2月8日 - 落雷を受けたF-104Jが金沢市泉の住宅街に墜落、パイロットはパラシュートで脱出して無事だったものの、付近の住民4人が死亡する事故が発生[N 29][N 30]。
1974年(昭和49年)8月 - 当時の新機種であるF-4EJの配備を小松市へ申し入れ。
1975年(昭和50年)6月 - 第4飛行隊解散。
- 10月4日 - F-4EJ配備に関し防衛施設庁と地元自治体の間で「小松基地周辺の騒音対策に関する基本協定書」(いわゆる「10・4協定」)を締結[注 6]
1976年(昭和51年)10月26日 - 第303飛行隊新編(F-4EJ配備、18機編成)。
1981年(昭和56年)6月30日 - 第205飛行隊解散。
1982年(昭和57年)11月 - 在日米軍への提供が決まり、以降自衛隊との共同使用(訓練)が実施される[注 7]。11月30日初の共同訓練を実施。
1986年(昭和61年)11月1日 - 第303飛行隊がF-15Jに改編(18機編成)。
1988年(昭和63年)3月31日 - 第301基地防空隊新編。
1995年(平成7年)11月22日 - 能登半島沖で訓練中のF-15Jが誤って僚機を撃墜する事故が発生(F-15僚機撃墜事故)。
1997年(平成09年)3月 - 第306飛行隊がF-15Jに改編。
2001年(平成13年)12月10日 - 小松管制隊が管制回数1,234,567回達成[42]。
2002年(平成14年)4月26日 - 配備機種がF-15Jに更新されたことと航空便増便で過密化が進行したため、防衛庁が「10・4」協定に基づく「昼休み時間帯の離着陸制限」および「東側編隊離陸制限」の緩和を小松、加賀両市に申し入れ。同時に石川県に通知。
- 12月24日 - 小松市および加賀市と「協定書の一部を改正する協定書」を締結し、自主的騒音規制の一部を緩和。
2006年(平成18年)7月 - 小松市、加賀市、川北町など周辺自治体が米軍機の訓練受け入れを容認表明。
2011年(平成23年)10月7日 - F-15の燃料タンク落下事故が発生[N 32]。同年12月16日に飛行を再開。なお、この年の航空祭は落下した部品捜索と飛行訓練中止により開催されなかった[N 33]。
2016年(平成28年)6月10日 - 飛行教導群が新田原基地から移動[N 34]。
2022年(令和4年)
2023年(令和5年)8月4日 - イタリア空軍のF-35Aなどがアジア訓練ツアーの一環で飛来。第6航空団などと共同訓練を行った。イタリア空軍の戦闘機が日本を訪れたのは、第二次世界大戦後これが初である[N 42]。
配置部隊
- 航空総隊隷下
- 航空支援集団隷下
- 防衛大臣直轄部隊
小松基地航空祭
例年秋頃に開催される航空祭では、小松基地所属の戦闘機や救難機の展示飛行、アクロバット飛行を行う第11飛行隊(ブルーインパルス)の展示飛行が実施される[N 44][N 46]。1990年代半ばまでは、毎年6月の開催だったが、梅雨の時期と重なっており雨天が多く、展示飛行もキャンセルになることがしばしばあったため、北陸で好天の多い9月に開催されるようになった。なお1990年代後半から2000年までは航空自衛隊では珍しく8月の最終土・日曜日に2日間開催されていたが、2001年以降は9月に1日のみの開催となっている。ただし、2001年はアメリカ同時多発テロ事件により実際には中止となり開催されていない。2009年は11月の開催となった。2011年はF-15の機外燃料タンク落下事故の発生に伴い中止になった[N 33]。
訴訟等
一部周辺住民により離着陸の差し止めを求める「小松基地戦闘機離着陸差止等請求訴訟」が大分して2度にわたり提訴されていた。第1次、第2次訴訟については1994年12月、第3次、第4次訴訟については2007年4月に名古屋高等裁判所金沢支部にて棄却されたが、損害賠償支払いについては命令した。双方が上訴しなかった為判決が確定した[N 47]。
ただし、どちらの訴訟でもWECPNL75以上の区域に居住する住民は受忍限度を超えているとして国に損害賠償の義務を認めている[43]。
交通アクセス
ダイヤなどの詳細は、当該項目を参照。括弧内は一部便のみ経由する。
路線バス
観光周遊バス
季節運行
- 白山一里野スキーシャトル(ホワイトリング)
- 白山登山エクスプレス(小松タクシー)
- 小松空港 - 小松駅 ⇔ 市ノ瀬 - 別当出合(予約制)
廃止された路線
- 金沢・あわら無料バス「KANAZAWARA号」(あわら市)
タクシー
タクシー乗降場と待機所があり、原則としてタクシーが待機している。小松駅からはタクシーで10分程度である。
2011年(平成23年)11月6日より「加賀越前観光ガイドタクシー」が運行されている[44]。
道路
駐車場
空港環境整備協会が運営する駐車場が、第1から第3まである。24時間利用可能で、普通自動車のみ入場から60分まで無料である。
航空プラザ臨時駐車場は2011年(平成23年)12月1日から小松空港国際線駐車場となり、小松発着の国際線利用者および小松 - 羽田・成田便を利用して羽田・成田空港で国際線に乗り継ぐ旅客に限定して無料開放している。なお、24時間を超える駐車は可能であるが車両の入出場が可能な時間帯は限られている。
周辺
小松空港・小松基地を舞台とした作品
- 小松空港
- 小松基地
脚注
注釈
- ^ 『日本工業新聞』1962年1月5日[要ページ番号]、他9月の記事等
この博覧会は産経新聞その他の協賛によって日本国内で向ヶ丘遊園など順次持ち回り開催されており、航空機や車両などの展示が実施された。
- ^ 2006年5月FAZ制度廃止
- ^ 日本トランスオーシャン航空の乗務員および機材による運航便含む。
- ^ ANAウイングスの乗務員および機材による運航便含む。
- ^ 大阪防衛施設局長「小松飛行場-その運用と周辺対策-」『調和 基地と住民』No.33 1989年9月15日
発言要旨「米軍から返還後、民間航空機が使用しているが、施設が不十分、自衛隊の航空基地として整備し、併せて民間航空施設も完備すべきである」
- ^ 防衛施設庁長官、石川県知事、周辺8市町村長(小松市長、加賀市長、松任市長、根上町長、寺井町長、辰口町長、川北村長、美川町長)による締結。自治体名はいずれも当時のもの。
小松基地周辺の騒音対策に関する基本協定の締結 (PDF) 防衛施設庁史第3章第9節 2007年
- ^ 日米安全保障条約第6条に基づく施設及び区域、日米地位協定第2条第4項(b)の適用による
出典
プレスリリース
報道
その他
- ^ 小松空港(RJNK/KMQ)(航空無線Handbook) 自衛隊以外にカンパニーラジオや県防災航空隊専用など
- ^ a b “小松空港の利便性向上に努めています”. 福井県総合政策部交通まちづくり課 (2017年5月11日). 2018年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月7日閲覧。
- ^ 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)166ページ。
- ^ a b 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)40ページ。
- ^ 『石川のトリセツ』(2021年2月1日、昭文社発行)46ページ『日本海側で唯一の戦闘機部隊を配備 官民共用で発展する小松飛行場』より。
- ^ a b 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)41ページ。
- ^ 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)43ページ。
- ^ a b c 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)44ページ。
- ^ a b 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)45ページ。
- ^ a b 大阪防衛施設局長「小松飛行場-その運用と周辺対策-」『調和 基地と住民』No.33 1989年9月15日[要ページ番号]
- ^ 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)49 ページ。
- ^ 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)72、178ページ。
- ^ a b 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)73ページ。
- ^ 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)83ページ。
- ^ 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)85ページ。
- ^ 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)110ページ。
- ^ a b 企業情報 沿革 - フジドリームエアラインズ
- ^ a b 会社情報 沿革 - AIRDO
- ^ “北陸新幹線の陰で危機に瀕する、富山空港の粘り腰”. ダイヤモンド・オンライン (2016年1月5日). 2020年2月8日閲覧。
- ^ 運航受託 - 鹿児島国際航空
- ^ オリエンタルエアブリッジ、10月下旬から福岡/小松線に新規開設 FlyTeam 2018年8月21日付
- ^ “航空輸送統計年報の概要 令和 4 年度(2022 年度)分”. 2023年9月26日閲覧。
- ^ 『設立50周年記念誌 翼広げて50年』154および155ページ - 北陸エアターミナルビル(2010年10月発行)
- ^ “令和3年度 岡山桃太郎空港のあらまし” (PDF). 岡山県岡山空港事務所. p. 3 (2021年). 2022年6月7日閲覧。
- ^ a b 小松空港について(小松空港協議会 / 小松空港国際化推進協議会)
- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)541頁。
- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)541頁。
- ^ a b 『40年のあゆみ 北陸エアターミナル株式会社設立40周年記念誌』(2000年10月、北陸エアターミナル株式会社発行)49 - 50ページ。
- ^ イカロス出版 Jwing No.43 2002年3月号 89頁 「行くぞ!NEWSマン 自衛隊NEWS」
- ^ 鳩山由紀夫 (2009年12月1日). “米軍の航空機騒音に係る訴訟における損害賠償金等に関する質問に対する答弁書”. 質問主意書答弁書. 防衛省. 2012年12月3日閲覧。
- ^ “お知らせ一覧”. 石川県タクシー協会. 2020年12月29日閲覧。
- ^ “県政の主なあゆみ平成21年 前期”. 石川県県民文化スポーツ部県民交流課広報広聴室 (2010年9月27日). 2022年6月7日閲覧。
参考文献
- 歴史・年表
- 『設立50周年記念誌 翼広げて50年』 - 北陸エアターミナル(2010年10月)
- 『基地と空港に関する資料 基地と小松 平成25年度』 - 小松市行政管理部飛行場課(2013年)
- 「小松飛行場 - その運用と周辺対策 - 」『調和 基地と住民』1989年3月15日
- 「小松飛行場 その運用と周辺対策等」『調和 基地と住民』2005年3月
- 『Cargo』(海事プレス社)2004年4月号、2008年6月号(いずれも小松空港特集)
関連項目
外部リンク
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▲印は供用廃止となった空港・ヘリポート。+印は定期便が就航していない空港等(無期限運休中・供用休止中を含む)。 C印は関税法上の税関空港、I印は入管法上の出入国港、Q印は検疫法上の検疫飛行場。 |