第205飛行隊(だい205ひこうたい、JASDF 205th Tactical Fighter Squadron)は、かつて航空自衛隊中部航空方面隊第6航空団隷下だった戦闘機部隊である。小松基地に所属し、航空自衛隊5番目のF-104J/DJ戦闘機を運用する飛行隊として1965年(昭和40年)の部隊編成後、1981年(昭和56年)に閉隊されるまで日本海側でのアラート任務を実施した。
概要
第205飛行隊は1965年(昭和40年)3月31日、航空自衛隊5番目のF-104飛行隊として小松基地第6航空団隷下にて発足した。1972年(昭和47年)2月7日から10月20日までの間、小松基地の滑走路改修のため茨城県百里基地に移動し、臨時に第7航空団隷下となりアラート任務を実施した[1]。
小松基地へ帰還後、新編される第306飛行隊と交替して1981年(昭和56年)6月30日に閉隊された[1]。
第205飛行隊の部隊マークは第6航空団を意味する「6」を赤色で描いたものだったが、後に能登半島をモチーフにした「6」の図柄になっている[1]。
沿革
- 12月28日 - 小松基地にて第205飛行隊編成準備隊編成[2]。
- 4月15日 - 日本海上空で訓練飛行中のF-104Jが墜落[2]。
- 10月1日 - 小松基地でのアラート待機任務開始[2]。
- 10月6日 - 第205飛行隊初のホットスクランブル[2]。
- 10月20日 - 小松基地へ帰還[1]。
- 12月22日 - アラート待機任務解除[2]。
歴代運用機
脚注
- ^ a b c d e f g イカロス出版 JWing No.121 2008年9月号 52頁 「集まれ!日本の戦闘機部隊 航空自衛隊、過去の戦闘機部隊」
- ^ a b c d e f イカロス出版 Jwing No.31 2001年3月号 42頁-43頁 「僕らの航空自衛隊の50年。これがすべての戦闘機部隊、すべての戦闘機だ!」松崎豊一
- ^ 「二自衛隊機接触し墜落 石川沖 一人不明」『朝日新聞』昭和49年(1984年)10月25日夕刊、3版、9面
- ^ 大日本絵画 月刊モデルグラフィックス2月号別冊 戦競1988 航空自衛隊昭和63年度航空総隊戦技競技会 68頁-70頁 「戦競史 航空総隊戦技競技会28年の歩み」
関連項目
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