龍樹 (りゅうじゅ、梵 : नागार्जुन 、Nāgārjuna 、テルグ語 : నాగార్జునుడు 、チベット語 : ཀླུ་སྒྲུབ 、klu sgrub 、タイ語 : นาคารชุนะ )は、2世紀に生まれたインド 仏教 の僧 である。龍樹とは、サンスクリット のナーガールジュナ [ 注釈 1] の漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派 の祖であり、蓮如 以後の浄土真宗 では八宗 の祖師 と称される。龍猛 (りゅうみょう)とも呼ばれる。
概要
鳩摩羅什 訳『龍樹菩薩伝』[ 9] [ 10] [ 11] によれば南インドのバラモン の家に生まれ、幼くしてヴェーダ を諷んじてその意味を了得した。プトゥン の『仏教史』の伝えるところでは、南方のヴィダルバ [ 注釈 3] のバラモンの出身で、(中インドの)ナーランダ僧院 でバラモンの学問を修めたのち出家したという。サータヴァーハナ朝 の保護の下でセイロン 、カシミール 、ガンダーラ 、中国 などからの僧侶のために院を設けた。この地(古都ハイデラバード の東 70 km)は後にナーガールジュナ・コーンダ(丘)と呼ばれる。
哲学者 の梅原猛 は、龍樹は釈迦の仏教を否定し、大乗仏教を創始したとしている。一方、中村元 は、大乗仏教は諸法の実相 を説くことを標識とし、小乗仏教 の三法印 に対して大乗仏教は「実相印」を第四の印 として挙げるとしているが、中村によれば龍樹は小乗の三法印のほかに別の法印をたてなかったという[ 18] 。
生涯
インド原典で伝わるナーガールジュナ伝が存在しないため史学的に厳密な生涯は不詳。鳩摩羅什 訳と伝えられる『龍樹菩薩伝』の伝説は以下のとおりである。
天性の才能に恵まれていた龍樹はその学識をもって有名となった。龍樹は才能豊かな3人の友人を持っていたが、ある日互いに相談し学問の誉れは既に得たからこれからは快楽に尽くそうと決めた。彼らは術師から隠身の秘術を得、それを用い後宮 にしばしば入り込んだ。100 日あまりの間に宮廷の美人は全て犯され、妊娠する者さえ出てきた。この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により3人の友人は切り殺されてしまった。しかし、王の影に身を潜めた龍樹だけは惨殺を免れ、その時、愛欲が苦悩と不幸の原因であることを悟り、もし宮廷から逃走することができたならば出家 しようと決心した。
事実、逃走に成功した龍樹は山上の塔を訪ね受戒出家した。小乗 の仏典をわずか 90 日で読破した龍樹は、更なる経典を求めヒマラヤ 山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた。これを学んだ後、彼はインド中を遍歴し、仏教・非仏教の者達と対論しこれを打ち破った。龍樹はそこで慢心を起こし、仏教は論理的に完全でないところがあるから仏典の表現の不備な点を推理し、一学派を創立しようと考えた。
しかしマハーナーガ(大龍菩薩)が龍樹の慢心を哀れみ、龍樹を海底の龍宮 に連れて行って諸々の大乗仏典を授けた。龍樹は 90 日かけてこれを読破し、深い意味を悟った。
龍樹は龍によって南インドへと返され、国王を教化するため自ら応募して将軍となり、瞬く間に軍隊を整備した。王は喜び「一体お前は何者なのか」と尋ねると、龍樹は「自分は全知者である」と答え、王はそれを証明させるため「今、神々は何をしているのか」と尋ねたところ、龍樹は神通力を以って神々と悪魔 (阿修羅 )の戦闘の様子を王に見せた。これにより王をはじめとして宮廷のバラモン達は仏教に帰依した。
そのころ1人のバラモンがいて、王の反対を押し切り龍樹と討論を開始した。バラモンは術により宮廷に大池を化作し、千葉の蓮華 の上に座り、岸にいる龍樹を畜生のようだと罵った。それに対し龍樹は六牙の白象 を化作し池に入り、鼻でバラモンを地上に投げ出し彼を屈服させた。
またその時、小乗の仏教者がいて、常に龍樹を憎んでいた。龍樹は彼に「お前は私が長生きするのはうれしくないだろう」と尋ねると、彼は「そのとおりだ」と答えた。龍樹はその後、静かな部屋に閉じこもり、何日たっても出てこないため、弟子が扉を破り部屋に入ると、彼はすでに息絶えていた。
龍樹の死後 100 年、南インドの人たちは廟を建て、龍樹を仏陀と同じように崇めていたという。
龍樹の空理論
中央の大きな人物が龍樹
龍樹の黄金像
この「空」の理論の大成は、龍樹の『中論 』などの著作によって果たされた。なお、伝統的に龍樹の著作とされるもののうち、『中論(頌)』以外に近代仏教学において龍樹の真作であるとの見解の一致が得られている作品はない。
龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っていることを論証している。この因果関係を釈迦 は「縁起 」として説明している。(龍樹は、釈迦が縁起を説いたことを『中論』の最初の帰敬偈において、賛嘆している。)
さらに、因果関係によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「独立した不変の実体」(=自性 )はないことを明かしている。これによって、すべての存在は無自性 であり、「空 」であると論証している。このことから、龍樹の「空」は「無自性空」とも呼ばれる。
この空の思想は、真理を
概念を離れた真実の世界(第一義諦 、paramārtha satya )と、
言語や概念によって認識された仮定の世界(世俗諦 、saṃvṛti-satya )
という二つの真理に分ける。言葉では表現できないこの世のありのままの姿は、第一義諦であり、概念でとらえられた世界や、言葉で表現された釈迦の教えなどは、世俗諦であるとするため、この説は二諦 説と呼ばれる。
人物同一性
錬金術師
インドでは仏教の僧であるよりも錬金術 師・占星術 師として有名で著作伝説があるが、これはこの項で触れている龍樹よりもはるか後代に出現した同名の錬金術師と混同されているためである。
『ラサ゠ウパニシャッド』 - ナーガールジュナ作の錬金術の方法が記述されている。
『ラサ・ラトナーカラ』、玄奘『大唐西域記 』 - ナーガールジュナとサーリヴァハーナ王(引正王)の対話(不老長寿の霊薬など)。
『ラサラトナ゠サムッチャヤ』(水銀の宝の集成) - 水銀 学の27人の学者のなかでナーガールジュナをあげる。
密教の祖
新龍樹
大正 時代の河口慧海 や寺本婉雅 は、『八十四成就者伝 』の龍樹伝が特異であることから、それに書かれた龍樹は、本来の龍樹の没後(寺本によると6世紀)の同名異人であるとした。この説では、本来の龍樹を「古龍樹 (Nāgārjuna I )」、『八十四成就者伝』の龍樹を「新龍樹 (Nāgārjuna II )」と呼び分ける。
河口は、密教経典のうち『無上瑜伽タントラ 』(左道密教)が新龍樹の著作であるとしたが、これには、古龍樹の著に基づく真言密教の正当性を主張するという背景があった。
一方、寺本は、龍樹に帰せられていた密教経典の全てが新龍樹の著作であり、古龍樹は密教とは無関係であるとした。すなわち、古龍樹が中観の祖、新龍樹が密教の祖である。
この説に対し羽溪了諦 は、2人の龍樹の伝記の骨子
は共通であることから、これらは同一人物の伝記であり、『八十四成就者伝』が異なる部分は密教の影響による潤色であるとした。また、栂尾祥雲 は『八十四成就者伝』の史料的価値を否定した。
龍猛
寺本は、新古2人の龍樹に加え、古龍樹の弟子の龍猛 (Nāgāhvaya ) がいたとした。龍猛は浄土教 の祖であり、『入楞伽経 』に記された龍樹の授記 は龍猛のものであるとした。
現在、龍猛が別人とされるときは、密教の業績が帰せられることが多い。この点では、寺本説の龍猛ではなくむしろ新龍樹に対応する(ただし龍猛と新龍樹は別の史料に基づく人物像である)。
中村元による分類
中村元 は、ナーガールジュナに帰せられる多数の著作が全て同一人によって書かれたかどうかは、大いに論議のあるところであるとしており、複数のナーガールジュナの存在も考えられるとしている。中村は、以下の6人のうちの5および6は、1とは大分色彩を異にしているので別人ではないかと思われると述べている。
『中論 』などの空 思想を展開させた著者
仏教百科事典と呼ぶにふさわしい『大智度論 』の著者
『華厳経 』十地品の註釈書『十住毘婆沙論 』の著者
現実的問題を扱った『宝行王正論 』などの著者
真言密教 の学者としてのナーガールジュナ
化学(錬金術)の学者としてのナーガールジュナ
著作
中論 (Mādhyamaka Kārikā ) うち「頌」 - 説一切有部 を代表とする実在論を否定し、世俗においては、すべてのものは実体として認識することはできず、単に言葉によって施説されたものであると説く(「有」または「無」または「有無」または「非有非無」)。勝義においては、それらすべての言語活動すら止滅する(「有」または「無」または「有無」または「非有非無」において、その全ての否定)。この主張を受け継いだのが中観派 である。
廻諍論 (えじょうろん、Vigrahavyāvartanī )
空七十論 (Śūnyatāsaptati )
ヴァイダリヤ・スートラ (Vaidalya-sūtra )
ヴァイダリヤ論 (Vaidalya-prakaraṇa ) - 「ヴァイダリヤ・スートラ」に対する自注。
十二門論 - 真偽問題が未解決。
大智度論 - 真偽問題が未解決。『二万五千頌般若経 』系統の般若経典に対する百巻に及ぶ注釈書である。
十住毘婆沙論 - 真偽問題が未解決。大乗菩薩の階位について論述している。なおこれに含まれる「易行品」は、浄土真宗において称名による住不退転の根拠とされ、聖典とされている。
宝行王正論 (Ratnāvalī )
脚注
注釈
出典
参考文献
関連文献
関連項目
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外部リンク