羽咋市
羽咋市(はくいし)は、石川県の能登地方にある市。1958年(昭和33年)市制施行。
地理
市は能登半島の西の付根に位置し、七尾市に向かって延びる邑知潟地溝帯に沿って広がる。西は日本海に面し、千里浜と呼ばれる砂浜が南北に連なる。
東は富山県氷見市、北は羽咋郡志賀町、鹿島郡中能登町、南は羽咋郡宝達志水町とそれぞれ接する。
自然地理
気候
羽咋(1991年 - 2020年)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
最高気温記録 °C (°F)
|
18.1 (64.6)
|
21.9 (71.4)
|
25.2 (77.4)
|
29.9 (85.8)
|
31.6 (88.9)
|
34.4 (93.9)
|
36.7 (98.1)
|
39.6 (103.3)
|
38.1 (100.6)
|
32.3 (90.1)
|
26.7 (80.1)
|
22.1 (71.8)
|
39.6 (103.3)
|
平均最高気温 °C (°F)
|
6.8 (44.2)
|
7.3 (45.1)
|
10.7 (51.3)
|
16.0 (60.8)
|
21.0 (69.8)
|
24.6 (76.3)
|
28.4 (83.1)
|
30.5 (86.9)
|
26.6 (79.9)
|
21.2 (70.2)
|
15.5 (59.9)
|
9.9 (49.8)
|
18.2 (64.8)
|
日平均気温 °C (°F)
|
3.5 (38.3)
|
3.6 (38.5)
|
6.5 (43.7)
|
11.5 (52.7)
|
16.6 (61.9)
|
20.7 (69.3)
|
24.8 (76.6)
|
26.5 (79.7)
|
22.4 (72.3)
|
16.9 (62.4)
|
11.3 (52.3)
|
6.3 (43.3)
|
14.2 (57.6)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
0.5 (32.9)
|
0.2 (32.4)
|
2.3 (36.1)
|
7.1 (44.8)
|
12.5 (54.5)
|
17.4 (63.3)
|
21.9 (71.4)
|
23.1 (73.6)
|
18.9 (66)
|
12.8 (55)
|
7.2 (45)
|
2.8 (37)
|
10.6 (51.1)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−6.5 (20.3)
|
−6.5 (20.3)
|
−4.5 (23.9)
|
−1.3 (29.7)
|
3.1 (37.6)
|
9.5 (49.1)
|
15.3 (59.5)
|
16.0 (60.8)
|
9.4 (48.9)
|
3.5 (38.3)
|
−0.1 (31.8)
|
−4.2 (24.4)
|
−6.5 (20.3)
|
降水量 mm (inch)
|
212.7 (8.374)
|
129.6 (5.102)
|
129.3 (5.091)
|
122.5 (4.823)
|
127.4 (5.016)
|
156.4 (6.157)
|
225.8 (8.89)
|
188.7 (7.429)
|
195.3 (7.689)
|
153.1 (6.028)
|
205.3 (8.083)
|
264.6 (10.417)
|
2,110.7 (83.098)
|
平均降水日数 (≥1.0 mm)
|
23.7
|
18.3
|
15.8
|
11.9
|
10.6
|
10.9
|
12.3
|
9.3
|
11.7
|
12.9
|
16.9
|
23.4
|
177.8
|
平均月間日照時間
|
55.8
|
90.8
|
154.1
|
194.5
|
215.8
|
171.7
|
171.1
|
219.5
|
160.1
|
157.2
|
108.4
|
62.2
|
1,767.2
|
出典1:Japan Meteorological Agency
|
出典2:気象庁[1]
|
歴史
古代の能登国羽咋郡の地であり、海浜の寺家集落に『延喜式』名神大社・能登国一ノ宮気多大社が鎮座する。寺家は7世紀から14世紀にかけての祭祀遺跡である「汀の正倉院」として有名な寺家遺跡でも名高い。また周辺には全長50メートルの山伏山古墳(前方後円墳)など古墳も多く、古代豪族・羽咋君に関わるとされる。
なお羽咋の地名の由来は垂仁天皇の皇子磐衝別命がこの辺の領民を苦しめていた怪鳥を退治し、このとき皇子の連れてきた3匹の犬が怪鳥の羽を食い破ったという伝説がもととなっているとされる。それが「羽喰」の地名が起こりであり、現在の「羽咋」になったのではないかと伝えられる。
沿革
2005年には押水町及び志雄町(現・宝達志水町)との1市2町合併を目指していたが、実現には至らなかった。
人口
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羽咋市と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
羽咋市の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 羽咋市 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
羽咋市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
28,530人
|
|
1975年(昭和50年)
|
28,726人
|
|
1980年(昭和55年)
|
28,784人
|
|
1985年(昭和60年)
|
28,789人
|
|
1990年(平成2年)
|
27,517人
|
|
1995年(平成7年)
|
26,502人
|
|
2000年(平成12年)
|
25,541人
|
|
2005年(平成17年)
|
24,517人
|
|
2010年(平成22年)
|
23,032人
|
|
2015年(平成27年)
|
21,729人
|
|
2020年(令和2年)
|
20,407人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
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行政
市長
歴代羽咋町長(1889年-1954年)
|
代 |
人 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
|
1 |
1 |
小倉健蔵 |
1889年(明治22年)5月21日 |
1889年(明治22年)5月25日 |
|
2 |
2 |
和田次郎三郎 |
1889年(明治22年)6月7日 |
1889年(明治22年)11月8日 |
|
3 |
3 |
松井八三郎 |
1889年(明治22年)12月18日 |
1893年(明治26年)12月18日 |
|
4 |
1894年(明治27年)4月18日 |
1896年(明治29年)4月18日 |
|
|
|
樺木則保 |
1896年(明治29年)2月22日 |
1896年(明治29年)5月12日 |
職務管掌
|
5 |
4 |
寺島脩作 |
1896年(明治29年)5月12日 |
1898年(明治31年)6月10日 |
|
|
5 |
和田吉郎兵衛 |
1898年(明治31年)6月30日 |
1898年(明治31年)9月24日 |
臨時代理
|
6 |
1898年(明治31年)9月24日 |
1902年(明治35年)8月31日 |
|
|
1902年(明治35年)9月24日 |
1902年(明治35年)10月20日 |
臨時代理
|
7 |
1902年(明治35年)10月20日 |
1904年(明治37年)8月17日 |
|
8 |
6 |
山崎峻雄 |
1904年(明治37年)9月1日 |
1907年(明治40年)8月22日 |
|
|
|
中田毅 |
1908年(明治41年)3月20日 |
1908年(明治41年)3月31日 |
職務管掌
|
9 |
7 |
角尾於菟次郎 |
1908年(明治41年)3月31日 |
1912年(明治45年)3月29日 |
|
10 |
1912年(明治45年)4月10日 |
1912年(大正元年)8月21日 |
|
11 |
8 |
本多佐吉郎 |
1913年(大正2年)1月7日 |
1917年(大正6年)1月25日 |
|
12 |
1917年(大正6年)1月25日 |
1917年(大正6年)10月1日 |
|
13 |
9 |
若狭羊太郎 |
1920年(大正9年)8月30日 |
1924年(大正13年)8月29日 |
佐兵衛に改名
|
14 |
|
若狭佐兵衛 |
1924年(大正13年)9月13日 |
1928年(昭和3年)9月12日 |
|
15 |
10 |
小倉小太郎 |
1928年(昭和3年)2月6日 |
1931年(昭和6年)1月22日 |
|
|
|
中田覚重 |
1931年(昭和6年)1月23日 |
1931年(昭和6年)2月2日 |
職務管掌
|
16 |
11 |
釜谷七太郎 |
1931年(昭和6年)2月2日 |
1935年(昭和10年)2月1日 |
|
17 |
1935年(昭和10年)2月 |
1938年(昭和13年)4月30日 |
|
18 |
12 |
寺島他男造 |
1938年(昭和13年)5月17日 |
1942年(昭和17年)5月16日 |
|
19 |
13 |
山森石太郎 |
1942年(昭和17年)5月17日 |
1946年(昭和21年)5月16日 |
|
20 |
14 |
貫伝松 |
1947年(昭和22年)4月6日 |
1949年(昭和24年)8月11日 |
|
21 |
15 |
坂本長ェ右門 |
1949年(昭和24年)10月10日 |
1952年(昭和27年)10月7日 |
|
22 |
16 |
本多六郎 |
1952年(昭和27年)10月25日 |
1954年(昭和29年)11月2日 |
|
歴代羽咋町長(1954年-1956年)
|
代 |
人 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
|
|
|
本多六郎 |
1954年(昭和29年)11月3日 |
1954年(昭和29年)12月7日 |
町長職務執行者
|
1 |
1 |
西外居 |
1954年(昭和29年)12月7日 |
1956年(昭和31年)9月29日 |
|
歴代羽咋町長(1956年-1958年)及び羽咋市長
|
代 |
人 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
|
|
|
西外居 |
1956年(昭和31年)9月30日 |
1956年(昭和31年)10月24日 |
町長職務執行者
|
1 |
1 |
上井彦之焏 |
1956年(昭和31年)11月1日 |
1960年(昭和35年)10月31日 |
|
2 |
1960年(昭和35年)11月1日 |
1964年(昭和39年)10月31日 |
|
3 |
1964年(昭和39年)11月1日 |
1968年(昭和43年)10月31日 |
|
4 |
2 |
西橋義一 |
1968年(昭和43年)11月1日 |
1972年(昭和47年)10月31日 |
|
5 |
3 |
本吉二六 |
1972年(昭和47年)11月1日 |
1976年(昭和51年)10月31日 |
|
6 |
1976年(昭和51年)11月1日 |
1980年(昭和55年)10月31日 |
|
7 |
1980年(昭和55年)11月1日 |
1984年(昭和59年)10月31日 |
|
8 |
1984年(昭和59年)11月1日 |
1988年(昭和63年)10月31日 |
|
9 |
4 |
塩谷一雄 |
1988年(昭和63年)11月1日 |
1992年(平成4年)10月31日 |
|
10 |
1992年(平成4年)11月1日 |
1996年(平成8年)10月31日 |
|
11 |
5 |
本吉達也 |
1996年(平成8年)11月1日 |
2000年(平成12年)10月31日 |
|
12 |
2000年(平成12年)11月1日 |
2004年(平成16年)10月31日 |
|
13 |
6 |
橋中義憲 |
2004年(平成16年)11月1日 |
2008年(平成20年)10月31日 |
|
14 |
7 |
山辺芳宣 |
2008年(平成20年)11月1日 |
2012年(平成24年)10月31日 |
|
15 |
2012年(平成24年)11月1日 |
2016年(平成28年)10月31日 |
|
16 |
2016年(平成28年)11月1日 |
2020年(令和2年)10月31日 |
|
17 |
8 |
岸博一 |
2020年(令和2年)11月1日 |
現職 |
|
市長選挙結果
議会
市議会
- 定数:14人
- 任期:2021年9月30日 - 2025年9月29日
石川県議会
- 選挙区:羽咋市羽咋郡南部選挙区
- 定数:1人(2023年に2人→1人に削減)
- 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日
- 当日有権者数:28,127人
- 投票率:67.94%
候補者名 |
当落 |
年齢 |
党派名 |
新旧別 |
得票数
|
稲村建男 |
当 |
79 |
自由民主党 |
現 |
9,530票
|
本吉淨与 |
落 |
43 |
無所属 |
現 |
9,326票
|
衆議院
経済
産業
主な事業所
姉妹都市・提携都市
国内
海外
地域
警察
消防
国の行政機関
医療
教育
高等学校
中学校
小学校
交通
鉄道
道路
船舶
バス
観光
名所
史跡・旧跡
祭礼
施設
道の駅
名産品
UFOのまち
地域おこしとして「UFOのまち」をアピールしている。コスモアイル羽咋にロズウェル事件などUFOにまつわる展示が、羽咋駅前にはUFOのオブジェがある。十数軒の飲食店が空飛ぶ円盤や宇宙人を模した「UFO料理」を出している。きっかけとなったのは、テレビでUFO番組が多く放映されていた1980年代半ばに、羽咋青年ミステリークラブが開いたUFO展。地元に伝わる「そうはちぼん」という飛行物体の伝説もUFOに結び付けられている[5]。
羽咋市を舞台とした作品
文学作品
映画
テレビドラマ
- ナポレオンの村 - 羽咋市で起きた出来事を一部フィクション化したうえで、架空の村に移し替えて放送。
著名な出身者
脚注
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、 羽咋市に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
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