| このページ名「 永光寺」は 暫定的なものです。 (2017年12月) |
永光寺(ようこうじ)は、石川県羽咋市酒井町[1]にある曹洞宗の寺院。山号は洞谷山(とうこくざん)。本尊は釈迦如来。能登観音霊場第13番札所。
歴史
正和元年(1312年)瑩山紹瑾の教えによって発心した酒匂氏出身の祖忍尼(鹿島郡酒井保中河(現・羽咋市中川町付近)の地頭酒匂頼親の息女)とその夫・海野三郎滋野信直が檀越となり、酒井保(現・羽咋市酒井町付近)野山を施入した。夫妻の志しと霊夢に感じ入った瑩山が、翌年山中に茅屋を結んで仮の庫裡としたのが始まりだという[2]。伽藍は元亨3年(1323年)頃に整備され、元亨4年に本堂普光堂が竣工した。暦応2年(1339年)頃には、足利尊氏・足利直義の発願による能登国の利生塔が境内に建立された。
応仁の乱後は後土御門天皇の勅願で再興されるが、天正7年(1579年)、兵乱で開山堂の五老峰を除いて焼失。天正10年、前田利家によって再興された。現存の伽藍は江戸時代の再建である。
伽藍
山門を入ると、正面に法堂(本堂)、その手前右手には庫裏、書院、左手には僧堂、衆寮、鐘楼などが建ち、これらを回廊で結んでいる。法堂裏には開山堂にあたる伝燈院があり、その奥には五老峰と称する墳丘がある。五老峰とは天童如浄、道元、孤雲懐奘、徹通義介、瑩山紹瑾の5名の祖師のことで、伝燈院にはこれら5名の木像を安置し、墳丘には5名の遺品等が埋納されている。[3]
文化財
重要文化財(国指定)
- 瑩山紹瑾筆洞谷山置文(附:瑩山紹瑾所用木印) - 鎌倉時代、瑩山紹瑾筆
- 「尽未来際置文」元応元年(1319年)十二月八日、「四至堺田畠注文」元亨(1321年)三年三月七日、「文書注文」元亨三年十月九日、「寄田注文」元亨三年十月九日、「山中松禁制」正中二年(1325年)五月一日、「尽未来際勤行置文」正中二年七月十八日、の六通。
県指定有形文化財
- 木造徹通義介坐像 - 室町時代
- 木造瑩山紹瑾坐像 - 室町時代
- 木造明峰素哲坐像 - 室町時代
- 木造峨山韶碩坐像 - 室町時代
- 永光寺文書・典籍類 251点
市指定有形文化財
その他
交通アクセス
脚注
- ^ 能登国鹿島郡加賀領酒井村、余喜村酒井
- ^ 『洞谷記』
- ^ 羽咋市歴史民俗資料館サイト内「羽咋の文化財」、2009年1月10日閲覧
- ^ 羽咋市歴史民俗資料館
参考資料
外部リンク