桐山 清澄(きりやま きよずみ、1947年10月7日 - )は、将棋棋士。棋士番号は93。増田敏二六段門下。奈良県吉野郡下市町出身。棋聖、棋王のタイトルを獲得。竜王戦1組通算7期、名人戦A級通算14期。1966年4月デビュー[1]。
棋歴
5歳ぐらいの頃、縁台将棋を見て将棋を覚える[2]。
1957年4月、9歳で升田幸三門下となり上京して内弟子となる。升田の妻の実家が隣町にあり、そこに升田が避暑に来ていたことで偶然出会ったのがきっかけだという[3]。内弟子と同時に奨励会初等科に入会するが、慣れない環境もありホームシックのために同年7月に帰郷する[4]。本人によれば「たった数ヵ月では帰りにくかった」とのことで、すぐには故郷に戻らず、大阪の叔母のところに1年ほど住んでいた[3]。
1958年、7級で増田敏二門下として再度入門。当時は田中魁秀とよく練習将棋を指していたという。中学卒業後は関西将棋会館の「塾生」となる[3]。
旧制度の奨励会三段リーグに1964年前期から在籍。3期目に11勝1敗というずば抜けた成績で関西優勝をするが、中原誠との東西決戦で昇段を逃す。しかし、次期の1965年度後期で再び11勝1敗で1位となり、規定により東西決戦なしで四段昇段(プロ入り)を果たす。
順位戦では、第23期(1968年度)のC級2組で11勝1敗(1位)、第24期(1969年度)のC級1組で10勝2敗(2位)、第27期(1972年度)のB級2組で8勝2敗(1位)でそれぞれ昇級。そして、第29期(1974年度)のB級1組で12勝1敗で1位の成績を収め、1975年4月にA級八段となった。四段から八段までの昇段が、すべて順位戦の規定での昇段である。以降、12期連続でA級在籍。
1975年度、王座戦の決勝三番勝負で中原誠を2-0で破り、棋戦初優勝[注 1]。
1976年度前期の棋聖戦でタイトル初挑戦。大山康晴に1-3で敗れ、奪取はならなかった。
1976年度前期の早指し選手権戦で優勝。同棋戦では、1983年度に2度目の優勝をしている。
1980年度の順位戦A級リーグにおいて7勝2敗で優勝し、1981年の名人戦の挑戦者となるが、中原との七番勝負は1-4で敗退。1983年度の十段戦でも中原に挑戦したが、七番勝負は2-4で敗退。
1982年度、第1回全日本プロトーナメントにおいて、決勝三番勝負で青野照市に2-1で勝利し、初代優勝者となる。
1984年度、棋王戦五番勝負で米長邦雄四冠王を3-1で破り、初のタイトル獲得。米長の永世棋王獲得(5連覇)を阻止した。翌年度、谷川浩司に0-3で奪われる。
1986年度から1987年度前半にかけては、大活躍する。第48期(1986年度前期)棋聖戦五番勝負で、またも米長邦雄からタイトル奪取し(3-1)、2度目のタイトル獲得。王座戦で中原誠に挑戦(0-3で敗退)。第49期(1986年度後期)棋聖戦で南芳一の挑戦を3-1で退け、タイトル初防衛。さらに、第50期(1987年度前期)棋聖戦で西村一義の挑戦を3-0のストレートで下し、棋聖3連覇(半年後に、南芳一に0-3で奪われる)。
1988年度、第1期竜王戦で1組優勝。
2007年8月9日、公式戦通算900勝を達成した。史上9人目で、59歳での達成は最年長記録[注 2]。
還暦を超えてからも各棋戦において健闘し、3組在位で迎えた50代最後の竜王戦(2007年度、第20期)では決勝戦まで勝ち進み2組昇級を決めた[注 3]。
2017年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントの予選で1回戦で井上慶太に、2回戦で小林健二に、決勝で増田裕司にそれぞれ勝利し、69歳にして本戦出場。これは同年度同棋戦の本戦出場者50人の中で最高齢。1回戦で飯島栄治に敗れ、本戦勝利はならなかった。
加藤一二三及び森雞二が規定により引退した2017年度以降は、桐山が最高齢かつ最古参、そして唯一の棋士番号2桁の現役棋士となった。
2018年3月末時点の公式戦通算勝利は992勝で、通算1000勝まであと8勝に迫るも、2018年度は前年度から26連敗[注 4]するほど大不振の年となり、第77期順位戦C級2組で2つ目の降級点を喫した。第32期竜王戦5組昇級者決定戦で伊奈祐介に勝利して連敗を止めたものの、この年度の公式戦勝利はこの1勝のみであった。
2019年度も公式戦で連敗が続き、2020年1月16日に行われた第78期順位戦C級2組8回戦で高見泰地に敗れ0勝8敗となり、この時点で3つ目の降級点が確定しフリークラスへ陥落。この年度も順位戦9回戦で近藤正和に勝利した1勝のみに終わり、フリークラス編入の年齢制限により竜王戦を除く2020年度以降の公式戦の参加資格を失った。
第33期竜王戦で5組在籍を維持した場合のみ、竜王戦に限り第34期に出場が可能であったが、2020年7月7日に行われた竜王戦5組残留決定戦で井出隼平を千日手指し直しの末に破り、現役続行を決めるとともに通算995勝目を挙げた。
第34期竜王戦では前期に続いて5組残留決定戦に回ったが、2021年5月14日の上村亘戦に勝利して5組残留、そして現役続行を決めるとともに通算996勝目を挙げた。なお、フリークラス編入を経て在籍期限経過後、竜王戦5組在籍による特例規定は2年間に限られるため、第35期竜王戦で4組に昇級することができなければ引退が決定する。しかし2022年2月22日の5組昇級決定戦で伊奈祐介七段に敗れたことで4組昇級がなくなり、引退が決定[5]。2022年4月27日の5組残留決定戦・畠山鎮戦が最終局となり現役を引退した[6]。1000勝を目前にしながらあと4勝及ばずの引退となった[7]。
2024年、文化庁長官表彰[8]。
棋風
- 攻めの棋風であるが、銀を巧みに用いる事からニックネームは「いぶし銀」。風貌から「カラス天狗」ともいわれる。
- 代表する得意戦法も挙げにくいので、川口篤(河口俊彦六段・当時)は「桐山将棋を語るのはなかなか難しい。」と述べている[9]。
人物
- 名前の「清澄」は「きよずみ」と読むのが正しいが、長らく、周囲からも関係者からも「きよすみ」と誤読されていた[注 5]。
- 公益財団法人高槻市文化スポーツ振興事業団理事長を務めており、2018年より『桐山清澄杯将棋大会』(アマチュア将棋大会)が開催されている[10]。
- デジタル技術に比較的明るく、1995年頃から淡路仁茂の助けも借り棋譜データベースの導入を進めるなど、パソコンを早くから活用していた[11]。
- 酒は基本的に飲めない。若い頃は薄い水割りを2時間かけて飲んで酒席に付き合ったりもしていたが「しんどくなってやめた」という[11]。
弟子
棋士
名前 |
四段昇段日 |
段位、主な活躍
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矢倉規広 |
1994年10月 1日
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七段
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豊島将之 |
2007年4月 1日
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九段、竜王2期、名人1期、王位1期、叡王1期、棋聖1期、一般棋戦優勝5回
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(2022年3月20日現在)[12]
昇段履歴
主な成績
獲得タイトル
- 棋王 1期(第10期=1984年度)
- 棋聖 3期(第48期=1986年度前期 - 50期)
獲得期数 合計:4期
- タイトル戦登場
- 名人戦:1回(第39期=1981年度)
- 十段戦:1回(第22期=1983年度)
- 王座戦:1回(第34期=1986年度)
- 棋王戦:2回(第10期=1984年度 - 11期)
- 棋聖戦:5回(第28期=1976年度前期、48期 - 51期)
- 登場回数 合計:10回
一般棋戦優勝
将棋大賞
- 第2回(1974年度) 勝率第一位賞
- 第3回(1975年度) 殊勲賞
- 第8回(1980年度) 敢闘賞
- 第10回(1982年度) 敢闘賞
- 第11回(1983年度) 最多勝利賞・技能賞
- 第12回(1984年度) 殊勲賞
- 第49回(2021年度) 東京記者会賞
通算記録
- 1988年00月00日 - 通算600勝達成(将棋栄誉賞、13人目)
- 2000年12月01日 - 通算800勝達成(将棋栄誉敢闘賞、9人目)[15]
- 2007年08月09日 - 通算900勝達成(9人目、史上最年長=59歳)[16]
表彰
- 1990年11月 - 現役勤続25年
- 2005年11月 - 現役勤続40年 [17]
- 2015年11月 - 現役勤続50年 [18]
在籍クラス
日本将棋連盟役員
主な著書
関連項目
脚注
注釈
- ^ a b 当時の王座戦は、まだタイトル戦ではなく優勝棋戦であった(1983年度からタイトル戦となった)。
- ^ それまでの最年長記録は有吉道夫九段の57歳であった。
- ^ 決勝は久保利明に敗れ、本戦出場には至らなかった。
- ^ 公式戦の連敗記録では歴代2位となる。1位は野本虎次の31連敗で、3位は清野静男の25連敗。
- ^ 桐山がタイトル戦(2005年頃?の竜王戦か名人戦)の立会人としてNHKの生中継に出演した際、「きよずみ」が正しいけれども愛称として「きよすみ」と呼んでもらっている、という旨を、笑みを浮かべながら発言した。日本将棋連盟のサイトの棋士紹介ページで「清澄」の読みが訂正されたのは、そのすぐ後のことである。
出典
外部リンク
一般棋戦優勝 6回 |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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関連項目 | |
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1970年(第18回)より前年王座との三番勝負。1983年(第31回)よりタイトル戦に移行。 |
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2000年代 | |
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関連項目 | |
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第19回までの棋戦名称は全日本プロ将棋トーナメント。2007年(第25回)で終了し朝日杯将棋オープン戦に移行。 |
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早指し 将棋選手権 優勝者 |
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早指し 新鋭戦 優勝者 |
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関連項目 | |
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2002年(第36回)で終了。 |
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5連勝以上 勝抜者 | |
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関連項目 | |
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()内は連勝数。5連勝以上で公式棋戦優勝相当。連勝が次年度に継続した場合も勝抜きの対象。2003年(第22回)で終了。 |
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六、五、四段戦優勝者 | |
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古豪新鋭戦優勝者 | |
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名棋戦優勝者 | |
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関連項目 | |
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B級2組以下の棋士が参加。名棋戦は棋王戦の予選として行われた。1980年(第7回)で終了。 |
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将棋大賞 |
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第32回(2005年)で廃止、第33回(2006年)より新たな敢闘賞を創設。前年度の活躍が対象。 |
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第8回(1982年)より創設 |
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