ニューオーリンズ・セインツ(英語: New Orleans Saints、略称: NO)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズに本拠地をおくNFLチーム。NFC南地区に所属している。第44回スーパーボウルで優勝している。ホームスタジアムはシーザーズ・スーパードーム。本部と練習施設は、同じルイジアナ州のメテリーに位置している。
概要
1967年にエクスパンションチームとして加入した。1970年のNFLとAFLの統合後、NFC西地区に所属した。チームは創設以来長期低迷し、1978年まで12年連続負け越し、1979年、1983年と8勝8敗になったが勝ち越したシーズンは1987年までなかった。1987年から1992年までに4回プレーオフに進出したがプレーオフでの勝ち星はなかった。この間1991年に初めて地区優勝を果たした。2000年シーズン、プレーオフ5回目の出場で前年のスーパーボウルチャンピオンのセントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげた。2006年にはNFCチャンピオンシップゲームに進出したがシカゴ・ベアーズに14-39で敗れスーパーボウル出場を逃した。2009年のNFCチャンピオンシップでミネソタ・バイキングスに勝ち初のスーパーボウル進出を果たした。
1967年から1974年まではチュレーン・スタジアム、1975年からシーザーズ・スーパードームを本拠地としている[1]。
2005年はハリケーン・カトリーナによるスーパードームの損傷の為、暫定的にタイガースタジアム(ルイジアナ州バトンルージュ・4試合)とアラモドーム(テキサス州サンアントニオ・3試合)、ジャイアンツ・スタジアム(ニュージャージー州イーストラザフォード・1試合)を使用して、公式戦を行った。スタジアムの改修には1億8500万ドルがかけられて2006年から再びスーパードームを本拠地とした。
チーム設立が承認された11月1日が諸聖人の日であることからチーム名はセインツとつけられた。ロゴマークのフルール・ド・リス(フランス国王の紋章)は、ルイジアナ州がかつてフランス植民地だったことにちなみ、ニューオーリンズ市の紋章でもあるマークがそのまま採用された。マイナーな変更を除き、1967年に採用されたものを一貫して使用し続けている。
チーム創設から1974年まで、ユニフォームの白と黒を逆にして、ホーム用を白、ビジター用を黒にしていた。
トランペッターのアル・ハート(パートオーナーでもあった)はジャズ曲『聖者が街にやってくる』("When The Saints Go Marchin' In")をオフィシャルソングとした。
歴史
1970年代まで
1966年11月1日、NFLコミッショナーのピート・ロゼールによって新球団として承認されたことが発表され、1967年に創設された。
1967年、ロサンゼルス・ラムズとのチュレーン・スタジアムで行われた開幕戦でジョン・ギリアムが92ヤードのキックオフリターンTDを決めたが13-27で敗れた。この年チームは3勝11敗に終わった。エクスパンションチームが3勝をあげたのはこの当時のNFL記録であった。
1970年のNFLとAFLの統合を経て(当初NFC西地区に所属)1986年まで20年間地区優勝はおろかプレーオフ出場さえなかった。1979年まで地区2位にさえなることはなかった。その中、QBのアーチー・マニングはプロボウルにも選出された。1979年、1983年とチームは勝率5割を達成したが1987年までのうち残り全てのシーズンは負け越しした。
1970年11月8日、生まれつき右足のつまさきから先のない障害を持ったキッカーのトム・デンプシーがNFL記録となる63ヤードのFGを決めて19-17でデトロイト・ライオンズを破った。この記録は2013年にマット・プレイターが64ヤードのFGを成功させて更新した[2]。
1980年代
1980年、チームは開幕から14連敗した。地元メディアのスポーツキャスター、Buddy Dilibertoが観衆に紙袋をかぶってホームゲームで応援することを提案した[3]。Aintsと書いた紙袋をかぶり目の部分だけくりぬいて観戦するパフォーマンスはその後、NFLだけでなくアメリカのチームスポーツにおいて急速に拡がり不甲斐ないシーズンを送るチームの応援にはしばしば見られるようになった。この年、サンフランシスコ・49ers戦ではハーフタイムを35-7とリードしながら後半ジョー・モンタナに率いられた相手オフェンスを止められずに35-38で敗れるという当時のNFL記録となる28点差のリードからの逆転負けを喫した[4][5]。
1985年にチームはトム・ベンソンによって購入された。ジム・フィンクスがGMに、ジム・E・モーラ(シアトル・シーホークスのヘッドコーチを務めたジム・L・モーラは彼の息子である)がヘッドコーチとなった。1987年に12勝3敗で創設以来初の勝ち越しを決めてプレーオフに進出した。
1990年代
1990年から1992年までの3年間はドームパトロールと呼ばれたパット・スウィリング、リッキー・ジャクソン、サム・ミルズ、ヴォーン・ジョンソンの4人のLBを中心とした強力なディフェンスでプレーオフに出場した。
1991年には開幕から7連勝した。チームのこの快進撃は、聖者の行進と呼ばれた。エースQBボビー・エイビアが肩の負傷により、7戦目から12月半ばまで欠場した。エイビアが離脱する前、他のチームに3ゲーム差で地区首位だったものの、スティーブ・ウォルシュが先発してから、チームは負け越し、エイビアが最後の2試合に復帰してから連勝、11勝5敗で初の地区優勝を果たした[6]。
ジム・モーラはチームを4回プレーオフに導いたがプレーオフでチームは1勝もできず、3勝13敗に終わる1996年シーズン途中に辞任した。
1997年から元シカゴ・ベアーズのヘッドコーチ、マイク・ディトカ(第20回スーパーボウル優勝経験がある)をヘッドコーチとして迎えたが1997年、1998年とチームは6勝10敗に終わった。1999年のNFLドラフトでディトカはその年の全指名権、翌年のドラフト1巡、3巡指名権と引き替えにワシントン・レッドスキンズからドラフト全体5番目の指名権を獲得、RBリッキー・ウィリアムズを獲得した。しかしこの年チームは3勝13敗に終わりディトカとGMのビル・クハリッチは解任された。
2000年代前半
2000年から2005年まではジム・ハスレットがヘッドコーチとしてチームの指揮を執った。2000年チームは2度目の地区優勝を果たしプレーオフに進出、セントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげたが翌週の試合でミネソタ・バイキングスに敗れた。GMのランディ・ミューラーはこの年のNFLエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2002年シーズン開幕前にベンソンオーナーによって解任された。
2002年、ヒューストン・テキサンズの加入によって地区の再編が行われた際にNFC南地区に移った。同年3月8日にリッキー・ウィリアムズは2つの1巡目指名権を含む4つのドラフト指名権と引き換えに、マイアミ・ドルフィンズにトレードされた。この年チームは第37回スーパーボウル優勝を果たすタンパベイ・バッカニアーズに2勝したが前年に続きプレーオフを逃した(スーパーボウルチャンピオンに2勝してプレーオフに出場できなかったのは1995年にワシントン・レッドスキンズがダラス・カウボーイズに2勝したシーズン以来のことであった)。
2003年は8勝8敗でプレーオフ進出はならず、2004年は開幕6試合で2勝4敗、12試合終了時点で4勝8敗とハスレットヘッドコーチの首が危うい状況であったが、そこからチームは4連勝し8勝8敗となりプレーオフ争いをしていたラムズ、バイキングスと8勝8敗で並んだ。NFCチームとの成績がラムズが7勝5敗、セインツが6勝6敗、バイキングスが5勝7敗であり、ラムズがワイルドカード1つ目の椅子を手に入れ、セインツとの直接対決を制していたバイキングスがもう1つの椅子を手に入れたためプレーオフ出場を逃した。ハリケーン・カトリーナの被害によって本拠地スーパードームでプレイできなかった2005年、チームは3勝13敗の成績に終わりハスレットは解任された。
ブリーズ時代
2006年3月14日、セインツは前サンディエゴ・チャージャーズのドリュー・ブリーズと6年契約を結んだ。
2006年3月23日、チームはプレシーズンゲームをシュリーブポート及びミシシッピ州ジャクソンで行うと発表した。4月6日にレギュラーシーズンのホームゲームをスーパードームで行うことが発表され9月25日に行われるマンデーナイトフットボールでのアトランタ・ファルコンズ戦がスーパードームでの2シーズンぶりの試合となった。この試合に23-3で勝利した。観衆は70,003人入りESPNのNFL中継としては過去最高の11.8%の視聴率となりおよそ全米の1085万家庭が視聴した。試合前にはグリーン・デイ、U2がWake Me Up When September Ends、The Saints Are Comingで盛り上げた。12月17日チームはNFC南地区(2002年に新設)を初制覇し3回目の地区優勝を決めた。ショーン・ペイトンヘッドコーチはチーム史上2人目となる就任1年目で地区優勝を果たしたコーチとなった。その後プレーオフ1回戦のシードも決まりディビジョナルプレーオフでフィラデルフィア・イーグルスを27-24で破りNFCチャンピオンシップゲームを決めた。3勝13敗からカンファレンスチャンピオンシップゲームに出場を決めたのは1999年にセントルイス・ラムズが前年の4勝12敗から進出した記録を破るNFL新記録となった。セインツがプレーオフで勝利したのはそれまでワイルドカードプレーオフでの勝利しかなくチャンピオンシップゲーム出場は初のことであった。2007年1月21日に行われた試合で14-39でシカゴ・ベアーズに敗れ第41回スーパーボウル出場はならなかった。
2007年、開幕戦でスーパーボウルチャンピオンのインディアナポリス・コルツに10-41で敗れ、続く3試合に連敗した。開幕4連敗した後、4連勝したが7勝7敗から最後の2試合に連敗し最終的に7勝9敗でシーズンを終えた。
2008年、チームは2009年のドラフト2巡と5巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジャイアンツからジェレミー・ショッキー、2009年のドラフト4巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジェッツからジョナサン・ヴィルマを補強した。
2009年に前ワシントン・レッドスキンズのQBチェイス・ダニエルと契約した。この年の4月30日、ベンソンオーナーと地元自治体は少なくとも2025年まではセインツがニューオーリンズに残留することについて合意したことを発表した。この年、チームは開幕から13連勝を果たしパーフェクトシーズンの期待が高まったが第15週にダラス・カウボーイズに敗れ連勝は止まった。シーズンでは結局13勝3敗の成績を残し、NFC南地区優勝。チーム史上初となる第1シードとしてのプレーオフ出場。ディビジョナルプレイオフではアリゾナ・カーディナルスに45-14で勝利。続くNFCチャンピオンシップではミネソタ・バイキングスと対戦。第4クオーター終了時点で28-28の同点となる接戦となったが、コイントスで先攻をとったセインツが延長でFGを決め、31-28で勝利し、チーム史上初のNFCチャンピオンとなった。そして、同時にチーム史上初のスーパーボウル進出を果たし、第44回スーパーボウルではインディアナポリス・コルツを31-17で破り初制覇を果たした。
2010年、地区優勝はアトランタ・ファルコンズに譲ったもののワイルドカードでプレーオフに出場を果たした。プレーオフ初戦はNFL史上初めて負け越したもののプレーオフ出場を果たしたシアトル・シーホークスとの対戦で、セインツが有利と見られていたが36-41で敗れた。
2011年、ブリーズがダン・マリーノが持っていたシーズンパス獲得ヤード記録を破る5476ヤードを投げた。チームは2年ぶりの地区優勝を果たしワイルドカードプレーオフでデトロイト・ライオンズを破ったが、ディビジョナルプレーオフでサンフランシスコ・49ersに32-36で敗れた。シーズン終了後、ディフェンスの強化に貢献のあったグレッグ・ウィリアムズディフェンスコーディネーターがラムズに去り、ラムズのヘッドコーチを務めていたスティーブ・スパヌオーロが後任となった。
2012年、相手選手にけがを負わせるとディフェンス選手が自らプールした資金から報奨金を受け取っていたことが明らかになり、ペイトンヘッドコーチが1年間活動停止処分を、ディフェンス・コーディネーターのウィリアムズが無期限活動停止処分(翌年解除された)を、GMのミッキー・ルーミスが2012年シーズンの最初の8試合の活動停止処分を、アシスタント・ヘッドコーチのジョー・ヴィットが2012年シーズンの最初の6試合の活動停止処分を受けた。また、チームは2012年のドラフト2巡、2013年のドラフト2巡指名権を失った。ジョナサン・ビルマ、アンソニー・ハーグローブ、ウィル・スミス、スコット・フジタの4人も出場停止処分を受けたが、4選手への処分はポール・タグリアブ元コミッショナーの異議裁定で取り消された。この年、ディフェンスが崩壊し、開幕から4連敗し7勝9敗でプレーオフ進出を逃している[7]。
2013年は、開幕から5連勝したが第6週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦で残り5秒にトム・ブレイディにTDパスを許し連勝は止まった。ホームでは8戦全勝だったものの、ロードでは3勝5敗と負け越し、地区2位の11勝5敗でシーズンを終え、プレーオフに第6シードで出場した。フィラデルフィア・イーグルスを26-24で破り、ロードでのプレーオフ初勝利をあげた[8]。ディビジョナルプレーオフで第1シードのシアトル・シーホークスと対戦、獲得ヤードでは409対277と上回ったものの、FG2本の失敗、第4ダウンギャンブルが3回中1回成功に終わるなど、要所でシーホークスのディフェンスに抑えられて、15-23で敗れた。
2014年、12月15日のシカゴ・ベアーズ戦で勝利、6勝8敗ながら地区首位に躍り出たが[9]、翌週のアトランタ・ファルコンズ戦に敗れてプレーオフ出場を逃した。2015年と2016年は連続して地区3位に終わり、プレーオフ出場を逃した。
2017年には地区優勝を遂げ、南地区の他2チームとともにプレーオフ出場を果たしたが、ディビジョナル・プレーオフでミネソタ・バイキングスに敗れた。
2018年3月、オーナーのトム・ベンソンが死去して妻のゲイル・ベンソンがオーナーとなった。8月、2019年ドラフト3巡指名権とのトレードでニューヨーク・ジェッツからQBテディ・ブリッジウォーターを獲得した[注 1]。10連勝を遂げるなど、大差をつけて2年連続で地区優勝を遂げ、コンファレンスでも最高の成績でプレーオフに進んだ。だがコンファレンス・チャンピオンシップでロサンゼルス・ラムズに敗れた。
2019年9月、第2週の試合中ブリーズが右手親指靭帯を痛め、約6週間の離脱となったが3年連続で地区優勝を遂げ、第3シードでプレーオフに進むも、初戦でワイルドカードのミネソタ・バイキングスに敗れた。
2020年、前タンパベイ・バッカニアーズのQBジェイミス・ウィンストンと契約した。4年連続で地区優勝を遂げ、第2シードでプレーオフに進出した。第17週の対カロライナ・パンサーズ最終戦では、RB全員が新型コロナウイルス感染症の感染者・濃厚接触者と認定され、欠場するトラブルに見舞われた。この年からプレーオフ進出チームが各カンファレンス7チームとなったため、第2シードのセインツは、ワイルドカード・プレーオフから登場し、第7シードのシカゴ・ベアーズを破った。しかし、40歳以上のベテランQB対決となったタンパベイ・バッカニアーズ戦(QBトム・ブレイディ)に敗れ、ディビジョナル・プレーオフ敗退でシーズンを終えた。2021年3月14日、ブリーズは引退を発表した[10][11]。
ブリーズ後
ブリーズが引退した2021年シーズンは様々なトラブルに見舞われた。3試合目のプレシーズンゲームはハリケーン"Ida"により中止となり、シーズン開幕戦はジャクソンビル・ジャガーズの本拠地TIAAバンク・フィールドを借りてホームとして行われた。それでも7試合を終えて5勝2敗と好成績でシーズンを始めたが、その後は負傷およびCOVID-19により多くの選手が欠場して5連敗を喫するなど成績を落とし、12月にはシーズン4人目のスターティングQBとしてルーキーのイアン・ブックを起用せざるを得なかった。最終戦までプレーオフ進出の望みを残したものの、進出はならなかった。2022年1月25日、ショーン・ペイトンが契約を残してHC辞職を表明した[12]。後任にはDCデニス・アレンが選ばれた。2022年3月29日、ベテランQBのアンディ・ダルトンと1年契約を結んだ。
2022年シーズンも負け越してプレーオフ進出は逃した。2023年1月31日、契約を残していたショーン・ペイトンを2023年ドラフトの1巡目指名権、2024年ドラフトの2巡目指名権、さらに将来の3巡目指名権と引き換えにデンバー・ブロンコスに譲渡した[13]。レイダースからFAとなったデレック・カーQBを獲得した[14]。
2023年シーズンは9勝8敗と勝ち越し最終週までプレーオフの可能性を残しながらも逃した。
2024年シーズンもプレーオフを逃した。2勝7敗となった直後、ヘッドコーチのアレンは解雇された。
文化
マスコット
チーム公式マスコットとして犬のガンボ(Gumbo)と人間のサー・セイント(Sir Saint)がいる。ガンボは、犬種はセント・バーナードで背番号00を着用している。
チアリーダー
1987年より公式チアリーディングチームとしてセイントセーションズ(Saintsations)が活動している。日本人では、松崎美奈子が2015年から2016年まで在籍していた。
セイントセーションズが創設される以前、セインツには2つのダンスチームがあった。1967年に誕生したルイジアナズ(Lousiannes)は、セインツ・ダンサーズ(Saints Dancers)、マドモアゼルズ(Mademoiselles)、マムゼルス(Mam'selles)と名前を変え、1971年まで活動していた。平均48名のダンサーと、最大12名のリザーブダンサーで構成されていた。このダンスチームは、ディズニーランドのエンターテイメント・ディレクターとして長年活躍し、1967年から1970年までセインツのスタッフとして働いていたトミー・ウォーカーによって創設された。振付けは、ニューオーリンズに住んでいたダンスインストラクター兼ボイスコーチのフィリス・ネルソンが担当した。また、ネルソンは1969年から1971年までチームディレクターも務めた。
もう一つのチームは、1975年から1978年まで活動していたボンアミス(Bonnes Amies、フランス語で「仲良し」)である。ディー・ケリー・ボイド・アーバインによって指導され、ルイジアナ・スーパードームで初めて踊ったダンサーとなった。1978年にエンジェルズ(Angels)と変更する。しかし、その直後にスタッフアシスタントの人物が麻薬所持で逮捕され、この逮捕にチーム関係者が関わっていた疑いがあったため、解散となった。
1987年、ジム・フィンクスの発案により再度チームのダンスチームの創設が提案され、ザ・セインツ・ダンサーズが結成され、まもなくセイントセーションズへと改名し現在に至る。
セインツが海外での試合をするたびに海外公演を行っており、1993年には東京でもパフォーマンスを行った。
2024年シーズン
2024年シーズンのセインツの対戦相手
|
AFC |
NFC
|
前年 |
西地区 |
南地区 |
北地区 |
東地区 |
西地区 |
南地区 |
北地区 |
東地区
|
1位
|
チーフス
|
テキサンズ
|
レイブンズ
|
ビルズ
|
49ers
|
バッカニアーズ
|
ライオンズ
|
カウボーイズ
|
2位
|
レイダース
|
ジャガーズ
|
ブラウンズ
|
ドルフィンズ
|
ラムズ
|
セインツ
|
パッカーズ
|
イーグルス
|
3位
|
ブロンコス
|
コルツ
|
スティーラーズ
|
ジェッツ
|
シーホークス
|
ファルコンズ
|
バイキングス
|
ジャイアンツ
|
4位
|
チャージャーズ
|
タイタンズ
|
ベンガルズ
|
ペイトリオッツ
|
カージナルス
|
パンサーズ
|
ベアーズ
|
コマンダース
|
:1度対戦 :2度対戦
2024年シーズン及び過去20シーズンの成績
年 |
成績 |
NFC |
地区 |
勝 |
敗 |
分 |
率 |
Div |
Con |
総得点 |
総失点 |
平均得点 |
平均失点 |
SOS |
SOV
|
2024
|
レギュラー敗退 |
13位 |
3位 |
5 |
11 |
0 |
.313 |
2-3 |
4-7 |
319 |
371 |
19.9 |
23.2 |
.504 |
.313
|
2023
|
レギュラー敗退 |
9位 |
2位 |
9 |
8 |
0 |
.529 |
4–2 |
6–6 |
402 |
327 |
23.6 |
19.2 |
.433 |
.340
|
2022
|
レギュラー敗退 |
12位 |
3位 |
7 |
10 |
0 |
.412 |
2-4 |
5-7 |
330 |
345 |
19.4 |
20.3 |
.507 |
.462
|
2021
|
レギュラー敗退 |
8位 |
2位 |
9 |
8 |
0 |
.529 |
4-2 |
7-5 |
364 |
335 |
21.4 |
19.7 |
.512 |
.516
|
2020
|
ディビジョナル敗退 |
2位 |
1位 |
12 |
4 |
0 |
.750 |
6-0 |
10-2 |
482 |
337 |
30.1 |
21.1 |
.459 |
.406
|
2019
|
ワイルドカード敗退 |
3位 |
1位 |
13 |
3 |
0 |
.813 |
5-1 |
9-3 |
458 |
341 |
28.6 |
21.3 |
.486 |
.417
|
2018
|
カンファレンス敗退 |
1位 |
1位 |
13 |
3 |
0 |
.813 |
4–2 |
9–3 |
504 |
353 |
31.5 |
22.1 |
.482 |
.488
|
2017
|
ディビジョナル敗退 |
4位 |
1位 |
11 |
5 |
0 |
.688 |
4-2 |
8-4 |
448 |
326 |
28.0 |
20.4 |
.535 |
.483
|
2016
|
レギュラー敗退 |
11位 |
3位 |
7 |
9 |
0 |
.438 |
2-4 |
6-6 |
469 |
454 |
29.3 |
28.4 |
.523 |
.393
|
2015
|
レギュラー敗退 |
11位 |
3位 |
7 |
9 |
0 |
.438 |
3-3 |
5-7 |
408 |
476 |
25.5 |
29.8 |
.504 |
.402
|
2014
|
レギュラー敗退 |
9位 |
2位 |
7 |
9 |
0 |
.438 |
3-3 |
6-6 |
401 |
424 |
25.1 |
26.5 |
.486 |
.415
|
2013
|
ディビジョナル敗退 |
6位 |
2位 |
11 |
5 |
0 |
.688 |
5-1 |
9-3 |
414 |
304 |
25.9 |
19.0 |
.516 |
.455
|
2012
|
レギュラー敗退 |
12位 |
3位 |
7 |
9 |
0 |
.438 |
3-3 |
5-7 |
461 |
454 |
28.8 |
28.4 |
.521 |
.446
|
2011
|
ディビジョナル敗退 |
3位 |
1位 |
13 |
3 |
0 |
.813 |
5-1 |
9-3 |
547 |
339 |
34.2 |
21.2 |
.441 |
.442
|
2010
|
ワイルドカード敗退 |
5位 |
2位 |
11 |
5 |
0 |
.688 |
4-2 |
9-3 |
384 |
307 |
24.0 |
19.2 |
.469 |
.426
|
2009
|
スーパーボウル制覇 |
1位 |
1位 |
13 |
3 |
0 |
.813 |
4-2 |
9-3 |
510 |
341 |
31.9 |
21.3 |
.426 |
.418
|
2008
|
レギュラー敗退 |
11位 |
4位 |
8 |
8 |
0 |
.500 |
2-4 |
5-7 |
463 |
393 |
28.9 |
24.6 |
.496 |
.375
|
2007
|
レギュラー敗退 |
11位 |
3位 |
7 |
9 |
0 |
.438 |
3-3 |
6-6 |
379 |
388 |
23.7 |
24.3 |
|
|
2006
|
カンファレンス敗退 |
2位 |
1位 |
10 |
6 |
0 |
.625 |
4-2 |
9-3 |
413 |
322 |
25.8 |
20.1 |
|
|
2005
|
レギュラー敗退 |
16位 |
4位 |
3 |
13 |
0 |
.188 |
1-5 |
1-11 |
235 |
398 |
14.7 |
24.9 |
|
|
2004
|
レギュラー敗退 |
7位 |
2位 |
8 |
8 |
0 |
.500 |
3-3 |
6-6 |
348 |
405 |
21.8 |
25.3 |
|
|
2024年シーズン成績
NFC南地区 2024
|
チーム |
勝 |
敗 |
分 |
勝率 |
Div |
Con |
総得点 |
総失点 |
平均得点 |
平均失点 |
SOS |
SOV |
残試合
|
タンパベイ・バッカニアーズ
|
9 |
7 |
0 |
.563 |
3-2 |
7-4 |
475 |
366 |
29.7 |
22.9 |
.516 |
.469
|
1
|
アトランタ・ファルコンズ
|
8 |
8 |
0 |
.500 |
4-1 |
7-4 |
351 |
379 |
21.9 |
23.7 |
.535 |
.422
|
1
|
ニューオーリンズ・セインツ
|
5 |
11 |
0 |
.313 |
2-3 |
4-7 |
319 |
371 |
19.9 |
23.2 |
.504 |
.313
|
1
|
カロライナ・パンサーズ
|
4 |
12 |
0 |
.250 |
1-4 |
3-8 |
297 |
496 |
18.6 |
31.0 |
.496 |
.297
|
1
|
NFC 2024
|
順 位 |
チーム |
地 区 |
勝 |
敗 |
分 |
勝率 |
DIV |
CON |
SOS |
SOV
|
地区1位
|
1
|
x-ライオンズ
|
北
|
14 |
2 |
0 |
.875 |
5-0 |
10-1 |
.500 |
.473
|
2
|
y-イーグルス
|
東
|
13 |
3 |
0 |
.813 |
4-1 |
8-3 |
.477 |
.452
|
3
|
y-ラムズ
|
西
|
10 |
6 |
0 |
.625 |
4-1 |
6-5 |
.500 |
.444
|
4
|
バッカニアーズ
|
南
|
9 |
7 |
0 |
.563 |
3-2 |
7-4 |
.516 |
.469
|
ワイルドカード圏内
|
5
|
x-バイキングス
|
北
|
14 |
2 |
0 |
.875 |
4-1 |
9-2 |
.445 |
.402
|
6
|
w-コマンダース
|
東
|
11 |
5 |
0 |
.688 |
3-2 |
8-3 |
.434 |
.347
|
7
|
w-パッカーズ
|
北
|
11 |
5 |
0 |
.688 |
1-4 |
6-5 |
.551 |
.409
|
プレーオフ圏外
|
8
|
シーホークス
|
西
|
9 |
7 |
0 |
.563 |
3-2 |
5-6 |
.496 |
.389
|
9
|
ファルコンズ
|
南
|
8 |
8 |
0 |
.500 |
4-1 |
7-4 |
.535 |
.422
|
10
|
カウボーイズ
|
東
|
7 |
9 |
0 |
.438 |
3-2 |
5-6 |
.508 |
.384
|
11
|
カージナルス
|
西
|
7 |
9 |
0 |
.438 |
2-3 |
3-8 |
.547 |
.402
|
12
|
49ers
|
西
|
6 |
10 |
0 |
.375 |
1-4 |
4-7 |
.574 |
.375
|
13
|
セインツ
|
南
|
5 |
11 |
0 |
.313 |
2-3 |
4-7 |
.504 |
.313
|
14
|
パンサーズ
|
南
|
4 |
12 |
0 |
.250 |
1-4 |
3-8 |
.496 |
.297
|
15
|
ベアーズ
|
北
|
4 |
12 |
0 |
.250 |
0-5 |
2-9 |
.547 |
.328
|
16
|
ジャイアンツ
|
東
|
3 |
13 |
0 |
.188 |
0-5 |
1-10 |
.535 |
.396
|
タイブレーク
|
|
参照
|
z - 第1シード確定・プレーオフ1回戦免除
|
y - 地区優勝
|
x - プレーオフ確定
|
w - ワイルドカード確定
|
暗転 - レギュラーシーズン敗退
|
成績
NFC南地区
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
2024
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2023
|
TB (4d) |
9 |
8 |
0
|
NO |
9 |
8 |
0
|
ATL |
7 |
10 |
0
|
CAR |
2 |
15 |
0
|
2022
|
TB (4w) |
8 |
9 |
0
|
NO |
7 |
10 |
0
|
ATL |
7 |
10 |
0
|
CAR |
7 |
10 |
0
|
2021
|
TB (2d) |
13 |
4 |
0
|
NO |
9 |
8 |
0
|
ATL |
7 |
10 |
0
|
CAR |
5 |
12 |
0
|
2020
|
NO (2d) |
12 |
4 |
0
|
TB (5v) |
11 |
5 |
0
|
CAR |
5 |
11 |
0
|
ATL |
4 |
12 |
0
|
2019
|
NO (3w) |
13 |
3 |
0
|
ATL |
7 |
9 |
0
|
TB |
7 |
9 |
0
|
CAR |
5 |
11 |
0
|
2018
|
NO (1c) |
13 |
3 |
0
|
ATL |
7 |
9 |
0
|
CAR |
7 |
9 |
0
|
TB |
5 |
11 |
0
|
2017
|
NO (4d) |
11 |
5 |
0
|
CAR(5w) |
11 |
5 |
0
|
ATL(6d) |
10 |
6 |
0
|
TB |
5 |
11 |
0
|
2016
|
ATL(2s) |
11 |
5 |
0
|
TB |
9 |
7 |
0
|
NO |
7 |
9 |
0
|
CAR |
6 |
10 |
0
|
2015
|
CAR(1s) |
15 |
1 |
0
|
ATL |
8 |
8 |
0
|
NO |
7 |
9 |
0
|
TB |
6 |
10 |
0
|
2014
|
CAR(4d) |
7 |
8 |
1
|
NO |
7 |
9 |
0
|
ATL |
6 |
11 |
0
|
TB |
2 |
14 |
0
|
2013
|
CAR(2d) |
12 |
4 |
0
|
NO (6d) |
11 |
5 |
0
|
ATL |
4 |
12 |
0
|
TB |
4 |
12 |
0
|
2012
|
ATL(1c) |
13 |
3 |
0
|
CAR |
7 |
9 |
0
|
NO |
7 |
9 |
0
|
TB |
7 |
9 |
0
|
2011
|
NO (3d) |
13 |
3 |
0
|
ATL(5w) |
10 |
6 |
0
|
CAR |
6 |
10 |
0
|
TB |
4 |
12 |
0
|
2010
|
ATL(1d) |
13 |
3 |
0
|
NO (5w) |
11 |
5 |
0
|
TB |
10 |
6 |
0
|
CAR |
2 |
14 |
0
|
2009
|
NO (1v) |
13 |
3 |
0
|
ATL |
9 |
7 |
0
|
CAR |
8 |
8 |
0
|
TB |
3 |
13 |
0
|
2008
|
CAR(2d) |
12 |
4 |
0
|
ATL(5w) |
11 |
5 |
0
|
TB |
9 |
7 |
0
|
NO |
8 |
8 |
0
|
2007
|
TB (4w) |
9 |
7 |
0
|
CAR |
7 |
9 |
0
|
NO |
7 |
9 |
0
|
ATL |
4 |
12 |
0
|
2006
|
NO (2c) |
10 |
6 |
0
|
CAR |
8 |
8 |
0
|
ATL |
7 |
9 |
0
|
TB |
4 |
12 |
0
|
2005
|
TB (3w) |
11 |
5 |
0
|
CAR(5c) |
11 |
5 |
0
|
ATL |
8 |
8 |
0
|
NO |
3 |
13 |
0
|
2004
|
ATL(2c) |
11 |
5 |
0
|
NO |
8 |
8 |
0
|
CAR |
7 |
9 |
0
|
TB |
5 |
11 |
0
|
2003
|
CAR(3s) |
11 |
5 |
0
|
NO |
8 |
8 |
0
|
TB |
7 |
9 |
0
|
ATL |
5 |
11 |
0
|
2002
|
TB (2v) |
12 |
4 |
0
|
ATL(6d) |
9 |
6 |
1
|
NO |
9 |
7 |
0
|
CAR |
7 |
9 |
0
|
NFC西地区
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位 |
5位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
2001
|
StL(1s) |
14 |
2 |
0
|
SF(5w) |
12 |
4 |
0
|
NO |
7 |
9 |
0
|
ATL |
7 |
9 |
0
|
CAR |
1 |
15 |
0
|
2000
|
NO(3d) |
10 |
6 |
0
|
StL(6w) |
10 |
6 |
0
|
CAR |
7 |
9 |
0
|
SF |
6 |
10 |
0
|
ATL |
4 |
12 |
0
|
1999
|
StL(1v) |
13 |
3 |
0
|
CAR |
8 |
8 |
0
|
ATL |
5 |
11 |
0
|
SF |
4 |
12 |
0
|
NO |
3 |
13 |
0
|
1998
|
ATL(2s) |
14 |
2 |
0
|
SF(4d) |
12 |
4 |
0
|
NO |
6 |
10 |
0
|
CAR |
4 |
12 |
0
|
StL |
4 |
12 |
0
|
1997
|
SF(1c) |
13 |
3 |
0
|
CAR |
7 |
9 |
0
|
ATL |
7 |
9 |
0
|
NO |
6 |
10 |
0
|
StL |
5 |
11 |
0
|
1996
|
CAR(2c) |
12 |
4 |
0
|
SF(4d) |
12 |
4 |
0
|
StL |
6 |
10 |
0
|
ATL |
3 |
13 |
0
|
NO |
3 |
13 |
0
|
1995
|
SF(2d) |
11 |
5 |
0
|
ATL(6w) |
9 |
7 |
0
|
StL |
7 |
9 |
0
|
CAR |
7 |
9 |
0
|
NO |
7 |
9 |
0
|
1994
|
SF(1v) |
13 |
3 |
0
|
NO |
7 |
9 |
0
|
ATL |
7 |
9 |
0
|
RAM |
4 |
12 |
0
|
|
1993
|
SF(2c) |
10 |
6 |
0
|
NO |
8 |
8 |
0
|
ATL |
6 |
10 |
0
|
RAM |
5 |
11 |
0
|
1992
|
SF(1c) |
14 |
2 |
0
|
NO(4w) |
12 |
4 |
0
|
ATL |
6 |
10 |
0
|
RAM |
6 |
10 |
0
|
1991
|
NO(3w) |
11 |
5 |
0
|
ATL(6d) |
10 |
6 |
0
|
SF |
10 |
6 |
0
|
RAM |
3 |
13 |
0
|
1990
|
SF(1c) |
14 |
2 |
0
|
NO(6w) |
8 |
8 |
0
|
RAM |
5 |
11 |
0
|
ATL |
5 |
11 |
0
|
1989
|
SF(1v) |
14 |
2 |
0
|
RAM(5c) |
11 |
5 |
0
|
NO |
9 |
7 |
0
|
ATL |
3 |
13 |
0
|
1988
|
SF(2v) |
10 |
6 |
0
|
RAM(5w) |
10 |
6 |
0
|
NO |
10 |
6 |
0
|
ATL |
5 |
11 |
0
|
1987
|
SF(1d) |
13 |
2 |
0
|
NO(4w) |
12 |
3 |
0
|
RAM |
6 |
9 |
0
|
ATL |
3 |
12 |
0
|
1986
|
SF(3d) |
10 |
5 |
1
|
RAM(5w) |
10 |
6 |
0
|
ATL |
7 |
8 |
1
|
NO |
7 |
9 |
0
|
1985
|
RAM(2c) |
11 |
5 |
0
|
SF(5w) |
10 |
6 |
0
|
NO |
5 |
11 |
0
|
ATL |
4 |
12 |
0
|
1984
|
SF(1v) |
15 |
1 |
0
|
RAM(4w) |
10 |
6 |
0
|
NO |
7 |
9 |
0
|
ATL |
4 |
12 |
0
|
1983
|
SF(2c) |
10 |
6 |
0
|
RAM(5d) |
9 |
7 |
0
|
NO |
8 |
8 |
0
|
ATL |
7 |
9 |
0
|
1982
|
ATL(5w) |
5 |
4 |
0
|
NO |
4 |
5 |
0
|
SF |
3 |
6 |
0
|
RAM |
2 |
7 |
0
|
1981
|
SF(1v) |
13 |
3 |
0
|
ATL |
7 |
9 |
0
|
LA |
6 |
10 |
0
|
NO |
4 |
12 |
0
|
1980
|
ATL(1d) |
12 |
4 |
0
|
LA(5w) |
11 |
5 |
0
|
SF |
6 |
10 |
0
|
NO |
1 |
15 |
0
|
1979
|
LA(3s) |
9 |
7 |
0
|
NO |
8 |
8 |
0
|
ATL |
6 |
10 |
0
|
SF |
2 |
14 |
0
|
1978
|
LA(1c) |
12 |
4 |
0
|
ATL(4d) |
9 |
7 |
0
|
NO |
7 |
9 |
0
|
SF |
2 |
14 |
0
|
1977
|
LA(2d) |
10 |
4 |
0
|
ATL |
7 |
7 |
0
|
SF |
5 |
9 |
0
|
NO |
3 |
11 |
0
|
1976
|
LA(3c) |
10 |
3 |
1
|
SF |
8 |
6 |
0
|
ATL |
4 |
10 |
0
|
NO |
4 |
10 |
0
|
SEA |
2 |
12 |
0
|
1975
|
LA(2c) |
12 |
2 |
0
|
SF |
5 |
9 |
0
|
ATL |
4 |
10 |
0
|
NO |
2 |
12 |
0
|
|
1974
|
LA(c) |
10 |
4 |
0
|
SF |
6 |
8 |
0
|
NO |
5 |
9 |
0
|
ATL |
3 |
11 |
0
|
1973
|
LA(d) |
12 |
2 |
0
|
ATL |
9 |
5 |
0
|
SF |
5 |
9 |
0
|
NO |
5 |
9 |
0
|
1972
|
SF(d) |
8 |
5 |
1
|
ATL |
7 |
7 |
0
|
LA |
6 |
7 |
1
|
NO |
2 |
11 |
1
|
1971
|
SF(c) |
9 |
5 |
0
|
LA |
8 |
5 |
1
|
ATL |
7 |
6 |
1
|
NO |
4 |
8 |
2
|
1970
|
SF(c) |
10 |
3 |
1
|
LA |
9 |
4 |
1
|
ATL |
4 |
8 |
2
|
NO |
2 |
11 |
1
|
NFL東カンファレンス・キャピトル地区
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
1969
|
DAL(c) |
11 |
2 |
1
|
WAS |
7 |
5 |
2
|
NO |
5 |
9 |
0
|
PHI |
4 |
9 |
1
|
NFL東カンファレンス・センチュリー地区
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
1968
|
CLE(n) |
10 |
4 |
0
|
StL |
9 |
4 |
1
|
NO |
4 |
9 |
1
|
PIT |
2 |
11 |
1
|
NFL東カンファレンス・キャピトル地区
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位
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チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
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1967
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DAL(n) |
9 |
5 |
0
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PHI |
6 |
7 |
1
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WAS |
5 |
6 |
3
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NO |
3 |
11 |
0
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主な選手
現役選手
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クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
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オフェンシブライン
ディフェンシブライン
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ラインバッカー
ディフェンスバック
スペシャルチーム
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永久欠番
プロフットボール殿堂入り
- ^ 殿堂入りの理由は1948年から1956年までの選手としての実績
- ^ 殿堂入りの理由は1961年から1972年までの選手としての実績
リング・オブ・オナー
45周年記念チーム(2011)
チーム殿堂入り
個人賞
歴代ヘッドコーチ
ギャラリー
脚注
注釈
- ^ セインツ側は2019年ドラフト6巡指名権も受け取っている。
出典
外部リンク
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球団 | |
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歴代本拠地 | |
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永久欠番 | |
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リーグ優勝 (1回) | |
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カンファレンス優勝 (1回) | |
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地区優勝 (9回) | |
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できごと | |
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所属 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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年代の分類は初先発のシーズンによる |