タンパベイ・バッカニアーズ Tampa Bay Buccaneers
創設
1974年4月24日 (50年前) (1974-04-24 )
NFL参入
1976年シーズン
所属地区
NFL(1976 - 現在)
南地区 (2002 - 現在)
中地区 (1977 - 2001)
西地区 (1976)
チームデザイン
チームロゴ
ジョン・ラカム の海賊旗 のアレンジ
チームカラー
バッカニアーレッド ピューター ベイオレンジ 黒
ユニフォーム
チーム名
ホームタウン
フロリダ州 タンパ (1976-現在)
レイモンド・ジェームス・スタジアム (1998-現在)タンパ・スタジアム (1976-1997)
永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン (2回)
カンファレンス・チャンピオン (2回)
NFC
地区優勝 (9回)
NFC中地区
NFC南地区
ワイルドカード(4回)
プレーオフ進出(14/49回)
球団組織
タンパベイ・バッカニアーズ (英語 : Tampa Bay Buccaneers 、略称: TB ) は、アメリカ合衆国 フロリダ州 タンパ に本拠地をおくNFL チーム。NFC南地区 に所属している。第37回スーパーボウル でオークランド・レイダース を破り初優勝を果たしている。2001年まではNFC中地区 に所属した。愛称はバックス (Bucs )。ホームスタジアムは、レイモンド・ジェームス・スタジアム 。本部と練習場は、スタジアムのすぐ隣に位置している。
歴史
創設期
当初チームのフランチャイズ権はフィラデルフィア の建設会社オーナーのトム・マクロウスキー に与えられる予定だったがNFLと金銭面で合意にならず、ジャクソンビル の税理士 であったヒュー・カルバーハウス が初代オーナーとなった。チームの愛称は公募の結果、タンパ湾 が17世紀 フロリダ州沿岸で暴れ回り名を馳せた海賊 ・バッカニア の縄張りだった事からバッカニアーズと名づけられた。本拠地に決まったタンパ・スタジアム は拡張工事がされ72,000人収容となった。
初代ヘッドコーチには長年USC ヘッドコーチを務めた名将、ジョン・マッケイ が就任した。これまでマッケイはNFLの他のチームからのオファーを何度か断っていたが新チームを一から作り上げることに興味を持ち、300万ドルの契約を結んだ。マッケイは頼れるベテラン選手とドラフトで有望な選手を獲得し、5年計画でチーム作りを考えていた。だがこの時のエクスパンション・ドラフト は後に行われたものよりもはるかに厳しく高齢になりすぎた選手や他のチームで戦力外と見られた選手しか獲得できなかった。ミスタックルやスナップミスなどが相次ぎファンの支持やメディアの支援も失っていった。マッケイは1977年のドラフトで後に殿堂入りしたRBトニー・ドーセット ではなくRBリッキー・ベル を指名したことやUSCのプレイブックに多く頼っていること、カレッジフットボール で全米チャンピオンになったリーロイ・セルモン 、デューイ・セルモン 兄弟の存在などからNFLでカレッジフットボールを行っていると皮肉られた。この不満は次第に高まりファンの間では"Throw McKay in the Bay"(マッケイコーチを湾にほうりこんでやれ)というバンパーステッカーが人気となったほどである。
チーム創設1シーズン目の1976年 は暫定的にAFC西地区に所属したが開幕から14連敗でシーズンを終えた[ 注 1] (既存のAFC13チームと同年設立のシアトル・シーホークス (同じく暫定でNFC西地区所属)との14試合に全敗した。)。この年4試合は完封負けを喫し、シーズン14戦での総得点はわずか125点、一方412点を相手に与えた[ 1] 。怪我人も続出しCFL からも選手を獲得した。チームはジョニー・カーソン のトークショーやファンによってジョーク のネタにされた。
NFC中地区
1977年 からNFC中地区に移った。この年プレシーズンゲームではアトランタ・ファルコンズ を17-3で破ったものの、2シーズン目に入っても連敗記録は止まらず6試合で完封負けを喫した。既存のNFC13チームとシアトル・シーホークス (AFC西地区に移動)との14試合を行い、第13週、敵地でのニューオーリンズ・セインツ 戦で33-14と初勝利を挙げるまでにさらに12連敗。前年から通算で26連敗 を記録した[ 2] 。これは、NFLにおけるワースト記録である(北米4大プロスポーツリーグ においても、NBA のクリーブランド・キャバリアーズ が2010-11シーズンに作った「26連敗」と並んでワースト記録)。この時敗れたセインツのQBアーチー・マニング は「バッカニアーズに敗れたことは恥だった。試合後に相手選手に嘲笑された」と述べている。試合終了後深夜タンパに戻ったチームを8000人のファンが歓迎した。最終週のセントルイス・カージナルス との試合も勝利し2勝14敗でシーズンを終えた。
1978年 も負け越しに終わったが新人QBのダグ・ウィリアムス のリーダーシップとプレーは将来性を感じさせるものでシーズン途中で怪我のためチームを離れたがこのシーズン5勝11敗の成績をあげて未来に期待を抱かせるものとなった。
1979年にチームは初の地区優勝を果たす
1979年 にはダグ・ウィリアムスの成長、リッキー・ベルが初めて1000ヤードラッシャーとなり、最優秀守備選手賞に選ばれたリー・ロイ・セルモンなどによるディフェンスはNFLトップの成績をあげた。チームは開幕から5連勝を果たし10勝6敗でシーズンを終えてNFC中地区優勝を果たしプレーオフに初出場を果たした。ディビジョナルプレーオフでフィラデルフィア・イーグルス を24-17で破る番狂わせ をしNFCチャンピオンシップゲーム ではホームでロサンゼルス・ラムズ を迎えうったが0-9と完封されて敗れた。
1980年 は怪我人に悩まされ5勝10敗1分に終わった。1981年 、チームは平凡な成績だったものの最終週にデトロイト・ライオンズ と地区優勝を賭けた試合に勝ちプレーオフに出場したがプレーオフではダラス・カウボーイズ に0-38で一蹴された。
1982年 は開幕から3連敗したもののストライキ で7週が中止となり、再開後の6試合を5勝1敗で終えて5勝4敗、この年拡張されたプレーオフに出場した。プレーオフではカウボーイズと対戦し、ハーフタイム終了時点ではリードしていたものの17-30で敗れた。その後カルバーハウスオーナーの下でチームが勝ち越すことはなかった。
1982年、QBダグ・ウィリアムスの年俸は12万ドルで先発QBとしては全チーム中最低、多くのチームの控えQBより安い契約であった。シーズン終了後ウィリアムスは60万ドルに年俸をあげるよう主張した。この価格はこれまでの彼の活躍や市場価値からすれば十分リーズナブルなものだったがカルバーハウスオーナーは40万ドルまでしかオファーを上げず、ウィリアムスはUSFL に去った。
1986年のNFLドラフトでバッカニアーズは全体1位でフットボール(ランニングバックとしてプレーし、ハイズマン賞 やシュガーボウル MVPの受賞歴あり)と野球(外野手)の両方でドラフト上位指名は確実、更には陸上の短距離でもオリンピック代表候補であったことからその去就が注目されたオーバーン大学 のボー・ジャクソン を指名した。当時の新人選手として最高額となる5年760万ドルを提示したがこれを拒否して同年のMLBドラフト で4巡目に指名されたカンザスシティ・ロイヤルズ に入団した。ロイヤルズが提示した契約金はバッカニアーズの提示した金額を下回る3年107万ドルだった。野球を選んだ理由として母親の「選手生命の長い野球を選んでほしい」という意向と自身の「野球は初恋の相手、フットボールは趣味」という考え方があったと言われている。 尚、ジャクソンは翌年オークランド・レイダース に7巡目で指名され、野球を優先させることを条件に入団している。
1987年 にドラフト 全体1位でQBビニー・テスタバーディ を指名した。
その後1991年 にWRローレンス・ドーシー がルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する活躍を見せたりもしたが1983年から1996年までの14シーズンプレーオフを逃し続けた。
ダンジーの時代
1996年 に前年までミネソタ・バイキングス のディフェンス・コーディネーターを務めていたトニー・ダンジー がヘッドコーチに就任すると1997年 には1979年以来となる10勝をあげて久々にプレーオフに出場した。この年から13シーズン在籍するモンテ・キフィン 守備コーディネーターが作ったタンパ2 (英語版 ) というディフェンスはリーグ屈指の守備となった[ 3] 。この年、ウォリック・ダン がオフェンス・ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
1999年 にはウォーレン・サップ がディフェンス・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる活躍を見せてチームは1979年、1981年以来となる3度目の地区優勝を決めた。そしてスーパーボウル まであと一歩のところまで進出した。
2001年 、前サンディエゴ・チャージャーズ のQBライアン・リーフ と契約したが、シーズン開幕前に放出した。
グルーデンの時代
ジョン・グルーデン は2002年にヘッドコーチとしてチームを初のスーパーボウル 制覇へ導いた
2002年 からはジョン・グルーデン がヘッドコーチとなった。NFC南地区所属となり12勝4敗でチーム創設以来最高の成績で地区優勝、プレーオフでサンフランシスコ・フォーティナイナーズ 、フィラデルフィア・イーグルス を破り第37回スーパーボウル に出場した。オークランド・レイダース との対決は、グルーデンコーチを巡る因縁の対決で話題を呼んだ。試合は48-21でバッカニアーズが大勝しスーパーボウル初制覇を遂げた。デリック・ブルックス がディフェンス・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。
バッカニアーズの練習を訪れるジョージ・W・ブッシュ 元大統領
翌2003年 、2004年 とプレーオフ出場を逃したが2005年 には11勝5敗で地区優勝[ 4] 、ワイルドカードプレーオフでワシントン・レッドスキンズ に10-17で敗れた[ 5] 。RBキャデラック・ウィリアムズ が最優秀新人攻撃選手 に選ばれた[ 6] 。
2006年 は第6週のシンシナティ・ベンガルズ 戦で14-13と初勝利をあげた[ 7] 。
2007年 も地区優勝を果たしたがワイルドカードプレーオフで、ニューヨーク・ジャイアンツ に14-24で敗れた[ 8] 。
2008年 のドラフト 5巡目でQBジョシュ・ジョンソン を指名した。この年の第4週、グリーンベイ・パッカーズ 戦の4日前に生後3ヶ月の息子を亡くしたキッカーマット・ブライアント が3FGを決めて勝利に貢献した[ 9] 。シーズン終了後の2009年1月にグルーデンが解雇され、ディフェンスバックコーチだった32歳のラヒーム・モリス がヘッドコーチに就任した。
プレーオフ不足
2009年 、2月にデリック・ブルックス 、ウォリック・ダン 、ケイト・ジュン らを解雇[ 10] 、ドラフト1巡でQBジョシュ・フリーマン を獲得した[ 11] 。開幕前にジェフ・ジャコジンスキー オフェンスコーディネーターを解任、グレッグ・オルソン QBコーチが後任となった[ 12] 。開幕から3試合はバイロン・レフトウィッチ が先発、次の試合からジョシュ・ジョンソン が先発したが7連敗、その後ジョシュ・フリーマンが先発QBとなった[ 13] 。1勝9敗となったところで守備のプレーコールを担当するのがジム・ベイツ ディフェンスコーディネーターからラヒーム・モリスヘッドコーチに代わった[ 3] 。
2010年 、開幕前チームの低迷を予想する声が多かったが、開幕から10試合を7勝3敗[ 14] 、最終的に10勝6敗の成績をあげ、プレーオフまであと一歩と迫った[ 15] 。この年ジョシュ・ジョンソンが成長しインターセプトが非常に少ないものとなった。また新人RBルギャレット・ブラウン はこの年の新人でただ一人1000ヤードラッシャーとなった[ 16] 。2011年1月8日にはラヒーム・モリスヘッドコーチとの契約を2年間延長した[ 17] 。
厳しいスケジュールで戦うこととなった2011年 には[ 18] 、第2週から3連勝するなど[ 19] 、開幕から6試合で4勝2敗の成績をあげて地区首位タイであったが[ 20] 、その後9連敗し地区最下位となった[ 21] 。11月7日には前年のドラフト全体3位で獲得したジェラルド・マッコイ [ 22] 、12月にはアキブ・タリブ が相次いで故障者リスト 入りした[ 23] 。10連敗で4勝12敗、シーズン終了後ラヒーム・モリスヘッドコーチは解任された[ 24] 。
モリスの後任には、ラトガーズ大学 からグレッグ・シアーノ を招へいした。1年目の2012年 は7勝9敗の成績をあげたが、2013年 は、開幕から不調のエースQBジョシュ・フリーマンを解雇、この年の3巡目に指名したマイク・グレノン を先発QBに昇格させた[ 25] 。チームは開幕から8連敗するなど、4勝12敗に終わり、シーズン終了とともにシアーノヘッドコーチと、20年間GMを務めたマーク・ドミニク が解雇された[ 26] 。
2014年 、シカゴ・ベアーズ のヘッドコーチだったラヴィ・スミス をヘッドコーチに招へいした[ 27] 。2月、新ユニフォームを発表したが、長らく使用されてきたオレンジのユニフォームが廃止された。5月28日、マルコム・グレイザー オーナーが84歳で亡くなった[ 28] 。開幕から前年ベアーズで好成績をあげたジョシュ・マカウン [ 29] が先発QBを務めたが、第3週のアトランタ・ファルコンズ 戦で右手親指を負傷し途中退場、マイク・グレノンが先発QBを務めた[ 30] 。第4週のピッツバーグ・スティーラーズ 戦でグレノンがビンセント・ジャクソン へ決勝TDパスを成功しシーズン初勝利をあげたが[ 31] 、その後4連敗して1勝7敗となったところで、再びマカウンが先発QBに返り咲いた。チームはこの年NFLワーストの2勝14敗に終わり、2015年のドラフト全体1位指名権を獲得した[ 32] 。
2015年 、ドラフト全体1位でジェイミス・ウィンストン が入団し、先発QBに定着する。シーズンは地区最下位に終わり、スミスHCは解任され、後任にダーク・コッター が就任した。2016年 は地区2位、2017年 、2018年 は地区最下位に終わり、11年連続してプレーオフを逃した。なお、2017年シーズンはタンパベイ以外の南地区3チームがプレーオフに出場した。HCのコッターは解雇された。
2019年1月、元アリゾナ・カージナルス のブルース・エリアンス がHCに就任した。エリアンスの保有権を持っていたカージナルスは、バッカニアーズから6巡目のドラフト権を受け取る代わりに7巡目のドラフト権を渡すことで移籍が確定した。2019年 シーズンは、QBウィンストンがNFL史上8人目、チームでは初となる5000ヤード超え(5,109ヤード)のパス記録を達成するもプレーオフを逃した。
ブレイディ獲得
2020年に電撃加入したQBのトム・ブレイディ
2019年シーズン 終了後、ニューイングランド・ペイトリオッツ からQBのトム・ブレイディ が移籍した。ブレイディとペイトリオッツでコンビを組んだ後に引退していたTEロブ・グロンコウスキー も1年ぶりに現役復帰して、トレード加入した。前年まで先発QBだったジェイミス・ウィンストン はニューオーリンズ・セインツ に移籍した。また、ユニフォームも変更され、1997年から2003年まで使用したものに近いデザインとなった。
2020年 シーズン開始後、10月27日にフリーエージェントだったWRのアントニオ・ブラウン と1年契約を結んだ。シーズンでは11勝5敗の地区2位となって、第5シードで13年ぶりにプレーオフに進出した。プレーオフ初戦では、7勝9敗でNFC東地区 を優勝したワシントン・フットボールチーム を破り、2戦目では4つのターンオーバーを得て、南地区優勝のニューオーリンズ・セインツ を破り、3戦目のカンファレンス・チャンピオンシップではシード1位のグリーンベイ・パッカーズ を破り、史上初めて本拠地で行われるスーパーボウル に進出するチームとなった[ 33] 。第55回スーパーボウル では、前年 の覇者カンザスシティ・チーフス を相手に31-9で勝利し、18年ぶりのチャンピオンとなった[ 34] 。MVP には、ペイトリオッツ時代を含め通算7度目のチャンピオンとなったブレイディが選ばれた[ 35] [ 36] [ 37] [ 38] [ 39] 。
2021年 、地区優勝を果たし、ワイルドカードプレーオフではフィラデルフィア・イーグルス を破るも次戦ではロサンゼルス・ラムズ に敗れてシーズンを終えた。シーズン終了後、ブレイディは引退を発表したが、わずか40日後の2022年 3月13日 に引退を撤回し、バッカニアーズで現役を続行すると発表した[ 40] 。2022年3月30日、HCのエリアンスは引退を発表し、後任にはチームのDCで元ニューヨーク・ジェッツ HCでもあったトッド・ボウルズ が就任した。
2022年 、地区の全4チームが負け越す中、8勝9敗で地区優勝を果たし第4シードでプレーオフ進出を果たした。初戦でカウボーイズに敗れた。シーズン終了後、ブレイディは引退を表明した。また、4シーズン在籍したOCバイロン・レフトウィッチは解雇された。
ブレイディ後
2023年 、ベイカー・メイフィールド と1年契約を結んだ。メイフィールドは全試合に先発し、最終週に9勝8敗と僅差の勝ち越しながらも、3年連続となる地区優勝を果たした。プレーオフでも初戦でフィラデルフィア・イーグルス を破った。二戦目のディビジョナル・プレーオフでデトロイト・ライオンズ に屈した。
文化
ロゴマーク
1976年の創設以来、バッカニアーズはロゴマークを4度変更している(ただし、1997年のフルモデルチェンジ以降の3回はマイナーチェンジ)。創設時から20年間採用されていたロゴは海賊をモチーフとしたデザインだったが、1997年以降はジョン・ラカム をモチーフとした髑髏の海賊旗となっている。チームカラーも、初期はオレンジを基調としていたが、1997年以降は赤とグレー(ピューター 色)である。
マスコット
キャプテン・フィアとアメリカ沿岸警備隊 (2014年)
チームのオフィシャルマスコットとして、2000年にカリブ海の海賊 のキャプテン・フィア (Captain Fear)が誕生した。
チアリーダー
チームのオフィシャルチアリーダーは、1976年のチーム創設と共に結成されたタンパベイ・バッカニアーズ・チアリーダーズ (Tampa Bay Buccaneers Cheerleaders)である。1998年までは、スウォッシュバクラーズ(SwashBucklers)と称されていた。日本人では、小島智子 が2003年から2010年、濱中彩恵 が2008年、宮田憲江 が2011年から2014年に在籍した。
2024年シーズン
2024年シーズンのバッカニアーズの対戦相手
AFC
NFC
前年
西地区
南地区
北地区
東地区
西地区
南地区
北地区
東地区
1位
チーフス
テキサンズ
レイブンズ
ビルズ
49ers
バッカニアーズ
ライオンズ
カウボーイズ
2位
レイダース
ジャガーズ
ブラウンズ
ドルフィンズ
ラムズ
セインツ
パッカーズ
イーグルス
3位
ブロンコス
コルツ
スティーラーズ
ジェッツ
シーホークス
ファルコンズ
バイキングス
ジャイアンツ
4位
チャージャーズ
タイタンズ
ベンガルズ
ペイトリオッツ
カージナルス
パンサーズ
ベアーズ
コマンダース
:1度対戦 :2度対戦
2024年シーズン及び過去15シーズンの成績
年
成績
NFC
地区
勝
敗
分
率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
SOS
SOV
2024
9位
2位
5
6
0
.455
1-2
5-3
309
273
28.1
24.8
.590
.564
2023
ディビジョナル敗退
4位
1位
9
8
0
.529
4–2
7–5
348
325
20.5
19.1
.481
.379
2022
ワイルドカード敗退
4位
1位
8
9
0
.471
4-2
8-4
313
358
18.4
21.1
.503
.426
2021
ディビジョナル敗退
2位
1位
13
4
0
.765
4-2
8-4
511
353
30.1
20.8
.467
.443
2020
スーパーボウル制覇
5位
2位
11
5
0
.688
4-2
8-4
492
355
30.8
22.2
.488
.392
2019
レギュラー敗退
11位
3位
7
9
0
.438
2-4
5-7
458
449
28.6
28.1
.500
.384
2018
レギュラー敗退
14位
4位
5
11
0
.313
4-4
1-7
396
464
24.8
29.0
.523
.506
2017
レギュラー敗退
14位
4位
5
11
0
.313
1-5
3-9
335
382
20.9
23.9
.555
.375
2016
レギュラー敗退
7位
2位
9
7
0
.563
4-2
7-5
354
369
22.1
23.1
.492
.434
2015
レギュラー敗退
14位
4位
6
10
0
.375
3-3
5-7
342
417
21.4
26.1
.484
.406
2014
レギュラー敗退
16位
4位
2
14
0
.125
0-6
1-11
277
410
17.3
25.6
.486
.469
2013
レギュラー敗退
15位
4位
4
12
0
.250
1-5
2-10
288
389
18.0
24.3
.574
.391
2012
レギュラー敗退
13位
4位
7
9
0
.438
3-3
4-8
389
394
24.3
24.6
.502
.446
2011
レギュラー敗退
14位
4位
4
12
0
.250
2-4
3-9
287
494
17.9
30.9
.551
.438
2010
レギュラー敗退
8位
3位
10
6
0
.625
3-3
8-4
343
318
21.4
19.9
.477
.344
2009
レギュラー敗退
14位
4位
3
13
0
.188
1-5
3-9
244
400
15.3
25.0
.555
.604
2024年シーズン成績
NFC南地区 2024
チーム
勝
敗
分
勝率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
SOS
SOV
残試合
アトランタ・ファルコンズ
6
5
0
.545
4-1
6-2
244
274
22.2
24.9
.529
.446
6
タンパベイ・バッカニアーズ
5
6
0
.455
1-2
5-3
309
273
28.1
24.8
.590
.564
6
ニューオーリンズ・セインツ
4
7
0
.364
2-3
3-4
262
260
23.8
23.6
.517
.364
6
カロライナ・パンサーズ
3
8
0
.273
1-2
2-4
194
340
17.6
30.9
.467
.242
6
ワイルドカード・プレーオフ
ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
1月26日
2月9日シーザーズ・スーパードーム
6
3
2025年1月11日か12日か13日
7
AFC
2
1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
AFCチャンピオンシップ
1月26日
5
4
1
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
6
第59回スーパーボウル
3
2025年1月11日か12日か13日
7
NFC
2
1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
NFCチャンピオンシップ
5
4
1
対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
チーム名の左の数字はシード順。
* は延長戦 決着
日付はアメリカ東部時間
成績
NFC南地区(2002年-現在)
年
地区優勝
2位
3位
4位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2023
TB (4d)
9
8
0
NO
9
8
0
ATL
7
10
0
CAR
2
15
0
2022
TB (4w)
8
9
0
NO
7
10
0
ATL
7
10
0
CAR
7
10
0
2021
TB (2d)
13
4
0
NO
9
8
0
ATL
7
10
0
CAR
5
12
0
2020
NO (2d)
12
4
0
TB (5v)
11
5
0
CAR
5
11
0
ATL
4
12
0
2019
NO (3w)
13
3
0
ATL
7
9
0
TB
7
9
0
CAR
5
11
0
2018
NO (1c)
13
3
0
ATL
7
9
0
CAR
7
9
0
TB
5
11
0
2017
NO (4d)
11
5
0
CAR(5w)
11
5
0
ATL(6d)
10
6
0
TB
5
11
0
2016
ATL(2s)
11
5
0
TB
9
7
0
NO
7
9
0
CAR
6
10
0
2015
CAR(1s)
15
1
0
ATL
8
8
0
NO
7
9
0
TB
6
10
0
2014
CAR(4d)
7
8
1
NO
7
9
0
ATL
6
11
0
TB
2
14
0
2013
CAR(2d)
12
4
0
NO (6d)
11
5
0
ATL
4
12
0
TB
4
12
0
2012
ATL(1c)
13
3
0
CAR
7
9
0
NO
7
9
0
TB
7
9
0
2011
NO (3d)
13
3
0
ATL(5w)
10
6
0
CAR
6
10
0
TB
4
12
0
2010
ATL(1d)
13
3
0
NO (5w)
11
5
0
TB
10
6
0
CAR
2
14
0
2009
NO (1v)
13
3
0
ATL
9
7
0
CAR
8
8
0
TB
3
13
0
2008
CAR(2d)
12
4
0
ATL(5w)
11
5
0
TB
9
7
0
NO
8
8
0
2007
TB (4w)
9
7
0
CAR
7
9
0
NO
7
9
0
ATL
4
12
0
2006
NO (2c)
10
6
0
CAR
8
8
0
ATL
7
9
0
TB
4
12
0
2005
TB (3w)
11
5
0
CAR(5c)
11
5
0
ATL
8
8
0
NO
3
13
0
2004
ATL(2c)
11
5
0
NO
8
8
0
CAR
7
9
0
TB
5
11
0
2003
CAR(3s)
11
5
0
NO
8
8
0
TB
7
9
0
ATL
5
11
0
2002
TB (2v)
12
4
0
ATL(6d)
9
6
1
NO
9
7
0
CAR
7
9
0
NFC中地区(1977年-2001年)
GB:グリーンベイ・パッカーズ 、MIN:ミネソタ・バイキングス 、CHI:シカゴ・ベアーズ 、DET:デトロイト・ライオンズ 、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年
地区優勝
2位
3位
4位
5位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2001
CHI(2d)
13
3
0
GB(4d)
12
4
0
TB(6w)
9
7
0
MIN
5
11
0
DET
2
14
0
2000
MIN(2c)
11
5
0
TB(5w)
10
6
0
GB
9
7
0
DET
9
7
0
CHI
5
11
0
1999
TB(2c)
11
5
0
MIN(4d)
10
6
0
DET(6)
8
8
0
GB
8
8
0
CHI
6
10
0
1998
MIN(1c)
15
1
0
GB(5w)
11
5
0
TB
8
8
0
DET
5
11
0
CHI
4
12
0
1997
GB(2s)
13
3
0
TB(4d)
10
6
0
DET(5w)
9
7
0
MIN(6d)
9
7
0
CHI
4
12
0
1996
GB(1v)
13
3
0
MIN(6w)
9
7
0
CHI
7
9
0
TB
6
10
0
DET
5
11
0
1995
GB(3c)
11
5
0
DET(5w)
10
6
0
CHI
9
7
0
MIN
8
8
0
TB
7
9
0
1994
MIN(3w)
10
6
0
GB(4d)
9
7
0
DET(5w)
9
7
0
CHI(6d)
9
7
0
TB
6
10
0
1993
DET(3w)
10
6
0
MIN(5w)
9
7
0
GB(6d)
9
7
0
CHI
7
9
0
TB
5
11
0
1992
MIN(3w)
11
5
0
GB
9
7
0
TB
5
11
0
CHI
5
11
0
DET
5
11
0
1991
DET(2c)
12
4
0
CHI(4w)
11
5
0
MIN
8
8
0
GB
4
12
0
TB
3
13
0
1990
CHI(4d)
11
5
0
TB
6
10
0
DET
6
10
0
GB
6
10
0
MIN
6
10
0
1989
MIN(3d)
10
6
0
GB
10
6
0
DET
7
9
0
CHI
6
10
0
TB
5
11
0
1988
CHI(1c)
12
4
0
MIN(4d)
11
5
0
TB
5
11
0
DET
4
12
0
GB
4
12
0
1987
CHI(2d)
11
4
0
MIN(5c)
8
7
0
GB
5
9
1
TB
4
11
0
DET
4
11
0
1986
CHI(2d)
14
2
0
MIN
9
7
0
DET
5
11
0
GB
4
12
0
TB
2
14
0
1985
CHI(1v)
15
1
0
GB
8
8
0
MIN
7
9
0
DET
7
9
0
TB
2
14
0
1984
CHI(3c)
10
6
0
GB
8
8
0
TB
6
10
0
DET
4
11
1
MIN
3
13
0
1983
DET(3d)
9
7
0
GB
8
8
0
CHI
8
8
0
MIN
8
8
0
TB
2
14
0
1982
GB(3d)
5
3
1
MIN(4d)
5
4
0
TB(7w)
5
4
0
DET(8w)
4
5
0
CHI
3
6
0
1981
TB(3d)
9
7
0
DET
8
8
0
GB
8
8
0
MIN
7
9
0
CHI
6
10
0
1980
MIN(3d)
9
7
0
DET
9
7
0
CHI
7
9
0
TB
5
10
1
GB
5
10
1
1979
TB(2c)
10
6
0
CHI(5w)
10
6
0
MIN
7
9
0
GB
5
11
0
DET
2
14
0
1978
MIN(3d)
8
7
1
GB
8
7
1
DET
7
9
0
CHI
7
9
0
TB
5
11
0
1977
MIN(3c)
9
5
0
CHI(4d)
9
5
0
DET
6
8
0
GB
4
10
0
TB
2
12
0
AFC西地区(1976年)
年
地区優勝
2位
3位
4位
5位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1976
OAK(1v)
13
1
0
DEN
9
5
0
SD
6
8
0
KC
5
9
0
TB
0
14
0
主な選手
現役選手
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブライン
ディフェンシブライン
ラインバッカー
ディフェンスバック
スペシャルチーム
永久欠番
プロフットボール殿堂入り
リング・オブ・オナー
抹消
個人賞
NFL最優秀守備選手
スーパーボウルMVP
プロボウルMVP
NFL最優秀新人賞
カムバック賞
歴代ヘッドコーチ
ギャラリー
タンパ・スタジアム
タンパ・スタジアムの解体
レイモンド・ジェームス・スタジアム入場口
レイモンド・ジェームス・スタジアムの海賊船
脚注
注釈
出典
外部リンク
球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 リーグ優勝 (2回) カンファレンス優勝 (2回) 地区優勝 (7回) 所属
1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
年代の分類は初先発のシーズンによる