1986年2月21日に前作『MODERN TIME』(1986年)リリース後、4月12日には吉川晃司主演映画第3作となる『テイク・イット・イージー』(1986年)が公開される[4]。同作のシナリオに対して吉川は、自身が演じる主人公の民川裕司が劇中で死去する展開を提案するも、事務所側としては民川を主人公とした映画シリーズを続けていく方針であったため、事務所側からは「何をばかなこと言ってんだ」と一蹴された[4]。しかし吉川は今後は音楽に集中したいとの申し出を行い、「おまえは歌も役者もできるタイプをめざせ」と言われるも、「いや僕には基本的に歌しかないんです」と事務所側を説得した結果民川が劇中で死去するシナリオに変更された[4]。その後吉川は「K.KIKKAWA "休日のSATISFICTION=FAKE"」と題したコンサートツアーを同年4月27日の西武球場公演から5月5日の小戸トワイライトゾーン公演に至るまで、4都市全4公演を実施[5]。さらにアルバムを受けたコンサートツアーは「DRASTIC MODERN TIME TOUR」と題し、同年5月18日の平市民会館公演から8月21日の中野サンプラザ ホール公演まで37都市全52公演を実施した[6]。
6月21日には12インチシングル「NERVOUS VENUS」をリリース[7]。同曲はオリコンシングルチャートにおいて最高位第12位の登場週数7回で売り上げ枚数は5.4万枚となった[8]。フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』(1985年 - 1989年)においては6月11日および7月9日放送分において同曲を披露した。9月30日には9枚目のシングル「すべてはこの夜に」をリリース[7]。同曲はオリコンシングルチャートにおいて最高位第4位の登場週数8回で売り上げ枚数は12.2万枚となった[8]。また、同曲はTBS系音楽番組『ザ・ベストテン』(1978年 - 1989年)の10月23日放送分において第3位で初登場して最高位となり、11月6日放送分に至るまで3週連続ランクインとなった[9]。『夜のヒットスタジオDELUXE』においては9月24日および10月15日、11月12日放送分の計3回において同曲を披露した。その後「仮説! 吉川晃司'86 TOKYO 8DAYS LIVE」と題したコンサートツアーを12月14日の渋谷公会堂公演から12月27日の大阪城ホール公演まで3都市全9公演を実施した。
本作にはゲストミュージシャンとして、前作に引き続きBOØWY所属の布袋寅泰が参加しているほか、シングル「Out of Blue」(1986年)をリリースしてデビュー間もない岡村靖幸や同年6月にデビューするFENCE OF DEFENSEの北島健二および山田亘も参加している。当時の吉川はどこかに逃げることを考えていた他に、自身の音楽を制作する時間を欲してしたが本作においても映画撮影の話が割り込んできたために時間を確保することが出来なかったと述べている[12]。吉川曰く「一年中ちゃんこ鍋食ってるような感じ」というように、デビュー以来周囲の状況に振り回されている状態が続いていたが、羽休めのためにニューヨークに行った吉川はそこで本作のほぼすべての楽曲を制作したと述べている[12]。初めて同地を訪れた際は同世代の人間と知り合いになったもののアメリカ人は一人もおらず、10人ほどで当時流行していたフラットに住んでいたという[12]。当時同居していた人間たちは裕福ではないものの大きな夢を持っており、そのパワフルで明るい様子に吉川は励まされており、「シュンとしてる自分が恥ずかしくなる感じでさ。そいつらに随分勇気をもらってたな」と述べている[12]。
本作を受けたコンサートツアーは「BIG CITIES CIRCUIT 解体へのSUGGESTION」と題し、同年4月4日の京都会館公演を皮切りに、5月28日の大阪厚生年金会館公演まで14都市全24公演実施された[20][21]。同ツアーでは本作収録曲を中心にセットリストが組まれていた[14]。前作を受けたツアー「DRASTIC MODERN TIME TOUR」では「都会の雰囲気」に拘っていたこともあり、機械的な雰囲気で照明を通常の倍近く使用するステージとなっていた[22]。本作を受けたツアーに関して吉川は「今度のLPの空気を出すためにあんまり照明を遣わずにどちらかというとスッキリと」と述べている[22]。吉川の構想ではステージは映画『ブレードランナー』(1982年)を意識し、規則的でない光の照らし方を意図したものになっていた[22]。同ツアーでは演奏曲やアレンジも都度変更が加えられており、その理由について吉川は「緊張感ていうのかな、それが欲しいから。メンバー間の。同じ事毎日やってるとなくなるからね。ちょっとずつ変えていく」と述べた他、セットリストも2、3曲分を余分に用意しておきその時の気分で変更しているとも述べている[23]。また前回のツアーまでは笑顔など見せずにクールに振舞っていた吉川であったが、同ツアーでは「ホットな部分を見せる」という本作のコンセプトに沿って「楽しいコンサート」を目指していたと述べている[23]。