前作『LA VIE EN ROSE』(1984年)のリリースと前後して、吉川晃司は「FLYING PARACHUTE TOURⅡ」と題したコンサートツアーを同年9月12日の神奈川県立県民ホール公演から11月8日の長野県県民文化会館公演に至るまで、13都市全13公演を実施した[4]。しかし同ツアー中のある会場にてテレビ番組の中継がコンサート終了後に入った際に、吉川が求めた世界観とは異なる歌謡ショーのような雰囲気でコンサートが終了する形になり、プロモーションの一環として割り切っていたものの進行に対して怒りを感じた吉川はディレクターに対して「アナタはボクのコンサートに来てる人たちを、いったいなんだと思ってるんですか!!」と怒鳴りつける事態となった[5]。その後ディレクターに対して謝罪した吉川であったが、自身のコンサートに対する姿勢を改めて主張したことに理解を示したディレクターとは和解することになった[5]。12月5日には3曲入りの12インチシングル「MAIN DISH」をリリース[6]。12月31日には日本歌謡大賞の最優秀新人賞を含む8個の新人賞を受賞[6]。しかし吉川は同大賞は出来レースであると主張し、テレビ番組『輝け!日本歌謡大賞』への出演を固辞していたものの強引に会場に連れていかれたため、止む無く出演することになった[6]。
1985年1月6日には大阪城ホールにて、1月11日および17日には日本武道館において、イベントライブ「85 吉川晃司 Live For Rockfeeling Kids 「晃司に触れたい」」を実施[7]。吉川としては初の日本武道館公演が含まれており、「デビューから1年で武道館が演れるアーティストにする」というスタッフの悲願が達成される形となった[5]。1月11日には4枚目のシングル「You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜」をリリース、同曲はオリコンシングルチャートにおいて初の第1位を獲得する[6]。同曲はTBS系音楽番組『ザ・ベストテン』(1978年 - 1989年)の1月24日放送分において第5位にランクインして初登場となり、2月14日および2月21日放送分において最高位となる第1位を記録、3月21日放送分に至るまで9週連続でランクインとなった[8]。2月14日放送分ではTBSの屋上から花火をバックに歌唱し、2月21日放送分では港区の増上寺からクレーンに乗った状態で歌唱した[9]。また、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』(1968年 - 1985年)においては1月7日および2月11日、3月11日放送分において同曲を披露した。しかし当時の吉川はアイドル視されることを嫌悪しており、テレビ番組出演時にもチェッカーズ以外の他のアイドルたちとは一切口を利かず、サングラスをプロテクター代わりとして掛けていたと述べている[6]。2月9日には主演第2作となる映画『ユー・ガッタ・チャンス』が公開された[6]。同映画において吉川はすべてのアクションシーンを自ら演じることを切望し、反対するスタッフを押し切りスタントマンを使用せず危険なシーンもすべて吉川自身が演じる形で撮影が行われた[10]。
本作収録曲である「Gimme One Good Night」は吉川自身が作詞を行っているが、吉川曰く「誰々がスタジオに遊びに来てパッと作って、セッションでやっちゃった」というような洋楽雑誌などに掲載されていた記事に触発されたことから、ディレクターには反対されていたものの大沢誉志幸がスタジオを訪れた際に即興でレコーディングを行ったと述べている[11]。本作に対して吉川は、「東京が最終目的地だとしたら静岡くらいまでは来たかな」と述べており、当時の状況を破壊して自由になりたいとの思いが強かったと述べている[11]。本作リリース後に2枚目のアルバムまでを好んでいたファンが急速に離れていったため、後に吉川は後悔の念を抱いていると述べた[11]。
書籍『ZERO : 1988/K2』によれば本作は吉川自身がコンセプト作りにも参加するなど、自身のイメージを自己主張し始めた最初のアルバムであると記されている[12]。吉川の主張はコンサートツアーを経て感じ取った、AORのような音楽ではない16ビートのロック・ナンバーを体現することであった[12]。本作のキーワードはデュラン・デュランとデヴィッド・ボウイであり、そのためアレンジャーとして後藤次利を起用したと記されている[12]。後藤は「16ビートものは昔からやってみたかったけど、日本じゃ受け入れられない、とあきらめてた。けれど、吉川クンなら、それをメジャーにするパワーがある。だから話をもらって即OKした。嬉しかったから自分でも楽しく仕事ができた」と述べている[12]。実際に本作以降ステージには厚みが加わり、後の「85 JAPAN TOUR」の成功は本作の影響が大きいと同書では記している[12]。本作では初めて作詞に吉川の名前がクレジットされているが、1曲のみではあるものの言葉が大の苦手と過去に発言していた吉川が作曲よりも先に作詞でクレジットされたことが後への期待感を高まらせたと記している[12]。