2000年のF1世界選手権(2000ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第51回大会である。2000年3月12日にオーストラリアで開幕し、10月22日にマレーシアで開催される最終戦まで、全17戦で争われた。
フェラーリ在籍5年目となるミハエル・シューマッハは開幕3連勝という好スタートを切り、第8戦カナダGP終了時点で22点のポイントリードを築いた。一方、3年連続チャンピオンを目指すミカ・ハッキネン(マクラーレン)は前半戦精彩を欠き、むしろチームメイトのデビッド・クルサードの方が好調さが目立った。
シューマッハが第9戦フランスGPから3連続リタイア(うち2戦はスタート直後の接触)と足踏みしてる間にハッキネンが盛り返し、第12戦ハンガリーGPの優勝で今季初めてポイントリーダーに立つ。続くベルギーGPでは、ハッキネンが周回遅れもろともシューマッハをオーバーテイクする圧巻のパフォーマンスをみせ、流れを完全に握ったかと思われた。
しかし、2連勝で反撃したシューマッハがチャンピオンに王手をかけ、第16戦日本GPを迎える。両雄は予選から火花を散らし、決勝では雨を味方につけたシューマッハが優勝し、自身3度目のドライバーズチャンピオンを決めた。フェラーリ在籍ドライバーの王者は1979年のジョディ・シェクター以来21年ぶり。フェラーリはコンストラクターズタイトルも制し、同じく1979年以来のダブルタイトル獲得となった。
F3時代からライバル関係にあるシューマッハとハッキネンは、激しくプレッシャーを掛け合いながらも、互いを認め合うフェアな対決を演じた。第14戦イタリアGP後の記者会見では感極まったシューマッハが泣き出し、隣に座っていたハッキネンが肩を叩いて慰めるというシーンがあった。
ホンダは1992年以来となる第3期活動を開始し、B・A・Rへエンジンを供給。ジャック・ヴィルヌーヴの奮戦が目立つも表彰台には届かず、予選・決勝とも4位が最高成績であった。一方、ホンダの活動休止中に4勝を記録してきた無限ホンダはこの年限りでエンジン供給を終了した。
BMWはル・マン24時間レースでも手を組んだウィリアムズへエンジンを供給。開幕戦で3位表彰台を獲得するなど堅実なパフォーマンスをみせ、コンストラクターズランキング3位を獲得した。
フォードはスチュワートを買収し、ジャガーブランドを冠してフルワークス体制で参戦したが、コンストラクターズ9位という期待外れに終わった。
ルノーは3月にベネトンを買収し、フルワークス体制への移行を進めた。一方、プジョーは未勝利のまま撤退を決めた。
太字:ポールポジション 斜体:ファステストラップ
† リタイアしたがレース距離の90%以上を走行していたため完走扱い