道場(どうじょう)は、埼玉県さいたま市桜区の町名および大字。現行行政地名は道場一丁目から五丁目および大字道場。町丁は住居表示実施済み[4]。郵便番号は338-0835[2]。本項では当地にかつて存在した油面(あぶらめん)についても触れる。
地理
埼玉県さいたま市桜区西部の沖積平野(荒川低地)に位置する。西部には桜区役所を含むプラザウエストや記念総合体育館が立地する。東部は新六間道路を中心として住宅街が広がっている。
2008年に二丁目の東日本鉄工埼玉工場跡地に812世帯が暮らす大規模マンション、サクラディアが建設され、人口が増加した。当地区は鉄道駅から遠く、交通の便が悪いが、サクラディアでは解決策として、武蔵浦和駅までの直行バスを運行している。しかし、幹線道路である新六間道路は新大宮バイパスから国道463号の羽根倉橋方面へ抜ける車(またその逆も)で慢性的に渋滞が発生している。周辺の学校の通学路となっているが、歩道が狭い個所や整備されていない場所も多く死亡事故も発生している。
現在都市計画道路高木大谷場線と町谷本太線の建設が道場三丁目と町谷四丁目で行われており、数年以内には歩道の整備された道路が完成し、渋滞緩和と安全確保が実現する予定となっている。荒川堤外地(河川敷)周辺に大字道場の残部と、入会地[5]由来の小さな飛地がある。大半が秋ヶ瀬公園の敷地である。
河川
地価
住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、道場二丁目18-33の地点で13万円/m2となっている[6]。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡与野領に属する道場村で、古くは1591年(天正19年)6月頃より見出せる道場村で上峯郷水判土荘に属していたと云われている[5]。建久年間(1190年 - 1199年)に畠山重忠が土中から掘り出した観音像を安置する道場(現金剛寺)を建てたことが地名の起源と云われている[5]。同年代には円乗院が村内に開基されていたが、慶長年間(1596年 - 1615年)に現在の場所に遷座したという。村高は「武蔵田園簿」では158石余(田47石余、畑47石余、野銭62石余)、「元禄郷帳」では158石余、「天保郷帳」では170石余。化政期の戸数は70軒で、村の規模は東西3町南北4町であった[5]。荒川には江戸への物資の輸送の拠点となる道場河岸[5]が開設されていた。
世帯数と人口
2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 |
世帯数 |
人口
|
道場一丁目
|
338世帯
|
682人
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道場二丁目
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1,376世帯
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3,509人
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道場三丁目
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450世帯
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1,012人
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計
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2,164世帯
|
5,203人
|
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[13]。
交通
地内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は埼京線南与野駅だが、道場二丁目18-33の地点よりおよそ2.9 km[6]離れている。JR浦和駅まではバスで20分程度。
道路
地域
寺社
施設
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク