町谷(まちや)は、埼玉県さいたま市桜区の町丁及び大字。現行行政地名は町谷一丁目から町谷四丁目、および大字町谷(荒川河川敷にある飛び地)。町丁は住居表示実施済み[4]。郵便番号は338-0836[2]。旧足立郡(北足立郡)町谷村。
地理
さいたま市桜区中部の荒川左岸側の沖積平野(荒川低地)に位置する。地区の東側を南元宿や西堀、南側を桜田、西側を道場、北側を栄和や中島と接する。また、南側には対角線上に新開が位置している。地域の東部を南北に国道17号新大宮バイパス・首都高速埼玉大宮線が縦断し、地域の北部を東西に埼玉県道57号さいたま鴻巣線(新六間道路)が横断している。新大宮バイパスの東側に一丁目、西側に二〜四丁目が存在する。
地域内は宅地化が進み住宅地域である[5]。地区の南部境界、及び東部には油面川が流れる。荒川河川区域内の飛地は東部を鴨川が流れ、公園やゴルフ場などのレクレーション施設として利用されている。
地価
住宅地の地価は、2019年(平成31年)1月1日の都道府県地価調査によれば、町谷三丁目26-15の地点で13万2000円/m2となっている[6]。
歴史
旧足立郡(後に北足立郡)町谷村。古くは高鼻荘に属し、江戸期は武蔵国足立郡与野領のうちであった[7]。町谷村の町谷は町屋とも書く(後述)。正保年間に旗本である宮崎・牧野氏の相給地であった以外は幕府領で、村高は「武蔵田園簿」では221石(田158石、畑63石)、「元禄郷帳」では226石、「天保郷帳」では239石。助郷は中山道浦和宿に出役していた。化政期の戸数は48軒で、村の規模は東西3町余、南北2町余であった[7]。
地名の由来
隣接する道場村(現:道場地区)に畠山重忠の館があった頃、城下町屋があったことによる[7]。かつては町屋と表記していたが、書きやすさから町谷と混同され、現在では町谷が町名となっている。昭和時代の住宅地図には町屋と表記しているものがある。
世帯数と人口
2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 |
世帯数 |
人口
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町谷一丁目
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395世帯
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939人
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町谷二丁目
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398世帯
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870人
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町谷三丁目
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731世帯
|
1,510人
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町谷四丁目
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384世帯
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809人
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計
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1,908世帯
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4,128人
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小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[12]。
交通
地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅はJR埼京線南与野駅であるが、町谷三丁目26-15の地点よりおよそ2.3 km[6]離れている。
道路
施設
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク