羽根倉橋(はねくらばし)は、埼玉県さいたま市桜区大字下大久保と志木市宗岡の間に架かり、荒川と荒川第一調節池を渡る[1]、国道463号(浦和所沢バイパス)および埼玉県道215号宗岡さいたま線の道路橋である。
概要
河口から37.2 kmの地点に架かる[2][3] 橋長859.63メートル、総幅員22.8メートル、有効幅員20.0メートル(車道7.5メートル、歩道2.5メートル、上下2本)、最大支間長82.2メートル[4][5] の連続箱桁橋の1等橋(TL-20)である。また、埼玉県の第一次特定緊急輸送道路に指定されている[6][7]。橋の両端は右岸側は荒川横堤である南畑横堤に、左岸側は同じく大久保第1横堤に接続され[8]、道路がその横堤の天端を通る。右岸側の南畑横堤は途中、富士見市南畑新田(旧入間郡南畑村)の区域に掛かる。国道の橋であるが、橋の管理者はさいたま市[2] である(補助国道)。4車線のため交通量も多く、東日本旅客鉄道(JR東日本)の南与野駅や埼玉大学と、東武東上線の志木駅、ふじみ野駅や、東日本旅客鉄道の北朝霞駅を結ぶ国際興業バスの路線バスも走っている。最寄りのバス停は左岸側は「下大久保」停留所、右岸側は「宗岡蓮田」停留所である[9]。また、さいたま市浦和区から所沢市まで続く、日本一長いケヤキ並木はこの橋梁の存在のため、この付近で一旦途切れている。大気が澄んだ時には、さいたま市から所沢方面へ向かう真正面に富士山を捉えることができる[10](#風景参照)。橋名は河岸場の呼称である羽根倉に因む[11]。
歴史
架橋される以前の時代は1662年(寛文2年)頃設立の河岸場(羽根倉河岸)があり、船1艘を有する私渡の渡船場(羽根倉の渡し)が併設されていて物資の集散地や河川交通の要として大変賑わっていた。羽根倉の渡しが羽根倉橋の前身である[11]。この河岸場は1919年(大正8年)に行なわれた河川改修により廃止され、渡船の方も1938年(昭和13年)の橋の架設により廃止された[11]。
周辺
河川敷は左岸側に広くとられている。その広い河川敷を活用したレクリエーション施設や農地がある。河川区域内にもかかわらず2002年(平成14年)頃まで塚本集落が橋の川上側にあり、民家が点在した[19]。
その他
- 羽根倉橋は埼玉県のぐるっと埼玉サイクルネットワーク構想に基づき策定された「自転車みどころスポットを巡るルート」の「自転車道体験ルート」の経路に指定されている[21]。
風景
隣の橋
- (上流) - 荒川橋梁 - 治水橋 - 羽根倉橋 - 秋ヶ瀬橋 - 荒川橋梁 - (下流)
脚注
参考文献
- 藤村光男「わが郷土の橋 荒川の橋」『橋梁と基礎 8月号』第21巻第8号、株式会社建設図書、1987年8月1日、31-34頁。
- 埼玉県立さきたま資料館編集『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』、埼玉県政情報資料室発行、1987年(昭和62年)4月。
- 埼玉県県民部県史編さん室『荒川 人文II -荒川総合調査報告書3-』、埼玉県、1988年3月5日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日、696頁。ISBN 4040011104。
外部リンク
座標: 北緯35度51分19秒 東経139度35分23秒 / 北緯35.85528度 東経139.58972度 / 35.85528; 139.58972