大阪市電鶴町車庫

大阪市電鶴町車庫(おおさかしでんつるまちしゃこ)は、かつて大阪府大阪市大正区鶴町2丁目、および大阪市大正区鶴町4丁目にあった大阪市電車庫

初代鶴町車庫は鶴町2丁目に、2代目鶴町車庫は鶴町4丁目に存在した。

初代鶴町車庫

初代の鶴町車庫は、1922年大正11年)9月に着工し、1923年(大正12年)4月に当時の大阪市西区鶴町(現在の大阪市大正区鶴町2丁目)に開設された。

建屋は4棟から構成され、単車にして204両が収容可能であった。ローカル線らしく四輪車の701型、及び2両連結された散水車の改造車751型などが配属されていたほか、近くにあった福町車両工場の修理車両、出入場車の一時預かりにも利用された。

1945年昭和20年)6月1日にはアメリカ軍戦闘機B29による空襲大阪大空襲)を受けて全焼したが、間もなく応急的に復旧された。

1954年(昭和29年)7月、大正区鶴町周辺地域の土地の嵩上げ工事のために廃止され、港車庫へ移転した。

2代目鶴町車庫

一旦廃止されて港車庫へ移転した鶴町車庫であるが、その後嵩上げ工事が完了したのを受けて、復活させることとなった。復活に際しては、位置が鶴町2丁目から路線終点の鶴町4丁目に変更され、1960年(昭和35年)2月に着工し、同年9月に再び開設された。この復活は、港車庫が市営地下鉄4号線(現・中央線)建設に際して用地の一部を供出し、縮小したことへの代替という側面もあった。2代目の開設に伴い、鶴町四丁目は鶴町車庫前に改称されている。

1967年(昭和42年)8月1日鶴町線(鶴町車庫前・大運橋間)の廃止に伴い廃止された。跡地には大阪シティバス鶴町営業所(旧大阪市営バス)が開設されたほか、大阪市営住宅(大阪市営鶴町第一住宅、大阪市営鶴町第四住宅、大阪市営鶴町第六住宅)、及び鶴町北公園などが建設された。市営バス鶴町営業所の構内には1990年代前半まで市電時代の線路と敷石がそのまま残されていた。

関連項目