深谷市(ふかやし)は、埼玉県の北西部に位置する市。
人口は約13万9千人。首都圏整備法第2条第5項に規定する都市開発区域となっている(旧岡部町、旧川本町、旧花園町の区域を除く)。
概要
1456年(康正2年)に上杉房顕が櫛引台地の北端部付近に深谷城を築き、その周辺に城下町が形成されたのが深谷市の中心市街地の始まりである[1]。江戸時代には中山道の宿場(深谷宿)が置かれ、最盛期には旅籠が約80軒並ぶなど宿場町としても発展した[1]。
岡部には安倍(あんべ)家の旧岡部藩岡部陣屋があり、遺構として長屋門、西島町に地方(じかた)通用門が残っている。
県下有数の農業地帯であり、深谷ねぎは日本一の出荷量を誇る。第一国立銀行の創立に携わるなど、近代日本経済の基礎を築いた渋沢栄一の生誕地でもある。また、当地が選挙区だった政治家の荒舩清十郎が運輸大臣在任時に、国鉄に働きかけて深谷駅に急行列車を停車させたことで話題になった。
1986年(昭和61年)に国土交通省により首都圏の業務核都市(熊谷市と一体指定)に指定されている。
地理
埼玉県北部の利根川と荒川に挟まれた地域に位置する。市の北部には、利根川や小山川によって妻沼低地(沖積低地、海抜約30 - 40メートル)が形成され、中部から南部にかけては荒川によって形成された洪積台地の櫛引台地(荒川の左岸、海抜約50 - 100メートル)や江南台地(荒川の右岸、海抜約50 - 80メートル)が広がる。櫛引台地の北部には第三紀層の残丘である仙元山(標高98.0メートル)が、また市の南西端、寄居町との境には鐘撞堂山(標高330.2メートル)がそびえる。
気候はやや内陸的で、寒暖の差が大きい。夏は太平洋高気圧による季節風などの影響で暑く、冬は乾燥した北風(からっ風)が吹く。晴天の日が年間を通して多い地域である。
隣接自治体
深谷市横瀬の飛地が伊勢崎市にあり、境平塚と境島村の間に存在する。
歴史
2006年の市町村合併
経緯
2001年から2003年にかけて、「大里はひとつ」を合い言葉に、大里地域(深谷市、熊谷市、大里郡)の合併について話し合っていたが、任意合併研究会の段階で破綻した。破綻した理由については「新市の市役所の場所について、深谷市(位置が新市の中心となる熊谷市の籠原駅付近に新たに建設)と熊谷市(熊谷市役所を活用)で意見が分かれたため」と報道された。
2003年4月1日大里地区で深谷市と熊谷市それぞれが中心となって、2つの法定の合併協議会が成立した。深谷市側は「深谷市・岡部町・川本町・花園町・寄居町合併協議会」を設立したものの、2004年3月24日に寄居町が離脱を表明したため、5月20日に合併協議会が解散した。
解散後、再び深谷市、川本町、岡部町の間で合併協議を再開した。花園町については町長と町議会で意見が分かれていたため、協議には加わらなかった。町長は寄居町との合併、町議会は深谷市・川本町・岡部町との合併を望んでいたのである。
花園町では、町長が寄居町との法定協議会設置案を議会に提出したものの否決されたため、町長が民意を問うために一旦辞職。出直し選挙に出馬し、再選を果たしたことから、同案を再提出したが再び否決された。この為、2004年11月14日に花園町が住民投票を行ったところ、僅差で深谷市などとの合併が、寄居町との合併を上回った。この結果を受け、迷走していた花園町は、深谷市との合併に向けて方向を定め、12月1日「深谷市・岡部町・川本町・花園町合併協議会」を設置、入れ替わりに「深谷市・岡部町・川本町合併協議会」を休止した。その後、深谷市・岡部町・川本町・花園町の合併が成立し、現在の深谷市に至る。
合併に伴う住所表記の変更
2006年の市町村合併に伴い、以下のように住所表記が変更された。
- 深谷地区は変更なし(「大字」という字句の削除のみ)
- 岡部地区、花園地区、川本地区は「深谷市」のあとに旧大字名が付く(ただし、川本町の明戸については、旧深谷市域に明戸があったため川本明戸に変更された。)
- 例1:大里郡岡部町大字岡 → 深谷市岡
- 例2:大里郡花園町大字黒田 → 深谷市黒田
- 例3:大里郡川本町大字明戸 → 深谷市川本明戸
合併推進構想
埼玉県が策定している『埼玉県市町村合併推進構想(仮称)』では、構想対象市町村の組み合せとして、大里地域では「深谷市・熊谷市・行田市・江南町(当時)・寄居町」という大里地域に行田市を加えた組み合わせが提言された。
南前小屋地区の編入合併
群馬県太田市前小屋町の南側の南前小屋地区(太田市前小屋町、二ツ小屋町の一部119.6ヘクタール)は、大正時代の利根川の河川改修などによる流路変化の結果として、その右岸(南岸)にあり、生活圏が深谷市と共になっていた。そのため、深谷市が太田市と協議を進め、同地区は深谷市に編入合併(越境合併)された。
2009年に、深谷市と太田市の両市議会、続いて、埼玉県・群馬県の両県議会の議決を得た後、総務大臣への届出がなされた。2010年(平成22年)1月に『官報』に告示され[4]、同年3月1日に県境・市境が変更された[5]。同時に、同じ理由で利根川左岸にある深谷市高島の一部(36.2ヘクタール)が、太田市に編入された[6]。
人口
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深谷市と全国の年齢別人口分布(2005年)
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深谷市の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 深谷市 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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深谷市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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101,459人
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1975年(昭和50年)
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111,389人
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1980年(昭和55年)
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120,931人
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1985年(昭和60年)
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129,851人
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1990年(平成2年)
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135,927人
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1995年(平成7年)
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143,116人
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2000年(平成12年)
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146,562人
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2005年(平成17年)
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146,461人
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2010年(平成22年)
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144,555人
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2015年(平成27年)
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143,811人
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2020年(令和2年)
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141,268人
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総務省統計局 国勢調査より
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平成22年国勢調査によれば、労働人口は70,132人であり、うち39,813人(56.8%)が市内において、28,865人(41.2%)が市外(県内21,886人、県外5,864人)において就業している。市外への通勤者数は、市町村別では熊谷市へが最も多く9,620人(13.7%)、都道府県別では群馬県へが2,837人(4.05%)、次いで東京都へが2,672人(3.81%)となっている。
15歳以上の通学者数は7,930人であり、うち2701人(34.1%)が市内に、5,077人(64.0%)が市外(県内3,287人、県外1,483人)に通学している。市外への通学者数は、市町村別では熊谷市(1,037人)、都道府県別では東京都(1,079人)がそれぞれ最多となっている。
一方で、市外から市内への通勤・通学者数は25,479人であり、昼夜間人口比率は95.0%となっている。
行政
歴代市長
- 旧深谷市
- 深谷市
- 新井家光(2006年 - 2010年、初代)
- 小島進(2010年 -、2代)
市議会
広域行政
産業
生産量日本一であるネギ(深谷ねぎ)などを中心とした農業や、チューリップを始めとする花卉栽培が盛んである。工業では元々、地元で採れる土から作ったレンガや、瓦などの製造が盛んであったが、昭和30年代に市の東部に工業団地が造成され、今日では工業都市ともなっている。近年では、渋沢栄一の好物とされる具だくさんの幅広煮込みうどん(煮ぼうとう)が新たな名産品として注目されている。また、彩の国(埼玉県の美称)の名産の一つ「深谷牛」も注目を集めている。
商業では、江戸時代から宿場町として栄えた旧中山道沿いに、商店街がある。しかし、昭和50年代に造成された上柴ニュータウンに大型ショッピングセンターなどが建設されるなどして、最近では中心市街地が衰退している。この中心市街地活性化に向け、商店街の中の空き店舗を活用する運動が始まっている。具体的には、NPOの団体が「チネフェリーチェ」(深谷シネマ)という映画館を設立して、毎日、有名作品やミニシアター系映画を放映していたり、同市の深谷商業高校の生徒が、学校での授業を基に生徒一人ひとりが商品の仕入れから販売・経理までをこなす店舗を経営したりしていた。
農業
深谷市の農業出荷額は約349億3000万円(推計)であり、県内1位、全国20位の指折りの産地である(農林水産省、平成27年)[8]。内訳をみると、野菜が207億円で最も産出額が多く、次いで鶏卵が30億1,000万円、花卉が29億5,000万円となっている[8]。ねぎやほうれん草、ブロッコリーといった野菜や、藤沢地区を中心にハウス栽培されているチューリップやユリなどの花卉の出荷が多い。中でも市内で栽培される根深ねぎは「深谷ねぎ」として知られている。
また、黒毛和牛が深谷特選黒毛和牛振興協議会により生産されており、県により「深谷牛」として推進されている。平成28年度には440頭が出荷された[9]。
工業
映画館
ショッピングセンター
宿泊施設
金融機関
対外交流
友好都市
姉妹都市
友好関係都市
国際交流都市
交通
市の中心市街地を、旧中山道と国道17号が東西に通り、その南側に高崎線の深谷駅がある。また、仙元山の南側を上越新幹線が通過する。
市の南部は、国道140号が東西に延び、これに沿うようにして、秩父鉄道が並行する。市の南西に八高線、国道254号、関越自動車道がかすめ、自動車道と国道140号バイパスとの交点には花園インターチェンジがある。
市の北部には、四拾坂下交差点で国道17号と分岐して熊谷に至る深谷バイパスや、群馬県に通じる上武道路(いずれも国道17号バイパス道路)が通っている。
鉄道
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 高崎線・■上野東京ライン・ 湘南新宿ライン
- また、深谷駅の一駅隣の籠原駅(熊谷市)が市の東部に近接しており、普通列車の始発駅ということもあって市内からの利用者も多い。
- 秩父鉄道
- 秩父本線
バス
- 深谷観光バス
- 深谷日赤線 深谷日赤 - 東都大学2号館 - 籠原駅南口(熊谷市)行き
- 急行便(平日のみ)、東都大学2号館-籠原駅区間便あり
- (2024年12月1日運行開始予定)深谷駅北-籠原駅北路線
- 深谷大里福祉専門学校 - 深谷駅北口
- 深谷駅北口 - 深谷日赤
- 深谷駅北口 - 籠原駅北口(熊谷市)
- 深谷駅北口-深谷日赤間のみ急行便あり(平日のみ)
- 武蔵観光
- 花園観光バス
- ふかや花園プレミアム・アウトレット - 畠山重忠公史跡公園 - 本畠 - 埼玉県農林公園 〜 森林公園駅(滑川町)行き
- 2022年10月20日運行開始、夕方以降はアウトレット-森林公園駅直行
- 市内循環バス
- 高速バス
- 関越道花園IC至近のふかや花園エリアを発着する路線のみが運行されている。
タクシー
タクシーの営業区域は県北交通圏で、熊谷市、本庄市、行田市、加須市、羽生市などと同じである。
道路
地域
教育
小学校
- 市立深谷小学校
- 市立深谷西小学校
- 市立上柴東小学校
- 市立上柴西小学校
- 市立桜ヶ丘小学校
- 市立藤沢小学校
- 市立幡羅小学校
- 市立常盤小学校
- 市立大寄小学校
- 市立明戸小学校
- 市立豊里小学校
- 市立八基小学校
- 市立岡部小学校
- 市立岡部西小学校
- 市立榛沢小学校
- 市立本郷小学校
- 市立花園小学校
- 市立川本北小学校
- 市立川本南小学校
中学校
- 市立深谷中学校
- 市立上柴中学校
- 市立藤沢中学校
- 市立幡羅中学校
- 市立明戸中学校
- 市立豊里中学校
- 市立岡部中学校
- 市立花園中学校
- 市立川本中学校
- 市立南中学校
- 東京成徳大学深谷中学校(※中高併設)
高等学校
深谷、正智深谷(旧・埼玉工大深谷)はスポーツの強豪校として全国に知られている。
県立川本高等学校は、2010年3月、県立寄居高等学校に統合されて県立寄居城北高等学校(寄居町)となり、閉校となった。跡地は埼玉県立深谷はばたき特別支援学校として開校した。
大学
特別支援学校
警察
旧深谷市内ならびに旧岡部町内の区域は、埼玉県深谷警察署が管轄している。また、旧川本町内ならびに旧花園町内の区域は、埼玉県寄居警察署が管轄している。
- 北部機動センター
- 深谷警察署
- 深谷駅前交番
- 上柴交番
- 岡部駅前交番
- 明戸駐在所
- 大寄駐在所
- 人見駐在所
- 豊里駐在所
- 八基駐在所
- 榛沢駐在所
- 本郷駐在所
- 寄居警察署(寄居町)
消防
市消防本部は、深谷市ならびに寄居町全域を管轄している。
電話番号
市外局番は市内全域「048」。市内局番が5から始まる地域との通話は市内通話料金で利用可能(熊谷MA)。収容局は埼玉深谷局、熊谷豊里局、埼玉岡部局、埼玉川本局、埼玉花園局、三ヶ尻局。同様に5から始まる市内局番は深谷市のほか、熊谷市(大里地区と妻沼小島地区は除く)、行田市、羽生市、鴻巣市、北本市、大里郡寄居町で使用されている。
住宅団地
- 深谷萱場住宅(見晴町)
- 深谷戸森住宅(戸森)
- 花園黒田住宅(黒田)
- 深谷上柴住宅(上柴町西)
- 岡部普済寺住宅(普済寺)
- 深谷緑ヶ丘住宅(緑ヶ丘)
観光
名所・旧跡
市指定文化財については、深谷市指定文化財一覧も参照。
祭事・催事
- 深谷七夕まつり
- 小前田諏訪神社大祭 小前田屋台囃子
- アルエット祭り
- 黒田ささら獅子舞
- 深谷桜まつり
- 深谷花火大会
- 深谷まつり(みこしパレード、300年以上の歴史がある。)
- 浦安の舞、豊栄の舞
- 花の街ふかや映画祭
キャラクター
出身著名人
政治・経済
学者
医師
スポーツ
文化
芸能
マスコミ
歴史上の人物
脚注
関連項目
外部リンク
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