ニューヨーク・ジェッツ New York Jets
創設
1959年8月14日 (65年前) (1959-08-14 )
AFL参入
1960年シーズン
所属地区
NFL(1970-現在)
東地区 (1970-現在)
AFL (1960-1969)
東地区 (1960-1969)
チームデザイン
チームロゴ
ボールを模した楕円形に「NEW YORK」、その下に「JETS」と描かれている。
チームカラー
ゴッサムグリーン スポットライトホワイト ステルスブラック
ユニフォーム
チーム名
ホームタウン
ニュージャージー州 イーストラザフォード (1984-現在)ニューヨーク州 ニューヨーク (1960-1983)
メットライフ・スタジアム ニュー・メドウランズ・スタジアム (2010-現在)ジャイアンツ・スタジアム (1984-2010)シェイ・スタジアム (1964-1983)ポロ・グラウンズ (1960-1963)
永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (1回)
カンファレンス・チャンピオン (0回)
AFC
地区優勝 (4回)
AFL東地区
旧AFC東地区
AFC東地区
ワイルドカード(8回)
1981
1985
1986
1991
2001
2004
2006
2009
プレーオフ進出(13/59回)
1968
1969
1981
1982
1985
1986
1991
1998
2001
2002
2004
2006
2009
AFL(1960-1969)における実績
AFLチャンピオン
地区優勝
AFL東地区
球団組織
ニューヨーク・ジェッツ (英語 : New York Jets 、略称: NYJ )は、アメリカ合衆国 ニュージャージー州 イーストラザフォード に本拠地をおくNFL(ナショナル・フットボール・リーグ) チーム。AFC東地区 に所属している。
チーム名には「ニューヨーク 」の地名を冠しているが、1984年以降はマンハッタン から十数km離れたニュージャージー州 イーストラザフォード にあるスタジアムを本拠地としている。事務所及び練習施設はニュージャージー州モリス郡 のフローラムパーク (英語版 ) に位置している。愛称はかつての本拠地だったシェイ・スタジアム がラガーディア空港 に近かったことに由来する[ 1] 。
歴史
1960年から1980年まで
1960年、アメリカン・フットボール・リーグ (AFL)の一員として創設された。当時はニューヨーク・タイタンズという愛称でポロ・グラウンズ を本拠地とした。初代コーチにはサミー・ボウ が就任し最初の2シーズンは7勝7敗だったが観客動員は振るわなかった。新ヘッドコーチにブルドッグ・ターナー を迎えた1962年は5勝9敗に終わるとチームは倒産 の危機に直面した。これを救ったのはMCA のソニー・ワーブリン 、レオン・ヘス らがチームをハリー・ワイズマー から100万ドルで買い取った[ 2] [ 注 1] 、1963年4月15日にチームはジェッツと愛称を変えると共に、1958年、1959年にボルチモア・コルツ をNFLチャンピオンにしたウィーブ・ユーバンク をヘッドコーチに迎えた。
1964年 、ドラフト1巡でマット・スネル を獲得、1966年 のドラフト6巡でエマーソン・ブーザー を獲得した[ 3] 。
1967年 にアラバマ大学 出身のジョー・ネイマス が入団すると共にチーム成績は向上、8勝5敗1分で終わった。ネイマスは当時14試合だったシーズン、パスで4007ヤードを獲得、プロフットボール史上初のシーズン4000ヤードをマークした。翌1968年にはAFLチャンピオンシップゲームでオークランド・レイダース を27-23で破り、1969年1月12日に行われたスーパーボウル の前身であるNFL-AFLチャンピオンシップ第3回大会(第3回スーパーボウル )においてAFL代表として初めて優勝した。この試合は対戦相手のボルチモア・コルツが有利と予想されていたがネイマスは日曜の試合は勝つと予告して("We're gonna win the game. I guarantee you.")試合は16-7でジェッツが優勝した[ 4] 。同年のワールドシリーズ でも同じくシェイ・スタジアム を本拠地とするニューヨーク・メッツ が優勝した。
スーパーボウルを制した後、ネイマスは膝の怪我で1970年 、1971年 、1973年 のシーズンの多くの試合を欠場、1972年 、1974年 は7勝7敗の成績で終わったがプレーオフに出場することなく1976年 には11試合でわずか4タッチダウン(TD)しか投げられず逆に16インターセプト (INT)を喫してしまった(ニューイングランド戦での1試合6INTを含む)。1977年ネイマスはウェーバー公示 されロサンゼルス・ラムズ に移籍した後4試合に出場し34歳で引退した。
1971年 のドラフト1巡で獲得したジョン・リギンズ は、1975年 に1000ヤードラッシャーとなった後、フリーエージェントでワシントン・レッドスキンズ に去った[ 3] 。
ウォルト・マイケルズ が新ヘッドコーチに就任した1977年 、ドラフトでウェズリー・ウォーカー を獲得した[ 3] 。この年チームは3勝11敗になり、1978年 チームは先発QBをリチャード・トッド から無名だったマット・ロビンソン に変更して8勝8敗の成績をあげた。このシーズン残り2試合を残して8勝6敗でプレーオフ進出の望みがあったが最後の2試合で連敗してしまった。
1979年 には再びトッドが先発QBに返り咲き8勝8敗、1980年 にはトッドが30INTを喫して4勝12敗に終わった。このシーズンは開幕から14連敗しており1勝15敗に終わったニューオーリンズ・セインツ に敗れている[ 5] [ 6] 。
1970年代のチームは勝ち越すことがなかったが、その間タイトエンドのリッチ・キャスター は3回プロボウルに選ばれた[ 3] 。
1981年から1996年まで
1981年 は1970年 にAFLがNFLに吸収合併されて以来初めて勝ち越し10勝5敗1分の成績をあげてプレーオフに出場した。トッドはパスで3231ヤード、25TDを獲得、主なターゲットはウェズリー・ウォーカー 、ジェローム・バーカム であった。ディフェンスのマーク・ガスティノー 、ジョー・クレッコ の2人は相手QBに合計40サックを浴びせ、マーティ・ライオンズ 、アブドゥル・サラーム と共にニューヨーク証券取引所 (New York Stock Exchange)をもじってニューヨーク・サック・エクスチェンジ (英語版 ) (New York Sack Exchange)と呼ばれた[ 7] 。
1982年 にはサック・エクスチェンジに代表されるディフェンスとフリーマン・マクニール の活躍でプレーオフに入ってもロードでシンシナティ・ベンガルズ 、オークランド・レイダース を破りAFCチャンピオンシップゲーム でマイアミ・ドルフィンズ と対戦した[ 2] 。オレンジボウル で行われたこの試合は大雨が降ったにも係わらずドルフィンズはフィールドをカバーしなかったため非常に悪いコンディションで行われたこの試合トッドはパス37本中15本しか成功できず5INTを喫し、ディフェンスがデビッド・ウッドリー をパス21回中9本成功、87ヤード、3インターセプトと抑えたものの0-14で敗れた[ 2] [ 5] [ 8] 。この年12月6日、デトロイト・ライオンズ とのマンデーナイトフットボール で、ウェズリー・ウォーカーが3TDをあげた[ 9] 。
1983年 にジョー・ウォルトン が新ヘッドコーチとなったが7勝9敗に終わった。シーズン終了後、これまでニューヨーク・メッツ のシーズン終了までシェイ・スタジアム でのゲームができず、ロードでの遠征を強いられていたジェッツはニュージャージー州 イーストラザフォード にあるジャイアンツ・スタジアム に本拠地を移した。またチームオフィスもタイムズスクエア からマンハッタン に移動した。
1984年 、ベテランQBのパット・ライアン が11試合に先発し[ 10] 、前年のドラフト1巡指名のケン・オブライエン はシーズン終盤に先発に昇格した。このシーズンは7勝9敗に終わった。マーク・ガスティノーがNFLシーズン記録となる22サックをあげた[ 2] 。
1985年 オブライエンは25TD(ミッキー・シューラー へ7本、ウェズリー・ウォーカーへ5本)、8INTの好成績をおさめ4人のランニングバックが合計18TDをあげて11勝5敗となり初めてホームスタジアムでプレーオフを迎えたが第20回スーパーボウルに出場したニューイングランド・ペイトリオッツ に14-26で敗れた。
1986年 は開幕から9連勝、10勝1敗の好スタートを切った。ウェズリー・ウォーカーが12TDレシーブ、2年目のアル・ツーン も8TDレシーブをあげたがオブライエンが指を負傷、他にも怪我人が続出して終盤5連敗して10勝6敗でプレーオフを迎えた。プレーオフではパット・ライアンが先発しワイルドカード プレーオフでカンザスシティ・チーフス を破り[ 11] 、ディビジョナルプレーオフでは、敵地に乗り込みクリーブランド・ブラウンズ と対戦した。第4Q終了直前、ジェッツ3点リード、ブラウンズの攻撃2ndアンド24でバーニー・コーザー のパスは失敗したがこのプレイでギャスティノーがラフィング・ザ・パッサー の反則を取られてファーストダウン を与えてしまいFGで同点となり、ダブルオーバータイムの末、マーク・モーズリー のFGが決まり敗れた[ 12] 。
1989年 、ドラフト2巡で指名されたデニス・バード が7サックをあげた[ 3] 。
1990年 にシンシナティ・ベンガルズ のオフェンス・コーディネーターであったブルース・コスレット がヘッドコーチとなった。
1991年 にブラッド・バクスター が自己最高の11TDランをあげた。過去2シーズンで10勝22敗と大きく負け越していたチームは最終節にドルフィンズを破り8勝8敗ながらプレーオフ出場を決めた[ 2] 。ワイルドカードプレーオフではヒューストン・オイラーズ と対戦し10-17で敗れた。
1992年 、コスレットはオブライエンに代えて2年目のQBブローニング・ネイグル を起用したが4勝12敗に終わった。11月の試合中、デニス・バード がカンザスシティ・チーフス との試合中の怪我で下半身麻痺となり引退を余儀なくされた[ 3] 。幸運なことにステロイド 治療の末、彼は数ヶ月後には自分の足で歩くことができるようになった。シーズン終了後ドラフト3巡目指名権と引換えにコスレットがかつてベンガルズで指導したブーマー・アサイアソン を獲得した。
1993年 シーズン半ばチームは連勝しプレーオフ進出が期待されたが8勝8敗でプレーオフを逃しコスレットは解雇された。4シーズンで26勝38敗の成績であった[ 13] 。
後任のヘッドコーチにはピート・キャロル が就任した。1994年 11月27日のドルフィンズ戦で相手QBのダン・マリーノ はアーロン・グレン にサックされそうになったがスパイクするフェイクを見せた後、マーク・イングラム への逆転のTDパスを成功させた。このプレイは"The Fake Spike"として知られている (Clock Play ) 。チームは最後の4試合を連敗し6勝10敗でAFC東地区最下位になりキャロルは1年で契約を切られ、フィラデルフィア・イーグルス のヘッドコーチだったリッチ・コータイト が新ヘッドコーチになった。1995年 を3勝13敗、1996年 を1勝15敗と2シーズン連続でNFL最悪の成績で終えてコータイトは解雇された。(イーグルス時代も含めたコータイトコーチのキャリア最後の39試合は4勝35敗でNFL史上ワーストの成績となっている[ 14] )。
1997年以降
1997年 にニューヨーク・ジャイアンツ 時代スーパーボウルを制覇しているビル・パーセルズ (ニューイングランド・ペイトリオッツヘッドコーチ)を招いた。前年ドラフト 全体1位指名のWRキーショーン・ジョンソン の活躍などでQBのニール・オドネル は17TDパスを投げ、エイドリアン・マレル が1000ヤードラッシャーとなった。チームは9勝7敗だったがプレーオフ出場は逃した。
1998年 にはペイトリオッツRBのカーティス・マーティン 、控えQBとしてビニー・テスタバーディ を獲得した。またケビン・マワイ をフリーエージェントで獲得した[ 2] 。チームは1960年代以来となる地区優勝を果たした。この年パーセルはチームロゴやユニフォームを60年代に活躍した時代のものに戻す決定を行った。グレン・フォーリー が2試合先発した後、パーセルは先発QBをテスタバーディに変更、彼は29TDパスを投げてマーティンは1287ヤード、8TDランをあげた。キーショーン・ジョンソンとウェイン・クレベット は共にレシーブで1000ヤードを越えて最後の12試合で11勝をあげたチームは12勝4敗でNFL加入後初の地区優勝を果たした。ディビジョナルプレーオフでジャクソンビル・ジャガーズ を破りAFCチャンピオンシップゲームでデンバー・ブロンコス と対戦した。この試合10-0とリードしたがテスタバーディの2つのインターセプト、相手RBのテレル・デービス が167ヤードを走る活躍で10-23で逆転負けした。この年アーロン・グレン が6インターセプトをあげた[ 3] 。翌1999年にはテスタバーディが開幕戦のペイトリオッツとの試合でアキレス腱 を断裂、リック・マイアー (4勝6敗)、レイ・ルーカス (4勝2敗)が代わりに先発した。
1999年 、シーズン前にレオン・ヘスオーナーが85歳で亡くなっておりシーズン終了後チームはジョンソン・エンド・ジョンソン のウッディ・ジョンソン が買い取った[ 15] 。
2000年 のドラフトでは1巡指名権4つを利用してDEショーン・エリス 、ジョン・エイブラハム 、TEアンソニー・ベクト 、QBチャド・ペニントン を獲得した。この年、パーセルズの下でアシスタントコーチを務めていたビル・ベリチック がヘッドコーチに昇格するが、翌日、ペイトリオッツのヘッドコーチとなるため退団し、後任のヘッドコーチには長年アシスタントコーチを務めたアル・グロー が昇格した。グローはキーショーン・ジョンソンをタンパベイ・バッカニアーズ にトレードし複数のドラフト1巡指名権と交換した[ 16] 。この年のドルフィンズとのマンデーナイトフットボール では第3Q終了時点で7-30とリードされたがオーバータイムの末、40-37で逆転勝利した[ 17] 。この試合はマンデーナイト・ミラクル と呼ばれている[ 18] 。シーズン終盤の9試合で3勝しかあげられず、9勝7敗でプレーオフを逃しグローは母校のバージニア大学 のヘッドコーチとなるために辞任した[ 19] 。フロント入りしていたパーセルズもこのシーズンでチームを去った[ 20] 。
2001年 、タンパベイ・バッカニアーズ のヘッドコーチ、トニー・ダンジー の下でアシスタントコーチを務めていたハーマン・エドワーズ が新ヘッドコーチとなった[ 21] 。エドワーズコーチ就任1年目からプレーオフに進出した[ 22] 。チームはこのシーズン53ヤードの決勝FGを決めて勝利したオークランド・レイダース と再戦した。チャーリー・ガーナー の87ヤードTDランなどで24-37でチームは敗れた。このプレイでヴィクター・グリーン に対するホールディング があったのではとジェッツファンは思ったが反則はコールされなかった。この年のニューイングランド・ペイトリオッツ 戦でモー・ルイス のヒットを受けた相手QBドリュー・ブレッドソー が負傷退場した。その試合がトム・ブレイディ がエースQBとなるきっかけとなり、ジェッツは長年ペイトリオッツ相手に苦杯をなめることとなった[ 3] 。
2002年 はAFC東地区全4チームが12月になっても地区優勝を争う混戦になった。シーズン当初はテスタバーディが先発し1勝3敗になったところから、ペニントンが先発の座を奪い[ 23] 。22TD、6INTの成績をあげてチームは地区優勝を果たした。コルツとのプレーオフではペイトン・マニング をパス31回中14回成功。137ヤード、被インターセプト2と抑え、41-0で圧勝した[ 2] 。ディビジョナルプレーオフでレイダースに敗れた。
2003年 シーズン開幕前に多くの選手がフリーエージェント でチームを離れた。ワシントン・レッドスキンズ に移籍した選手が多く彼らは"jetskins"と呼ばれた。プレシーズンゲームでペニントンが手首を脱臼および骨折して[ 24] [ 25] シーズン半ばまで欠場、それまでテスタバーディが先発しチームは6勝10敗でシーズンを終えた。
2004年 には開幕から5連勝した後、続く3試合中2試合を落としたが10勝6敗でプレーオフに進出、プロボウル に選出されているドリュー・ブリーズ 、ラダニアン・トムリンソン 、アントニオ・ゲイツ らを擁するサンディエゴ・チャージャーズ と対戦した。17-10とリードした残り20秒、4ダウンでブリーズのパスは不成功に終わったがエリック・バートン がラフィング・ザ・パッサー の反則を取られて1ヤードからのチャージャーズの攻撃となり次のプレイでゲイツへのTDパスが決まり試合はオーバータイムに持ち込まれた。オーバータイムではチャージャーズの新人キッカーのネイト・ケディング の40ヤードのFGが失敗し、ジェッツはダグ・ブライエン が28ヤードのFGを成功し勝利した。続くディビジョナルプレーオフではシーズン15勝1敗のスティーラーズと対戦、サンタナ・モス のパンとリターンTD、レジー・トング のインターセプトTDなどで17-17と同点で迎えた第4Q、ブライエンが47ヤードのFGを狙ったがクロスバーに当たり失敗、デビッド・バレット がその後相手のパスをインターセプト、ブライエンが43ヤードのFGを狙ったがまたもや失敗に終わり、試合はオーバータイムにもつれ、スティーラーズのキッカージェフ・リード の33ヤードのFGが決まりジェッツは敗れた。このシーズン、ブライエンは40ヤードから49ヤードのFGを11回中10回成功していた。
2005年 にはワシントン・レッドスキンズ からラヴァーニアス・コールズ が復帰し、ペイトリオッツのタイ・ロー 、ドルフィンズの先発QBだったジェイ・フィールダー を控えQBとして獲得した。またドラフト1巡目指名権と引き換えにレイダースからダグ・ジョリー を獲得したがこのトレードは批判されヒース・ミラー を取るべきだったと言われた。この年のドラフト2巡目でオハイオ州立大学 のキッカー、マイク・ヌジェント をブライエンの後任として獲得した。この年もフリーエージェントでラモント・ジョーダン 、カリーム・マッケンジー など多くの選手がチームを離れた。
スーパーボウル出場が期待されて始まったシーズンの第3週、ジャクソンビル・ジャガーズ 戦でペニントンが負傷退場、6プレイ後にはジェイ・フィールダーも負傷したため、急遽第3のQBであるブルックス・ボリンジャー が出場し、翌週からは引退したテスタバーディと控えQBとして契約した。第5週のバッカニアーズ戦からテスタバーディが先発し勝利をあげたがその後7連敗した後、第14週のレイダース戦がシーズン最後の勝利となった。このシーズンはRBのデリック・ブレイロック 、コーナーバックのデビッド・バレット 、ウェイン・クレベット 、クリス・ベイカー 、ジェイソン・ファビーニ 、ケビン・マワイ など主力選手の多くを怪我で欠きその内の何人かはシーズン絶望の怪我を負った。クレベットは脳震盪のためこの年で引退することとなった[ 2] 。
シーズン終了後、ハーマン・エドワーズはイーグルスでアシスタントコーチをしていた時のヘッドコーチ、ディック・ヴァーミール の後任としてカンザスシティ・チーフス のヘッドコーチとなるため退団した。後任のヘッドコーチにはペイトリオッツのディフェンスコーディネーターだったエリック・マンジーニ が就任した。ケビン・マワイ 、タイ・ロー 、ジョン・エイブラハム が退団し再建期と見られていたチームは[ 26] 、2006年 シーズン、2つのドラフト1巡指名権でデブリッカショー・ファーガソン とニック・マンゴールド を獲得した[ 3] 。10勝6敗でプレーオフに第5シードで進出し周囲を驚かせた。またペニントンはカムバック賞 を獲得した。ペイトリオッツとのワイルドカードプレーオフはジェリコ・コッチェリー への77ヤードTDパスなどで一時10-7とリードしたが16-37で敗れた。
2007年 9月10日、ペイトリオッツのヘッドコーチ、ビル・ベリチックがジェッツのディフェンスシグナルを盗撮 していたことが明らかになりNFLより罰金が課せられた。この年ジェッツはシカゴ・ベアーズ のランニングバック、トーマス・ジョーンズ を獲得した。ペニントンの怪我もあり、2007年シーズン開幕から1勝7敗となったところで、2年目のQBケレン・クレメンス が先発するようになった。この年オフェンスラインが十分なパスプロテクションを行なえず、チームは4勝12敗でシーズンを終えた。この年ジェリコ・コチェリー がレシーブで1130ヤードを獲得した。1000ヤードレシーバーはその後2015年のブランドン・マーシャル まで現れなかった[ 3] 。
2008年 同年8月6日、グリーンベイ・パッカーズ で活躍したQBブレット・ファーヴ を獲得した[ 27] 。エースQBのペニントンは翌日解雇された後、ドルフィンズと契約した。ファーヴはアリゾナ・カージナルス 戦では6TDパスを投げて56-35と勝利し、開幕から11連勝していたテネシー・タイタンズ の連勝をストップするなど8勝3敗の好スタートを切ったが終盤5試合では2TDパスに対し9INTと不振を極め、チームは最後の5試合中4試合に敗れて9勝7敗でプレーオフ出場を逃した[ 2] [ 28] 。トーマス・ジョーンズは1312ヤードを走り、13タッチダウンをあげた。シーズン終了と共にマンジーニヘッドコーチは解任され[ 28] 後任にはボルチモア・レイブンズ のアシスタントヘッドコーチのレックス・ライアン が就任した[ 29] 。ファーヴは現役引退を発表、その後翌シーズン開幕前にミネソタ・バイキングス に加入することとなる[ 2] 。
2009年 のドラフト 1巡目全体5位で指名したQBマーク・サンチェス やCBダレル・リーヴィス の活躍でチームはワイルドカードでプレーオフに進出、シンシナティ・ベンガルズとサンディエゴ・チャージャーズをロードで破りAFCチャンピオンシップゲームに進出したがインディアナポリス・コルツに敗れスーパーボウル出場は逃した[ 2] 。チームの躍進のさなかジョンソンオーナーの娘のケイシー・ジョンソン は2010年1月4日急死した[ 30] 。
シーズンオフにはトーマス・ジョーンズなどを放出したもののラダニアン・トムリンソン 、サントニオ・ホームズ などを補強している[ 31] 。2010年 、開幕から11試合で9勝2敗、11勝5敗でプレーオフに進出した。ディビジョナルプレーオフでは12月6日に敵地ジレット・スタジアム で敗れたペイトリオッツを相手に28-21で敵地で勝利し、AFCチャンピオンシップゲームまで進出したが、ピッツバーグ・スティーラーズ に敗れ、スーパーボウル出場はならなかった[ 2] 。
2011年 、最後の3試合で連敗し、8勝8敗となりプレーオフ出場を逃した。シーズン終了後、ブライアン・ショッテンハイマーオフェンスコーディネーターが退団、ドルフィンズのヘッドコーチを務めていたトニー・スパラノ が後任となった[ 32] 。
2012年 、オフシーズンに前デンバー・ブロンコス のQBティム・ティーボウ を獲得した。ダレル・リーヴィスがシーズン開幕早々にシーズン絶望、さらにエースWRのサントニオ・ホームズも戦列を離れた。プレーオフ出場が絶望となった後、第16週では不調のマーク・サンチェスに代わって、グレッグ・マッケロイ が先発した。6勝10敗の地区3位でシーズンを終えた。シーズン終了後、マイク・タネンバウム GMが解任されたが、レックス・ライアンヘッドコーチは続投することが、ウッディ・ジョンソンオーナーより発表された[ 33] 。
2013年 、プレシーズンゲームでマーク・サンチェスが負傷してシーズン絶望となったため、新人QBジーノ・スミス が先発QBとなった。この年チームは8勝8敗でシーズンを終えた。
2014年 、オフシーズンにマーク・サンチェスを解雇し、マイケル・ヴィック を控えQB待遇で獲得した。この年チームは4勝12敗に終わり、シーズン終了後、ライアンヘッドコーチは解任された[ 34] 。
2015年 1月13日、トッド・ボウルズ がヘッドコーチに就任することが発表された[ 35] 。この年ドラフト5巡とのトレードでブランドン・マーシャル を獲得した[ 2] 。同年はプレーオフに進出した。
2016年 、2017年 、2018年 は、三年連続して地区最下位となった。2018年はドラフト1巡目指名のサム・ダーノルド を先発QBとして起用したが、オフにHCのボウルズは解雇されて、後任は同地区ライバルのマイアミ・ドルフィンズHCを辞任したばかりのアダム・ゲイズとなった。2018年に前ミネソタ・バイキングス のQBテディ・ブリッジウォーター と契約したが、シーズン開幕前にニューオーリンズ・セインツ とのトレードで放出した[ 36] 。
2019年5月にはGMのマイク・マッカグナンが更迭された。同年6月、ジョー・ダグラスがGMに就任した。2019年 もプレーオフを逃した。
2020年シーズン はコロナウイルス感染症流行のため、全ホーム試合を無観客とし、開幕から13連敗を喫して地区最下位となりプレーオフを逃した。シーズンはわずか2勝に終わり、ゲイズは解雇された。2021年 1月、サンフランシスコ・フォーティーナイナーズ のディフェンス・コーディネーターのロバート・サラーがHCに就任した。2021年4月、サム・ダーノルドを3つのドラフト権と交換にカロライナ・パンサーズ に放出した。この年のドラフト 全体2位でQBザック・ウィルソン を指名した。2021年シーズンも2年連続で地区最下位となりプレーオフを逃した。2022年シーズン は第17週までプレーオフの望みを維持するも、6連敗でシーズンを終えて、3年連続で地区最下位となりプレーオフを逃した。
2023年4月、大型トレードによりアーロン・ロジャース を獲得した[ 37] 。だがロジャースは開幕戦で負傷し、残りシーズンを欠場することになった[ 38] 。第15週にプレーオフ進出の道は断たれた。
2024年 も低迷しプレーオフを逃した。2勝3敗となったところでロバート・サラーは解雇され、ディフェンス・コーディネーターのジェフ・ウルブリッチが暫定HCとなった。3勝8敗となったところでGMのジョー・ダグラスも解雇された。
2024年シーズン
2024年シーズンのジェッツの対戦相手
AFC
NFC
前年
西地区
南地区
北地区
東地区
西地区
南地区
北地区
東地区
1位
チーフス
テキサンズ
レイブンズ
ビルズ
49ers
バッカニアーズ
ライオンズ
カウボーイズ
2位
レイダース
ジャガーズ
ブラウンズ
ドルフィンズ
ラムズ
セインツ
パッカーズ
イーグルス
3位
ブロンコス
コルツ
スティーラーズ
ジェッツ
シーホークス
ファルコンズ
バイキングス
ジャイアンツ
4位
チャージャーズ
タイタンズ
ベンガルズ
ペイトリオッツ
カージナルス
パンサーズ
ベアーズ
コマンダース
:1度対戦 :2度対戦
2024年シーズン及び過去20シーズンの成績
年
成績
AFC
地区
勝
敗
分
率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
SOS
SOV
2024
レギュラー敗退
11位
3位
5
12
0
.294
2-4
5-7
341
404
20.1
23.8
.495
.341
2023
レギュラー敗退
13位
3位
7
10
0
.412
2–4
4–8
268
355
15.8
20.9
.502
.454
2022
レギュラー敗退
10位
4位
7
10
0
.412
2-4
5-7
296
316
17.4
18.6
.538
.458
2021
レギュラー敗退
14位
4位
4
13
0
.235
0-6
4-8
310
504
18.2
29.6
.512
.426
2020
レギュラー敗退
15位
4位
2
14
0
.125
0-6
1-11
243
457
15.2
28.6
.594
.656
2019
レギュラー敗退
11位
3位
7
9
0
.438
2-4
4-8
276
359
17.3
22.4
.473
.402
2018
レギュラー敗退
15位
4位
4
12
0
.250
1–5
3–9
333
441
20.8
27.6
.506
.438
2017
レギュラー敗退
13位
4位
5
11
0
.313
2-4
5-7
298
382
18.6
23.9
.520
.438
2016
レギュラー敗退
13位
4位
5
11
0
.313
2-4
4-8
275
409
17.2
25.6
.518
.313
2015
レギュラー敗退
7位
2位
10
6
0
.625
3-3
7-5
387
314
24.2
19.6
.441
.388
2014
レギュラー敗退
13位
4位
4
12
0
.250
1-5
4-8
283
401
17.7
25.1
.543
.375
2013
レギュラー敗退
9位
2位
8
8
0
.500
3-3
5-7
290
387
18.1
24.2
.488
.414
2012
レギュラー敗退
11位
3位
6
10
0
.375
2-4
4-8
281
375
17.6
23.4
.512
.401
2011
レギュラー敗退
8位
2位
8
8
0
.500
3-3
6-6
377
363
23.6
22.7
.500
.395
2010
カンファレンス敗退
6位
2位
11
5
0
.688
9-3
9-3
367
304
22.9
19.0
.492
.409
2009
カンファレンス敗退
5位
2位
9
7
0
.563
2-4
7-5
348
236
21.8
14.8
.516
.507
2008
レギュラー敗退
8位
3位
9
7
0
.563
4-2
7-5
405
356
25.3
22.3
.471
.462
2007
レギュラー敗退
13位
3位
4
12
0
.250
3-5
4-8
268
355
16.8
22.2
2006
ワイルドカード敗退
5位
2位
10
6
0
.625
4-2
7-5
316
295
19.8
18.4
2005
レギュラー敗退
13位
4位
4
12
0
.250
2-4
3-9
240
355
15.0
22.2
2004
ディビジョナル敗退
5位
2位
10
6
0
.625
3-3
7-5
333
261
20.8
16.3
2024年シーズン成績
AFC東地区 2024
チーム
勝
敗
分
勝率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
SOS
SOV
(2) バッファロー・ビルズ
13
4
0
.765
5-1
9-3
525
371
30.9
21.8
.467
.448
マイアミ・ドルフィンズ
8
9
0
.471
3-3
6-6
345
364
20.3
21.4
.419
.294
ニューヨーク・ジェッツ
5
12
0
.294
2-4
5-7
341
404
20.1
23.8
.495
.341
ニューイングランド・ペイトリオッツ
4
13
0
.235
2-4
3-9
289
417
17.0
24.5
.471
.471
AFC 2024
順 位
チーム
地 区
勝
敗
分
勝率
DIV
CON
SOS
SOV
地区優勝
1
チーフス
西
15
2
0
.882
5-1
10-2
.488
.463
2
ビルズ
東
13
4
0
.765
5-1
9-3
.467
.448
3
レイブンズ
北
12
5
0
.706
4-2
8-4
.529
.525
4
テキサンズ
南
10
7
0
.588
5-1
8-4
.481
.376
ワイルドカード
5
チャージャーズ
西
11
6
0
.647
4-2
8-4
.467
.348
6[ a]
スティーラーズ
北
10
7
0
.588
3-3
7-5
.502
.453
7[ a]
ブロンコス
西
10
7
0
.588
3-3
6-6
.502
.394
8
ベンガルズ
北
9
8
0
.529
3–3
6-6
.478
.314
9[ b]
ドルフィンズ
東
8
9
0
.471
3-3
6-6
.419
.294
10[ b]
コルツ
南
8
9
0
.471
3-3
7-5
.457
.309
11
ジェッツ
東
5
12
0
.294
2-4
5-7
.495
.341
12[ c]
ジャガーズ
南
4
13
0
.235
3-3
4-8
.478
.265
13[ c] [ d]
ペイトリオッツ
東
4
13
0
.235
2-4
3-9
.471
.471
14[ c] [ d]
レイダース
西
4
13
0
.235
0-6
3-9
.540
.353
15[ e]
ブラウンズ
北
3
14
0
.176
2–4
3-9
.536
.510
16[ e]
タイタンズ
南
3
14
0
.176
1-5
3-9
.522
.431
タイブレーク
^ a b 直接対決でスティーラーズがブロンコスに勝利
^ a b 直接対決でコルツがドルフィンズに勝利
^ a b c ジャガーズが対AFC成績でペイトリオッツとレイダースを上回る
^ a b 勝利相手の勝率でペイトリオッツがレイダースを上回る
^ a b 勝利相手の勝率でブランズがタイタンズを上回る
成績
AFC東地区(4地区制)
年
地区優勝
2位
3位
4位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2024
BUF(2)
15
2
0
MIA
8
9
0
NYJ
5
12
0
NE
4
13
0
2023
BUF(2d)
11
6
0
MIA(6w)
11
6
0
NYJ
7
10
0
NE
4
13
0
2022
BUF(2d)
13
3
0
MIA(7w)
9
8
0
NE
8
9
0
NYJ
7
10
0
2021
BUF(3d)
11
6
0
NE (6w)
10
7
0
MIA
9
8
0
NYJ
4
13
0
2020
BUF(2c)
13
3
0
MIA
10
6
0
NE
7
9
0
NYJ
2
14
0
2019
NE (3w)
12
4
0
BUF(5w)
10
6
0
NYJ
7
9
0
MIA
5
11
0
2018
NE (2v)
11
5
0
MIA
7
9
0
BUF
6
10
0
NYJ
4
12
0
2017
NE (1s)
13
3
0
BUF(6w)
9
7
0
MIA
6
10
0
NYJ
5
11
0
2016
NE (1v)
14
2
0
MIA(6w)
10
6
0
BUF
7
9
0
NYJ
5
11
0
2015
NE (2c)
12
4
0
NYJ
10
6
0
BUF
8
8
0
MIA
5
11
0
2014
NE (1v)
12
4
0
BUF
9
7
0
MIA
8
8
0
NYJ
4
12
0
2013
NE (2c)
12
4
0
NYJ
8
8
0
MIA
8
8
0
BUF
6
10
0
2012
NE (2c)
12
4
0
MIA
7
9
0
NYJ
6
10
0
BUF
6
10
0
2011
NE (1s)
13
3
0
NYJ
8
8
0
MIA
6
10
0
BUF
6
10
0
2010
NE (1d)
14
2
0
NYJ(6c)
11
5
0
MIA
7
9
0
BUF
4
12
0
2009
NE (3w)
10
6
0
NYJ(5c)
9
7
0
MIA
7
9
0
BUF
6
10
0
2008
MIA(3w)
11
5
0
NE
11
5
0
NYJ
9
7
0
BUF
7
9
0
2007
NE (1s)
16
0
0
BUF
7
9
0
NYJ
4
12
0
MIA
1
15
0
2006
NE (4c)
12
4
0
NYJ(5w)
10
6
0
BUF
7
9
0
MIA
6
10
0
2005
NE (4d)
10
6
0
MIA
9
7
0
BUF
5
11
0
NYJ
4
12
0
2004
NE (2v)
14
2
0
NYJ(5d)
10
6
0
BUF
9
7
0
MIA
4
12
0
2003
NE (1v)
14
2
0
MIA
10
6
0
BUF
6
10
0
NYJ
6
10
0
2002
NYJ(4d)
9
7
0
NE
9
7
0
MIA
9
7
0
BUF
8
8
0
AFC東地区(3地区制)
年
地区優勝
2位
3位
4位
5位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2001
NE(2v)
11
5
0
MIA(4w)
11
5
0
NYJ(6w)
10
6
0
IND
6
10
0
BUF
3
13
0
2000
MIA(3d)
11
5
0
IND(6w)
10
6
0
NYJ
9
7
0
BUF
8
8
0
NE
5
11
0
1999
IND(2d)
13
3
0
BUF(5w)
11
5
0
MIA(6d)
9
7
0
NYJ
8
8
0
NE
8
8
0
1998
NYJ(2c)
12
4
0
MIA(4d)
10
6
0
BUF(5w)
10
6
0
NE(6w)
9
7
0
IND
3
13
0
1997
NE(3d)
10
6
0
MIA(6w)
9
7
0
NYJ
9
7
0
BUF
6
10
0
IND
3
13
0
1996
NE(2s)
11
5
0
BUF(4w)
10
6
0
IND(6w)
9
7
0
MIA
8
8
0
NYJ
1
15
0
1995
BUF(3d)
10
6
0
IND(5c)
9
7
0
MIA(6w)
9
7
0
NE
6
10
0
NYJ
3
13
0
1994
MIA(3d)
10
6
0
NE(5w)
10
6
0
IND
8
8
0
BUF
7
9
0
NYJ
6
10
0
1993
BUF(1s)
12
4
0
MIA
9
7
0
NYJ
8
8
0
NE
5
11
0
IND
4
12
0
1992
MIA(2c)
11
5
0
BUF(4s)
11
5
0
IND
9
7
0
NYJ
4
12
0
NE
2
14
0
1991
BUF(1s)
13
3
0
NYJ(6w)
8
8
0
MIA
8
8
0
NE
6
10
0
IND
1
15
0
1990
BUF(1s)
13
3
0
MIA(4d)
12
4
0
IND
7
9
0
NYJ
6
10
0
NE
1
15
0
1989
BUF(3d)
9
7
0
IND
8
8
0
MIA
8
8
0
NE
5
11
0
NYJ
4
12
0
1988
BUF(2c)
12
4
0
IND
9
7
0
NE
9
7
0
NYJ
8
7
1
MIA
6
10
0
1987
IND(3d)
9
6
0
NE
8
7
0
MIA
8
7
0
BUF
7
8
0
NYJ
6
9
0
1986
NE(3d)
11
5
0
NYJ(4d)
10
6
0
MIA
8
8
0
BUF
4
12
0
IND
3
13
0
1985
MIA(2c)
12
4
0
NYJ(4w)
11
5
0
NE(5s)
11
5
0
IND
5
11
0
BUF
2
14
0
1984
MIA(1s)
14
2
0
NE
9
7
0
NYJ
7
9
0
IND
4
12
0
BUF
2
14
0
1983
MIA(2d)
12
4
0
NE
8
8
0
BUF
8
8
0
BAL
7
9
0
NYJ
7
9
0
1982
MIA(2s)
7
2
0
NYJ(6c)
6
3
0
NE(7w)
5
4
0
BUF
4
5
0
BAL
0
8
1
1981
MIA(2d)
11
4
1
NYJ(4w)
10
5
1
BUF(5d)
10
6
0
BAL
2
14
0
NE
2
14
0
1980
BUF(3d)
11
5
0
NE
10
6
0
MIA
8
8
0
BAL
7
9
0
NYJ
4
12
0
1979
MIA(3d)
10
6
0
NE
9
7
0
NYJ
8
8
0
BUF
7
9
0
BAL
5
11
0
1978
NE(2d)
11
5
0
MIA(4w)
11
5
0
NYJ
8
8
0
BUF
5
11
0
BAL
5
11
0
1977
BAL(2d)
10
4
0
MIA
10
4
0
NE
9
5
0
BUF
3
11
0
NYJ
3
11
0
1976
BAL(2d)
11
3
0
NE(4d)
11
3
0
MIA
6
8
0
NYJ
3
11
0
BUF
2
12
0
1975
BAL(3d)
10
4
0
MIA
10
4
0
BUF
8
6
0
NYJ
3
11
0
NE
3
11
0
1974
MIA(d)
11
3
0
BUF(d)
9
5
0
NE
7
7
0
NYJ
7
7
0
BAL
2
12
0
1973
MIA(v)
12
2
0
BUF
9
5
0
NE
5
9
0
NYJ
4
10
0
BAL
4
10
0
1972
MIA(v)
14
0
0
NYJ
7
7
0
BAL
5
9
0
BUF
4
9
1
NE
3
11
0
1971
MIA(s)
10
3
1
BAL(c)
10
4
0
NE
6
8
0
NYJ
6
8
0
BUF
1
13
0
1970
BAL(v)
11
2
1
MIA(d)
10
4
0
NYJ
4
10
0
BUF
3
10
1
BOS
2
12
0
AFL東地区
年
地区優勝
2位
3位
4位
5位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1969
NY(d)
10
4
0
HOU(d)
6
6
2
BOS
4
10
0
BUF
4
10
0
MIA
3
10
1
1968
NY(V)
11
3
0
HOU
7
7
0
MIA
5
8
1
BOS
4
10
0
BUF
1
12
1
1967
HOU(a)
9
4
1
NY
8
5
1
BUF
4
10
0
MIA
4
10
0
BOS
3
10
1
1966
BUF(a)
9
4
1
BOS
8
4
2
NY
6
6
2
HOU
3
11
0
MIA
3
11
0
スーパーボウル開始
1965
BUF(a)
10
3
1
NY
5
8
1
BOS
4
8
2
HOU
4
10
0
1964
BUF(v)
12
2
0
BOS
10
3
1
NY
5
8
1
HOU
4
10
0
1963
BOS(a)
7
6
1
BUF(d)
7
6
1
HOU
6
8
0
NY
5
8
1
1962
HOU(a)
11
3
0
BOS
9
4
1
BUF
7
6
1
NY
5
9
0
1961
HOU(v)
10
3
1
BOS
9
4
1
NY
7
7
0
BUF
6
8
0
1960
HOU(v)
10
4
0
NY
7
7
0
BUF
5
8
1
BOS
5
9
0
スタジアム
1984年からナショナル・フットボール・カンファレンス のニューヨーク・ジャイアンツ が1976年の開場時から使用していたジャイアンツ・スタジアム をホームスタジアムとしている。「間借り」ではなく「共用」ではあるが同スタジアムはジャイアンツ色が強く、また2チームともニューヨーク市内から移転してしまった状態になっている。ニューヨーク市による2012年のオリンピック誘致 においてメインスタジアムとしてマンハッタン 地区に新スタジアム(en:West Side Stadium )を建設する計画が持ち上がり[ 39] 、実現したならばジェッツの新本拠地となる予定だったが結局開催地選定ではロンドン に敗れ、また市からもMLB のヤンキース 、メッツ もそれぞれ新球場 建設予定であることから予算が認められず、この計画は白紙に戻ってしまった。そのため現在はニュージャージー・メドウランズ に両チームの新本拠地(メドウランズ・スタジアム )が建設された。2010年シーズンから供用される同スタジアムでのシーズン開幕戦はコイントスでジャイアンツに譲ったもののマンデーナイトフットボール でジェッツも利用することが決まった[ 40] 。
主な選手
現役選手
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブライン
ディフェンシブライン
ラインバッカー
ディフェンスバック
スペシャルチーム
永久欠番
これ以外に80番はウェイン・クレベット (英語版 ) の2005年試合中の怪我による引退以降誰も着けていない。
プロフットボール殿堂
リング・オブ・オナー
オールタイム・フォー・ディケイド・チーム
ジョー・ネイマス(1965年)
歴代ヘッドコーチ
サミー・ボウ
ルー・ホルツ
ジョー・ウォルトン
ピート・キャロル
アル・グロー
ハーマン・エドワーズ
エリック・マンジーニ
レックス・ライアン
その他
脚注
注釈
^ 後にヘスはWerblinから経営権を買い取った。
出典
外部リンク
球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 リーグ優勝 (1回) 地区優勝 (4回) できごと 所属
1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
年代の分類は初先発のシーズンによる