前作リリース後にベース担当の角野秀行が交通事故を起こしたことから活動自粛となったため、残りのメンバー3人でレコーディングが進められた。本作のジャケットは4枚目のアルバム『BOYS ON THE BEACH』(1986年)以来でイラストレーターのわたせせいぞうが担当しており、メンバーが一人不在であることを暗示した内容になっている。また、前田や春畑の制作曲はそれまでのTUBEにはない世界観を盛り込んだ挑戦的なものとなっている。
同書では本作の中で最も注目すべき楽曲が「Don’t Think, It’s All Right」であると主張、前田による歌詞が恋とも友情とも異なる人間関係を描いており、それを「兄貴的包容力」と例えた上でそれまでのTUBEや前田の楽曲には存在しなかったキャラクターが表現されていることを指摘した上で、「それを見事に作品化している点に彼の底知れなさを感じずにいられない」と記している[17]。また、同書では前作においてTUBEの楽曲の世界観が少年から成人へと成長した結果による産物であると主張した上で、「TUBEという時間の流れの中では必然なのである」と記している[17]。その他に、春畑道哉の制作曲「I Think of You」も新たな世界観を開拓した楽曲であると主張、それまでにTUBEが確立してきた「ホット、さわやか、センチメンタル」という世界観の中に新たに「COOL」という価値観を与えようとした意欲作であると記している[17]。「Keeping The Face」について音楽ライターである藤井徹貫は、「I Think of You」および「Heart of Rock’n Roll」と共に亜蘭と織田による制作曲に引けを取らない楽曲をTUBEメンバーが制作出来ることを証明した楽曲であると主張し、「前田・春畑コンビのソングライティング力が飛躍するきっかけが本曲。また、後々TUBEの重要な支柱となるファイティングソングの起点にもなった」と述べている[18]。さらに本曲が14作目のアルバム『終わらない夏に』(1994年)収録曲である「傷だらけのHero」へと繋がるアスリートソングの原点となる楽曲であり、本曲によって開拓された数々の楽曲はファンからヒット曲と同様に愛されたと指摘、TUBEとファンとの関係をより強固なものにしたと藤井は主張した上で「その意味では、デビュー30周年を迎えることができた理由のひとつが本曲の存在だ」と2015年時点で述べている[18]。その他、藤井は3作目のシングル「シーズン・イン・ザ・サン」(1986年)によって夏の暑さを手に入れたTUBEが本曲によって「心の熱さとファンからの信頼の厚さも手に入れたのだった」と述べている[18]。
本作のジャケットは4枚目のアルバム『BOYS ON THE BEACH』(1986年)以来で、イラストレーターのわたせせいぞうがイラストを担当している[17]。表ジャケットは夕方の浜辺に4つのデッキチェアが並べられ、3人の影が映っているが一席分空いている構図となっており、裏ジャケットでは帰ってきた仲間を迎えるような構図となっている[17]。書籍『BLUE MEMORIES TUBE』では表ジャケットの4つ並んだサーフボードの一つの持ち主は角野であると主張し、またアルバムのクレジットに「Hideyuki Kakuno See You Next Summer!」という記述があることを指摘している[23]。
本作を受けたコンサートツアーは「TUBE LIVE AROUND KEEPING THE FACE」と題して、1989年1月10日の宇都宮市文化会館公演を皮切りに、同年5月2日の新潟県民会館公演まで43都市全51公演が行われた[10]。角野はすでに退院していたものの、誹謗中傷に苛まれておりリハビリテーションをすれば手が動くようになるにも拘わらず、活動再開する気がまったく起きない状態となっていた[23]。ある日角野の下を前田が訪れ近況を報告したものの、角野は沈黙しており心ここにあらずという状態であった[23]。その状態に耐え切れなくなった前田は角野に対し「一度、ライブ見に来いよ。オマエがやってきたこと、4人で作ったものとやってきたことがそこにあるんだから。何言ってもしようがないんだから見に来い。いや、見ろ!」と発言した[23]。前田の発言を受けて、角野は3月1日の静岡市民文化会館公演を観覧に訪れており、TUBEから脱退するつもりであった角野であったが、メンバーの演奏を聴いた角野は体の震えと涙を止めることが出来ず、「何ていいバンドなんだろう」という思いと同時に「コイツらの言うことだけは信用してやっていける」と確信し必ずTUBEに戻ると固く誓ったという[24]。ライブの数日後、松本の下に角野から「ベースを弾き始めようと思うんだ」と連絡があり、角野からの連絡を心待ちにしていた松本はともに練習することを快諾することになった[25]。