1949年の映画(1949ねんのえいが)では、1949年(昭和24年)の映画分野の動向についてまとめる。
1948年の映画 - 1949年の映画 - 1950年の映画
出来事
世界
日本
- 2月
- 2月1日 - 大映、日活ビルから東京京橋・自社ビルに本社移転完了。
- 2月7日 - 物価庁、短編との合計で上映時間2時間越えの場合、封切館の入場料金を45円までの値上げ許可。
- 2月21日 - 教育映画配給社創立[8]。
- 3月
- 4月
- 封切館の入場料金が50円(内税30円)になる。
- 地方の下番線で邦画の2本立興行が台頭。のちに2本立興行は邦画上映の主流となるが、製作費の負担が各社に重くのしかかる。
- 5月
- 6月
- 7月
- 8月
- 8月1日 - 入場料金統制撤廃。
- 8月12日 - 永田雅一大映社長初渡米。9月10日、1か月にわたるアメリカ映画界視察の旅から帰国。
- 9月
- GHQのシャウプ勧告によって、〔1950年3月1日から〕入場税が150パーセントから100パーセントに軽減されることになる。
- 日活、日本スポーツを買収。10月、東京芝公園・屋内競技場「東京スポーツセンター」を「日活スポーツセンター」と改称し、スケート場経営を開始。
- 9月26日 - 東宝、米本卯吉社長就任。
- 10月
- 東宝、映画製作再開。自主配給路線の新東宝と争い。
- 東急合資による東横映画と太泉スタヂオのための配給会社、東京映画配給(東映の前身)創立。
- 10月1日 - 国際俳優・早川雪洲、13年ぶりに帰国。
- 10月10日 - 剣劇映画の企画続出に対し、映画倫理規程管理委員会(旧映倫)、製作各社に警告を発する。 12日、日本映画連合会(映連)各社代表委員会、時代劇映画の自粛と映画倫理規程管理委員会(旧映倫)の強化を決議。
- 10月15日 - 芸術祭に映画部門初参加。
- 10月21日 - 女優・田中絹代、戦後初の芸能使節として渡米。
- 11月
- 朝日文化賞、科学映画の製作に対して日本映画社が受賞。
- 11月13日 - 新東宝、自主配給を決定。
- 11月20日 - 東京映画配給(東映の前身)第1作『獄門島』(主演:片岡千恵蔵)が公開され、大ヒット。
- 11月25日 - 東宝が新東宝の配給契約違反を理由に、新東宝の12月・1月封切の映画8作品(中川信夫監督『私刑 リンチ』など)を東京地裁に仮処分申請し、12月5日に受理される。
- 12月
- 東京映画配給(東映の前身)が日本映画連合会に入会[23]。
- 大阪・梅田映画劇場が梅田劇場に名称変更。
- 12月2日 - 新東宝製作の『野良犬』(黒澤明監督)が昭和24年度芸術祭文部大臣賞受賞[25]。
- 12月10日 - 新東宝、東宝に対し「仮処分申請を取り下げない限り新作映画のネガを渡さない」と通告。
日本の映画興行
日本公開作品
受賞
生誕
死去
脚注
注釈
- ^ 〔引用者註〕『年表・映画100年史』では、「2月、東宝自主製作を中止,製作を向こう1年間,新東宝に一任」となっているが、当事者の『東宝五十年史』の記述を採用した。
- ^ 『映画賞・映画祭日本・外国受賞作品大全集』では、「池部良と新人、杉葉子主演」となっている。
出典
参考文献
外部リンク
|
---|
1880年代 | |
---|
1890年代 | |
---|
1900年代 | |
---|
10年代 | |
---|
20年代 | |
---|
30年代 | |
---|
40年代 | |
---|
50年代 | |
---|
60年代 | |
---|
70年代 | |
---|
80年代 | |
---|
90年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
10年代 | |
---|
20年代 | |
---|
カテゴリ |