萩市(はぎし)は、中国地方西部、山口県の北部に位置する日本海に面した市。
概要
江戸時代に毛利氏が治める長州藩の本拠地となった城下町(萩城下町)として有名である。長州藩は薩摩藩(現在の鹿児島県)などとともに明治維新の中心的役割を果たした。そのため、吉田松陰や高杉晋作、木戸孝允、山縣有朋など幕末から戦前にかけて政財界に関係する人物を多く出している。
一方を日本海に面し、三方が山に囲まれており、道路・鉄道・港湾の整備も遅かったため、山陽側の市町村と比べると発展が弱かった(交通面では隣の長門市の方が発達している)。
現在の萩市は2005年(平成17年)3月6日に旧萩市と2町4村が合併して誕生し、面積は約698.79km2(県土の11.4%)、日常生活圏の数は10となった[1]。新制の萩市として発足後の2005年国勢調査においても、人口の減少が目立ち、特に合併前の旧町村での減少傾向が目立つ。
司馬遼太郎の幕末小説である『世に棲む日日』『花神』や、大河ドラマ『花燃ゆ』は萩市が舞台になっている。
萩市中心部は、日本有数の規模を誇るデルタ地帯に発展している。旧・川上村から流れる阿武川(あぶがわ)は川島地区で2つに分かれ、橋本川と松本川となって日本海に注ぐ。また、両河川からは新堀川、藍場川といった小河川が分岐し、市街を流れている。
地理
地勢
山口県北部の日本海に面し、東は島根県境から西は長門市まで、南は山口市、美祢市に接している。離島として見島(みしま)、大島(おおしま)、相島(あいしま)、櫃島(ひつしま)、羽島(はじま)、肥島(ひしま)、尾島(おしま)があり、そのうち見島、大島、相島、櫃島は有人島である。見島を除く6つの島を、市内では総称して「六島(ろくとう)」もしくは「萩・六島村(はぎろくとうそん)」とも呼ぶ[注釈 1] ことがある。
主な山岳としては標高532.8mの高山(こうやま)がある。
なお隣接する阿武町は、萩市に囲まれている。
気候
日本海側に位置しているが、大陸に非常に近いことや暖流である対馬海流の影響もあり、比較的温暖な気候である。また、冬季の日照時間が少ないが降水量も少なく、太平洋側気候九州型気候区といえる。
萩特別地域気象観測所(萩市大字土原字川島沖田、標高2m)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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19.2 (66.6)
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23.6 (74.5)
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25.9 (78.6)
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30.7 (87.3)
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32.1 (89.8)
|
34.6 (94.3)
|
36.6 (97.9)
|
38.3 (100.9)
|
37.4 (99.3)
|
32.2 (90)
|
27.3 (81.1)
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24.2 (75.6)
|
38.3 (100.9)
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平均最高気温 °C (°F)
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9.4 (48.9)
|
10.4 (50.7)
|
13.7 (56.7)
|
18.4 (65.1)
|
22.9 (73.2)
|
25.7 (78.3)
|
30.1 (86.2)
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31.1 (88)
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27.2 (81)
|
22.4 (72.3)
|
17.3 (63.1)
|
11.8 (53.2)
|
20.0 (68)
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日平均気温 °C (°F)
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5.7 (42.3)
|
6.4 (43.5)
|
9.1 (48.4)
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13.6 (56.5)
|
18.3 (64.9)
|
21.9 (71.4)
|
26.2 (79.2)
|
27.0 (80.6)
|
23.1 (73.6)
|
17.7 (63.9)
|
12.8 (55)
|
8.0 (46.4)
|
15.8 (60.4)
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平均最低気温 °C (°F)
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2.4 (36.3)
|
2.5 (36.5)
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4.6 (40.3)
|
8.8 (47.8)
|
13.9 (57)
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18.6 (65.5)
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23.0 (73.4)
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23.8 (74.8)
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19.8 (67.6)
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13.7 (56.7)
|
8.6 (47.5)
|
4.3 (39.7)
|
12.0 (53.6)
|
最低気温記録 °C (°F)
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−5.8 (21.6)
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−6.8 (19.8)
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−3.9 (25)
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−0.3 (31.5)
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3.0 (37.4)
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8.6 (47.5)
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12.2 (54)
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15.2 (59.4)
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8.1 (46.6)
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3.9 (39)
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0.6 (33.1)
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−3.8 (25.2)
|
−6.8 (19.8)
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降水量 mm (inch)
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94.5 (3.72)
|
76.3 (3.004)
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124.5 (4.902)
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120.4 (4.74)
|
134.7 (5.303)
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206.5 (8.13)
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273.5 (10.768)
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178.0 (7.008)
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201.4 (7.929)
|
107.5 (4.232)
|
88.8 (3.496)
|
86.9 (3.421)
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1,692.9 (66.65)
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平均降水日数 (≥0.5 mm)
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13.1
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11.6
|
12.8
|
11.0
|
9.7
|
12.8
|
12.0
|
10.2
|
11.3
|
9.3
|
10.3
|
12.6
|
136.9
|
% 湿度
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70
|
69
|
69
|
70
|
71
|
80
|
78
|
78
|
79
|
76
|
73
|
71
|
74
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平均月間日照時間
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76.6
|
94.4
|
147.3
|
177.4
|
204.6
|
139.1
|
171.8
|
206.3
|
152.4
|
160.8
|
119.2
|
83.3
|
1,733.2
|
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1948年-現在)[2][3]
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須佐(1991年 - 2020年)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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19.5 (67.1)
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22.9 (73.2)
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25.0 (77)
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30.0 (86)
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30.9 (87.6)
|
34.0 (93.2)
|
36.2 (97.2)
|
37.3 (99.1)
|
35.5 (95.9)
|
32.0 (89.6)
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26.7 (80.1)
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24.4 (75.9)
|
37.3 (99.1)
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平均最高気温 °C (°F)
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8.9 (48)
|
9.8 (49.6)
|
12.9 (55.2)
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17.8 (64)
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22.4 (72.3)
|
25.3 (77.5)
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29.2 (84.6)
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30.6 (87.1)
|
26.5 (79.7)
|
21.7 (71.1)
|
16.7 (62.1)
|
11.4 (52.5)
|
19.4 (66.9)
|
日平均気温 °C (°F)
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5.1 (41.2)
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5.4 (41.7)
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8.0 (46.4)
|
12.6 (54.7)
|
17.2 (63)
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21.0 (69.8)
|
25.2 (77.4)
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26.0 (78.8)
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21.9 (71.4)
|
16.4 (61.5)
|
11.6 (52.9)
|
7.1 (44.8)
|
14.8 (58.6)
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平均最低気温 °C (°F)
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0.9 (33.6)
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0.6 (33.1)
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2.4 (36.3)
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6.6 (43.9)
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11.6 (52.9)
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16.9 (62.4)
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21.6 (70.9)
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22.1 (71.8)
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17.7 (63.9)
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11.3 (52.3)
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6.4 (43.5)
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2.6 (36.7)
|
10.1 (50.2)
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最低気温記録 °C (°F)
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−6.2 (20.8)
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−7.1 (19.2)
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−4.8 (23.4)
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−2.9 (26.8)
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1.1 (34)
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6.5 (43.7)
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12.6 (54.7)
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14.9 (58.8)
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7.1 (44.8)
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2.2 (36)
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−2.3 (27.9)
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−3.7 (25.3)
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−7.1 (19.2)
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降水量 mm (inch)
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102.8 (4.047)
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85.8 (3.378)
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137.1 (5.398)
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124.7 (4.909)
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142.2 (5.598)
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209.1 (8.232)
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274.2 (10.795)
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164.8 (6.488)
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208.0 (8.189)
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117.3 (4.618)
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102.7 (4.043)
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107.9 (4.248)
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1,776.6 (69.945)
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平均降水日数 (≥1.0 mm)
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12.8
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11.5
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12.5
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10.7
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9.7
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11.7
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11.3
|
9.0
|
10.7
|
9.4
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10.9
|
12.7
|
133.1
|
平均月間日照時間
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66.8
|
88.5
|
146.7
|
183.6
|
206.9
|
144.7
|
173.7
|
203.8
|
148.9
|
157.4
|
111.3
|
72.2
|
1,704.6
|
出典1:Japan Meteorological Agency
|
出典2:気象庁[4]
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地名の由来
市花であるツバキの「ツ」の字が省かれて、ハギになったなどの説がある。
人口
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萩市と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
萩市の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 萩市 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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萩市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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77,962人
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1975年(昭和50年)
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75,302人
|
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1980年(昭和55年)
|
74,846人
|
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1985年(昭和60年)
|
72,748人
|
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1990年(平成2年)
|
68,999人
|
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1995年(平成7年)
|
65,293人
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2000年(平成12年)
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61,745人
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2005年(平成17年)
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57,990人
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2010年(平成22年)
|
53,747人
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2015年(平成27年)
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49,560人
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2020年(令和2年)
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44,626人
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総務省統計局 国勢調査より
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地区
合併前の市町村は、旧萩広域市町村圏組合を構成し、消防、清掃などを広域で行っていた。
旧萩市中心部は平坦な地形が多いが、三見地区や旧町村部などは主に山間地にあり、特に旧旭村の佐々並地区、旧むつみ村、旧福栄村などは、標高100 - 400mの山に囲まれている。
- 旧市内(阿武川河口部周辺、離島)
- 阿武川の三角州に建設された城下町から発展した。山陰本線は三角州の外側を迂回するように走るが、幹線道路である国道191号は三角州中心部を経由し、下関方面へ向かっている。市内は旧城下町特有である碁盤目状の道路が多い。
- 三方を山、一方を海に囲まれており、中心市街地から周辺の市域・市町へ向かう際は必ず峠を越える必要がある。そのため、雨量が多い場合や積雪などで交通が遮断される場合が多々ある。萩城が建設された由来も、交通に不向きな地形を徳川幕府が気に入ったためといわれている。
- 大雪の時に国道191号線は鎖峠(くさりとうげ)を中心に、隣接する長門市三隅上の宗頭(むねとう)地区 - 山田地区までが遮断される(大雨の際は崩落の危険があるため通行止め)。飯井(いい) - 玉江(たまえ)へ抜ける道は道幅は狭いものの雪が少ないことが多いが、凍結している可能性があるため要注意である。そのため、バイパスとして長門市三隅と椿の間を結ぶ萩・三隅道路が整備された。
- 旧萩市は三角州を含んで西から、「三見」(さんみ)→「山田」(やまだ)→「堀内」(ほりうち)→「江向」(えむかい)→「土原」(ひじわら)→「椿東」(ちんとう)→「大井」(おおい)の各地域に分けられ、南側は「椿」(つばき)、北は六島村となって幅が広い。その中で、太字の地域は三角州内にあるが三角州内はもっと細かく分かれることとなる。
- 見島や「萩六島村」の大島、櫃島などの日本海に浮かぶ離島群は萩港と定期航路で結ばれ、旧萩市の一部を構成していた。
- 川上地区(旧川上村)
- 萩市中心部に隣接する山間部。中心部を阿武川が流れ、上流には阿武川ダムがある。
- 国道262号が地域の端を通り、中心部は県道萩川上線が通っている。山地と阿武川ダムの流域面積が多いために可住面積が少なく、集落は山地を縫うように点在している。
- 山間部のため冬季は積雪があり、集落間の移動が困難になる。
- 江崎地区・小川地区(旧田万川町)
- 国道191号沿いの地域。山口県の最北端に位置する。
- 島根県益田市に接し、経済圏・生活圏としては萩市中心部よりも近接する益田市との結びつきが強い。日本海に面しており、気候は比較的温暖だが、益田市との県境は冬季積雪がある。産業は主に漁業と農業であり、東部の小川地区では梨や桃等、果樹の生産が盛んである。
- 吉部地区・高俣地区(旧むつみ村)
- 萩市中心部と島根県津和野町のほぼ中間の山間部に位置する。気候は内陸部特有の気候であり、冬季は積雪、凍結などが多い。中心部からそれたところに国道315号と県道萩篠生線が走っているが、県道萩津和野線で連絡している。主な産業は農業で、大根の生産では当地区の一角にある千石台地区が2013年(平成25年)度は出荷量は約3,200tで山口県内の出荷量約3,370tのうち約95%を生産している[5]。萩と津和野を結ぶ観光ルートであり、近年は道の駅(うり坊の郷 katamata)やむつみ昆虫王国の建設、観光牧場(秋川牧園)の開設など、観光にも力を入れている。
- 須佐地区・弥富地区(旧須佐町)
- 隣接する田万川地域同様、益田市との結びつきが強く、生活圏は益田市に多くが依存している。
- 地域は日本海から東側に長く、海に面した須佐地区、山間部の弥富地区と鈴野川地区からなる。須佐地区は比較的温暖だが、山間地区は冬季に積雪もある。須佐地区に国道191号が、山間地区は国道315号が通り、交通状況は良い。
- 第一次産業が多く、観光地数が他の地域より比較的多い。
- 剣先イカの活イカ漁港として有名。近年ローカルブランドとして商標を取得し、「須佐男命いか」として県内外に知られている。
- 明木地区・佐々並地区(旧旭村)
- 国道262号沿い、萩市中心部と山口市のほぼ中間の山間部にあたる。明木地区と佐々並地区の間に山地があり、明木地区は萩市中心部の、佐々並地区は山口市の経済圏になっている。
- 両地区ともそれぞれの300 - 400m級の山に囲まれているが、冬季は明木地区より佐々並地区の方が寒冷であり、積雪が多い。
- 明木地区で県道萩秋芳線が分岐しており、萩市中心部から山口市方面、小郡・美祢方面へ向かう交通の要所である。
- 福井地区・紫福地区(旧福栄村)
- 中心となる福井地区には県道山口福栄須佐線と県道萩篠生線が、紫福(しぶき)地区には県道山口福栄須佐線が通っている。
- 山間の盆地に開けた土地であり、夏季は比較的暑く、冬季は寒冷である。
- 萩市でも屈指の米の生産地である。また、フライドチキン型のチーズケーキも地区内にある道の駅ハピネスふくえで売っている。
地名
- 旧萩市
旧市域。市制時の市域は町村制以前からの萩町と、1923年に周囲と合併して萩町になった地区からなる。萩町は32町5村がそれぞれ大字として扱われ、末尾が「町」(「丁目」)の地区においでも現在まで「大字」を表記する。
- 今古萩町(いまふるはぎちょう)
- 浜崎町(はまさきちょう)
- 浜崎新町(はまさきしんまち)
- 東浜崎町(ひがしはまさきちょう)
- 古萩町(ふるはぎちょう)
- 吉田町(よしだまち)
- 北古萩町(きたふるはぎちょう)
- 恵美須町(えびすちょう)
- 熊谷町(くまがいちょう)
- 細工町(さいくちょう)
- 塩屋町(しおやまち)
- 津守町(つもりまち)
- 御許町(おもとまち)
- 上五間町(かみごけんまち)
- 下五間町(しもごけんまち)
- 唐樋町(からひちょう)
- 米屋町(こめやまち)
- 西田町(にしたまち)
- 東田町(ひがしたまち)
- 油屋町(あぶらやまち)
- 今魚店町(いまうおのたなまち)
- 北片河町(きたかたがわまち)
- 樽屋町(たるやちょう)
- 春若町(はるわかまち)
- 古魚店町(ふるうおのたなまち)
- 橋本町(はしもとちょう)
- 瓦町(かわらまち)
- 呉服町1丁目・2丁目(ごふくちょう)
- 平安古町(ひやこまち)
- 南片河町(みなみかたがわまち)
- 南古萩町(みなみふるはぎまち)
- 土原(ひじわら)
- 川島(かわしま)
- 江向(えむかい)
- 堀内(ほりうち)
- 河添(こうぞえ)
1923年に合併した3村は各々大字を設置していなかったため、合併をもって各々が大字となった。
- 椿東(ちんとう)
- 上野(うえの)
- 中ノ倉(なかのくら)
- 無田ヶ原(むたがはら)
- 無田ヶ原口(むたがはらぐち)
- 中津江(なかつえ)
- 新川(しんかわ)
- 鶴江(つるえ)
- 前小畑(まえおばた)
- 中小畑(なかおばた)
- 後小畑(うしろおばた)
- 越ヶ浜(こしがはま)
- 椿(つばき)
- 山田(やまだ)
昭和の大合併で合併した4村のうち、六島村は各々の島名を住所に表記しており、萩市においてもそれらを継承した。ほか3村は大字未設置であったが、合併後は旧村名を住所に表記している。これらには「大字」を表記しない[注釈 2]。
- 尾島
- 羽島
- 相島
- 櫃島
- 大島
- 肥島(※以上が六島村)
- 見島
- 大井(おおい)
- 三見(さんみ)
平成の大合併で合併した地域はいずれの地区も旧自治体名を表記しない(川上村を除く)
- 旧川上村
合併前は大字を設置していなかったため、合併後は全域が「川上」となった。大字は表記しない。
- 旧田万川町
- 上田万(旧江崎町)
- 下田万(旧江崎町)
- 江崎(旧江崎町)
- 上小川西分(旧小川村)
- 上小川東分(旧小川村)
- 中小川(旧小川村)
- 下小川(旧小川村)
- 旧むつみ村
- 片俣(旧高俣村)
- 高佐上(旧高俣村)
- 高佐下(旧高俣村)
- 吉部上(旧吉部村)
- 吉部下(旧吉部村)
- 旧須佐町
元は単独村制で発足した須佐村。当時は大字を設置していなかったが、弥富村と合併した際に旧町域を大字須佐とした。
- 須佐
- 弥富上(旧弥富村)
- 弥富下(旧弥富村)
- 鈴野川(旧弥富村)
- 旧旭村
旭村として合併する以前はいずれも大字を設置していなかったため、合併前の各村域をもって新たに大字となった。
- 旧福栄村
- 福井上(旧福井村)
- 福井下(旧福井村)
- 黒川(旧福井村)
- 紫福(旧紫福村。同村時代は大字未設置)
隣接する自治体
姉妹都市・友好都市ほか
萩市の姉妹都市は6都市(国内3都市・国外3都市)[6]。このほか、友好都市協定を結んだ都市がある。
姉妹都市
国内
- 日本の「開国の地」(開港地)である下田と、明治維新胎動の地という縁[6][7]。1854年、吉田松陰は下田に入港中の米艦隊に米国への密航を懇請したが拒絶された。その後、自首した松陰がつながれた獄が下田にある。
- ともに日本史で重要な役割を果たした歴史のまちとして[7]。鎌倉市制40周年行事の一環として萩市が姉妹都市にふさわしいと選定される[7]。
- 伝統工芸品「萩焼」と「輪島塗」を受け継ぐ点、日本海側にあって漁業や観光が主要産業という共通性から[7]。2012年には災害時相互応援協定を締結[8]。
国外
- 日韓で最も近い距離の都市[10]。1962年に萩市長が視察に訪れて以後提携の打診が行われた[10]。なお、日本の都市と韓国の都市の提携として最初のものである[9]。
- 1991年、福栄村に在住していた徳津面出身者の縁で、徳津面農協長が福栄村を訪問、以後交流が進展[10]。農業を中心とした産業構造が共通[9]。
- ユーリンゲン・ビルゲンドルフはスイスとの国境に近い保養地として著名な村[6][9]。1989年に日独親善交換農村振興対策事情調査団員として訪独し同村に民泊した旭村村長が感銘を受けて交流開始[10]。「農村自然景観と歴史的な遺産の保全」を基調とした町づくりが共通するとして姉妹都市提携[6][9]。
友好関係の都市
- 世田谷区は萩藩とも縁があり、ともに吉田松陰を祀る松陰神社がある縁[11]。1992年から商店街などの民間交流がはじまる[11]。松陰神社のある世田谷区若林では「萩・世田谷幕末維新祭り」が開催される[11]。
- 萩市出身の楫取素彦が群馬県の初代県令となり、前橋への県庁誘致および同市の経済・教育振興などに貢献した縁による[11]。
- 周南市(山口県)
- 2003年10月22日 - 旧須佐町と友好都市提携[11]
- 国道315号線の起点・終点である縁[11]。禁門の変の責を負った須佐領主益田親施が周南市徳山で自決した縁もある[11]。
- 2015年に「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に認定されたこと[13]、2016年に薩長同盟締結150周年を迎えたのを記念して、友好交流に関する盟約を締結[13][14]。
- 仙台藩主の伊達政宗から命を受けた萩市出身の川村孫兵衛(重吉)が主に手掛けた北上川の改修作業から400年の節目に当たるのをきっかけに両方の市が産業、歴史、教育、文化を皮切りに友好を深め、大規模災害の時には互いに支援し合う仲となった。
友好都市提携を拒否された都市
災害時応援協定
国内の姉妹都市3市[8] および交流のある30市町村(山口県内全市町村を含む)と災害応援協定を締結(2012年現在)[8]。姉妹都市以外の遠隔(県外)自治体との協定としては以下がある。
- 山口県旭村(現・萩市)、茨城県旭村(現・鉾田市)、島根県旭村(現・浜田市)など「あさひ」の名を持つ7町村が結んだ「あさひ連邦相互協力協定」(1999年 - 2004年)の枠組みを引き継ぐもの[18]。2011年3月の東日本大震災で被災した鉾田市に、萩市と浜田市が連携して支援物資を送った[18]。
- 2008年度にともに「文化芸術創造都市部門」文化庁長官表彰を受けた縁[19]。
歴史
古代
7世紀には宇佐神宮の勧請により松崎八幡宮(650年、大化6年、須佐)が建立された。古代神社があることからすればその一帯には鉱山があり、古くから鉱業によって栄えたと見られる。
中世から第二次大戦まで
戦後
行政区域の変遷
行政
市政運営
広大な市域のため、旧町村部にはそれぞれ総合事務所を置き、それぞれに地域振興部門、市民窓口部門、産業振興部門の3部門を配し、行政サービスを低下させることなく従来の業務ができるようになっている。
また、離島の見島と大島にそれぞれ支所と出張所が設置されている。
- 市長:田中文夫(萩市長、元山口県議会議員)
- 任期:2021年3月27日 - 2025年3月26日
歴代市長[26]
代 |
氏名 |
就任日 |
退任日 |
備考
|
官選旧萩市長
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1 |
豊田勝蔵 |
1932年(昭和7年)8月8日 |
1936年(昭和11年)2月11日 |
|
2 |
市川一郎 |
1936年(昭和11年)3月10日 |
1937年(昭和12年)6月7日 |
|
3 - 4 |
古屋武助 |
1937年(昭和12年)7月24日 |
1942年(昭和17年)12月29日 |
死去
|
5 |
藤田包助 |
1943年(昭和18年)3月19日 |
1945年(昭和20年)1月22日 |
死去
|
6 |
光尾芳人 |
1945年(昭和20年)3月7日 |
1946年(昭和21年)11月5日 |
|
公選旧萩市長
|
7 - 8 |
安村正人 |
1947年(昭和22年)4月5日 |
1955年(昭和30年)4月29日 |
|
9 |
山下誠一 |
1955年(昭和30年)4月30日 |
1959年(昭和34年)4月30日 |
|
10 - 15 |
菊屋嘉十郎 |
1959年(昭和34年)5月1日 |
1983年(昭和58年)2月10日 |
死去
|
16 |
林秀宣 |
1983年(昭和58年)4月25日 |
1987年(昭和62年)4月25日 |
|
17 - 18 |
小池春光 |
1987年(昭和62年)4月26日 |
1993年(平成5年)8月24日 |
死去
|
19 - 21 |
野村興児 |
1993年(平成5年)10月17日 |
2005年(平成17年)3月5日 |
|
萩市長
|
1 - 3 |
野村興児 |
2005年(平成17年)3月27日 |
2017年(平成29年)3月26日 |
|
4 |
藤道健二 |
2017年(平成29年)3月27日 |
2021年(令和3年)3月26日 |
|
5 |
田中文夫 |
2021年(令和3年)3月27日 |
現職 |
|
- 総合事務所
- 支所
- 見島支所、小川支所、高俣支所、弥富支所、佐々並支所、紫福支所
- 出張所
医療行政
椿地区に医療機関と老人保健施設が併設した萩・健康維新の里(萩市民病院と福祉・複合施設かがやき)を、2000年4月に開設した。
また一時、萩医療圏から入院施設のある小児科がなくなるという事態があったが、住民の要望で市民病院に小児科を設置し、圏域で唯一の小児科病院となっている。また、離島や中心部から離れた旧町村部にはそれぞれ公立の診療所が設置されている。
なお萩市民病院は、山口県北部で唯一の結核医療機関である。
公立病院
公立診療所
- 旧萩市
-
- 萩市見島診療所
- 萩市見島診療所宇津分室
- 萩市大島診療所
- 萩市見島歯科診療所
- 旧川上村
-
- 旧田万川町
-
- 旧むつみ村
-
- 旧須佐町
-
- 旧旭村
-
- 旧福栄村
-
警察署
- 萩警察署
- かつては江崎地区に江崎警察署があったが、現在は萩警察署に統合され、江崎幹部交番に格下げとなっている。
議会
市議会
- 定数:20人
- 任期:2022年5月1日 - 2026年4月30日
- 議長:長岡肇太郎
- 副議長:石飛孝道
衆議院
当落 |
候補者名 |
年齢 |
所属党派 |
新旧別 |
得票数 |
重複
|
当 |
林芳正 |
60 |
自由民主党 |
新 |
96,983票 |
○
|
|
坂本史子 |
66 |
立憲民主党 |
新 |
29,073票 |
○
|
経済
産業
観光業と農業、漁業が多い。工業はほとんど発展していないが、山間のむつみ地区、旭地区、福栄地区では工業団地を造り誘致を行っている。しかし交通の利便性などの地理的条件から進出する企業は少ない。
観光業においては、東萩駅前にあった観光ホテルの廃業(現在は民事再生法の手続きにより、以前からあった土産物屋に加え、貸自転車屋・和食処・居酒屋・喫茶店・カラオケボックス・ゲームセンター・フィットネススタジオ・エステサロンのテナントが入った新たな観光ホテルとして、経営を再開している)や中心商店街などの衰退・全盛期に比べ観光客減少の不況感が漂っており、それらは萩市の大きな課題となっている。
漁業
主な企業
学校
大学
- 私立
-
高等学校
萩市内には3校あり、いずれも中心部に設置している。
- 公立
-
- 私立
-
中学校
- 私立
-
小学校
- 私立
小中一貫校
閉校した学校
小学校
- 木間小学校 - 2018年3月閉校、白水小学校に編入
中学校
大学
特別支援学校
専修学校
交通
交通網の整備は、山口県内では最も遅い地域であり、特に新幹線、高速道路網、空港へのアクセスが著しく不便である。
新幹線は山陽新幹線新山口駅を利用する人が最も多いが、萩市街 - 新山口駅間を所要時間1時間程度で結ぶ路線バスしかない。ただ、新山口駅から市街地の萩バスセンターに乗換なしで直結する長所もある。
戦前には萩と岩国を結ぶ鉄道計画があり、当時の首相であった田中義一は萩出身ということで計画も前向きだったが、田中義一内閣の総辞職とともに頓挫し、戦後、益田・日原経由での岩国連絡で工事が進捗していた岩日北線も1980年代の日本鉄道建設公団の工事が凍結された。
一方、昭和40年代には鉄道で小郡(現在の山口市小郡)と萩を結ぶ「小萩線」の建設構想があったが、沿線町村の住民による反対や当時の国鉄の赤字路線整理の中で頓挫してしまった。
高速道路は、現在小倉方面へは中国自動車道美祢IC、広島方面へは山陽自動車道防府東ICを利用する場合が多い。ただし、どの最寄インターも車で最短約40分以上かかる。しかし、2011年(平成23年)5月28日に美祢市にある小郡萩道路絵堂ICから同じく美祢市の中国自動車道と小郡萩道路上にある美祢東JCTまでが全線開通した為(調査区間は除く)絵堂ICから乗れば、美祢ICまで30分台で行けるようになった。
空路は山口宇部空港または石見空港を利用する。なお石見空港は愛称が「萩・石見空港」となっているが、利用者はあまり多くない。車で市街から山口宇部空港まで2時間、石見空港まで1時間程度かかる。
鉄道
山陰本線が海岸沿いを東西に通るが、市街地の中心である三角州に乗り入れることなく、その南を迂回している[注釈 3]。本数は2 - 3時間に1本程度と少なく特に益田方面へは日中5時間程度運行がない時間があるほか、最終列車も20時台と早い。特急列車は2005年に『いそかぜ』が廃止されて以降定期運行がない(特急は東萩駅に停車していた)。2022年現在は観光列車『○○のはなし』が新下関駅と東萩駅の間を結んでいる。クルーズトレイン『TWILIGHT EXPRESS 瑞風』はコースにより東萩駅・萩駅が停車駅となる。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
バス
東萩駅前と市中心部にある萩バスセンターを中心に、近距離、遠距離のバスが出ている。一般路線バスは市内全域を防長交通が、市中心部 - 旧旭村( - 山口駅)方面をJRバス中国が、旧須佐町・旧田万川町( - 益田駅)方面を石見交通が担当している。
- 長距離バス
-
- 主な一般路線特急バス
-
- 新山口駅行き「はぎ号」(中国ジェイアールバス・防長交通)
- 萩・石見空港連絡バス(防長交通・石見交通)
- コミュニティーバス
-
道路
益田市より国道191号が海岸線に沿って南下して市内中心部を横断する。須佐で国道315号が、市中心部の土原で国道262号が、郊外の山田で国道490号がそれぞれ分岐する。国道191号は市内中心部では片側2車線の4車線になり、国道262号も現在改良工事が行われている。
高速道路については、全国的な高速道路網につながる路線はないが、国道191号のバイパス道路および、2011年(平成23年)9月23日に全線開通した萩・三隅道路(山陰自動車道)がある。国道490号のバイパス道路として、まだ調査区間段階だが小郡萩道路の未開通部分である、絵堂IC - 萩IC付近までの事業着手が2014年度に決定した。現在、絵堂IC - 萩IC付近の間が着工中である。
高速道路
- 高規格幹線道路(高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路)
国道
主要地方道
一般県道
市道渡船
離島航路
離島航路は萩市が主に出資している萩海運が運営しており、離島の見島、大島、相島の三島と市内浜崎にある萩商港を結んでいる。
- 萩港 - 見島航路(「ゆりや」)
- 萩港 - 大島航路(「はぎおおしま」)
- 萩港 - 相島航路(「つばき2」)
なお、櫃島には航路がなく、島と本土の間の移動には住民所有の船舶を主に使用している。
観光
名所旧跡・観光地
観光地としては、松陰神社・松下村塾など幕末から明治維新にかけて活躍した長州藩の志士たちの史跡、萩焼窯元など伝統工芸に関する施設などが主である。多くが江戸時代から幕末にかけてのものであるが、旧郡部は自然を生かした観光地が多い。また古い町並みの保存・活用が盛んで、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定された地区が市内に4箇所あり、これは京都市・金沢市とともに全国最多である。
- 旧市内(阿武川河口部周辺)、離島部
-
- 川上地区(旧・川上村)
-
- 江崎地区・小川地区(旧・田万川町)
-
- 吉部地区・高俣地区(旧・むつみ村)
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- ひまわりロード
- 昆虫王国
- 秋川牧園(俗名・むつみ牧場)
- 道の駅うり坊の郷 katamata
- 須佐地区(旧・須佐町)
-
- 明木地区・佐々並地区(旧・旭村)
-
- 福川地区・紫福地区(旧・福栄村)
-
- 森田家住宅
- 大板山たたら製鉄遺跡 - 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産
- 道の駅ハピネスふくえ
- 三見地区(旧・三見村)
主な祭り・イベント
萩市は四季を通じて常にイベントを行っているが、伝統的な祭事はそれらのイベントの一部に組み込まれていることが多い。
例えば、山口県無形民俗文化財に指定されている「お船謡(おふなうた)」は夏祭りでのイベントの一つとして行われている。
特産品
受賞歴など
- かおり風景100選:萩城下町夏みかんの花
- 水の郷百選:守ろう 育てよう ふるさとの川
- 日本経済新聞社何でもランキング:散策したい歴史ある町並み 第1位
- 第六回ロケーションジャパン大賞ドラマ部門・特別賞〈地域の変化部門〉(NHK大河ドラマ 花燃ゆで)
萩市を舞台とした作品
メディア
著名な出身者
第二次大戦まで
戦後
出来事
萩市出身の幕末の3志士(吉田松陰・木戸孝允(桂小五郎)・高杉晋作)について、東京の企業が、食品などさまざまな商品で商標登録を行っていたことが発覚、同市は特許庁に異議申し立てを行った。同市は、3人の名声に便乗した、商標権による利益取得が目的と主張している。
脚注
注釈
- ^ 見島は単独で見島村を構成していたため。1955年に見島村・六島村ともども萩市に編入合併している
- ^ 角川日本地名大辞典においては「大字」ではなく「地区名」として扱われている
- ^ これをいわゆる鉄道忌避伝説に結びつける向きがあるが[28]、鉄道史研究家の青木栄一によると、萩市における山陰本線の開通年度が1925年と、鉄道の利便性が社会に十分認知されて久しい時期であることから鉄道忌避が起きる可能性はまずなく、土地取得が困難な市街地を避けて南側の水田地帯に線路を敷設したためである[29]。
出典
関連項目
外部リンク
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