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この項目では、渡島国の郡について説明しています。出羽国にあった郡については「山本郡」をご覧ください。 |
檜山郡(ひやまぐん)は、北海道(渡島国)檜山振興局の郡。
人口14,047人、面積1,117.78km²、人口密度12.6人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口)
以下の3町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記3町のまま変更されていない。
歴史
郡発足までの沿革
平安時代末期、源平合戦のころには檜山郡に和人が定着しており、江差にある北海道最古の神社・姥神大神宮は鎌倉時代以前の創建と伝わる。
檜山郡域では室町時代までに道南十二館のうち花沢館・と比石館が築かれていた。花沢館はコシャマインの戦いの際も落城しなかった館のひとつで、松前藩祖・武田信広公はここの客将であった。また、嘉吉3年に開山された上国寺の本堂は、現存する中で北海道最古の建築物である。
江戸時代の檜山郡域は和人地となっており、北前船も江差に寄航していた。陸上交通は、上ノ国から津軽郡方面へは小砂子(ちいさご)山道が、上ノ国から上磯郡の木古内までは木古内山道などが通じていた。当初松前藩領とされていたが、江戸時代後期の文化4年、檜山郡域を含む渡島国域が天領となったのち、文政4年ふたたび松前藩領に復した。
幕末には津軽郡との間に内陸を通る福山 - 上ノ国間山道が開削された。1868年9月から10月にかけ厚沢部の台地に館城が築城され、藩主が松前から移った。しかし、11月旧幕府軍の攻撃にさらされ落城。藩主は熊石へ逃れている。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して檜山郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
- 明治2年
- 明治4年
- 明治5年
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
- 第10大区
- 1小区 : 鰔川村、小黒部村、赤沼村、安野呂村
- 2小区 : 鶉村、館村、俄虫村、土橋村、目名村
- 3小区 : 柳崎村、伏木戸村、田沢村、泊村
- 4小区 : 東新町、北新町、中新町、川原新町、片原町、詰木石町、豊部内町
- 5小区 : 九艘川町、中歌町、姥神町、津花町、浜茂尻町
- 6小区 : 酒田町、新地裏町、新地町、法華寺町、上野町、佐平治町、弥陀堂町、切石町、影之町
- 7小区 : 沢茂尻町、中茂尻町、小平沢町、碇町、寺小屋町、五勝手村
- 8小区 : 北村、大留村、上ノ国村
- 9小区 : 木之子村、石崎村、汐吹村、小砂子村
脚注
- ^ 東新町、北新町、中新町、川原新町、片原町、詰木石町、豊部内町、九艘川町、中歌町、姥神町、津花町、浜茂尻町、酒田町、新地裏町、新地町、法華寺町、上野町、佐平治町、弥陀堂町、切石町、影ノ町、沢茂尻町、中茂尻町、小平沢町、碇町、寺小屋町。
参考文献
関連項目