中川郡(なかがわぐん)は、北海道(天塩国)上川総合振興局の郡。
人口5,571人、面積1,542.46km²、人口密度3.61人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口)
以下の2町1村を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町1村に名寄市の一部(智恵文)を加えた区域にあたる。
郡名の由来
天塩川の中流域に位置することに由来する[1]。
歴史
郡発足までの沿革
江戸時代の中川郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって開かれていたテシホ場所に含まれた。江戸時代後期になると文化4年南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え、中川郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり庄内藩が警固を行い、同6年以降は庄内藩領となっていた(6藩分領)。
戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して中川郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 再び開拓使の管轄となる。
- 明治5年
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
脚注
参考文献
関連項目