山野線(やまのせん)は、かつて熊本県水俣市の水俣駅から鹿児島県姶良郡湧水町(営業当時は栗野町)の栗野駅までを結んでいた、九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法施行により1984年に第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化後の1988年(昭和63年)2月1日をもって全線廃止となった。
路線データ
- 管轄(事業種別):九州旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 区間(営業キロ):水俣 - 栗野 55.7km
- 軌間:1067mm
- 駅数:16(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:タブレット閉塞式
歴史
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
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鹿児島本線
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0.0
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水俣駅
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湯出川橋梁 湯出川
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鹿児島本線
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2.6
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東水俣駅
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水俣川橋梁 水俣川
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6.3
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肥後深川駅
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7.9
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深渡瀬駅 ←水俣川
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宝川橋梁 宝川内川
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第一久木野川橋梁 久木野川
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第二久木野川橋梁 久木野川
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14.3
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久木野駅
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第三久木野川橋梁 久木野川
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第四久木野川橋梁 久木野川
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第一大川トンネル 482 m
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大川ループ線
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第二大川トンネル 180 m
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下日平トンネル
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日平トンネル
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久木野トンネル 1,236 m
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22.6
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薩摩布計駅
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布計川橋梁 山野川
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堂原トンネル
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芝尾トンネル
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平川橋梁 平川川
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30.7
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西山野駅 ←羽月川
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牛ノ河川橋梁 十曽川
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32.3
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山野駅
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牛尾川橋梁 牛尾川
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34.1
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郡山八幡駅
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37.0
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薩摩大口駅
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宮之城線 -1987
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市山川橋梁 市山川
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41.8
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西菱刈駅 ←川内川
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44.3
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菱刈駅
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46.3
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前目駅
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湯之尾滝
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49.1
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湯之尾駅
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境川橋梁 境川
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51.7
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稲葉崎駅
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川内川橋梁 川内川
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第一栗野橋梁
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肥薩線
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丸池下川橋梁 丸池川
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55.7
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栗野駅
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肥薩線
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山野線は、沿線にある鉱山の開発のため敷設された路線で、栗野 - 山野間が軽便鉄道法を準用し建設され、1921年に山野軽便線(やまのけいべんせん。1922年に山野線に改称)として開業した。水俣 - 山野間は改正鉄道敷設法別表第124号の予定線で、1934年に水俣 - 久木野間が山野西線(やまのさいせん)として開業、従来からの山野線は山野東線(やまのとうせん)と改称。1935年には山野東線が薩摩布計まで延長され、1937年には県境区間の久木野 - 薩摩布計間が開業し全通した。この時に、線名は再び山野線に戻った。
なお、久木野 - 薩摩布計間にはループ線(大川ループ)があったことで知られている。
直径300mほどの円形で、そばに「生活博物館るーぷ亭」が建っている。
廃止前年の1987年末から漫画が車体に描かれていたキハ52形気動車1両も、1988年1月31日の山野線最後の旅客営業日を迎えた。廃止に当たっては、沿線住民の半数が見送りに駆けつけたという。
山野軽便線→山野東線
山野西線
- 1934年(昭和9年)4月22日 水俣 - 久木野間 (14.3km) を山野西線として開業、東水俣・肥後深川・深渡瀬・久木野の各駅を新設。
全通後(山野線)
運行形態
山野線廃止時のもの。
- 水俣 - 栗野間 下り6本、上り3本
- 水俣 - 薩摩大口間 下り昼1本、上り3本
- 水俣 - 久木野間 朝1往復
- 山野 - 栗野間 下り3本(朝2本、夕1本)、上り朝夕各1本
- 薩摩大口 - 栗野間 下り昼2本、上り4本
- 山野発着列車は、休日は山野 - 薩摩大口間で区間運休していた。
急行「からくに」山野線内廃止時停車駅
- 水俣 - 久木野 - 山野 - 薩摩大口 - 菱刈 - 栗野
使用車両
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は、山野線廃止時点のもの。
鉄道代替バス
- 廃線後は水俣 - 久木野駅間(バスは久木野の先の大川まで運行)が九州産業交通(現在の産交バス)、水俣 - 薩摩大口、薩摩大口 - 栗野間が南国交通(南国交通)のバスに転換された。
- バス転換当初は、薩摩布計駅跡は代替バスのルートから外れたため、大口から区間便が設定され専用のマイクロバスが運行されていた。また代替バスのルートから外れた菱刈駅と西菱刈駅を経由して大口 - 栗野を結ぶ路線が設定された。その後赤字補填が終了したことや利用者の減少などにより薩摩布計駅跡行きと西菱刈経由の便は廃止された。
- 現在は水俣 - 久木野駅間をみなくるバス(産交バス)、水俣 - 薩摩大口間を空港バス、薩摩大口 - 栗野間を一般路線バス(南国交通)がそれぞれ鉄道代替バスとして運行している。
廃線跡の状況
水俣駅付近から久木野駅跡手前までは、自転車歩行者専用道路「日本一長〜い運動場」として整備されている。水俣駅を出ると鹿児島本線(現在の肥薩おれんじ鉄道)と並走していた。湯出川橋梁は当時の橋脚と橋桁が残存しており、舗装され通行できるようになっている。東水俣駅は休憩所となっており駅舎は建て替えられているが、集落から駅に向かうコンクリートの階段が残存している。肥後深川駅手前にあった水俣川橋梁は当時の橋脚と橋桁が残存しており、舗装され通行できるようになっている。
肥後深川駅は休憩所になり駅舎は残存していないが、脇に当時のホームと切り込み線が残存している。
深渡瀬駅は道路になっているが空き地にホームの一部が土に埋もれながら残存している。深渡瀬駅を出ると宝川内川を一度、久木野川をガーダ橋で二度渡っていたが、当時の橋脚と橋桁が残存しており、舗装され通行できるようになっている。久木野駅手前の第二久木野川橋梁を渡ると自転車歩行者専用道路「日本一長〜い運動場」は終了し、一般道に転用されている。
久木野駅は「棚田の駅 愛林館」となっている。駐車場には当時を再現したホームや車掌車に腕木信号機等が展示されている。また、建物内には当時の駅スタンプが展示されており押印することができる。久木野駅を出るとしばらく県道15号線に転用されるが有木付近から林道となる。第三久木野川橋梁はレールを撤去された以外は当時のまま残存している。ここからはループ線となっていた(通称:大川ループ)。第一大川隧道、第二大川隧道、下日平隧道、日平隧道、久木野隧道が残存している。久木野隧道で鹿児島県に入ると薩摩布計駅に到達する。
薩摩布計駅はホームが残っている。薩摩布計駅を出ると通っていた山野川橋梁、堂原隧道、柴尾隧道は残存している。
西山野駅はホームが残っている。西山野駅を出てしばらくすると車道に転用されている。山野駅手前には牛ノ河川橋梁があったが当時の橋脚と橋桁が残存しており、車道として舗装され通行できるようになっている。
山野駅は鉄道公園として整備されている。
郡山八幡駅は道路になっており遺構はない。
薩摩大口駅は「大口ふれあいセンター」となっておりセンター内の「大口歴史民俗鉄道記念資料館」に山野線や宮之城線の資料が展示されている。また、屋外にも車掌車や腕木信号機にポイントなどが展示されている。宮之城線分岐までは単線並列だった。
菱刈駅は道路になっており遺構はないがA・コープの駐車場に駅跡を示す碑がある。
前目駅は道路になっており遺構はない。湯ノ尾駅手前で舗装道路と別れ未舗装道路となる
湯之尾駅は当時のホームや車掌車に踏切が、保存・展示されている。稲葉崎駅手前から歩行者・自転車専用道「栗野町サイクリングロード」となる。
稲葉崎駅は、歩行者・自転車専用道になっており遺構はない。川内川橋梁は撤去されているが橋脚の基礎部分が残存している。カーブをしながら山野線の終着駅である栗野駅に侵入していた。山野線は栗野駅1番線を使用していた。
また、山野線の枕木7000本は栗野岳の登山口から登山道の途中にある展望台まで「日本一の枕木階段」として使用されている[4]。
脚注
参考文献
- 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)(編)「肥薩線・吉都線・三角線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第2号、朝日新聞出版、2009年7月19日。
- 旧国鉄山野線 - 鉄道めぐり旅
関連項目
外部リンク
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第1次廃止対象路線 | |
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第2次廃止対象路線 | |
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第3次廃止対象路線 | |
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北海道 | |
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東北 | |
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関東・甲信越 | |
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北陸・東海 | |
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近畿 | |
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中国・四国 | |
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九州 | |
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路線名称は指定当時。この取り組みにより廃止された路線には、「*」を付した。
- ^ 現在の只見線の一部を含む。
- ^ 旅客営業のみ廃止し、路線自体は日豊本線の貨物支線として存続したのち1989年廃止。
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