佐賀線(さがせん)は、かつて佐賀県佐賀市の佐賀駅と福岡県山門郡瀬高町(現・みやま市)の瀬高駅を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である[1]。1980年(昭和55年)制定の国鉄再建法により、第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月28日に全線が廃止された[1]。
路線データ
- 管轄:日本国有鉄道
- 区間(営業キロ):佐賀 - 瀬高 24.1km[1]
- 軌間:1067mm
- 駅数:13(うち信号場1。起終点駅を含む)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 閉塞方式:タブレット閉塞式
- 廃止時の交換可能駅:諸富駅、筑後大川駅、筑後柳河駅
歴史
鉄道敷設法別表第113号に規定する予定線「佐賀県佐賀ヨリ福岡県矢部川、熊本県隈府ヲ経テ肥後大津ニ至ル鉄道及隈府ヨリ分岐シテ大分県森附近ニ至ル鉄道」の一部である。矢部川は現在の瀬高、隈府は菊池市であり、さらに豊肥本線の肥後大津へ、隈府からは分岐線が久大本線の豊後森に至ると言う計画であった。矢部川からは東肥鉄道(後に九州肥筑鉄道と改称)が熊本県南関までを開業、分岐線もその一部(恵良 - 肥後小国間)が国鉄宮原線として開業したが、いずれも佐賀線廃止より前に廃止されている。
また、佐賀線開通前に矢部川 - 柳河間で1911年(明治44年)より軽便鉄道の柳河軌道が営業を行っていたが、佐賀線開通に際して廃止補償を受ける形で、矢部川 - 筑後柳河間開業後の1932年(昭和7年)2月21日に廃止となった。
当線は諸富 - 筑後若津間で筑後川を、筑後若津 - 筑後大川間で花宗川を渡ることになったが、通常の橋では大型船舶の航行に支障を来たす恐れがあるため、筑後川に架かる筑後川橋梁(通称筑後川昇開橋・全長506m)は、列車通過時以外は橋桁中央部を23m上昇させることが出来る可動橋(昇開橋)とし、花宗川に架かる花宗川橋梁(全長64m)は橋桁を両側に75度跳ね上げることの出来る跳開橋(跳ね橋)とした。佐賀線廃止後、花宗川橋梁は撤去されたが、筑後川橋梁は保存され、国の重要文化財に指定されている。
沿線の福岡県大川市一帯は家具産業が盛んで、佐賀線からも全国へ向けて出荷されていた。また、諸富駅から味の素九州工場への引込線が1970年代頃まで存在するなど、沿線住民にとっても欠かせない路線であった。1961年ダイヤ改正(いわゆるサンロクトオ)には、当線経由で熊本駅と長崎駅を結ぶ準急「ちくご」が1日1往復設定された。
しかし、併走する国道208号に諸富橋・大川橋が完成するなどモータリゼーションの影響で乗客は減少するようになり、貨物もトラック輸送へと移行して行った。1968年には「鉄道の使命を終えた路線」として赤字83線に指定されている。その際は廃止を免れたが、1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で急行「ちくご」(1966年に準急から格上げ)は廃止。同年成立の国鉄再建法による特定地方交通線に指定され、当線も廃止・バス転換された。
年表
運行形態
当時、旅客の面では、開業当初は蒸気機関車牽引による客車列車であったが、戦後間もない頃からガソリン動車を導入、ディーゼルカーに置き換え後は、1982年(昭和57年)までは早岐(1976年(昭和51年)までは佐賀)機関区のキハ17系3両編成が基本で朝方のみ唐津運輸区(1983年(昭和58年)までは東唐津気動車区)のキハ35系2両編成も使用され、1983年(昭和58年)以降ではキハ17系から置換わったキハ40系3両編成でも運行された。
廃止末期では1日10往復程で、一部唐津線西唐津駅から4両編成で出発し、佐賀駅にて2両編成に分割後、前2両は瀬高駅行へ、後2両は折返して西唐津駅行となる列車(片道のみ)や、瀬高駅に到着後、折返して鹿児島本線に乗り入れし、羽犬塚駅へ向かう列車も設定されていた[11](当時は、国鉄矢部線と車両が共通運用されていたため)。
また1日1往復ではあったが急行「ちくご」が1961年(昭和36年)から1980年(昭和55年)まで長崎機関区のグリーン車を含むキハ58系4両編成で熊本駅 - 長崎駅間を運行しており、佐賀線内では筑後大川駅と筑後柳河駅に停車していたが、両駅ともにホームの有効長が3両分しかなかったため、1両のドアは締切扱いであった。なお急行「ちくご」は長崎本線上の佐賀駅 - 長崎駅間を気動車急行「いなさ」や「出島」と併結して運行されていた。
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は佐賀線廃止時点のもの。
筑後柳河 - 百町間で西鉄大牟田線(現・天神大牟田線)と同線矢加部駅の下で交差していたが、佐賀線に駅は設けられていなかった。
廃線跡の状況
瀬高駅・佐賀駅にはそれぞれ佐賀線用0番ホームが今も残存している(佐賀駅は3番のりばを名乗っていた)。佐賀駅から東進する長崎本線の高架には佐賀線の部分がすぐに切れるものの残っており、カーブしながら地上へ降りて行く高架橋も長らく放置されていたが2008年(平成20年)3月より撤去が始まり、隣接している駐車場拡張用地に転用された。地上に降りた地点から東佐賀駅跡までは用地は一般道路に転用されている。瀬高駅ではホームは当時のままだが、線路部分が自転車置場に転用されている。
東佐賀駅は築堤上にあったが現在は築堤の土砂は除去された。東佐賀駅 - 南佐賀駅までは築堤に並行する道路がある区間は長らく更地のまま残され、並行する道路の無い区間が先行して都市計画道路として転用・供用されていた。2013年(平成25年)5月に残りの区間も都市計画道路への転用が完成し、供用開始された。南佐賀駅から筑後川橋梁(諸富町側)までは自転車専用道路「徐福サイクルロード」となっている。筑後川橋梁から花宗川橋梁跡手前まで遊歩道兼一般道として整備され、そこから筑後大川駅跡手前まで福岡県道767号線になる。筑後大川駅の少し先から大川市大坂井付近までは有明海沿岸道路となっており、自動車専用道路となっている。それより先、筑後柳河駅までは未整備で築堤などの設備が残っている。また、筑後柳河駅のホーム等設備の一部は「学童農園むつごろうランド」に移転されたが、2019年後半頃に老朽化のため撤去された[12]。跡地は公園として整備されている。そこから矢部川橋梁跡地付近まで、一般道となっている。矢部川橋梁跡から先は、田になっている。しかし、一部撤去・整備されずに線路が土の中に埋まっている箇所や、用水路を渡っていたと思われるガーダー橋も存在する。
代替バス
佐賀線廃止以前から佐賀(佐賀駅バスセンター) - 柳川(西鉄柳川駅)間では西日本鉄道(西鉄バス)及び佐賀市交通局が、柳川 - 瀬高間では堀川バスが佐賀線に並行する形でバスを運行しており、これらの路線が佐賀線の代替バス路線となった。
佐賀線廃止に伴って西鉄・堀川バス・佐賀市交通局が転換交付金にて購入したバスで瀬高 - 佐賀間を直通する急行バスを共同運行していたが1990年代に廃止されており、現在では瀬高 - 佐賀間をバスで移動する場合は西鉄柳川駅で乗換えなければならない。2022年(令和4年)9月現在でも佐賀市内のバス停には運行会社として「堀川」の文字が残るものが少数だが残っている。
現在では佐賀駅バスセンター - 西鉄柳川駅間に西鉄バス久留米が、西鉄柳川駅 - 瀬高駅間に堀川バスが路線バスを運行している。佐賀市交通局は西鉄バスと相互乗入と言う形で、西鉄柳川駅 - 佐賀駅間で路線バスを運行していたが、1998年(平成10年)7月28日に廃止され、西鉄バス単独運行となった。ただし佐賀市内の佐賀駅バスセンター - 諸富間では佐賀市交通局の他系統の路線バスが運行されている。
西鉄バス並びに堀川バスは西鉄柳川駅で天神大牟田線西鉄福岡(天神)駅方面の特急と接続する体系で全便が運転されており、かつて運行していた準急バスも全バス停に停車する形に改められるなど、西鉄電車へのフィーダー輸送と化している。ちなみに2005年(平成17年)頃まで西鉄バスの正面方向幕には「準急」の表示が残されていた車両が存在していた。
脚注
- ^ a b c d 『鉄道ジャーナル』第21巻第7号、鉄道ジャーナル社、1987年6月、92-99頁。
- ^ 「鉄道省告示第255号・256号」『官報』1931年9月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第236号・237号」『官報』1933年6月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第200号・201号」『官報』1935年5月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 記念スタンプ「逓信省告示第1340号」『官報』1935年5月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「運輸通信省告示第557号」『官報』1944年11月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「運輸省告示第22号・23号」『官報』1947年2月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 「佐賀線にディーゼル車 五月一日からは全面的に気動車化」『交通新聞』交通協力会、1956年4月19日、1面。
- ^ 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』12号 九州沖縄、新潮社、2009年、p.53
- ^ 『時刻表復刻版1982年11月号』JTBパブリッシング、2022年、pp.223,232,241
- ^ rikku (2020年1月26日). “旧国鉄佐賀線(佐賀→瀬高)”. 鉄道めぐり旅. 2022年2月17日閲覧。
関連項目
外部リンク
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路線名称は指定当時。この取り組みにより廃止された路線には、「*」を付した。
- ^ 現在の只見線の一部を含む。
- ^ 旅客営業のみ廃止し、路線自体は日豊本線の貨物支線として存続したのち1989年廃止。
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