ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム (Los Angeles Memorial Coliseum)は、アメリカ合衆国 のカリフォルニア州 ロサンゼルス にあるスタジアム である。
普段はアメリカンフットボール に使用されており、現在はカレッジフットボール のUSCトロージャンズ(南カリフォルニア大学 )の本拠地である。
オリンピック
1984年オリンピック夏季大会開会式(1984年7月28日)
1923年5月に開場したロサンゼルス・メモリアル・コロシアムは、1932年 と1984年 の夏のオリンピックで開会式・閉会式会場および陸上競技の主会場となった。
2028年 の夏のオリンピックも同じ様に使われる予定で、パラリンピック でも使われる予定である。入場ゲートの上には、オリンピックのシンボルである五輪マークが飾られている。
スタジアム正面には実物の人間とほぼ同じ大きさの2体の銅像がある。男女のアスリートの裸像で、男性はテリー・シュローダー (水球)、女性はジャッキー・ジョイナー・カーシー (陸上)がモデルとなっている(二人とも1984年大会に出場)。彫刻家ロバート・グラハム が1984年大会のために製作したもので、解剖学的に正確な描写がなされた彫像として名高い。
大会中に絶えることなく火を灯し続けた聖火台 が、スタジアムの一端に並ぶ列柱の上に今も、当時を偲ばせるように残されている。
この聖火台は現在でも、他都市でのオリンピック開催中やUSCトロージャンズの試合開催時、その他特別な出来事・事件があった場合には点火される。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件 発生時や2004年6月5日のロナルド・レーガン 元大統領 死去、2005年4月2日のローマ教皇 ヨハネ・パウロ2世 死去(教皇は1987年にはメモリアル・コロシアムでミサを行っている)などの際、1週間ほどにわたり火が灯された。
なお、夏季オリンピックを複数回開催している都市は他にもあるが、開・閉会式会場を複数回同じ施設で行ったのはメモリアル・コロシアムが唯一の実例である[ 1] 。
アメリカンフットボール
1923年の開場以来、長らくメモリアル・コロシアムを本拠地にしていたのは、カレッジフットボールのUSCトロージャンズ (南カリフォルニア大学 )とUCLAブルーインズ (カリフォルニア大学ロサンゼルス校 )であった。
1946年、NFL クリーブランド・ラムズ(現:ロサンゼルス・ラムズ) がオハイオ州 クリーブランド から移転。チーム名をロサンゼルス・ラムズに改め、30年以上メモリアル・コロシアムを本拠地にした。また、その間の1960年には、その年に創設されたAFL (1970年 にNFLと統合)のロサンゼルス・チャージャーズ も1シーズンのみ本拠地としてメモリアル・コロシアムを使用した。
1979年限りでラムズがアナハイム・スタジアム へ移転したため、第二次世界大戦 終結直後以来となる「プロチームの使用なし=カレッジフットボール専用」状態となった。しかし1982年、本拠地オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム の拡張要求がオークランド市に聞き入れられなかったオークランド・レイダース がメモリアル・コロシアムへ移転してきた。これに伴うスケジュール調整のため、UCLAブルーインズはローズボウル へと移転していった。
1994年限りでレイダースがオークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムへ戻ったため、しばらくメモリアル・コロシアムを本拠地として使用しているチームはUSCトロージャンズのみとなった。
1951年から1972年および1979年のプロボウル 、1967年1月15日の第1回AFL-NFLチャンピオンシップ (現在のスーパーボウル 。パッカーズ 35-10 チーフス )、1973年1月14日の第7回スーパーボウル (ドルフィンズ 14-7 レッドスキンズ )、1984年6月30日のUSFL による「プロ・アメリカンフットボール史上最も長い試合」など、メモリアル・コロシアムではさまざまな出来事があった。
2016年シーズンから2019年シーズンまで、ロサンゼルス・ラムズがハリウッドパーク競馬場 跡地に建設されたSoFiスタジアム が完成するまでの間、暫定本拠地として使用した。ラムズがメモリアル・コロシアムを本拠地に使用するのは37年ぶりであった[ 2] 。
2017年5月、USCトロージャンズは命名権をユナイテッド航空に売却し[ 3] 、2018年1月29日から「ユナイテッドエアラインズ・メモリアルコロシアム」(United Airlines Memorial Coliseum)に名称を変更した。
さらに2019年8月15日には「ユナイテッドエアラインズフィールド・アット・ザ・ロサンゼルスメモリアルコロシアム」 (UNITED AIRLINES FIELD AT THE LOS ANGELES MEMORIAL COLISEUM)に再度変更したが、その前に改修工事が行われ、スタジアムの収容人数は92,348人から77,500人に削減された[ 4] 。
なお、命名権採用後は上記の名称を使うが、FIFA(国際サッカー連盟 )・IOC(国際オリンピック委員会 )主催・主管の国際試合・大会においては、クリーンスタジアム規定(命名権名称使用禁止規定) が適用され、メモリアル・コロシアム自体が主催団体による制限区域となるため、例外的に「メモリアル・コロシアム」に戻される。
93,607人の観客を集めたカレッジフットボール
野球
ニューヨーク ・ブルックリン からロサンゼルスへ移転してきたMLB ロサンゼルス・ドジャース は、ドジャー・スタジアム 完成までの4年間、メモリアル・コロシアムを暫定的な本拠地とした。卵形の形状であるため、左翼~左中間が極端に狭くなるなど野球場 には適していないにもかかわらず、ドジャースの試合には大勢のファンが詰めかけた。
1959年のワールドシリーズ
野球場として使用した時の平面図
野球場としての規模は以下のとおりとなっていた。
左翼 - 251.6 ft(約76.7 m)
左中間 - 320 ft(約97.5 m)
中堅 - 420 ft(約128.0 m)
右中間 - 380 ft(約115.8 m)
右翼 - 300 ft(約91.4 m)
バックネット - 66 ft(約20.1 m)
本塁打対策として高さ40フィート (約12m)のスクリーンを立てたが、ちょっとした飛球でもこれに当たって跳ね返り、単打 になるのでドジャースのジム・ギリアム などスイッチヒッター はこれを狙って右投手に対してもしばしば右打席に入るほどであり、公認野球規則 1.04「1958年 6月1日以降、プロ球団が新設する球場は左右両翼325フィート(約99m)、中堅400フィート(約122m)の最短距離を必要とする。また、現在の球場を改造するには、やはりこの距離以下に短縮してはならない」が出来るきっかけとなった[ 5] 。
1959年のワールドシリーズ (ドジャース-ホワイトソックス )のうち、メモリアル・コロシアムで行われた第3戦~第5戦にはそれぞれ92,394人、92,650人、92,706人を動員。同年5月7日に行われたヤンキース とのエキシビジョン・ゲームには93,103人もの観客が来場した。また、同年8月3日のMLBオールスターゲーム 第2戦の舞台にもなっている(ア 5-3 ナ)。
2008年 3月29日 、ドジャースのロサンゼルス移転50周年を記念したオープン戦(対レッドソックス )が開催され、米国スポーツ史上最多、そして世界の野球史上も最多となる11万5300人の観客を動員した[ 6] 。かつての使用時に比べてスタンドが増設されているため、当時よりも更に左翼フェンスまでの距離が短い状態となり、左翼フェンスには巨大なネットが張られての開催となった。
その他
ジョン・F・ケネディ
1960年7月15日 には民主党 の党大会 が開かれ、最終日であるこの日には上院議員で大統領候補に指名されたジョン・F・ケネディ が受諾演説を行い、戦争や偏見、貧困に対する諸問題に関する「ニュー・フロンティア政策 」を初めて披露した。
1968年9月27日、WBA 世界フェザー級タイトルマッチがこの会場で行われ、日本の西城正三 (協栄 )がラウル・ロハス (アメリカ合衆国)を判定で下して日本人初となる海外世界王座獲得を果たしている[ 7] 。
1972年8月20日、スタックス・レコード が主催したコンサート「ワッツタックス」が開催された。出演者はザ・ステイプル・シンガーズ 、アルバート・キング 、ルーファス・トーマス 、アイザック・ヘイズ 、エディ・フロイドなど。コンサートには10万人が入場したと言われ、またそのほとんどがアフリカ系アメリカ人 であった。コンサートを撮影した映画『ワッツタックス/スタックス・コンサート 』が翌1973年に公開された。
1976年公開の米国映画『パニック・イン・スタジアム 』の舞台となった。
1994年1月17日に起きたノースリッジ地震 で大きな被害を受けて修復に9300万ドルを必要とした。
2007年 6月2日 、K-1 を主催する株式会社FEG による総合格闘技イベント『SoftBank presents Dynamite!! USA in association with ProElite 』が開催された。
脚注
外部リンク
1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
都市名は、開催当時にそのスタジアムを本拠地としたチームのフランチャイズ名を記載 都市名の数字は、同一フランチャイズで異なるスタジアムで開催したことを示す
球団 歴代本拠地 文化 ライバル関係 永久欠番 ワールドシリーズ優勝(0 8回) ワールドシリーズ敗退(14回) リーグ優勝(25回) できごと 傘下マイナーチーム
球団 歴代本拠地 永久欠番 リーグ優勝 (3回) カンファレンス優勝 (1回) 地区優勝 (15回) できごと 所属
球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 リーグ優勝 (4回) カンファレンス優勝 (4回) 地区優勝 (15回) できごと 所属
球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 リーグ優勝 (4回) カンファレンス優勝 (8回) 地区優勝 (18回) 所属