トーラスジェミニ(欧字名:Taurus Gemini、2016年4月30日 - )は、日本の競走馬[1]。2021年の七夕賞の勝ち馬である。
馬名の意味は「牡牛座+双子座」より。
7月1日の2歳新馬戦(福島芝1800m)でデビュー。最低人気で出走し9着に敗れる。続く未勝利戦は10着、7着と惨敗したが。4戦目の未勝利戦を2番手から抜け出して1着、初勝利を挙げる。続くアスター賞は5着、抜けた最低人気で挑んだサウジアラビアロイヤルカップは8頭立て6着と下位に沈んだ。アイビーステークスは逃げをうち4着に入ると、続く百日草特別を6頭立て6番人気ながら2着ボスジラに1馬身1/4差をつけて逃げ切り勝ちを収める。なお、この勝利が鞍上の木幡育也にとっては特別戦初勝利となった。次走、東京スポーツ杯2歳ステークスは12着に終わった。その後は長期休養に入る。
休養が長引き、1年経った11月の再度山特別で復帰、最下位の8着に終わる。続くクリスマスキャロル賞はブービーの15着と再び惨敗した。
4歳初戦、4歳以上2勝クラスを13番人気ながら早め先頭に立つとアビームとの競り合いを半馬身制して3勝目を挙げる。昇級初戦、節分ステークスは9着に終わったが、続く但馬ステークスで4着と好走する。昇級3戦目、幕張ステークスをスタートから先手を取るとそのまま逃げ切り1着、オープン昇級を果たした。次走、ダービー卿チャレンジトロフィーは11着に敗れたが、エプソムカップを最低人気ながら逃げ粘り0.2秒差の3着に入った。続く巴賞を前有利の馬場を生かし、スタートを決めて逃げると2番手につけていたミラアイトーン以下の追撃を1馬身半抑えて逃げ切り勝ちを飾った[3]。次走、函館記念でも逃げを打ったが4着に敗れる。その後、札幌記念8着、毎日王冠6着、福島記念8着と上位に食い込めない競馬が続いた。GI初挑戦となったジャパンカップはブービーの14着に沈む。次走、ディセンバーステークスはマイペースで逃げ、2着サトノダムゼルに1馬身1/4差をつけ1着、オープン2勝目を飾った[4]。
5歳初戦、小倉大賞典は14着と惨敗。一転、東風ステークスは別定58kgを背負いながらも、ハナを奪うと外から追い込んできたボンセルヴィーソをクビ差しのいで勝利を飾った[5]。田辺裕信の落馬負傷により代打騎乗を務めた原優介は、特別レース初勝利かつ芝レースでの初勝利となった。次走、ダービー卿チャレンジトロフィーは6着、安田記念では好位からいったん先頭に立ち5着と掲示板を確保した。次走、七夕賞は2番手でレースを進め逃げたロザムールと直線で競り合い、ゴール前クビ差下して優勝、29戦目にして重賞初制覇を飾った[6]。なお、管理する小桧山にとりこの勝利が中央通算200勝目であった[7]。その後、札幌記念は逃げるも3コーナーで交わされ10着、毎日王冠は11着とそれぞれ惨敗した。
6歳初戦、京都金杯は13着に敗れた。3月には初めてダートグレード競走の黒船賞にも出走したが8着に敗れ、連覇のかかった七夕賞は殿負けに終わるなど、この年は7走してすべて着外に敗れた。
7ヶ月半の休養を経て中山記念から始動、次走のダービー卿チャレンジトロフィーではルーキーの佐藤翔馬が騎乗し重賞初騎乗となったが、4走してすべて二桁着順に敗れた。5走目の七夕賞で2年連続の殿負けを喫したのを最後に現役を引退、7月12日付で競走馬登録を抹消された[2]。引退後は馬事公苑で乗馬となった[8]。
その後、福島競馬場の誘導馬として用途が変更され、奇しくも2020年のジャパンカップに出走していたヨシオとクレッシェンドラヴも僚馬として在厩することとなり、2024年秋にはこの3頭での誘導馬揃い踏みも計画されていたが、同年5月11日にヨシオが死亡したことにより果たせなかった[9]。
以下の内容は、JBISサーチ[10]およびnetkeiba.com[11]の情報に基づく。
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