アンリ・ベルクソン

アンリ=ルイ・ベルクソン
Henri-Louis Bergson
生誕 (1859-10-18) 1859年10月18日
フランスの旗 フランス帝国パリ
死没 (1941-01-04) 1941年1月4日(81歳没)
フランスの旗 フランス国パリ
時代 19世紀の哲学
20世紀の哲学
地域 西洋哲学
学派 大陸哲学
フランス・スピリチュアリスム
研究分野 形而上学認識論
言語哲学
数学の哲学
主な概念持続」など
署名
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1927年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して

アンリ=ルイ・ベルクソンHenri-Louis Bergson [bɛʁksɔn]発音例1859年10月18日 - 1941年1月4日)は、フランス哲学者。出身はパリ。日本語では「ベルグソン」と表記されることも多いが、近年では原語に近い「ベルクソン」の表記が主流となっている。

生涯

幼少期

作曲家ピアニストミハウ・ベルクソン英語版の子として、パリのオペラ座からそう遠くないラマルティーヌ通り (現在のパリ9区 Rue Lamartine) で生まれる。父ミハウはポーランドユダヤ人で、母はイギリス人だった(妹のミナは、イギリスのオカルティスト、マグレガー・メイザースと結婚し、モイナ・メイザース英語版と名乗った)。誕生後数年は、家族とイギリス・ロンドンで生活を送る。母によって、早くから英語に慣れ親しんだ。彼が9歳になる前に、彼の家族は、フランス、ノルマンディー地方マンシュ県に移り居を構える。

学生時代

パリ9区のリセ・フォンタネ(現在のリセ・コンドルセ)で古典学と数学を深く修めた後、パリ大学で人文学を専攻し、パリ高等師範学校に入学した。そこでの哲学担当の教授たちは、新カント派ばかりであったため、ベルクソンは、教授たちに反発しながら、一方でハーバート・スペンサーの著作を熟読して、実証主義社会進化論への理解を深めた。それらを通し自己の哲学大系を形成していった。1881年に受けたアグレガシオンでは、現代心理学の価値を問う試問に対し、現代心理学のみならず心理学一般を強く批判する解答をした。そのため、審査員の不興を買うことになり、ベルクソンは2位での合格となった。

『時間と自由』

合格後、リセ教師となったベルクソンは、アンジェのリセ・ダビッド=ダンジェ (Lycée David-d'Angers) 、クレルモン=フェランのリセ・ブレーズ=パスカル (Lycée Blaise-Pascal de Clermont-Ferrand) などで教師として教えるかたわら、学位論文の執筆に力を注ぐ。そして、ベルクソンは、1888年ソルボンヌ大学に学位論文「意識に直接与えられたものについての試論」(英訳の題名は「時間と自由意志」)を提出し、翌年、文学博士号を授与される。この著作の中で、ベルクソンは、これまで「時間」と呼ばれてきたものは、空間的な認識を用いることで、本来分割できないはずのものを分節化することによって生じたものであると批判した。そして、ベルクソンは、空間的な認識である分割が不可能な意識の流れを「持続」("durée")と呼び、この考えに基づいて、人間の自由意志の問題について論じた。この「持続」は、時間/意識の考え方として人称的なものであり、哲学における「時間」の問題に一石を投じたものといえる。

『物質と記憶』

1896年には、ベルクソンは、哲学上の大問題である心身問題を扱った『物質と記憶』を発表した。この本は、ベルクソンにとって第二の主著であり、失語症についての研究を手がかりとして、物質と表象の中間的存在として「イマージュ("image")」という概念を用いつつ、心身問題に取り組んでいる。

すなわち、ベルクソンは、実在を持続の流動とする立場から、心(記憶)と身体(物質)を「持続の緊張と弛緩の両極に位置するもの」として捉えた。そして、その双方が持続の律動を通じて相互にかかわりあうことを立証した。

コレージュ・ド・フランスへ

1900年よりコレージュ・ド・フランス教授に就任し[1]1904年にはタルドの後任として近代哲学の教授に就任する。1914年に休講(1921年正式に辞職)するまでそこで広く一般の人々を相手に講義をすることになる(ベルクソンは結局、大学の正式な教授になることはなかった)。その講義は魅力的なものであったと伝えられ、押しかける大勢の人々にベルクソン本人も辟易するほどの大衆的な人気を獲得した。主にこの時期に行った講演がベースとなる『思想と動くもの』という著作で「持続の中に身を置く」というベルクソン的直観が提示されることとなる。

『創造的進化』

1907年に第三の主著『創造的進化』を発表する。この本の中で、ベルクソンは、当時人口に膾炙していたスペンサーの社会進化論から出発し、『試論』で意識の流れとしての「持続」を提唱した。そして、『物質と記憶』で論じた意識と身体についての考察を生命論の方向へとさらに押し進めた。これは、ベルクソンにおける意識の持続の考え方を広く生命全体・宇宙全体にまで推し進めたものといえる。ダーウィンの進化論における自然淘汰の考え方では、淘汰の原理に素朴な功利主義しか反映されていない。しかし実際に起こっている事態は異なる。それよりはるかに複雑かつ不可思議な、生を肯定し、生をさらに輝かせ進化させるような力、種と種のあいだを飛び越える「タテの力」、「上に向かう力」が働き、突然変異が起こるのである。そこで生命の進化を推し進める根源的な力として想定されたのが、"élan vital"「エラン・ヴィタール 生命の飛躍(生の飛躍)」である。ベルクソンはここで、普遍的なものが実在するという大胆かつ前科学的な立場を肯定しており、経験論唯名論に対する少数派、中世的な実在論に身を置いている。

国際舞台での活躍

ベルクソンは国の内外で名声が高まっていき、公の場にも多く引っぱり出された。第一次世界大戦下の1917から1918年にはフランス政府の依頼で、非常にデリケートかつ困難な任務である、アメリカを説得する外交特務使節で派遣され職責を果たした。大戦後の1922年には、国際連盟の諮問機関として設立された国際知的協力委員会(ユネスコの源流)委員に任命され、第一回会合では議長となって、明晰かつ無駄のない言辞で手腕を振るった(ちなみに、当時の国際連盟事務次長であった新渡戸稲造とも面識があった)。1930年にフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与される。

ベルクソンの文章は、明快かつ美しい文章で書かれているため、散文としての評価も高く、1913年から14年には、スコットランドエディンバラ大学で、ギフォード講義を行った。1927年にはノーベル文学賞を受賞している。

『道徳と宗教の二源泉』

こうした公的活動の激務のなかでも、ベルクソンの著作を書く意欲は衰えず、1932年に最後の主著として発表されたのが『道徳と宗教の二源泉』である。この著作では、社会進化論・意識論・自由意志論・生命論といったこれまでのベルクソンの議論を踏まえたうえで、人間が社会を構成する上での根本問題である道徳と宗教について「開かれた社会/閉じた社会」「静的宗教/動的宗教」「愛の飛躍("élan d'amour")」といった言葉を用いつつ、独自の考察を加えている。人間の知的営為に伴うように、創造的な(想像的な)働き「創話機能(function fabulatrice)」という営為がなされており、現実と未来、期待、希望とのバランスが回復されている。それが宗教と道徳の起源となっており、社会発展の原動力となってきたのである。ここには生命の進化の原理であるエラン・ヴィタールの人間社会版とも言える内容が展開されていて、大哲学者が晩年に人類に託した希望の書と呼べる内容になっている。また「創話機能」は、20世紀初期にフロイトにより発見された無意識の働きと、同時代的に繋がっており、後にはベルクソン研究も行ったジル・ドゥルーズ[注釈 1]によって、著作の中で結びあわされる。

晩年

晩年には、カトリック信仰に傾きながら、進行性の関節リウマチを病み、苦しんでいた。1939年第二次世界大戦が始まると、ドイツ軍の進撃を避け田舎へと疎開するが、しばらくしてパリの自宅へ戻っている。これは、反ユダヤ主義の猛威が吹き荒れる中、同胞を見棄てることができなかったからだといわれている。清貧の生活を続けるも、1941年の初頭に凍てつく寒さの中、ドイツ軍占領下のパリの自宅にて風邪が悪化したことにより、ひっそりと世を去った。ドイツ軍占領下ということもあって、参列者の少ない寂しい葬儀を終えた後、パリ近郊のガルシュ墓地に埋葬された。

パンテオンに刻まれたベルクソンの碑文

葬儀に参加したポール・ヴァレリーは、

アンリ・ベルクソンは大哲学者、大文筆家であったが、それとともに、偉大な人間の友であった

と弔辞を述べて、ベルクソンを讃えている。

ベルクソンの死から26年を過ぎた1967年、その功績が讃えられ、パンテオンにベルクソンの名が刻まれ、祀られることとなった。

その著作と生涯によって、フランスおよび人類の思想に栄誉をもたらした哲学者 ── アンリ・ベルクソン — パンテオンに刻まれた碑文

思想

生きた現実の直観的把握を目指すその哲学的態度から、ベルクソンの哲学はジンメルなどの「生の哲学」といわれる潮流に組み入れられることが多く、「反主知主義」「実証主義を批判」などと紹介されることもある。だが実際のベルクソンは、当時の自然科学にも広く目を配りそれを自分の哲学研究にも大きく生かそうとするなど、決して実証主義の精神を軽視していたわけではない(アインシュタインが相対性理論を発表するとその論文を読み、それに反対する意図で『持続と同時性』という論文を発表したこともある)。

一方で、ベルクソンは新プラトン主義プロティノスから大きな影響を受けていたり、晩年はカトリシズムへ帰依しようとするなど、神秘主義的な側面ももっており、その思想は一筋縄ではいかないものがある(ベルクソンはテレパシーなどを論じた論文を残してもおり、それらは『精神のエネルギー』に収められている)。 因みに、1913年英国心霊現象研究協会の会長に就任している。

こうした点から、ベルクソンの哲学は、しばしば実証主義的形而上学、経験主義的形而上学とも称される[2]

影響

ベルクソンの哲学は、当時の人々だけでなく、後の世代にも大きい影響を与えた。その影響は、弟子のガブリエル・マルセルハイデッガージャンケレヴィッチ[注釈 2]ウィリアム・ジェームズサルトルバシュラールレヴィナスメルロ=ポンティ[注釈 3]アルフレッド・シュッツエティエンヌ・ジルソンジャック・マリタンドゥルーズ西田幾多郎九鬼周造篠原資明といった哲学者たちのみならず、政治哲学者のジョルジュ・ソレル人類学者レヴィ=ストロース、作家のプルースト稲垣足穂遠藤周作[3]など幅広くに及んでいる。

小林秀雄は、1958年から1963年に〈ベルクソン論〉「感想」を『新潮』に連載したが未完に終わり、生前は未刊行であった。新版の『小林秀雄全集 別巻1』(各・新潮社、2002年)、および『小林秀雄全作品 別巻1・2』(現行かなづかい・語注入り、2005年)で刊行された。

著作

  • Essai sur les données immédiates de la conscience, 1889
  • Matière et Mémoire, 1896
    • 『物質と記憶』 合田正人ほか訳、ちくま学芸文庫 2007年
    • 『物質と記憶』 熊野純彦訳、岩波文庫 2015年。旧訳は高橋里美
    • 『物質と記憶』 杉山直樹訳、講談社学術文庫 2019年5月
  • Le rire, 1900
    • 『笑い』 林達夫訳、岩波文庫(のちワイド版)、旧版表記は『笑』(1938年、改訳版1976年)
    • 『笑い』 鈴木力衛訳、旧「全集」版(白水社)
       新訳版「全集3」(竹内信夫訳)の副題は「喜劇的なものが指し示すものについての試論」
    • 『笑い/不気味なもの』 原章二訳、平凡社ライブラリー 2016年1月
       後者はフロイトの論考。付論:ジャン=リュック・ジリボン「不気味な笑い」
    • 『笑い』 増田靖彦訳、光文社古典新訳文庫 2016年6月
    • 『笑い』 合田正人ほか訳、ちくま学芸文庫 2016年9月
  • L'evolution créatrice, 1907
    • 『創造的進化』 真方敬道訳、岩波文庫 - 旧訳は2分冊
    • 『創造的進化』 合田正人ほか訳、ちくま学芸文庫 2010年9月
  • L'energie spirituelle, 1919 - ※論文・講演集
  • Durée et simultanéité, 1922
  • Les deux sources de la morale et de la religion, 1932
  • La pensée et le mouvant, 1934 - ※論文・講演集(1903〜23)
    • 『思想と動くもの』 河野与一訳、岩波文庫(解説木田元)- 旧訳は3分冊
    • 『思考と運動』 宇波彰訳、レグルス文庫(上・下)
    • 『思考と動き』 原章二訳、平凡社ライブラリー
  • Ecrits et palores, 1957-59 - ※論文集
    • 下記の旧版『全集』第8・9巻に一部収録
  • OEuvres, 1959(全集) 
    • 『ベルグソン全集』白水社(全9巻[注釈 5]、初版1965-66年)- 新装版2007年ほか多数。
    • 『新訳 ベルクソン全集』 竹内信夫訳(白水社 全6巻、2010-2017年)[注釈 6]
  • Mélanges, 1972(全集補巻)
  • Correspondances, 2002 - ※書簡集 全3巻予定。
    • 『ベルクソン書簡集Ⅰ 1865-1913』 合田正人監修/ボアグリオ治子訳(叢書・ウニベルシタス 法政大学出版局)、2012年
    • 『ベルクソン書簡集II 1914-1924』 松井久訳(叢書・ウニベルシタス 法政大学出版局)、2024年7月
  • 『ベルクソン講義録』全4巻、合田正人・江川隆男ほか訳、法政大学出版局、1999-2001年
     1 心理学講義/形而上学講義、2 美学講義/道徳学・心理学・形而上学講義
     3 近代哲学史講義/霊魂論講義、4 ギリシャ哲学講義。1880-90年代に行われた
  • 『時間観念の歴史』 書肆心水、2019年。藤田尚志・平井靖史・岡嶋隆佑・木山裕登訳
     ※1902-1903年度コレージュ・ド・フランス講義 
  • 『記憶理論の歴史』 書肆心水、2023年。藤田尚志・平井靖史・天野恵美理・岡嶋隆佑・木山裕登訳
     ※1903-1904年度コレージュ・ド・フランス講義 

脚注


注釈

  1. ^ 『ベルクソニズム 新訳』ジル・ドゥルーズ(檜垣立哉・小林卓也訳、叢書・ウニベルシタス 法政大学出版局、2017年)がある。
  2. ^ 論考訳書に『アンリ・ベルクソン』(阿部一智・桑田礼彰訳、新評論、増補新版1997年)がある。
    なお弟子のジャック・シュヴァリエによる『ベルクソンとの対話』(仲沢紀雄訳、みすず書房、新版1997年、2008年)がある。
  3. ^ 関連論考『心身の合一 マールブランシュとビランとベルクソンにおける』(滝浦静雄・中村文郎・砂原陽一訳、ちくま学芸文庫、2007年)がある。
  4. ^ 「哲学的直観」、「道徳と宗教の二源泉」の元版は『世界の名著 ベルクソン』(中央公論社、澤瀉久敬責任編集、1969年)、のち中公バックス
  5. ^ 訳者は平井・鈴木の他に、矢内原伊作田島節夫松浪信三郎中村雄二郎・仲沢紀雄・渡辺秀など
  6. ^ 著作の全訳(全7巻予定)だったが「6 道徳と宗教の二源泉」は未刊。なお旧版は中村雄二郎訳で単行版も刊。


出典

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年8月11日閲覧。
  2. ^ 哲学辞典・平凡社 1971, p. 701.
  3. ^ 岩波文庫60周年読書アンケートで「道徳と宗教の二源泉」を挙げている。


参考文献

  • 青井和夫青柳真知子赤司道夫秋間実秋元寿恵夫秋山邦晴秋田光輝東洋 ほか 著、林達夫野田又男; 久野収 ほか 編『哲学事典』(第1版)平凡社、1971年4月10日。ISBN 4-582-10001-5 


関連項目

外部リンク


前任
エミール・オリヴィエ
アカデミー・フランセーズ
席次7

第13代:1914年 - 1941年
後任
エドゥアール・ル・ロワ

Read other articles:

English author and journalist (1903–1950) Orwell redirects here. For other uses, see Orwell (disambiguation). George OrwellOrwell in 1940BornEric Arthur Blair(1903-06-25)25 June 1903Motihari, Bengal Presidency, British IndiaDied21 January 1950(1950-01-21) (aged 46)London, EnglandResting placeAll Saints' Church, Sutton Courtenay, Oxfordshire, EnglandEducationEton CollegeOccupationsNovelistessayistjournalistliterary criticPolitical partyIndependent Labour (from 1938)Spouses Eileen O'Shau...

 

إنديانا جونز ومملكة الجمجمة الكريستاليةIndiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull (بالإنجليزية) الشعارملصق الفيلممعلومات عامةالصنف الفني أكشنالمواضيع الحرب الباردة — الحياة خارج الأرض — صحن طائر تاريخ الصدور 22 مايو 2008مدة العرض 119 دقيقةاللغة الأصلية الإنجليزية الروسيةالبلد  الولا�...

 

Questa voce sull'argomento calciatori burkinabé è solo un abbozzo. Contribuisci a migliorarla secondo le convenzioni di Wikipedia. Alassane Ouédraogo Nazionalità  Burkina Faso Altezza 173 cm Calcio Ruolo Centrocampista Termine carriera 2012 Carriera Giovanili  Santos Ouagadougou Squadre di club1 1996-2000 Charleroi54 (4)2000-2003 Colonia3 (0)2003-2005 RW Oberhausen60 (7)2005-2009 Coblenza24 (1)2010 Rot-Weiss Essen15 (0)2010-2012 Fortuna Coloni...

† Человек прямоходящий Научная классификация Домен:ЭукариотыЦарство:ЖивотныеПодцарство:ЭуметазоиБез ранга:Двусторонне-симметричныеБез ранга:ВторичноротыеТип:ХордовыеПодтип:ПозвоночныеИнфратип:ЧелюстноротыеНадкласс:ЧетвероногиеКлада:АмниотыКлада:Синапсиды�...

 

County in Arkansas, United States County in ArkansasBaxter CountyCounty Clockwise from top: Buffalo River at Buffalo City, the 1825 Jacob Wolf House at Norfork, Vada Sheid Community Development Center on the campus of ASU-Mountain Home, Cotter Bridge over the White River at sunset, Bull Shoals Dam, Baxter County Courthouse in Mountain Home SealLocation within the U.S. state of ArkansasArkansas's location within the U.S.Coordinates: 36°18′25″N 92°21′17″W / 36.3069°N ...

 

American football player and politician (born 1979) Napoleon HarrisHarris with the Kansas City Chiefs, 2008Member of the Illinois Senatefrom the 15th districtIncumbentAssumed office January 9, 2013Preceded byJames T. Meeks Personal detailsBornNapoleon Bill Harris (1979-02-25) February 25, 1979 (age 45)Chicago, Illinois, U.S.Political partyDemocraticEducationNorthwestern University (BA)American football player American football careerNo. 58, 50, 99Position:LinebackerPersonal informati...

Scientific society in Washington, D.C. The Philosophical Society of WashingtonFormationMarch 13, 1871; 153 years ago (1871-03-13)FounderJoseph HenryLocationCosmos Club in Washington, D.C., U.S.PresidentLarry MillsteinWebsitepswscience.org Joseph Henry, the society's first president Founded in 1871, the Philosophical Society of Washington is the oldest scientific society in Washington, D.C. It continues today as PSW Science. Since 1887, the Society has met regularly in the as...

 

密西西比州 哥伦布城市綽號:Possum Town哥伦布位于密西西比州的位置坐标:33°30′06″N 88°24′54″W / 33.501666666667°N 88.415°W / 33.501666666667; -88.415国家 美國州密西西比州县朗兹县始建于1821年政府 • 市长罗伯特·史密斯 (民主党)面积 • 总计22.3 平方英里(57.8 平方公里) • 陸地21.4 平方英里(55.5 平方公里) • ...

 

In baseball, reaching base on four balls A depiction of the strike zone. A base on balls occurs as a result of a plate appearance during which four pitches are thrown out of the strike zone that the batter does not swing at. A base on balls (BB), better known as a walk [1]occurs in baseball when a batter receives four pitches during a plate appearance that the umpire calls balls, and is in turn awarded first base without the possibility of being called out. The base on balls is defined in Sec...

Arif ArrymanLahir(1956-02-03)3 Februari 1956Bukittinggi, Sumatera Barat, IndonesiaMeninggal7 September 2010(2010-09-07) (umur 54)Mampang Prapatan, Jakarta SelatanKebangsaanIndonesiaAlmamater- Institut Teknologi Bandung- Universitas Sorbonne, Paris, Prancis- Universitas Paris - IX Dauphine, Paris, PrancisPekerjaanEkonomDikenal atasPenasihat Menko EkuinSuami/istriSativa Sutan Aswar DR. Ir. Arif Arryman M.Eng (3 Februari 1956 – 7 September 2010) adalah seorang ekonom Indone...

 

French entertainer Le PétomaneBornJoseph Pujol(1857-06-01)June 1, 1857Marseille, FranceDiedAugust 8, 1945(1945-08-08) (aged 88) Le Pétomane du Moulin Rouge, 1900 (silent film clip) Joseph Pujol (June 1, 1857 – August 8, 1945), better known by his stage name Le Pétomane (/ləˈpɛtəmeɪn/,[1] French pronunciation: [ləpetɔman]), was a French flatulist (professional fartist) and entertainer. He was famous for his remarkable control of the abdominal muscles, which ena...

 

Michinoku redirects here. For the sumo coach known as Michinoku Oyakata, see Kirishima Kazuhiro. Mutsu Province陸奥国Province of Japan654–1869Map of Japanese provinces (1868) with Mutsu Province highlightedCapitalMiyagi DistrictHistory • Established 654• Disestablished 1869 Succeeded by Rikuō Province Rikuchū Province Rikuzen Province Iwashiro Province Iwaki Province Today part ofFukushima PrefectureMiyagi PrefectureIwate PrefectureAkita PrefectureAomori Prefecture F...

United States Navy rating Boatswain's MateRating insigniaIssued byUnited States NavyTypeEnlisted ratingAbbreviationBMSpecialtyDeck The United States Navy occupational rating of boatswain's mate (abbreviated as BM) is a designation given by the Bureau of Naval Personnel (BUPERS) to enlisted members who were rated or striking for the rating as a deck seaman. The colloquial form of address for a boatswain's mate is Boats. The rating of Boatswain's Mate dates from the American Revolutionary War a...

 

Cavrigliacomune Cavriglia – Veduta LocalizzazioneStato Italia Regione Toscana Provincia Arezzo AmministrazioneSindacoLeonardo Degl'Innocenti o Sanni (PD - Insieme per Cavriglia) dal 26-5-2014 (2º mandato dal 27-5-2019) TerritorioCoordinate43°31′17.64″N 11°29′11.17″E43°31′17.64″N, 11°29′11.17″E (Cavriglia) Altitudine308 m s.l.m. Superficie60,87 km² Abitanti9 474[1] (31-8-2023) Densità155,64 ab./km² Frazion...

 

List of events ← 2014 2013 2012 2015 in Madagascar → 2016 2017 2018 Decades: 1990s 2000s 2010s 2020s See also: Other events of 2015 Timeline of Madagascan history The following lists events that happened during 2015 in Madagascar. Incumbents President: Hery Rajaonarimampianina Prime Minister: Roger Kolo (until January 17), Jean Ravelonarivo (starting January 17) Events vte Years in Madagascar (1960–present) Pre-1960 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 197...

Cet article relate le parcours de l’équipe du Panama de football lors de la Coupe du monde de football 2018 organisée en Russie du 14 juin au 15 juillet 2018. Équipe du Panama de football à la Coupe du monde 2018 Fédération FEPAFUT Classement 32e (1er tour) Organisateur(s) Russie Participation 1re Sélectionneur Hernán Darío Gómez Capitaine Felipe Baloy Meilleur buteur Felipe Baloy (1) Maillots Domicile Extérieur Équipe du Panama de fo...

 

Si ce bandeau n'est plus pertinent, retirez-le. Cliquez ici pour en savoir plus. Cet article ne cite pas suffisamment ses sources (janvier 2019). Si vous disposez d'ouvrages ou d'articles de référence ou si vous connaissez des sites web de qualité traitant du thème abordé ici, merci de compléter l'article en donnant les références utiles à sa vérifiabilité et en les liant à la section « Notes et références ». En pratique : Quelles sources sont attendues ? C...

 

Indonesian racing driver Sean GelaelGelael in 2023Nationality IndonesianBornMuhammad Sean Ricardo Gelael (1996-11-01) 1 November 1996 (age 27)Jakarta, IndonesiaRacing licence FIA SilverFIA World Endurance Championship careerDebut season2016Current teamWRTCar number31Former teamsExtreme Speed Motorsports, Jota SportStarts27Championships0Wins4Podiums14Poles3Fastest laps0Best finish2nd in 2021, 2022 Previous series2017–202015–1620152013–142013–1420122012FIA Formula 2 ChampionshipGP2...

No debe confundirse con Harrison Ford el actor de cine mudo. Harrison Ford Harrison Ford en 2017Información personalNacimiento 13 de julio de 1942 (82 años)Chicago (Estados Unidos) Nacionalidad EstadounidenseReligión Judaísmo Lengua materna Inglés Características físicasAltura 1.85 m [1]​FamiliaPadres Chris Ford Dorothy Ford Cónyuge Mary Marquardt (matr. 1964; div. 1979)Melissa Mathison (matr. 1983; div. 2004)Calista Flockhart...

 

Bucarest Challenger 2008Sport Tennis Data22 settembre - 28 settembre CampioniSingolare Santiago Ventura Doppio Rubén Ramírez Hidalgo / Santiago Ventura 2007 Il Bucarest Challenger 2008, noto come Ipsos Bucharest Challenger 2008 per motivi di sponsorizzazione, è stato un torneo di tennis facente parte della categoria ATP Challenger Series nell'ambito dell'ATP Challenger Series 2008. Il torneo si è giocato a Bucarest in Romania dal 22 al 28 settembre 2008 su campi in terra rossa e aveva un ...