アレクセイ・ヴラジーミロヴィチ・ティホノフ(ロシア語: Алексе́й Влади́мирович Ти́хонов[1]、1971年11月1日 - )は、ロシア出身の男性フィギュアスケート選手。2002年ソルトレイクシティオリンピック、2006年トリノオリンピックペアロシア代表。2000年世界フィギュアスケート選手権ペアチャンピオン。パートナーはマリア・ペトロワ、川崎由紀子など。なお、ロシア語では「アリクスィェーイ・ヴラヂーミラヴィチュ・チーハナフ」が近い。
経歴
旧ソビエト連邦のサマーラに生まれ、4歳のときにスケートを始めた。やがてイリーナ・サイフトディノワとペアを結成し、初出場となった1989年世界ジュニア選手権では3位となったが、のちにペアは解散した。新たなパートナーを模索したが見つからず、日本へ渡る。1992年、日本の川崎由紀子とペアを結成し、日本所属選手として活動を始めた。
1992-1993年シーズン、全日本選手権で優勝。翌1993-1994年シーズンには全日本選手権で2連覇を達成し、NHK杯やネイションズ杯などの国際大会へも出場し、1994年世界選手権では15位となったが、1994年リレハンメルオリンピックにはティホノフ自身の国籍の問題もあり出場は叶わなかった。同シーズンをもって川崎由紀子とのペアを解消しロシアに帰国する。
ロシアに帰国後、新たなパートナーを模索し続けるが見つからず、タチアナ・タラソワ主催のアイスショーなどに参加を続けたが、1998年、マリア・ペトロワと新たにペアを結成し、アマチュア競技会に復帰を果たした。
ペア1シーズン目の1998-1999年シーズンからISUグランプリシリーズに参戦。いきなり表彰台の常連となり、グランプリファイナルにも進出。1999年欧州選手権では優勝を果たし、2000年欧州選手権で2連覇を達成。2000年世界選手権をも制し、強豪ペアとして注目を集めたが、2000-2001年シーズン以降はライバルの台頭もあり、世界選手権や欧州選手権などで表彰台に上ることはあってもタイトルからは遠ざかっていった。2002年ソルトレイクシティオリンピックに出場し6位、2度目のオリンピックとなった2006年トリノオリンピックでは5位に終わった。
2007年世界選手権では、怪我によりフリースケーティングを棄権。のちに引退を発表。
ペトロワとは私生活上でもパートナーである。2002年に日本のNHKで彼らに関する叙情的なドキュメンタリーが放映されたことがある[2]。
競技引退後はロシアでアイスショーやフィギュアスケート関連のテレビ番組への出演[3]、及び俳優として活動している[4]。2010年2月1日、パートナーのペトロワとの間に娘が誕生した[5]
主な戦績
詳細
脚注
- ^ ロシア語ラテン翻字: Alexei Vladimirovich Tikhonov
- ^ NHKアーカイブス保存番組『氷上のふたり ロシア・フィギュア 愛と挑戦の物語』2002年2月9日放映
- ^ Алексей Тихонов на сайте
ruskino.ru
- ^ «Ненормальная» для чемпиона
- ^ Путин не политик и не лидер. Просто подлый преступник
外部リンク
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1955年 – 1999年 | |
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2000年 – | |
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※ 開催年は年度 1955-65年度は翌年3-4月、1966-81年度は同年11-12月、1982-96年度は翌年1月、1997年度以降は同年12月に開催された。
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ISUグランプリシリーズ(1995-) |
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名称の変遷:ラリック杯(1987-2003)/ISUグランプリシリーズ ラリック杯(1995-2003)/ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(2004-2015)/フランス杯(2016)/フランス国際(2017-現在) |
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名称の変遷:富士フイルム杯(1986-1987)/ネイションズ杯(1989-1994)/ISUグランプリシリーズ ネイションズ杯(1995-1996)/ ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(1997-2001)/ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯(2002)/ボフロスト杯(2003-2004) |
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